雨の日曜日って秋らしい 夕方から光合祭へ

夏の間は雨が降らなくてたまに降ると大雨だったが、ようやく秋らしい雨が降るようになった。そしたら晴れてほしい日に降る。朝はまだ天気がよかったように思うが、お昼過ぎに起きたら降り出していた。

なにかうまいものが食いたくて、今年最後の茄子やと言いながら秋なすのパスタをつくった。トマトはずっと生のトマトを使っていたが水煮缶を使用。サラダのトマトも高くなったのでプチトマトに切換え。夏の名残りっぽい昼食がうまかった。

メールの返信やミクシィのコメント返しを書いておやつを食べて、夕方から光合祭の湊町リバープレイスへ。すっかり遅くなって帰りかけている人もいる8時までの2時間。最後の1時間はageishiさんのDJで盛り上がった。
秋分の日に毎年行われる光合祭が雨のために今日に延期されていた。今日雨ならば気持ちよい外でのお楽しみは屋内に変更されると聞いていたが、ほんまに雨になり屋内になった。あそこらへんへ行くとよく目立つピラミッドみたいなガラス屋根の下の階段と広場である。

子ども連れが楽しめるようにK嬢が小さな子どもたちを集めて遊ばせている。薄い衣装と大きな羽根を背中に広げたフェアリー姿で、フラフープやシャボン玉や昔遊びのいろいろ。先日のタムタムカフェオープニングパーティでも子連れが多かったが、これからはDJルームの横に託児室がいるね。子どもができてサヨナラするんでない人たちが増えたらええな。

サラ・パレツキーさん夫妻をお見送りの巻

サラさんご夫妻は昨日はお二人で古都奈良を散策して楽しく過ごされたそうだ。雨もたいしたことがなくかえって落ち着いてよかったとのこと。
奈良から東京へもどられるのを、京都まで送ってほしいと頼まれたので、通訳を翻訳家の飯干京子さんにお願いして難波で待ち合わせた。初対面だったけどすぐにわかり、ミクシィで長くつきあっているので奈良までの車中を旧知のように話し合っていた。

9時半に奈良ホテル到着、すこし早かったので近所を散策してからロビーへ。ここのロビーへ一度入ってみたかったのよね。クラシックですごくおしゃれ。すぐにサラさんが見つけてくださった。喫茶室で新聞を読んでいるコートニーさんがカッコいい。タクシーがくるまで庭で写真を撮る。サラさんはジーンズにスニーカーの軽装がよく似合っている。お二人の中に入って撮ってもらったけど、真ん中が谷だ(笑)。

タクシーで奈良駅到着。エレベーターの場所など確認しておいたのでさっさといき、時間があるので駅内のカフェでコーヒー。サラさんはiPadを出して写真を見せてくださる。コートニーさんはiPhoneで時間を見ておられた。
近鉄特急は指定席で4人向かいあって座った。飯干さんの流暢な英語で会話がはずむ。外は黄金色の田んぼが続き曼珠沙華が咲いている。快適な35分が過ぎて京都着。

新幹線の乗り場って電車を降りたらすぐなんだ。ずっと向こうのように覚えていたのはなんでやろ。ホームに上がってのぞみが来るのを待った。列車に乗り込まれるのを待って外で見ているとサラさんが中腰になって手を振っている。

お見送りが終わってホッと一息。二人で駅ビルを長いエスカレーターでのぼって昼食。JRで大阪へもどった。帰ったら疲れが出て一眠りしたけど、目が覚めたら元気回復していた。ああ、楽しかった。

サラ・パレツキーさんご夫妻と楽しい会食 続き

昨日は公式報告ぽいことを書いてるので今日は具体的にいろいろと書こう。6時半前にお店に着いて入り口で通訳係の2人が待ち、4人は部屋で席順を決めて座って待つことしばし、お二人が入ってこられた。サラさんがすぐに「すぎやさん」と呼びかけてきて手を取り合った。サラさんは黒のトップとパンツに赤いジャケットと赤い靴がすごく似合っていた。

