わたしの手足はブヨのご馳走

わたしが咬まれまくり掻きまくってデキモノになったブヨは「関東ではブヨ、関西ではブトとも呼ばれる」とウィキペディアに出ていた。小さな黒い虫で気がついたときはしっかり咬まれている。腕と脚は掻いて血だらけ。大阪から持って行ったメンソレをつけたって効くはずなし。富山の薬屋さんの薬を叔母さんが塗ってくれた。血を拭って包帯を巻いたがその上から痒い。現地の子は慣れてるとみえて掻いている子は全然いなかった。それからのまる2年、体操の時間は見るだけであった。おかげで元々あかんかった鉄棒や跳び箱は見学だけ。6年生になっても試験のときなど特別に跳び箱3段(笑)。

持って行った夏物ワンピースを最初のうちは着ていたが、やがて学校からモンペをはくように命令がきた。ピンクに白い花模様のと、グリーンに白い子犬もようの服がお気に入りだったが、絣のモンペに着替えた。それでも母が縫ってくれたピンクを織り込んだ絣だったのが救い。モンペの上からもブヨの噛み跡を掻いていたっけ。

田舎の生活はいやでしようがなかったが、救いは桑の実とあちこちから湧き出す泉だった。ちょっとした石が積まれた奥に冷たい水が湧いていた。村の名は当時「御屋敷村字清水」だったが、地名にまで「清水」と入っているくらい水がきれいなところだった。ブヨに噛まれた足に泉の水は冷たくて気持ちよかった。

ブヨは噛まれたときはもう遅い。腕にたかっているのを見たらすぐに叩くのだが、いつも遅れる。小さいくせに強烈な毒針を持っていた。夕方が特に好みの時間帯みたいだ。
とにかく腕と脚の表面がずるずるで包帯だらけ。傷には包帯しないほうがいいといわれても、汚い腕や脚を出すのもいやだった。