中原淳一と松本かつぢ(わたしの戦争体験記 42)

中原淳一が好き。淳一先生が一番で二番はないのだけれど、松本かつぢ先生は違った意味で好きだった。淳一の描く少女が『小公女』のセーラとしたら、かつぢ先生のくるみちゃんは近所の子の感じ。あくまでも少女のわたしが感じたところである。わたしの中でセーラは王女さまだったから、二人の画家についても子供ながらにこんな感じを持っていた。

疎開する前に二番目の姉が「これあげる」と自分の大切なものバッグから紙の着せ替え人形をとり出した。前から欲しかったくるみちゃんの着せ替え人形だったが、人形だけでなく素晴らしいドールハウスがあった。紙で一面だけを開けて周囲を囲った部屋に家具がうまく収まっている。本箱に並んだ本にはタイトルがちゃんと印刷してあった。テーブルや椅子が置かれテーブルの上には食器が並んでいる。立っている家具のすべてにつっかい棒がついていて前からは見えないように作ってある。
「ほんま?ほんま?」と大喜びでもらいうけ田舎に持って行ったが、近所の子に見せびらかしたらすぐになくなってしまった。

それからは着せ替え人形を自分で作った。淳一先生の少女全体像をなぞって描いて切り抜く。脚を交差させて靴を履いている。その上に着せ替えるドレスやスーツや着物を描いては切り取る。バッグはどうしようとか、レインコートには傘がいるかなとか想像するのも楽しかった。服や着物は古い『少女の友』や『主婦の友』を真似して、どんなバッグを持たせたらいいのかとか考えるのが楽しかった。少女小説の物語を頭の中でつくって、主人公の少女は淳一スタイル(笑)。戦争中で甲府市は空襲で焼けているというのに、アタマの中は金持ちの少女だったり、貧乏でも健気な少女だったり、空想は自由で。ご飯はすねりもちであっても紙とはさみと色鉛筆があれば幸せだった。

着せ替え人形つくりは戦後もやめることなく続き、ドレスの見本は『スクリーン』や『映画の友』『ひまわり』『それいゆ』からいただいて尽きることがなかった。ストーリーは父が古本屋で買ってくる海外ミステリーからいただいた。やがてドロシー・L・セイヤーズにたどりついたときのうれしさ!そのときは着せ替え人形からは卒業していた。