それぞれが座り料理が運ばれるまでプレゼント交換。チャルカで選んだ東欧アンティークのブローチを全員からプレゼント。Uさんが選んだ和紙のカードに全員サインしたのもつけた。サラさんはブローチをすぐに胸につけてくださり、渋い色の花が赤い服によく似合った。Sさんはみんなに持ってきた名物かりんとうのセットをサラさんにも。Tさんは長良川の鵜飼いの浮世絵を説明とともに。実はTさんは15年前に名古屋と大阪の講演会と大阪のパーティに出席された。帰りの電車でサラさんといっしょになったが、やさしく話してくれる英語が理解できなくて悔しかった。それから一念発起して英会話に取り組み、昨日はみごとに思いのたけを話された。
会員のKさんから預かったのは小浜市の名産品であるお箸で、オバマシールを貼ったカードつき。Oさんから預かったのは東京のサイン会での写真とお菓子が入った千代紙を折った父上手製の小箱。それとヴィク・ファン・クラブの会報9月号もお渡しした。

サラさんからわたしがいただいたのはマッキントッシュのローズピン。そしてみんなにヴィクシリーズ新作の「BODY WORK」にちなんだタトーシールが配られた。山本やよいさんからも心遣いのプレゼントをいただいた。
そして写真係が活躍。サラさんもご自身のカメラでみんなを撮っていた。山本さんからのチョコレートを持ったわたしの写真を山本さんに送ってくださるって。

サラさんたちは燗したお酒、わたしらは冷酒で乾杯。会話はUさんの仲介でどんどん進み、それぞれ手酌でご馳走を食べるのだが、話に集中して料理を味わっている余裕がない。ヴィクの事務所の壁にかけてある絵のことや、「バーニング・シーズン」の取材に高い場所に行ってコートニーさんがひやひやした話や、囲碁に深い関心をもっているコートニーさんの話。サラさんの短編に囲碁好きの日本人が出てくる「高目定石」というのがありましたっけとうなづきあった。

それからいっぱい話したんだけど、思い出したら追加することにして、最後はまた写真を撮り合ってお開きとなった。お店の人が全員写真を撮ってくれたし言うことなし。
それからそれぞれの本にサインをいただいた。新刊2冊の他に原書を持っているひと、新刊の「BODY WORK」を持っているひともいた。
お別れの挨拶をしていたら、コートニーさんがわたしを抱きしめて頬にキスをしてくださった。タクシーに乗るときに「もう一度」とまたキス。舞い上がってしまったわ。
サラさんたちは奈良ホテルへもどられ、わたしらは西大寺の駅で解散した。

大阪のホテルへ泊まるUさんと日本橋で降りてタムタムカフェへ。お互いにご苦労さんとカンパイし、ずっと続いている会話の続きをまた続けた(笑)。タクシーでUさんをホテルの前でおろしてから帰宅。長く充実した一日だった。

当分はヴィク・ファン・クラブをやめられない。

サラ・パレツキーさんご夫妻と楽しい会食

だいぶ前にサラ・パレツキーさんが日本ペンクラブ主催の講演会に来られるのを知った。今回は東京行きは無理だとしょんぼりしているところへメールがとどいた。東京が終わったら京都と奈良へ行くので、奈良で会いましょうとあった。
それから外国生活が長く英語に堪能なUさんを中心にして同行する人を決め、役割分担を決め、わたしを除くと初対面の人ばかりだからメールで交流をはかって今日を待った。

よく晴れた気持ちよい日になった今日、東京、岐阜、名古屋、神戸、大阪×2の6人が2時間前に奈良のカフェに集まった。英語に堪能な2名を中心に役割分担は決めてあったから会話はスムーズに運び興奮は高まる。タクシーに乗って和食の店でサラさんとコートニーさんの到着を待った。
6時半からの会食は9時までだったが、その間にプレゼントの交換して、本にサインをお願いして、いっしょに写真を撮って、もちろん濃い会話をして、大車輪の2時間半だった。

お二人は和食を上手に箸を使って食べられ、燗したお酒を飲まれてすっかり日本になじまれている。それもそのはず、コートニーさんは囲碁に造詣が深いのだ。サラさんの側にはUさん、コートニーさんの側にはKさんがついて通訳。その連係もうまくいって会話がはずんだ。

サラさんはヴィク・ファン・クラブの活動がヴィクシリーズを日本に根付かせてくれていると手を取っておっしゃってくださった。こちらはヴィクシリーズを読むことで男性探偵崇拝視線からフェミニズム視線に変われたと感謝の言葉を伝えた。

