SUBの西山さんが亡くなられて3年

ベーシストの西山満さんが亡くなられてはや3年。月日の経つのが早過ぎる。西山さんに妹とまで言うていただいたのに、最近はジャズから遠ざかりSUBへも行ってない。でも、西山さんは怒ってはれへんと思うのである。「好きなことをやってたらええねん、それがジャズ的生き方や」と言うてくれはると確信しているから。「顔を見せにおいでや」と言われてSUBへ行ったのと同じように、本やパソコンやKindle画面を読んでいるから。

1961年1月10日にアート・ブレーキーとジャズメッセンジャーズが来日公演したときにフェスティバルホールに行った。同じ場所に西山さんと竹田一彦さんがおられたのを40年を過ぎて知った。
わたしはその後、フリージャズにいき、パンクに走り、その後はクラシックなどを聞きつつ文学の世界にいた。
10年ほど前に30数年ぶりにジャズを聞きたくなりSUBへ行った。わたしが天王寺のマントヒヒにたむろしていたころに谷町9丁目にできたのがSUBだった。

2000年代になってSUBでジャズを味わって、しかも西山さんに可愛がっていただいた。くみちゃんと呼んでくれたときの笑顔を思い出す。

いまなにが好きと聞かれたら映画「 ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン」で知ったヒップホップの50 Cent (フィフティセント)と言うかな。YouTubeでたまに見聞きするだけだけど。