記憶に残っている先生(わたしの戦争体験記 33)

国民学校の5年間で覚えている先生は一人だけ。5年生のときの担任になった高保先生(男性)だけは忘れずに覚えている。夏休みの間に戦争に負け、1学期では「勝ってくるぞと勇ましく」と歌っていた子供らは二学期になったら民主主義教育を受けることになった。先生がたは大変だったろう。子供たちに教科書を机の上に出させて、都合の悪いところを墨で消すよう指導して大変だった。わたしは意地悪く先生の顔をうかがっていたが、高保先生は子供達を相手に「いままでの先生がいってたことは間違っていた。これから変わっていくぞ」と淡々と告げた。

この時期に子供達を教育していくのは本当に大変だったと思う。男女同権なんてまだ知らない言葉だったけど、高保先生は男女の差別をしない人で女子たちの人気が高かった。

これはまだ戦争中の話だが、あるとき先生が風邪を引いて休まれた。日曜日にK子がT子を誘ってうちにきて、これから先生の病気見舞いに行こうという。珍しく叔母がタマゴを10個新聞紙に包んでくれた。T子は20個の箱入りを持っていた。K子が「うちにはタマゴがない」というので、わたしはふと気がつき、庭の片すみに咲く水仙を切ってK子に持たせた。

先生は水仙を見て、そのお見舞いがいちばんうれしいといった。K子はうれしそうにうなづいた。わたしはK子が「これはくみこさんがくれたづら」というかと思って待っていたが一言もなし。「それはわたしが・・・」としゃしゃりでる度胸もなし。いまだに忸怩たる気持ちを抱えている(笑)。