荒俣宏編著『大都会隠居術』から内田百閒『特別阿呆列車』

さっきまでいろいろと用事をしていたら夜半を過ぎた。スタートが遅いからしかたがないが、この日記になにを書くかが決まらない。毎日のことだけど、テーマさえ決まればちゃっちゃと書けるのに。
それで、なんべんも読んだ内田百閒にしようと決めたのだが、今回は「百閒」の文字がちゃんと出るようになっていた。以前は百間と打ってから「間の中の日が月」と注釈をつけたものだ。

こどものころ家の本棚に「阿呆列車」が何冊かあった。父親が百閒先生のファンだったので他にもあったと思うが、そのころ読んだ本ではこの本しか覚えていない。
用事がないのに汽車に乗るが一等車でないといけない理由がある。食堂車で酒を飲む。大阪まで行くが一泊して翌日の昼の汽車で戻ってくる。お供はこども心にも楽しいヒマラヤ山系くん。編集者が見送りに来るので、百閒先生ってえらいんやと気がついた。

おとなになってからの話だが、阿呆列車の真似をしたいがお金がない。百閒先生のように錬金術をするほどえらくない。
その心持ちで京都とか奈良に行って、観光ではなくうろついて帰ってきた。その心は阿呆列車。これだけでも若いのに隠居生活やってたのがわかる(笑)。

最近はもう読まないが、猫と暮らしているときは「ノラや」「クルやお前か」を再読、三読した。そばに猫がいると、ノラやクルのことが他人事ではなくなっていた。
(光文社 〔光る話〕の花束5 1262円+税)