ミンチボールスープ

昨夜も遅くまで起きていたので当然今日のはじまりは午後から。朝昼兼用ごはんは昨夜の残りの鶏肉スープを温めたのとサンドイッチとサラダを午後3時ごろ。みんなつくってもらうので楽チンこの上ない。食後に柿を食べた。夕方にはコーヒーとチョコレート。

晩ご飯の主菜はミンチボールの入ったトマト煮スープで明日の朝の分も計算してつくってある。それにトーストとサラダがついた。
相方が午後にわざわざミンチ肉を買いに行ってミンチボールをつくった。台所から呼ばれて見に行ったら、きれいに丸くにぎったのを12個バットに並べて「これを見ろ」と見せてくれた。「すぐ食べたらもったいないね」といったら「飾っとくか?夫の作品ですといって」と笑われた。

晩ご飯にミンチボールを3個ずつ食べて、明日の昼にも同じだけ食べるように鍋に残してある。そこにサラダとパンがつく。
明日の晩ご飯は魚料理と野菜の煮物とご飯と味噌汁と納豆が出る予感がする。

やってきたよと合図の曲

市内に住んでいると外から毎日やかましい音が絶えずといってもいいくらいに聞こえる。一日中童謡を大きな音で流しながらなにかを運ぶ車が通る。「ゆうやけこやけの赤とんぼ・・・」いっしょに歌う。ずうーっと何年も聞いている。なにやさんやろ。「田舎の競馬場どだどだ・・・」と調子をとる。草競馬はなにを運んでくるのかな。廃品回収車も決まった曲を流しながらやってくる。あれなんの曲だっけ。
最近になって間違いなくあれだとわかった曲がある。灯油を運んでくるくるまの音楽だ。「雪やこんこん、あられやこんこん、降っても降ってもずんずん積もる」近所のマンションから灯油の容器をさげた住人がぼちぼち出てくる。
冬になったんやなとつぶやくと「昨日もそういうてたで」と相方が呆れる。どうやらちょっとボケてきたのかも(笑)。

「シャボン玉とんだ、屋根までとんだ〜」も毎日のようにきてたけど最近ちょっと聞かないような。なにを売る車だったのかな。
来る車の荷物に用事があるひとは、曲によってなにを売りにきたのかわかるからいいか。
そんなことを考えていたら「やきいも〜 いしやきいも〜」と焼き芋屋さんが昔と変わらない呼び声を響かせて自転車を引っぱって行った。

サポーターに助けられ

寒くなったせいか膝がしんどい。ときどき膝に湿布を貼ってその上にタイツを穿く。湿布で膝痛が治るわけでなく痛みを感じるのを抑えるだけだとなにかで読んでなるほどと思った。湿布を貼って治るのなら苦労しない。痛みを抑えているのだと納得して使えばいい。治らなくても現在がラクになればいいと思えば。
毎日使っているのはサポーター。細い毛糸を編んだ見るからに高級品は姉にもらったもので2組あって外出するときに使う。ふだんはラシャの丸い輪をぶつ切りしたようなのを使っている。その他に高価なふくらはぎサポーターを梅雨や初秋にはめる。

膝の具合はサポーターを使わないときと比べると格段の差である。
ただ、痛みがとれて治るかというとそうはいかない。
日々サポーターに助けられ、いくらか快適に過ごせるということかな。

今年いちばんの寒さがきた

昨夜遅くiPhoneにお知らせが入った。明朝は今日より5度低いから注意してくださいって。えええっ、いまもけっこう寒いやん、これより5度寒いってどんなんよ。モンクをいってもしかたない。ストーブの温度をあげて柿をむいて食べた。深夜の柿、うまかった。

