お蚕さんから羽織まで(わたしの戦争体験記 59)

田舎で暮らすようになって驚いたのは一家そろって早朝から働き出すことだった。明るくなるより早く起きて蚕用の桑の葉を採りに出ていく。桑の葉をもいで背負いかごにびっしり入れ、かついでもどってくると自分たちの朝食よりもお蚕さんの朝ごはん。わたしが目を覚ますころはお蚕さんたちはざわざわ音を立てて朝食中。

人間はそれから朝食。わたしが行った頃はまだ白いご飯と味噌汁と漬物だった。わたしは漬物が嫌いだったから食べなかったが、たまに海苔を出してくれた。初めのうちだけだったが。

そうこうしているうちに蚕が繭になった。仲買人のような人が来て今年の蚕はどうだとか、よそはどうとか話していたから、それが商談だったのだろう、繭の大方を引き取っていった。残したのだか残ったのだか、家用のが大きなかごに入れてあった。
よくわからないが、繭を煮て糸を採る仕事を祖母が囲炉裏の前で根気よくしていた。繭から細い糸を引っ張り出す。糸をとったら染めである。庭先に染めた糸を広げて縦糸とし、次に横糸用の糸を作った。
できた糸を布にするのが叔母さんの仕事で、朝、昼、夜と長時間機織り機に向かっていた。日がな一日、縦糸をしっかり据えて横糸を右から左へ、左から右へと絡めていくのをわたしは見ていた。わたしにはできるはずない。
国民学校の6年までは叔母さんにそういう建設的な仕事をせよとはいわれなかったから命拾いした。
仕事になったのは「麦踏み」かなあ。でも体が軽いから麦踏みの効果があったかどうか。必死で麦を踏んだんだけど、跳ね返されていたりして。

叔母が織った布を母が縫った羽織がここにある。戦争が終わってからわたしがもらって大切においてあった。絹という触感がない重い荒っぽい絹である。次の冬はセーターの上に羽織って部屋着にするべし。