めっちゃおもしろかった『オーシャンズ8』

『オーシャンズ8」をうちのパソコンで見た。目下のところまだ足が回復してなくて映画館に行かない、んじゃなくて行けないんだからしょうがない。うちの27インチのiMac バージョン10,14で十分楽しめた。

製作がスティーブン・ソダーバーグとジョージ・クルーニー。監督・脚本がゲイリー・ロス。サンドラ・ブロックとケイト・ブランシェットほか美と演技力の競演でおもしろくてふらふらした。もう一回か二回見たい。

久しぶりの歯科医院、今夜はキムチ鍋

先日ご飯を食べていたら、奥歯の上の歯から歯の破片がとれた。と思ったが、歯の詰め物がとれたのだった。さっそく歯医者さんに予約して今日行った。

とれたのはずっと昔治療した歯の詰め物で、いまの歯医者さんは「ぼくではなくて、もっと昔に治療した歯だ」といって、「そこに薬の入った◯◯を詰めましょう」となにやら詰めてくれた。わたしの年齢だととりあえずいま使えるようにしたらいいということだろう。いつまで生きているかわからんもんね。

それ以外にもあちこち傷んでいるそうで、当分は歯医者通いする。

昨日イワシを買った後でキムチ売り場に行ったら、お店の人が「今夜はキムチ鍋するんやね。これ持って行きなはれ」とキムチの漬け汁をひと鍋分ポリ袋に入れてくれた。男性が買いものに行くとモテる。それで今夜はキムチ鍋。うまかったってなんて。

鍋に漬け汁を満たし、もちろんキムチも入れ豚の三枚肉を入れてぐつぐつ煮て、あとはもやし、えのき、ねぎ、小松菜、豆腐など。うまーっ、今日は酒なしでお茶を湯呑みで飲みながら。(※相方は食後にアメ村方面へ出かけてそこに酒あり)野菜と肉が片付いてから、うどんとお餅を入れて最後に汁も飲んで、キムチ鍋完食。

恵林寺へお参り(わたしの戦争体験記 27)

ある日曜日の朝、近所のK子と遊んでいると上級生がついてこいといった。これから「えりんじ」へ行くからしっかり歩けとのことで、モンペにゲタばきだったがついていった。遊びに行くからって着替える服はないし、靴はないし。

いま地図を見たら、山梨県甲州市塩山小屋敷2280恵林寺とある。そこまで後屋敷村(いまは山梨市)から歩いていったのだが、地図を見たら記憶にあるほど遠くない。実はそんなに大変なことではなかったのかもしれない。5・6年生はうんと大人でみんなを引き連れて歩いていた。

野道といってもけっこう立派な道だったが、覚えているのは道の両側が畑で、わたしらは腕を組んだりして歌謡曲をうたいながら歩いていた。

青々とした野菜畑や道端にタンポポやレンゲの花が咲いていたから春だったんだろう。つまらんことを覚えているもので『野崎参り』の歌がぴったりだと思ったっけ。

やがて立派なお寺に到着し、引率者が寺の由来など教えてくれた。

恵林寺サイトの「恵林寺の歴史」には「4月3日、恵林寺は織田信長の焼き討ちにあい、快川国師は『心頭滅却すれば火もおのずから涼し』と言葉を残し、百人以上ともいわれる僧侶等とともに火に包まれました。」と書かれているが、その通りの説明であった。甲州人の心に刻まれている言葉なのだろう。のちにおばあちゃんから聞いたし、母も話していた。

引率者は自分より年下の者に甲州魂を伝えたかったのだろう。

帰りはただうらうらとした春の日の野道を歌いながら歩いていた記憶のみが残っている。鳥の鳴き声も。

ちょこっとなにか食べたいとき

可愛い缶に入ったお菓子をもらうとうれしい。中身を食べ終わったら、小袋に入ったクッキーなんかを買ってきて入れておく。お菓子が入った缶が並んでいると豊かな気分になる。お茶やコーヒーを淹れて缶からお菓子をとり出して食べる。それを称して「小さな喜び」という。笑

姉の見舞いには、舶来マヨネーズの空き瓶にクッキーを入れて持っていった。ジャムの瓶とかきれいな瓶は洗っておくと便利。近所の専門店で量り売りの紅茶を買ってきて瓶に入れておいて使う。いろんな種類の紅茶が小さな瓶に入って並んでいると豊かな気分がする。

机の引き出しに、ゼムピンや画鋲を入れた小瓶を何個か入れてある。小瓶、小箱、可愛らしいものが好き。

丸顔に憂いすくなし

今日の午後は相方が堀江マルシェに買い物に行った。わたしは家でストレッチと膝裏体操などぼちぼち。

堀江ではベースでお菓子を買ったほか、野菜や果物をたくさん手に入れてご機嫌さんである。すぐにコーヒーを淹れてお菓子を食べ、それから柿をむいて食べた。どちらもうまかった。

堀江ではあちこちのお店で食べたり話したりして楽しかったそうだ。ジョローナでは30~40代くらいの女性がたくさんいて「スギヤさんの奥さんはどんな人?」と聞かれたとか。わたしは今年になってから社交生活ゼロだから知らない人が増えている。「12歳年上だけど、丸顔で若く見えるからずっとおないどしで通してきた。最近はブログやフェイスブックで年齢を書いているよ」と答えたそうだ。