帰りはUさんと二人でご苦労さん会をミナミのタムタムカフェでやって、ホテルに彼女を送ってタクシーで帰宅。

カール・ドライヤー監督『裁かるゝジャンヌ』

20年以上前だけど外遊びをやめて家でレーザーディスクで映画を見ることに集中していたときがあった。それまでは映画館に通っていたのが、見たくとも見られなかった映画、往年の名作を家で見られるようになってうれしくてしかたなかった。
買ってその日に見ることが多かったし、何度も見た映画も多い。レーザーディスクの時代が終わって、かなりの作品を整理してしまったが、2台目の機械がまだ動くのでたまーに見ることがある。

カール・ドライヤー監督「怒りの日」はビデオだったが、これを見たときにまだ一度も見ていないのがあることに気づいた。これは絶対見なければと買った「裁かるゝジャンヌ」である。内容がきつそうで敬遠しているうちに20年過ぎたって、なんてええかげんな。
今夜、晩ご飯のあとすぐに見たのだが、胃の中がこなれてないときにこんな深刻な映画を見たので、あとがしんどかった。

1928年製作のフランス映画、カール・ドライヤー監督「裁かるゝジャンヌ」。ジャンヌを演じるのはルネ・ファルコネッティ、舞台女優で映画はこれのみで若くして逝った。ほとんど顔のアップだけなのだが、素晴らしい演技。アントナン・アルトーが出ていた。処刑の場面でジャンヌに十字架を渡して気持ちを通わす若き司祭のマッシュウ、すごく存在感があった。サイレントで音楽が美しく画面に集中できる。

オルレアンの乙女ジャンヌ・ダルクはフランス国内に侵入してきたイギリス軍を追い返すが、ジャンヌ自身はルーアンでイギリス軍の捕虜になってしまう。ルーアン城を手に入れたイギリス軍はジャンヌを恨んでいて、ジャンヌによって地位を追われた司教と組んでジャンヌを罪に落とそうとする。男装で髪を短く切ったジャンヌをあらゆる手を使って脅すが、彼女は神に敬虔で誠実に答える。拷問にかけられた彼女は重い病気になるが、自然に死なすわけにはいかない。
ついにジャンヌは火あぶりの刑から免れるために誓絶の署名をする。今後は牢に入れられパンと水だけで生きていくことになる。短かかった髪が根元から切り取られた。そのときジャンヌは偽りで生きることをやめ、誓いを取り消す。火あぶりの台のそばにいるマッシュウの表情がジャンヌと映画を見るわたしらの救いにもなる。火あぶりになるジャンヌを見ていた群衆が叫び出す。

タムタムカフェオープニングパーティから心斎橋ベースで一服

パノラマで木曜日を担当していたアベチカさんがDJの浅井さんと日本橋に新しい店タムタムカフェを開いた。昨日と今日はオープニングパーティの日で、わたしらは今日行ったのだが、たくさんの人たちが集まり大盛況だった。
お店は奥行きがあって広い。DJブースがありカウンターがあり店内も広々している。友だちが手伝ってできるところは手づくりということで、すごく個性的な店になっている。DJブースのところではすでにユーストリームもやっていた。

わたしはパノラマへたまに行くくらいだが、相方のおかげでたくさんの若者たちに紹介してもらい、話をして楽しい時間を過ごすことができた。子ども連れ赤ちゃん連れもいて楽しい。みんなおしゃれなカッコをして絵本から抜け出てきたよう。
ずっと音楽が流れてほんまにええ感じ。DJが30分くらいで入れ変わったので、たくさんのDJのそれぞれが違っている音がおもしろい。

4時間のお楽しみのあと、さっき同席していたKさんの心斎橋のお店に寄った。ちょこっと座ったつもりが流れるジャズを聴きながらのおしゃべりで2時間経過。また歩いて帰った。

サラ・パレツキー『沈黙の時代に書くということ ポスト9・11を生きる作家の選択』

「ミステリマガジン」2010年3月号から8月号まで6回にわたって連載された「沈黙の時代の作家」が本になった。タイトルが変わって「沈黙の時代に書くということ ポスト9・11を生きる作家の選択」となっている。
連載中に確認するように書いたものが「サラ・パレツキー アーカイブ」の下のほうにあるので読んでください。

単行本にするにあたって、日本の読者のために新しく1章「日本版に寄せて 拷問とスピーチと沈黙」が書き加えられいるので、その紹介と感想。

「拷問とスピーチと沈黙」というハードな言葉どおりに、短いがハードな内容だ。最初に拷問されたアンソニー・ホームズの証言が紹介されている(《シカゴ・リーダー誌》掲載)。この拷問が行われたのはシカゴのサウス・サイドにある警察署だった。ホームズの他に100人を超える人々に対しても拷問が何度も繰り返された。

