よなべ(夜鍋)

〜母さんが夜なべをして手袋編んでくれた〜という歌から、当ブログ1月9日に「夜なべ(わたしの戦争体験記 37)」を書いた。友人のK子さんが「わたしもこの歌好き」といってくれて、そのあとの冗談。息子さんが仕事から帰って晩ご飯はなに?と聞き、K子さんのご飯支度を見て「今夜もよなべか〜」というって(笑)。それ以来、我が家でも夜に鍋物するときは「夜鍋」というようになった。

今日の夜鍋は、鶏肉、油揚げ、がんもどき、豆腐、きのこ、ねぎ、春菊、うどん、お餅の入った簡素なお鍋。飲み物は久しぶりの缶ビール。
使う食器が少ないから片付けがラクなのもよい。鍋がぐつぐついい出して、煮えたのから食べ出すとお腹のへんから暖かくなってくる。やがてからだ全体が暖かく汗をかくくらいになる。
ええわあ、夜鍋。

めっちゃ寒いね

ケータイが軽く「大阪西区に雨雲接近」と知らせてくれた。もうちょっとしたら「雪雲接近」となるかもね。
おお寒い、めっちゃ寒い。
30年くらい前にはこのベランダで洗濯物を干したら凍っていたことがあった。凍るといっても下着やタオルなどがパリッとなっていたくらいだが「洗濯物が凍っている!」と騒いだものだ。猫の花ちゃんが足元に来てもすぐに部屋に戻っていった。

仕事から帰って食事が先か洗濯が先か。朝が弱いから洗濯はほとんど夜。洗濯機をかけておいて晩ご飯をつくって食べて、すんでから洗濯物を干したんだっけ。とにかく布が凍るくらいに冷えてたということ。いま考えると洗濯機のしぼり機能がゆるかったんかな。水分が多くて凍ったのかも。
いまは夜中に干しても凍るということがない。それだけ水を振り切っているのだろう。

通勤しなくなり、一日中外へ出ることがなくなって、外気にあたるのはベランダに出たときくらいだ。郵便をとりにいったりゴミ捨てに行くのは、外に出ることが多い相方がやるのでわたしはラクである。
空気の入れ替えに窓を開けて「おお寒う」と叫んで締める。

これをつましい食事というんやなあ

今日はむちゃくちゃ寒かった。これからもっと寒くなるらしい。今夜は湯たんぽ抱いて寝よ。
毎日買い物に行く相方が「今日はやめとく。在庫品で晩ご飯するわ」と在宅で仕事やら読書やらしている。わたしは無論のこと在宅で読書とヴィク・ファン・クラブの会報づくりをやっている。二人とも黙々と本やパソコン画面を相手にしているから高齢者世帯は静かである。夕方座り疲れたのでストレッチをした。

晩ご飯はお酒を飲まないそうで、ご飯、大根と菜っ葉の味噌汁、豚肉と菜っ葉の炒めたの、鯖水煮缶のトマト煮、漬物、海苔が出た。わたしがテーブルを眺めながら感極まったように「これをつましい食事というんやなあ」といったら、あまりにも適切な表現に二人で大笑い。

中原淳一と松本かつぢ(わたしの戦争体験記 42)

中原淳一が好き。淳一先生が一番で二番はないのだけれど、松本かつぢ先生は違った意味で好きだった。淳一の描く少女が『小公女』のセーラとしたら、かつぢ先生のくるみちゃんは近所の子の感じ。あくまでも少女のわたしが感じたところである。わたしの中でセーラは王女さまだったから、二人の画家についても子供ながらにこんな感じを持っていた。

