戦地との交流(わたしの戦争体験記 47)

戦争中の学校にはいろんな戦争協力の行事があった。朝登校すると、校庭の(あれなんていったろう)天皇の写真が祀ってある小さな祠に頭を下げる。前を通るときはいつでも頭を下げるようにいわれていた。たいてい忘れてたけど。「君が代」を歌うときは祠に向かって歌う。それから「教育勅語」と「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」を叫ぶときも。

国民学校2年くらいのとき、戦地へ手紙を出そうという授業があった。兵隊さんに手紙を書けといわれて、あたまをしぼって書いた。知らない人に手紙を書くなんてとぶつくさいう子がいたが、兵隊さんはわたしたちのために戦っているんだからと先生がいって全員が書いた。みんな「兵隊さん、お元気ですか」と書いて書き止まってしまう。次に「わたしも元気で学校に通っています」である。なんとか書き上げて先生にわたすとまとめて戦地へ送ってくれた。

1ヶ月くらいで返事が届いた。全員が書いて出したのだが、返事は何通だったのだろう。なかにわたし宛があってびっくりした。手製の絵葉書になっていて、宛名は名前だけ書いてあった。戦地で敵に見られたら大変だから、まとめて機密書類にして返送してきたのだとのこと。

全体が黄色っぽい色調で、子供の髪を散髪している兵隊さんが描かれていた。さっさと描いたスケッチだがユーモアがあり、添えられた言葉もやさしくてうれしかった。
鼻高々で家に持って帰ったら、両親は一応喜んでくれたが、姉兄たちは「ふん、下手な絵やな」「お前に返事がくるなんてな」という感じで話にしたがらず。

戦地が移動するから宛先が決まらず、こちらから返事は出せないとのことで、交流はそれで終わった。戦地で子供に散髪してあげていた兵隊さん、それからどんな人生を送られただろうか。