そして、今朝は注意のとおり寒かった。
午後からつるかめカイロ整体院で治療してもらってきた。村上春樹さん読書のせいで目が疲れているのを丹念にマッサージしてくれたのがよく効いた。ほんまにありがたい。
終わったら相方が車椅子を押して迎えにきてくれた。わたしの治療中に無農薬野菜や健康食品を買いに淀屋橋のマーケットへ行ってきたのだ。どっちむいても足をむけられない。足は痛いがありがたい。
帰りは昼間とうって変わった侘しい夕暮れの風景になっていた。夏なら西日が射すところが、同じ時間でも夕暮れだもんね。

住まいにもどったら友人から手紙がきていて、手紙とともにカンパの切手ががばっと入っていた。とてもありがたい。こういう人がいてヴィク・ファン・クラブはやってこられたのだ。モンクいわずにがんばろ。

今年の寒さ対策

午前中も午後も日当たり良く空が青く雲が白い。洗濯物がそよ風にゆれている。こんなときこそ車椅子を出してもらって銀行の用事やら買い物やら片付けてこよう。暖かい日差しの中を東に向いて出発したが、最後にちょうどよかったと整形外科に寄ったものだから帰りは西日どころか暮れかけていた。

膝掛け毛布をかけて行って正解だったけど、これから何ヶ月かは暖かいものを忘れたらあかんな。北風が足首を直撃するとからだ全体が冷える。このあいだ古着を整理していたら腹巻が3枚出てきた。これはありがたい。すごく寒い日は腹巻を二重にして間にカイロをはさめばいい。今年の寒さ対策は怠りなし。
また思いついたら書き足します。

村上春樹さんの本、読み終わったのとこれから読むのと

●読み終わった本
風の歌を聴け
1973年のピンボール
羊をめぐる冒険(上下)
ダンス・ダンス・ダンス(上下)
ノルウェイの森(上下)
ねじまき鳥クロニクル(123)
国境の南、太陽の西
旅行記 遠い太鼓

●これから読む本
海辺のカフカ(上下)
色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(上下)
短編集 女のいない男たち

わたしはずっと村上春樹は苦手やねんと言い続けてきた。いまから振り返ると最初に読んだ本も忘れているが、内容から「1973年のピンボール」だったかなと思う。うろ覚えで「ダンス・ダンス・ダンス」といっていたが間違いだった。

のちに友人が絶対いいから読めと読み終わった本を送ってくれたが読まずに返した。「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」「1Q84」。それなのに「騎士団長殺し」はタイトルに惹かれて、読んだら貸してねと頼んで読ませてもらった。それだってどんなことを書いてるのかな、なんて思いが強かった。
「騎士団長殺し」はタイトルがまず気に入った。井戸も気に入った。登場人物も気に入った。再読して返却したけどもう一度読みたい。きっと買って読むことになるだろう。

今回村上作品を何冊か読んで、いちばん気に入ったのは『ねじまき鳥クロニクル(123)』だ。言葉しか知らなかった「ノモンハン事件」について深く知ることができた。わたしは国民学校生のとき『奉天』で処刑された日本軍人についての本を読んで、もやもやしたものをずっと胸にもっていた。本書では村上春樹がノモンハン事件を伝えようとした強い意思を感じて感動した。ノモンハンで苦闘した間宮中尉がようやく帰国して、年老いてから若い女性と出会い野菜づくりに励んでいるところが大好きだ。

山羊の乳入りどら焼き(わたしの戦争体験記 74)

昨日の寝しなに思い出したんだけど、戦争中に食べた山梨県のY叔母ちゃんの山羊の乳入りどら焼きのうまさったらなかった。Y叔母ちゃんは母の姉妹の4番目で、母の実家から歩いて2時間くらいのところで夫婦とこども2人で農業で暮らしていた。母たちの話ではあまり裕福ではなくて苦労しているらしかったが人柄は最高だった。わたしは自分が理解されている感じがして好きだった。