疎開する前に二番目の姉が「これあげる」と自分の大切なものバッグから紙の着せ替え人形をとり出した。前から欲しかったくるみちゃんの着せ替え人形だったが、人形だけでなく素晴らしいドールハウスがあった。紙で一面だけを開けて周囲を囲った部屋に家具がうまく収まっている。本箱に並んだ本にはタイトルがちゃんと印刷してあった。テーブルや椅子が置かれテーブルの上には食器が並んでいる。立っている家具のすべてにつっかい棒がついていて前からは見えないように作ってある。
「ほんま?ほんま?」と大喜びでもらいうけ田舎に持って行ったが、近所の子に見せびらかしたらすぐになくなってしまった。

それからは着せ替え人形を自分で作った。淳一先生の少女全体像をなぞって描いて切り抜く。脚を交差させて靴を履いている。その上に着せ替えるドレスやスーツや着物を描いては切り取る。バッグはどうしようとか、レインコートには傘がいるかなとか想像するのも楽しかった。服や着物は古い『少女の友』や『主婦の友』を真似して、どんなバッグを持たせたらいいのかとか考えるのが楽しかった。少女小説の物語を頭の中でつくって、主人公の少女は淳一スタイル(笑)。戦争中で甲府市は空襲で焼けているというのに、アタマの中は金持ちの少女だったり、貧乏でも健気な少女だったり、空想は自由で。ご飯はすねりもちであっても紙とはさみと色鉛筆があれば幸せだった。

着せ替え人形つくりは戦後もやめることなく続き、ドレスの見本は『スクリーン』や『映画の友』『ひまわり』『それいゆ』からいただいて尽きることがなかった。ストーリーは父が古本屋で買ってくる海外ミステリーからいただいた。やがてドロシー・L・セイヤーズにたどりついたときのうれしさ!そのときは着せ替え人形からは卒業していた。

まずいものは、すねりもち(わたしの戦争体験記 41)

「うまいものはかぼちゃのほうとう」は山梨出身の母の言葉である。甘いかぼちゃの入ったおほうとうはほんまにうまかった。いまその続きの言葉を思い出したところ。続けて「まずいものは、すねりもち」というのである。すねりもちは、干したとうもろこしを粉にしたのを水で混ぜて火にかけてとろとろにしたもの。ぶつぶつと煮えて見た目もうまくなさそう。ほんまに全然うまくないし匂いもよくない。
これが朝食に出ると家族全員からため息がもれる。兄は食べずに茶碗を母の前にもどして学校へ行った。どこかで食べ物を調達できるのだろうか。どこかで木に生っている果物にでも出会えたのだろうか。いまになってちょっと聞いてみたい気もする。

とうもろこしはどんな畑でも育ってよく実るらしい。皮をむいてぶら下げて干して、実をとってまたザルで干して、水車小屋に持って行って挽いてもらった。粉になったのを熱して食するわけだが、味がないというかうまくなかった。まさに、まずいものはすねりもちだった〜

晩ご飯後のいっぷく

晩ご飯後のいっぷくに飲み物とお菓子をセットのようにして食べている。番茶には豆のせんべいやかりんとう、コーヒーにはチョコレートやナッツをちょこっと。
晩ご飯がお米のご飯のときは番茶、洋食のときはコーヒー、そしてそれぞれ合うお菓子。白いご飯のときに最中や羊羹があれば最高だが、姉が施設に入ってからそういうもらいものがなくなった。体重が減っているのもそのせいかもしれない。うまいものを食って幸せになるか、体重が減ったことで満足するか、どっちがいいかなあ(笑)。

今日は整形外科、明日は整体院とからだのメンテナンスで忙しい。膝痛と肩こりと目の疲れをなんとかして読書に励みたい。
今日は注射したのでお風呂を休んで湯たんぽ入れて寝る。寝る前にストレッチを忘れずに。昨日忘れたから今日は必ずやらなあかん。

暖房と睡眠と栄養

おとといの深夜の不摂生で体を冷やした。横になってから何度もトイレへ行くことになりまずいなあと思っているうちに寝てしまったが、からだが奥まで眠ってなかったようだ。
翌朝、つまり昨日の朝というかお昼、目が覚めたら天井がぐるぐるまわっている。うわっ!きた、めまいがきたと慌てた。

