蒸し暑いし蚊に噛まれるし

今年の夏は最高に暑かった。いっとき猛暑から解放されてタオルケット1枚では寒い!というくらいに涼しくなった。1週間もなかったけど。その後、最盛期よりはましだけどまた暑くなって今日に至る。今日の午後からの蒸し暑さはすごかった。じっとりと汗かいてTシャツ2回着替えたもん。いまは少しマシだけどそれでも暑い。

その上、目の前を蚊が飛んでいる。あっという間にキーボード打ってる右腕を噛まれた。さっきはテーブルに移動してコーヒー飲んでたら左腕を噛まれた。なんちゅうこっちゃ。結局血を吸われて逃げられた。
先日なにかの虫に刺されたらしく赤く腫れたことがあって、ムヒを買ってきた。その前はキンカン塗ってたことがあったが、ほとんど掻いている間に治るから薬なしで掻いている。でもせっかくのムヒがあるのだからさっき塗った。

蚊は猛暑のときは出てこないでちょっと涼しくなると出てくる。寝る前に蚊取線香を忘れずにつけておかねば。

小山仁示さんの思い出

小山仁示さんが5月26日に亡くなられたと昨日(6月2日)姉の家の朝日新聞で知った。専門は日本近現代史で関西大学名誉教授だけど、ずっと大阪大空襲の講演会のほうで知られていた人だ。2006年の講演会のときにしんどそうだったので、それ以来お名前を見ないし気になっていた。実は先日ふと小山さんのことを思い出して検索してほっとしたところだった。虫の知らせというけど、亡くなられた日の前後だったと思う。

大阪大空襲は1945年3月13日の深夜から14日の明け方にかけてだった。わたしの家は西区にあってアメリカ軍の空襲で焼け出され、命からがら親子離ればなれになって逃げた。わたしはいま焼けた家の近くに住んでいるのだが、なにも空襲について学ぼうとかいう気持ちをもたないで戦後50数年を過ごしてきた。それが田辺寄席の会報「寄合酒」に載っていた「田辺に落とされた模擬原爆、戦中戦後の男性と女性」という東住吉区女性学級の記事を読んで行ってみようと思った。講演内容もだが講師が小山仁示さんだったので、お会いしたくなったのだ。

その帰り道で、昔の仲間の話になり、わたしの知っていた夫人は若くして亡くなり再婚したこと、いっしょに遊んだ文学仲間の青年も最近亡くなったと教えてくれ、「昔の仲間で生きてるのはぼくときみだけや」と言われた。「ぼくも元気なつもりやけど、君は元気そうやな」と続けられ、わたしは「出世とかお金のことを考えへんから元気なんですわ」と答えて「変わらんなあ」と笑われたのだった。
それから2006年の講演会にもう一度行ったのが最後だった。そのときは面会者がたくさんいてお話できなかった。
小山仁示さんのご冥福をお祈りします。

ダルジール警視シリーズを揃えようと思う

レジナルド・ヒルさんがお亡くなりになってから以前に増してダルジール警視シリーズに惹かれている。最初は図書館で借りて読んでいたが、いつのまにか買うようになった。それでもそんなに熱心ではなく読んでしまえば人に貸してそのままになったりで、あまり持っていることに執心してなかった。それに途中から読み出しているから全作品を把握していない。ジュンク堂で見かけてまだ読んでなかったと喜んで買ったり、前後もばらばらだった。
ここにきて揃えようかなという気持ちになり、いまアマゾンの古本で「幻の森」「子供の悪戯」「死者との対話」を注文した。ポケミス1冊分のお金で3冊買えてうれしい。
とにかくなにを読んでいてなにを読んでないかわからないというありさまだ(笑)。在庫本を出してなにがないかよく調べねば。全部読んでいると思うのだが9割かもしれない。

『アレクサンドリア四重奏』を読みたくなった

今日のツイッターに「アレクサンドリア四重奏」を読みたくなったという若い読書家のツイートがあった。思わず「早く早く読んで! 」とRTをつけてしまった。
それがね、わたしが読んだのは40年も前ですごいと思ったことしか覚えていない。いま、「ジャズ喫茶・ロック喫茶 MANTOHIHI(マントヒヒ)」という新しいサイトのためにわたしなりの「マントヒヒの思い出」を書いているんだけど、それが1971年からの話で、「アレクサンドリア四重奏」を読んだのはそれより前のことなのだ。はげしく読書に励んだ日々の記憶が蘇った。
あんなに読書したのは少女時代とあのころだ。まあいつでも本は読んでいるけど、あのころが最高やった。バタイユの「空の青」「眼球譚」、プルースト「失われた時を求めて」、セリーヌ「夜の果てへの旅」「なしくずしの死」、グラッグの「シリトの岸辺」、ジュネ「花のノートルダム」など文学志向。モーリス・ブランショとかロラン・バルトも読んだ。

