花の名前は連翹(れんぎょう)だった

昨日、田村隆一の『詩人のノート』を姉に渡したら、えらく感慨にふけって本を撫でまわしていた。そして本の最後の章に「連翹」とあったはずと確信を持っていう。
先日の花束のフリージャを見たときにいっしょにあった水色の花「デルフューム」を指して言ったのは間違いで、黄色からの連想で「連翹」というつもりだったようだ。木や花についての記述はあるけど、一章が「連翹」というのはないので記憶違いだろう。

ところで、わたしのほうは本を渡してしまったので、ちょっと宙ぶらりんになったところへ、おととい相方が図書館で『詩人のノート』が入っている『田村隆一詩集』第2巻を借りてきてくれた。今日はずっと読んでいたけど他のもおもしろいので全巻借りてくるかと言っている。
第4巻には「ミステリーのたのしみ」「半七捕物帳を歩く」「ミステリーについて」「アガサ・クリスティへの旅」が入っているから必読だ。いまごろなにをぬかすか(笑)だが、いい機会だから生かさなければ。
姉の脳細胞の奥に隠れていた黄色い花の記憶と『詩人のノート』の記憶が合致して蘇った春。

春がきた

おとといまで寒かったから日差しが明るくてもぼやっと部屋でよどんでいた。今日は明るく暖かくなって、ようよう春がきたみたい。
相方が今日は行けるというので姉の家の植木の面倒を見に行った。暖冬だったのに超寒い日が何日かあって、葉が枯れてしまった鉢植えがいくつかある。
枯れた葉っぱを取り払ったら根元から芽が出たり、新しい葉っぱが出始めていたり、植物ってたいしたものだ。

先日から寝る前にiPadで少しずつ読んでいる『秘密の花園』で、主人公の少女メアリーが春が来る前に咲かせたい花のために茂った雑草を整理してやるところがあった。あれや、あれやと、えらく規模が小さいけど、確かにあれだと思った。

枯れたと思っていたボケの枝に葉っぱが生き生きと出てきて蕾がついている。ピンクの小さな椿が咲き出した。
小さな庭にも春がきた。

田村隆一『詩人のノート』

先週の木曜日に頼まれていた買い物をして姉の家に行った。お土産に持っていった花束を見て花の名前を聞かれた。フリージャともういっこなんやったっけ・・・全然思い出せない。思い出したら電話するわと言ったら、あの本があればすぐわかるのにと、すらすらと口にしたのが田村隆一『詩人のノート』である。わたしは全然知らんかった。田村さんの詩は読んだことがないし。あ、でもミステリの翻訳をたくさんしてはったからけっこう読んでるな。
姉はその本をとても大事にしていたのに、人に貸してあげたんだそうだ。絶対返してやというたのにと20年も前のことを残念がっている。それで帰ってからアマゾンを見たら中古本が出品されていたので即注文したのが月曜日に届いた。また木曜日に行くのでそれまでに読み終えることにした。
装丁がとてもおしゃれな本だ。それに目に優しいたいへん読みやすい本である。柔らかい内容で文章が優しくて読みながらにっこりしていた。でもどうも姉の覚え間違いらしく、花の名前は出てくるけど鎌倉の家の庭に咲いているのとかで、花屋で1本いくらというような花は出てこない。きっと朝日新聞に連載していた大岡信さんの『折々のうた』の思い違いではなかろうか。明日この本を持って行って聞いてみよう。
その花の名はデルフューム。

これはうまい! しらすのパスタ

先日郵便受けにアメリカ村のピザ屋のチラシが入っていた。なにげなく見たら「しらすのパスタ」の文字と写真があった。パスタの上に緑の葉っぱとしらすが盛り上がっていて美味しそう。これいけそうやでと相方に見せたら「うまそうやな、明日やってみよう」ということに。さっそく翌日しらすを買ってきた。サラダ菜としらすと彩りもよくとてもうまくてワインに合う。我が家の食卓に新しいレシピが加わった。

