山があってもやまなし県(わたしの戦争体験記 43)

西六国民学校へ通っていた3・4年生のとき、クラスの子たちがこんな歌を歌っていた。「すべってころんでおおいた県(大分県)、山があるのにやまなし県(山梨県)ほいほい」というのである。なにか校庭で集合するときとか、みんなで行進するときに誰ともなく歌いだす。
わたしはそのやまなしけんへたった一人疎開したわけだが、うたはわたしに向けて歌ったわけではない。うたはうたで語呂合わせのようなものだった。

山梨県はほんまはやまあり県で、どっちを向いても四方に山があった。どうしたらあの山の向こうへ行けるのか小さな胸を痛め、小さな頭で脱出方法を考えたが、むろんのこと、脱出不能ということがわかっただけだった。
まわりの山が全体に低いのだが、途切れなく囲んでいるのがうざかった。低い山の間に高い山もあって、富士山も見えていた。毎朝山々を眺めるのが気分良い日もあったが、暗い気分の日のほうが多かった。「山があってもやまなし県、すべってころんでおおいた県」と大きな声で叫んでも返事は返らず。