【わたしがこうした記事を読むときに思い浮かべるのは、拘留中の容疑者の拷問を指揮した(とされている)刑事、ジョン・バージのことではない。ホームズやダレン・キャロルや、その他の被害者のことでもない。/むしろ、ドリス・バードのことが頭から離れない。部長刑事の地位で退職したバードはこういっている——バージのチームが尋問に当ったときは、取調室からよく悲鳴が聞こえてきたし、容疑者たちからは、ビニール袋を頭にかぶせられて窒息しそうになった話を聞かされた。電話帳で殴られ、高熱のラジエーターに鎖でつながれたという。】

バード部長刑事は出世の道を閉ざされるのが怖くて拷問のことを報告しなかったと《シカゴ・リーダー誌》に語った。バージ刑事と部下はすべて白人男性だった。黒人で女性のバード刑事が報告したらどんな目にあわされるか。
ここを読むことで「ミッドナイト・ララバイ」でヴィクが受けた衝撃のことが理解できた。ヴィクの父トニーの苦しみが。そしていま、沈黙の時代に恐怖を超えて言葉を発しようとするサラ・パレツキーの勇気にうたれた。
【・・・しかし、わたしがそこに到達するまでは、V・Iにピッチャーズマウンドに立ってもらい、わたしの意見を代弁してもらうしかないだろう。】
(山本やよい訳 早川書房 1800円+税)

バイロン卿の娘エイダ

図書館でマーク・フローエンフェルダーの著作「THE COMPUTER」という大型本を借りてきた。コンピュータの歴史や人物に関する本だけど、最初は計算ということからはじまっている。世界最古の集計システムはチェコで発見された骨で、人為的に刻まれた数に関する痕跡の一番古いものだとか。
それからいろいろな人の肖像画と実績が記されているが、知っている名前はパスカルくらいだ。
めくっていくと美しい女性の肖像画に出くわす。詩人バイロンの娘、エイダ・バイロン・ラブレイス(1815〜1852)である。バイロンは有名な与謝野鉄幹の歌「ああ、われ、ダンテの奇才なく、バイロン、ハイネの熱なくも・・・」のバイロンである。その娘さんがなんでコンピュータの本にあるのか。

エイダは一歳のとき母に連れられて家を出た。エイダがバイロン卿に影響を受けて詩人になるのを恐れたためだ。母は自分の妹に頼んでエイダに数学と科学を教え込ませる。成長したエイダはイタリアの数学者の論文を英訳し、それに彼女自身が長い注釈を書いて発表した。この注釈のために彼女は「世界最初のプログラマ」という栄誉を受けているそうな。彼女はバベッジ(数学者で発明家)の装置が完成した暁には、コンピュータが家電品と同様に一般家庭の必須品となることが当然であると予見していた。プログラム用語の一つ、Ade(エイダ)は彼女にちなんだものなんだって。ひぇーっ。(ハント・ヴェルク訳 トランスワールドジャパン 6500円+税)

SUBで春の気配を感じた

このメンバーの演奏が1月になかったので久しぶりにみんなの顔を見てほっとした。西山 満 QUARTET+1[西山 満(cell) 歳森 彰(P) 財 盛紘(B) 弦牧 潔(D) ] は相変わらずまじめな演奏だった。昨日までは大寒かったが今夜は暖かく、演奏も伸びやかで春の気配を感じた。客は少ないけれど、おおかたはいつも聴きにきている人で暖かい雰囲気だ。
もう少し客が多くてもう少し緊張感の漂う演奏を聴きたいとも思うが、この柔らかさが居心地よくて好き。有名ジャズ演奏家のコンサートへ一回行くよりも、こうして目の前で演奏するのを何度も聴いたらええのにと思うけど、それは好きずきだからしゃあない。でももったいないよ、こんないい演奏を聴いたら人生が楽しくなるのに、と思うのであった。
ドラムの弦巻さんがいつもと違う演奏だったが、こうしてやりつつ自分の音楽を探しているのだなぁと思った。ようわからんのやけど。
歳森彰さんはいま月に一度SUBに出るだけがライブ活動なので聴いておかなくっちゃ。