めまいは若いころ知らなかったわけではないが、40代から更年期くらいのときによくおこった。夜更かしして遊び歩いたり、友達の家で飲んだりして睡眠不足の翌朝におきる。眠ったら治るのだが苦しいものだった。
起きてもまっすぐに歩けない。ベッドから這い出て這ってトイレにいったことだってある。さいわい持病といっても翌日はけろっとしているからまあいいかだったけど。

最近はめまいとはおさらばできていると思っていたが、こんなことでなるんやなあ。気をつけなくては。部屋を暖かくして、きちんと寝て、しっかり食べるを肝に銘じて生活せねば。うまい具合にこの歳まで生きてきてるんやから、もうちょっと頑張ろう。

めまいで休業

昨夜寝る前お風呂に入ってから、パジャマのままでしゃべっていたんだけど、口がすべってつまらんことまでくっちゃべり・・・「もう寝よ」と横になったときはすっかり体が冷えていた。
それから明け方にかけて何度かトイレに駆け込むはめになり、まずいなあと思っていたら、またぐっすり寝てしまい目が覚めたら日曜日お昼になっていた。

目を開けたら天井がまわっている。久しぶりのめまい。しかたなしに目をつぶって耐えていたらまた眠ってしまい、夕方に目が覚めた。今日はしゃあないなともう一眠りして夜になってから起きて晩ご飯。今日初めてのご飯がうまかったよ。和洋入り混じりのご飯がおいしかった。

今日やるつもりの用事はそんなわけで明日以降にまわして、今日はこれからコーヒー飲んで寝る。
メールをくださった御一名さま、返信は明日になります。

ポトフで温もる

昨日の夜のこと、古い雑誌を見てたらポトフの紹介記事が出てきた。ポトフってどんなんやったかな、よく昔つくって食べたなあ、なつかしいね、簡単にできるからすぐにやろう、ということで今日はソーセージと野菜のポトフ。昔はデパートのドイツ食品売り場でソーセージを買ってきてつくったとか、余ったソーセージと冷蔵庫にある野菜でカンタンにできたとか話がはずんだ。

今日は他におかずがたくさんあったので、味噌汁みたいな感じで鍋をテーブルにおいた。スープ皿にたっぷり山盛りでセロリやじゃがいもにも味がしみてうまい。さっさと切って入れたウインナーソーセージがけっこういける。

次につくるときは本町のドイツ料理店へソーセージを買いに行くと相方が気張っていった。店長さんと顔見知りになっているらしいから、きっとうまいソーセージを手に入れてくるだろう。

体重42キロ

体重は若い時からわたしの大問題だった。最高47キロくらいまでいったかな。身長が150にだいぶ足りないから45キロ以内におさえたい。願いがかなったのは菜食にしてからで、一挙に落ちた。一度痩せたら興味がなくなってそれからは体重計にのってない。増えてるだろうと思いつつ、まっいいか。

去年の春に膝の治療に整形外科に行ったら、まず血圧を測って「高い」といわれた。どうやらわたしはお医者さんの前にいくと血圧が上がる人のようだ。その後は先生にいわれたとおり家で測って血圧手帳に記帳している。半年ほど毎日やっていたが、最近サボリ気味。寒いから服を脱ぐのが億劫で。血圧自体は順調である。
反対に朝起きたらパジャマを脱いで着替えるときに体重計に乗るくせがついた。今朝は42キロで、最近の最低体重だった。

夕方シュリットへ行って髪をきれいにしてもらった。終わってからまだ正月だからとコーヒーとお菓子が出た。
お菓子は村上開新堂のクッキーと昨日買ってきたという北新地のお菓子屋さんの餡とクリームをはさんだ大福。大福はボリュームがあるので持って帰ることにした。晩ご飯後にはんぶんこして食べたら見事に甘い。明朝の体重は43キロいきそうだ。