今日はシンコを買ってきた。見るからにうまそう。
フライパンにオリーブオイルと白ワインを少々、そこにシンコを入れて強火でさっと炒める。茹でたパスタにイタリアンパセリをのせ、その上にシンコを盛って出来上がり。
今日は先に野菜と肉の皿が出て、途中で一休み(わたしだけ)している間にパスタが出来上がって出てきた。

今日の晩ご飯:赤ワイン、葉っぱのサラダ、じゃがいもとにんじんと玉ねぎ炒め卵とじ、マトンのミニステーキ、キャベツのピクルス、シンコのパスタ、バケット+クリームチーズ、紅茶。

田村隆一『詩人のノート』をアマゾン中古本で買った

先週姉の家に行ったとき買って行った花の名前をド忘れして、なんやったかなと悩んでいたら、姉が『詩人のノート』に出てたのにと言った。「その本知らんわ、見せて」と言ったら、20年くらい前に人に貸したままとのこと。「最近あの本ものすごく読みたいねん。古本屋に行ったってすぐにあるわけないしな」と続けて言うので、ネットで調べるからと本のタイトルと筆者をメモして帰った。
田村隆一『詩人のノート』(1977 朝日新聞社)はすぐに出てきたので即買ったのが今日届いた。あさって持って行くのでそれまでに読んでしまうつもり。
先週の木曜日に話題になったのが、次の木曜日行くのに間に合ったんだからすごいわ。

わたしがネットやってていちばんありがたいと思うのは古本を買うとき(笑)。1円の本に送料をプラスして手に入った喜びはなにものにも代えがたい。
P・D・ジェイムズのダルグリッシュ警視長ものの2/3はアマゾン中古本である。段ボール一箱に収まっていて、昨日も押入れから取り出し好きなところを拾い読みしていた。
ダルグリッシュがエマとはじめて会うところや、ケイト・ミスキン警部とピアース警部のメールのやりとりとか、すぐに出てくるところが我ながらすごい。

大阪大空襲から71年

ツイッターをやってるおかげで日々いろんなツイートを読み世の中の動きについていけてる、と思う。
先日から東京大空襲についてのツイートをたくさん読んだ。それで、ああそうだった、大阪はちょっと後だったな、13日の夜だったと思い出した。毎年思い出しはするのだが、今年は早めだったから、戦災を生き抜いて長生きした両親を思い出したり、まあまあ元気な姉と子ども時代のことを話し合ったりした。

大空襲のときは姉は知り合いのところへ、わたしは母の実家に預けられていたので、二人とも戦災体験はない。二人ともぐずだから足手まといになって全員アウトだったかも。
そういえば下の兄は山梨県の甲府にいて爆撃にあい必死で自転車で逃げたという。てんでんばらばらに生きてたんやなあ。全員生きて敗戦を迎えたが、全員が揃って暮らすようになったのはだいぶ先のことだった。

71年前のこの時間、この辺りはB29に爆撃され人々は逃げ惑っていたんやな。
父は焼夷弾で足を怪我したのでその辺にあったリヤカーに乗せ、母と兄が引っ張って歩いた。東へまっすぐ末吉橋へ出てから北方向に向かい、夜が明けてから十三大橋を渡って、三国大橋を渡って知り合いのいる豊中市に向かった。途中の道の端で持って出た米を炊いて食べたら砂でじゃりじゃりだったとか。

かますご食べて春がきた

晩ご飯に「かますご」が出た。春がきた。
「かますご」というのは関西の言葉で、ちりめんじゃこのサイズは「かなぎちりめん」、もう一回り大きくて釘煮にするのは「いかなご」、かなり大きくなって7センチくらいのが「かますご」という。毎年なんていうんやったかなと混乱して検索している(笑)。
かますごは買ったときには茹でてあるので、さっと焼いて二杯酢で食べる。春になると酒の肴の一品として度々登場する。安くて簡単な上に季節感があるので便利である。安いので売り場を見てまわっているとつい買ってしまう。いまはダンナが買ってきて丁寧に焼いている。

阪神大震災のときボランティアで仮設住宅を訪ねていると、この季節、行った先々で「いかなご」の釘煮を煮ている醤油の匂いがただよってきた。郷愁の念がその匂いにこめられているようだった。いまもこの季節になると思い出す。

