深作欣二監督「仁義なき戦い 広島死闘篇」

「仁義なき戦い」を順番に見るつもりでレンタル屋にあれば借りることにしている。2作目「広島死闘篇」(1973)があった。
前回活躍した広能昌三(菅原文太)は呉に広能組をもったが、今回は主役を助ける役。刑務所にいるとき、暴れて独房に入れられた山中正治(北大路欣也)にそっとご飯を差し入れてやる。
刑務所から出た山中は無銭飲食して大友勝利(千葉真一)らに叩きのめされるが、村岡組組長の姪で戦争未亡人の靖子(梶芽衣子)に助けられ恋仲になり村岡組組員となる。姪との間が組長の知るところとなり、若頭松永(成田三樹夫)の指示で九州へ逃れる。そこで組長を射殺し広島へ帰ることを許される。
大友勝利は実父の大友長次(加藤嘉)から破門され、新たに大友組を作って派手に抗争を続ける。最後まで不気味ですごい。

とにかく俳優が若くてぎらぎらしていて、生きることは暴力を振るうこととばかりに生き生きしている。
わたしは「仁義なき戦い」1作目を見てから、ヤクザ映画を見なくなったが、成田三樹夫が大好きだったのを思い出した。金子信雄、加藤嘉、素晴らしい役者が生きていたころ。成田三樹夫ももう亡くなったんだ。

佐伯清監督『昭和残侠伝 一匹狼』

引き続いて第3作「昭和残侠伝 一匹狼」(1966)を見た。
古くからの銚子の漁港の網元浜徳と彼を助ける潮政(島田正吾)一家に対して、新興の川鉄一家は暴力と札束で、漁師らを自分の手中にしていく。武井繁次郎(高倉健)が病気の潮政の娘を助けてきたのはちょうどその最中だった。勘当した娘だからと会おうとしない潮政だったが、娘の墓前で義理を立てて会わなかったことを繁次郎に話し、繁次郎はここでやっかいになることになる。
一方、桂木竜三(池部良)は川鉄一家の世話になっている。近くで小料理屋をしているのが妹の美枝(富司純子)で、繁次郎に惹かれていく。
そして、川鉄一家の横暴が極まっていき、竜三は繁次郎と勝負するはめになるが・・・そして最後はふたりの斬り込みとなる。

最初のシーンでさしていた傘を投げ捨て警察署に入って行く池部良がいい。高倉健と池部良がストイックでひときわ美しい。そして古風な折り目正しい生き方を貫く潮政の島田正吾が絶品だった。

暗いつらい映画だ。昭和初期という時代設定と製作された60年代と原発事故の現在とが重なる。

佐伯清監督「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」

目下、気分は健さんで、肩で風切って歩く気分(気分だけですが)。そして池部良の美しさに溺れている。この映画は封切りで見ていた。傘をさしかけるシーンの美しさは覚えていたとおり。

シリーズ2作目「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」(1966)は昭和初期に舞台を設定している。1作目は戦後だったが戦前の雰囲気が濃厚だったから、ぴったりの時代設定だ。
花田秀次郎(高倉健)は宇都宮の左右田組の客分だったが、自分の弟分(津川雅彦)の恋人が左右田組の息子に惚れられて困っているので駆け落ちさせる。話を通しにいくとその代わりに榊組の親分、秋山(菅原謙二)を斬るように頼まれて殺す。折り目正しく死んで行く秋山に秀次郎は襟を正す。
榊組は石材掘りの請負業をしているが、左右田組はすべてを分捕ろうと画策している。組長は元は榊組の人夫だった。
3年後に刑務所から出てきた秀次郎はまず秋山の墓参りに行くと、秋山の子どもがいてなついてくる。そこに秋山の妻(三田佳子)が来るが秀次郎は名乗れない。その後は左右田組の悪行を知ってなにかにつけ榊組に味方する。
榊組にアジア諸国を放浪していた畑中圭吾(池部良)がもどってきた。秀次郎と対決しようとするがひとまずとどまる。
そして我慢の緒が切れた秀次郎が左右田組に向かおうとすると、畑中がいた。彼の差しかけた傘の下で巻いてあった布から刀を取り出す秀次郎。雪が降る道を行くふたりの姿に主題歌がだぶる。

「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」全9作の土台がここに決まったという感じ。1作目はこれ1本だけという気持ちがあったろうが、この作品ではシリーズにしていく気持ちがある。それにしても主題歌がなんていいのだろう。斬り込みのシーンにびたっと決まって高揚感がいやが上にも盛り上がる。

吉田喜重監督『嵐が丘』

お盆休み映画鑑賞の3本目は前から見たかった吉田喜重監督「嵐が丘」(1988)。原作エミリ・ブロンテの「嵐が丘」は中学2年のときお年玉で買って以来何度も読んでいる。だけど映画は1939年のハリウッド映画、ヒースクリッフをローレンス・オリヴィエがやったのしか見ていなくてお話にならない。それよかアンドレ・テシネ監督でエミリ・ブロンテをイザベル・アジャーニがやっている「ブロンテ姉妹」が「嵐が丘」の雰囲気を伝えていると思う。

吉田喜重監督の「嵐が丘」は舞台を日本の中世に移している。役者の立ち居振る舞いやメイクと衣装が能や歌舞伎を取り入れており、広大なロケ地に建てられたおどろおどろしい鳥居や屋敷も中世的な雰囲気が漂う。うまい設定である。物語は原作どおりなので、時代を中世以降に設定したら、あの強い愛に生きる女性は描けなかったような気がする。一方、愛する女の骸骨まで愛するということは、やっぱり中世にしたのがよかったように思う。