また読むつもりだったからそのまま「アレクサンドリア四重奏」は置いてあったけど、つい最近、相方が読むと宣言して開いたらすごく字が細かい。結局は図書館で新しく出たのを借りて読んだようだ。
「ジュスティーヌ」「バルタザール」「マウントオリーヴ」「クレア」と4分冊だもん。1冊の本ならきっと読み返していたと負け惜しみを言っている。ああ、いまの積んどく本を早く片付けて文学書を読みたい。

ナンシー・アサートン『ディミティおばさまと聖夜の奇跡』

去年の末に「優しい幽霊シリーズ」3冊をNさんに貸していただいて読んだ。その続きで4冊目(2010年9月発行)の本書を今度はSさんが貸してくださった。
シカゴ出身のロリが亡き母の友人のディミティおばさまから莫大な遺産を受け取る。そして遺産の管理をしていた弁護士の息子と愛し合い結婚する。遺産の一部であるイギリスの田舎の家に住むことにし双子の男の子が生まれた。

ベビーシッターが長い休暇をとったので、義父の大ウィルスは子どもの面倒を見にボストンからきている。
クリスマスも近くなり、ロリは完璧なクリスマスにしたいと準備が忙しい。村の人たちとの降誕劇もある。外を見ると雪が降り出していた。

翌朝も雪は降り続き、ビルが窓際にぬいぐるみのうさぎレジナルドがいるのに気づく。息子のベッドに入れてやってたのに。窓に近づいて外を見ると一人の男が倒れていた。粗末な服装をしたホームレスのようだ。家に連れて入りソファに寝かせるとまだ脈はある。
大ウィリスが連絡して英国空軍の救命救急ヘリでオックスフォードのラドクリフ病院へ搬送した。義父の人脈を使った医師団が低体温からの肺炎と栄養不良で意識不明の彼の治療をはじめる。

ロリはディミティおばさまとの連絡に使っているノートを広げて天国のおばさまと交信する。浮浪者はどうやらおばさまに知り合いらしい。クリスマスのクッキーを焼いたり楽しい一日を過ごすはずが、オックスフォードのラドクリフ病院で過ごすはめになるなんてといやいや出かける。ビルはボストンに仕事が発生し出かける。
翌日、ロリは病院へ行くが、患者は見た目よりもずっと若く看護婦たちの関心を惹いている。帰ろうとすると一人の男が呼びかけた。あご髭をはやし黒い革ジャン姿だが、ローマ・カトリックの司祭ジュリアンと名乗る。
それからはジュリアンと助けた男スミッティのことで、走り回るはめになり、クリスマスどころではなくなってしまう。
(朝月千晶訳 RHブックス+プラス 800円+税)

アニタ・ローベル作『おひめさまの たんじょうび』

図書館で借りたもう1冊は淡い色合いだけど風刺にあふれた本。
〈訳者のことば〉によるとアニタ・ローベルは「えらぶっている人をへこますような絵本をかくのが好き」なんだって。ニューヨーク在住で「ふたりはともだち」の絵本作家アーノルド・ロベールとブルックリンで芝居をしているときに出会って結婚した。

何不自由のないおひめさまは、たくさんの召使いに囲まれて目が覚めたときから世話をされるのに慣れている。両親はりっぱなおひめさまに育てるべく勉強や作法を教え込む。誕生日のパーティが催される日、椅子に座って行儀よく待ちながらおひめさまは思う。「だれも誕生日おめでとうと言ってくれないわ」。
お城の部屋の外から音楽が聞こえてくる。窓からのぞくと手回し風琴ひきと芸をするさるがいた。おひめさまは二人を誕生日パーティに招く。
パーティがはじまってたくさんの人が集まり盛り上がるが、手回し風琴ひきがいない。外にいる彼らをロープでひっぱりあげて踊っていると招かざる客として捕まえ地下の牢屋へ入れてしまう。
夜中におひめさまは密かに助け出しいっしょによその国へ逃げる。そして芸をしながら町から村へまわり歩いてしあわせ。

1973年の作品だが古典の物語と違って主張のある作品だ。装飾的なのだが風刺的な絵なのもいまの絵本だなと思う。でも伝統を重んじるかのような扉や文字ページの帯のデザインがおもしろい。見返しいっぱいの花模様がロマンチック。実はこの模様をゆっくり見ようと借りてきた。
(猪熊葉子訳 文化出版局 1165円+税)