「丸顔に憂いすくなし」は夏目漱石『虞美人草』で糸子さんのことをいっていたと思い出した。実はわたしも若い時からそういわれてた。憂いはたくさんあるが丸顔ゆえにないように見えるだけだ。

姉の老人施設生活がはじまった

姉が入居した老人施設に行ってきた。

いままで古びた日本家屋で一人で暮らしていたから戸惑うだろうと思ったが、諦めの心境になったか黙って受け入れている感じだった。

施設の個室はホテルのシングルルームみたいだ。トイレと洗面台と物入れと空調があって、ベッドが置いてある。姪たちが運んだ引き出しなどとテレビがある。あと小さいテーブルを持ってきたら完了だ。ここで姉は余生を送ることになる。

食事は食堂で、おやつはそれぞれ部屋に運ばれる。専用のしっかりした車椅子が置いてあって、なにをするにも介護士さんが世話をしてくれる。

たしかに恵まれているが、ついこの間までの自立していた暮らしに比べると頼りなげ、所在なげ。記憶力も低下中。

冷えに用心

今日はよく冷える。電気代ガス代を節約はしたいがあまりごちゃごちゃいわずに使って暖かい部屋で過ごそうと思う。脊柱管狭窄症には冷えが禁物だから。

去年の暮れの寒い夜、姉の家の帰りにタクシーを待つため歩こうとしたが脚があがらず、這うようにしてタクシーをつかまえ帰宅した。

正月中は暖かくして横になっていると快適で治った気分になるが、起き上がると歩けない。

考えたら半年ほど前から歩行困難気味だったのをだましだまし歩いていたのだ。義弟の年賀状の一行で、「これや! 一緒や」と叫んだ。脊柱管狭窄症という病名を初めて知って自分のもこれとわかって、義弟に電話した。医者にかかったが手術はしないでストレッチで抜け出したとのこと。本を教えてもらって買い、テニスボールを買い、家で自製マットを敷いてストレッチに励んでいる。でも義弟のようにはいかなくて。向こうは半年の精進で治ったそうだ。でも経験者の知り合いに話すと1年はかかるという。むむ・・・。何年でも続けようと思うけど、何年かしたら狭まっている脊柱管が広がるのだろうか。女性は男性より筋力が足りないから、治るのが遅いともいわれたが、そうなのかな。ストレッチはやると気持ちがいいから続けるけど。

冷えないように気をつけて日々を暮らす。

姉へのおみやげ

近所の高級スーパーでちょこっと買い物したら、ポリ袋が可愛いクリスマス仕様になっていた。これはちょうどよいとすぐに転用を思いついた。あさって姉のいる施設に行くからお土産を入れていこう。いまはお土産の買い物しにデパートまで行けないからうちにあるものでなにか。

そうだ、猫の絵本がたくさんあるから可愛いのをあげよう。

これだ、これだ、エスター・アベリルの『黒ネコジェニーのおはなし』の1と2と『しょうぼうねこ』の3冊を取り出した。わたしの大事な猫本のうちでも上位に入る本だ。

可愛いポリ袋に3冊がぴたりとおさまった。よしよし。

それと無印良品で買ってきたしゃれたお菓子をマヨネーズの空き瓶2本に入れて、ちょうどあったゴディバの紙袋へ。こちらもあつらえたようにぴったり。

よしよし、これがわたしのお見舞い。

姉が施設へ

10月の終わり頃にドラマチックに倒れて入院していた姉が、明日から高齢者向け施設に移ることになった。姪2人(姉が長女で姪たちは亡き次女の娘である。わたしは三女)が奮闘して病院での世話をし、施設を見つけ、明日の引越しにこぎつけた。「わたしらがするからおばちゃんは落ち着いたら行ってやって」とのことで、こちらも高齢者のわたしは木曜日にゆっくり姉の相手をしに行くことにした。

姉は入院はしたものの、内臓に悪いところがなくいつまでもいられないのと、ベッドに寝たきりになったらいけないので、出て行くところを探したわけ。日本家屋の家にもどって一人暮らしは無理だから。

施設は個室で介護付き。食事や入浴の世話もしてくれる。ベッドは備え付けで他の家具は自分のものを持って行くんだって。今日は下の姪Aが夫を動員して家具やテレビを運んだそうだ。とりあえずは整ったので、明日午前中に病院から介護タクシーで引っ越すそうだ。

わたしはその翌々日に行って片付けなど手伝い、姉の話し相手をして夕方までいる予定。

ケイシー・アフレック主演『マンチェスター・バイ・ザ・シー』

マット・ディロンとケネス・ロナーガンその他の共同製作。脚本・監督ケネス・ロナーガン。不運な主人公リーをケイシー・アフレックが演じてアカデミー主演男優賞を得た。

マサチューセッツ州のマンチェスター・バイ・ザ・シーという街で暮らしていたリーは思わぬ事件を起こしてしまい、街にいられなくなりボストンで便利屋をして細々と暮らしている。ある日、兄の死の知らせを受けて車で故郷へ帰るが、兄の遺書には息子のパトリックの後見人に指定されていた。

故郷の街マンチェスター・バイ・ザ・シーでパトリックと小競り合いがありつつ暮らしながら、

自分はここには住めないと見極めてボストンへもどるリー。

すごくいい映画で心を動かされたが、もう一度見たくはないなあ。