家の前に川が流れていて橋を渡ると家があった。
山羊を飼っていてわたしが行くと乳をしぼって飲ませてくれた。またそのミルクでメリケン粉を溶きフライパンでおいしいどら焼きを焼いて食べさせてくれた。気前の良い叔母さんで、高さ3センチくらいのを半分に切って、またその半分に切ったのを皿にのせてくれた。甘くてうまーい。その味をいまだに覚えている。
叔母さんは「おやき」といってたように覚えているが、ここでの話からいくと「どら焼き」だ。『家なき子』のルミ少年のイメージした「どら焼き」はこれだと今頃思い出した。ルミのはしぼりたての牛のミルクだった。叔母さんのは山羊だが、どっちも元気な動物のミルクをもらって食べたのだ。

いろんなどら焼き

ふと思い出したんだけど、わたしが子供の頃に留守番してるときにつくって食べたホットケーキまがいのメリケン粉を丸くのばして焼いたホットケーキまがいのやつ、家では母が「おやき」といっていた。山梨県の言い方なのかも。田舎ではメリケン粉でなくて米粉でやってたかもしれない。トウモロコシの粉でもやったがすごく不味かった。

『家なき子』では主人公のルミが田舎のおばさんの家に着いたらいっぱいどら焼きを焼いてあげると友だちのマチアに約束していた。東西どこでも、粉さえあればできるものだったんだろう。
わたしは母親の真似をしてつくってたんだけど、簡単でうまくて気に入っていた。きょうだいに食べさせた覚えがないから、一人のときに作っていたんだろう。火を起こして、終わったら火を消さないといけないのに面倒なことをよくやったなあ。自分の食欲に負けてたんやな。

いまもどら焼きは好きだ。名の通った和菓子屋のどら焼きはやっぱりうまい。近いところで廣井堂のどら焼きがうまい。

ひとりで留守番

こどものときから一人で留守番するのが好きだった。
戦後の住まいは辺境になったので昔のようにはいかないが、それでも「おおい、出かけるぞ」と父が叫び、母と子供達はわーわーいいながらついていった。昼間だと阪急電車に乗って梅田へ出て、歩いて天六商店街へ行った。または市電か地下鉄で難波か日本橋へ出て新世界へ行った。けっこう遠いのに平気で出かけたものだ。父の入るところは古本屋か古レコード屋に決まっていた。たまに古着屋に入り古着を買ってくれることもあった。

夕方だと近くの商店街の古本屋か道路脇で商いしている古雑誌やぞっき本の店をのぞいた。裸電灯の下でミステリーを漁る楽しみを覚えた。「金魚のふん」といわれながら、兄弟姉妹は上から順にへばりついて歩いたものだ。
わたしはみんなでわいわいするのも好きだったが、ひとりで留守番するのが好きだった。用事を言いつけられることもなく、マイペースでおやつをつくって食べた。まだガスがきてなかったから、七輪に火を起こしてフライパンをのせ、メリケン粉を水で溶いて丸く焼く。卵と砂糖があれば上等だ。おもむろに食べて片付けて、それこそ何食わぬ顔をして鏡を見る(笑)。

「これはまだ早い」と父に読むのを止められている本を読むのも楽しみだった。座布団を2枚並べた上に平べったくなって本を読む。禁じられた遊びを楽しんだ。
みんなが帰ってくるころにはきちんと片付け何食わぬ顔でお土産ちょうだいと手を出した。貧乏だったけど明るい我が家だった。
いまもひとりで留守番するのが好きだ。

明日は寒くなりそう

明日は北海道や東北はすごく寒くなるらしい。大阪はどうだろう。
11月半ばになればもう冬だ。今年はいつまでも暑かったから秋を感じるのがうまくいかなかった。いまも夏を引きずっているような気がする。セーターを着るよりまだ長袖Tシャツを着ていて、カーディガンを上にひっかけている。そろそろセーターに着替えよう。

1週間ほど前にガスファンヒーターを買ったから毎日暖かく過ごせてありがたい。机の前に座るときは足元が冷えるから膝掛け毛布をかけている。椅子を置いてあるとこには膝掛けが置いてある。用意万端整っている(笑)。

膝の調子は寒くなると温度湿度に関係なく悪いのでなんぎだ。サポーターで補って寒さから逃げること。他に方法ないのかな。