松田優作の映画はこのほかに「ブラック・レイン」しか見ていないというお粗末。まわりの女子たちが騒ぎすぎていたこともあるけど、ちょっと距離をおいてた。「嵐が丘」では「ようやっている」という感じで、他の映画の松田優作を見たい。

1988年の映画だがこれだけの大作なのに映画「嵐が丘」があることさえ知らなかった。いかに映画から(そして音楽からも)離れていた時代か、いまになって不思議がっている。
吉田監督の映画は「秋津温泉」(1962)、「エロス+虐殺」(1969)しか見ていなくて、どうもすみませんというしかない。これからDVDでできるだけ追いかけたい。

佐伯清監督「昭和残侠伝」

懐かしき「昭和残侠伝」だけど、シリーズ1作目ははじめてだ。このシリーズはタイトルを覚えていないが何本か見ており、後期だと思うけど、雪が降っていて池部良が傘を高倉健にさしかけるシーンが美しかった。それだけでなく全体に様式美ともいうべき極ったシーンがあってしびれたことを思い出した。

戦後すぐの闇市シーンからはじまる。浅草の青空市場からマーケットを建てるまで、伝統を守る神津組に新興やくざ新誠会がからむ。由緒ある組の親分は時代の流れのなかで跡目にしようと考えている清次が戦争から復員するのを待っている。親分が息子の目の前で銃弾に倒れ遺言を残したあとに清次(高倉健)がもどってくる。清次の恋人綾(三田佳子)は縁続きの組の親分と結婚していた。
家出した妹を探して風間(池部良)は東京へ出てきて組の居候になっている。池部良と菅原謙二が仁義をきるところがなんともいいようがない。売春婦に身を落とした妹はこの組の一人と恋仲になっていた。殺された恋人の葬式の場で兄と妹は出会い、妹は結核で入院するが死んでしまう。
力のある親分の世話で小売商たちをなんとか自立させようとマーケットを建設していると、夜中に新誠会に火をつけられて全焼。

我慢の緒が切れて清次が立ち上がる。みんなはこれからのマーケットのことを考えろ、俺はひとりで行く。歩き出すと風間が待っていた。ふたりは新誠会事務所へ乗り込む。

深作欣二監督『仁義なき戦い』

お盆やし(笑)たまには映画を見ようやと相方が借りてきたDVDの1本目は懐かしき深作欣二監督「仁義なき戦い」。1973年の封切りで見て以来だから40年近く経っているのだが、いろんな場面を覚えていていっしょにセリフを言って楽しんだ。

「明日がないんじゃけ、明日が」と広能昌三(菅原文太)が殺しに出かける前夜の、鯉の入れ墨をした背中で女を抱いているシーン。若杉寛(梅宮辰夫)が逃走用に学生服を着て天ぷら学生と言っているところを警察に踏み込まれ、撃ち合いの末に殺されるシーン。坂井鉄也(松方弘樹)がふと玩具屋に入って見ているところを後ろから射たれるシーン。
刑務所で若杉と広能が兄弟分になるところ、梅宮が出所したいがために狂言で腹を切って文太が看守を呼ぶところもすごい。見ているとどんどん思い出していく。
最後の坂井の葬式で、たいそうな祭壇に広能がピストルをぶっぱなすシーンもすごい。

岩に浪がぶつかる東映映画のタイトルが出たあとに原爆が落とされるシーンがあり、闇市の活気とアメリカ兵の横暴シーンへとフルスピードでつながり、そこにいた広能の向こう見ずの暴力。ほんまにすごい映画だ。

おばはんたよりにしてまっせ 映画「夫婦善哉」

姉の家のテレビで「夫婦善哉」を見た。原作が織田作之助、1955年の豊田四郎監督作品。主演が森繁久彌(柳吉)と淡島千景(蝶子)、雇い主が浪花千栄子で、柳吉の妹が司葉子という豪華な配役。わたしはいままで見たことがなくて「おばはんたよりにしてまっせ」というセリフのみ知っていた。

1932年(昭和7年)ごろの大阪、船場の化粧品問屋の息子柳吉はたよりないぼんぼんである。柳吉の妻は病気で娘のみつ子を残して実家に帰っている。柳吉が曽根崎新地の売れっ子芸者蝶子と惚れ合って駆け落ちすると父親は柳吉を勘当する。
熱海の旅館で地震にあうシーンがあって、やがて大阪の蝶子の実家にもどってくる。いそいそと世話をする蝶子だが、焼きもちも激しい。
蝶子はヤトナ芸者となって稼ぎ貯金をするが、柳吉はそれを持って松島遊郭へ遊びに行ってしまう。
二人で飛田に食べ物屋の店をもつが、賢臓結核にかかった柳吉の入院費のために店を売るはめになる。それでも有馬温泉に養生に行った柳吉は勝手に出かけてしまう。
結局、船場の店は妹が婿養子をとることになり、父親も死んで柳吉は戻れなくなる。

法善寺で祈る蝶子のシーンが多くてやるせない。柳吉はいつのまにか蝶子を「おばはん」と呼ぶようになっている。
蝶子は自由軒のカレーが好きで、一人でも相手がいても食べに行く。柳吉とテーブルの下で足をからますシーンの
最後は法善寺横町の夫婦善哉で二人でぜんざいを食べる。「たよりにしてまっせ」という柳吉。店を出ると雨が降っていて二人はショールをかぶって歩いていく。この二人これからどないなるのやろ。切ないラストシーン。

森繁久彌の白いシャツとステテコと腹巻き姿がよかった。昔の父親の夏の姿はあんなんやったなと郷愁を誘われた。森繁久彌というと晩年の姿しか思い出さないが、色気のある中年男やったんや。淡島千景はちょと上品過ぎたが、二人のやりとりの間合いが良くて気持ちよい映画だった。