うちは3年ほど菜食していたのでその間は魚も肉も食べていなかった。今年は菜食プラスタンパク質ということにしたので、肉と魚をぼちぼち食べている。すんごく新鮮、そしてうまい。台所がちょっと油っぽくなったけど。

今日の晩ご飯;焼酎湯割り、葉っぱのサラダ、かますごの二杯酢、イワシの蒲焼+大根の漬物、厚揚げと大根の炊いたん、ご飯、大根とわかめの味噌汁、納豆、海苔、番茶。

ヘンリー・ハサウェイ監督 スティーブ・マックィーンの『ネバダ・スミス』

タイトルだけはずっと知っていたけどどんな映画か全然知らなかった1966年製作の異色の西部劇。スティーブ・マックィーンは『シンシナティ・キッド』が大好きで、これは映画館で見た後にテレビでやると何度も見ている。

白人の父と先住民の母との間に生まれて逞しく育った16歳のマックス・サンド(スティーブ・マックィーン)が水汲みをしているところへ来た3人のならず者。彼らは近くの金鉱の金を父親が持っていると思い込んでおどし、金がないとわかると二人をなぶり殺した。マックスは怒りに燃えて家を焼き払い敵討ちに出発する。
見かけた3人を犯人と思って近づいたのだが人違いで、親切にしてもらって気を許したら寝ている間に馬も銃も奪われる。次に出会ったのは拳銃専門の商人で、若者を捨てておけないと思ったらしく拳銃の使い方を教えてくれ、世の中の仕組みも教えてくれた。別れにもらったお金で桃の缶詰と英語の本を買ったマックスはカウボーイをしながら仇を探す。

捕まって牢屋へ入ったり脱獄したりと大変続きだが、神父(ラフ・ヴァローネ)に助けられ体を癒す。神父も両親と兄弟を殺され一人生き残った人だった。聖書を与えられるがなかなか信じらないマックス。
でも最後には手強い3人を執念でやっつけて爽やかに去っていく。

神父役のラフ・ヴァローネは名作『にがい米』(ジュゼッペ・デ・サンティス監督)に出ていたイタリアの俳優。懐かしかった。もっと好きなのはヴィットリオ・ガスマンだったが。

バート・ランカスターを忘れてたなんて

相変わらずツイッターを読むのが好きで時間をとられている。最近は映画関連のつぶやきを読むことが多い、というより映画好きな人をフォローするので、とっても映画の勉強になる。たいてい若い人のようだが、古い映画のことをよく知っているのにおどろく。このごろは古い映画を見ようと思えばいろんな手段で見られるからといってもすごい。
わたしは映画歴が長いからたいていの古い映画はツイートの写真を見ればわかる。若いときはドキュメンタリー映画の上映会とか、ドイツ表現主義の映画の会とか、映画館以外の小さな会場のも追いかけて見てたし。

だけど、今日はバート・ランカスターの写真つきツイートにぐさっとやられた。最初は映画の1シーンの写真を見てバート・ランカスターやんかと思ったら次もその次もずっとランカスターなのである。「イイネ」を連続して「RT」もした。若いときもいいけど、年取ってからも好き。
驚きのある人生送れて幸せ。

やっぱりお水取りが過ぎないと

昨日までの4日間は20度で今日は10度というおどろくべき気温の変化だ。ついていけないといえどもそうなんだからしかたない。やっぱりお水取りが過ぎんと春にならんわと毎年同じ会話をしている。その次は「寒さも暑さも彼岸まで」のお彼岸待ち。それから近所の街路樹の木蓮と辛夷の白い花が咲き、そして月末には桜が咲く。もうすぐだ〜

今日は気温が低い上に雨が降って寒い冷たい日だった。わたしはといえば、ぬくぬくの整体院で凝りを和らげてもらって幸せな時間を過ごしてきた。
明日は姉のところに行って雑用&おしゃべり相手で過ごす。ほぐした凝りがまた凝る(笑)。

確定申告をまだしてないのだが、基礎の計算はしてあるので今週中に申告するつもり。その他用事がたくさんあるのだが、明日はヴィク・ファン・クラブの会報原稿締切り日である。また10日間ほど肩を凝らすけどこれは楽しい仕事。