古い家で考えた

姉の留守宅に行って神棚に榊を供えてきた。毎月1日と15日が榊を供える日だと聞いて、14日に花屋で買ってきたものである。
姉がなにかにつけつぶやいていた心残りのひとつが古い神棚だった。この神棚は結婚したときからこの家にあった。毎日水を換え、月に二度榊を換えるのに背が届かないから台にのっていたが、数年前から台に乗るのがあやうくなり、わたしらが行ったときに掃除とお供えを絶やさないようにしていた。神棚には古いお札がたくさんあり、江戸時代のもある。姉は自分の死でこの家は終わりだから、神棚のものは神社に返したいと常々いっていた。
今日は最後の榊を供えに行った。姉と約束したから新年そうそう夫が近くの神社に返しに行く。

この家は姉の夫の両親が戦争中から住んでいて、二人が亡くなったあと、姉の夫となる人と弟・妹(Tちゃん)が三人で住んでいた。
60年安保が終わった頃、三国駅近くの幼稚園を借りてコーラス団の会長をしていたわたしにTちゃんが友達になってほしいといってきた。「ええよ」と答えてすぐにわたしは「兄さんいる?」と聞いた。「ふん、おるよ」「そのお兄さん、うちの姉さんに紹介してほしいねん」「ええよ、うちに遊びにきて」ということで、わたしは姉を連れてこの家へ来た。それが最初で二人は意気投合して結婚してこの家に住み数十年経った。年を勘定するのが面倒臭いので略すが金婚式まだいったのかな。最後の2年は義兄がアルツハイマーで大変だった。

最初に行った時は団十郎最中を持っていったっけ。Tちゃんがお茶を出してくれたあとは話に花が咲いた。なかなか愉快なお兄さんだった。これはいけそうと帰って母親に報告したわたし(笑)。
そのあと二人は半年も経たないうちに結婚した。結婚式はこの家で友人たちが集まって賑やかにやった。その友人たちはみんな早めにあの世にいってしまった。

結婚してからずっと住んでいた家である。築70年を超えているからずいぶんいたんでいる。義兄の主義で自分の家は持たないということで、借家のままで70年過ごしてきた。大阪市内とはいえ古い土地柄だからできたのだろう。
いま姪たち(姉の次の妹の子)の手によって家中が片付けられつつある。とにかく物を捨てない人なので物が多い。アルツハイマーの義兄が拾ってきた小石まで箱に入れてとってあるんだから。

今日神棚に榊をあげたら、いままですっかり忘れていた過去が蘇った。
最初の日はこの玄関からあがって、このあたりに座って。結婚式はこっちを向いて花婿花嫁が座ってたと、思い出がこみ上げてきた。