ジョン・フォード監督「リオ・グランデの砦」(1950)

ジョン・フォード監督の騎兵隊三部作の3作目。1948年、49年、50年と年に1本の製作である。3作目は完成度が高く製作費もかかっているようだ。主演女優がモーリン・オハラで3人中でいちばん貫禄あるし美しい。と書いてきて解説を読んだら製作費をずいぶん値切られたと書いてある。でも大ヒットしたので次作「静かなる男」にとりかかれた。

ジョン・ウェインの妻は南部の農場のお嬢様育ちだけど、スカーレット・オハラのように土への思い入れが強い。だが今回は息子が受験に失敗して勝手に騎兵隊に入ったのを連れて帰ろうとやってきた。父のヨーク中佐が統率している騎兵隊に入隊した息子は元気いっぱいである。友だちもでき馬を乗りこなす。父は黙って見ていることにする。2頭の馬に乗って走る(ローマ式立ち乗り)シーンがすごい。

故国アイルランドへの愛国精神が強く、また南部への想いが強く出ている。騎兵隊員が歌うアイルランド民謡など哀愁があってとてもよい。こうなると「静かなる男」がまた見たくなって困ってしまう。

ジョン・フォード監督「黄色いリボン」(1949)

最低一度は見たことがあるとだけ記憶していた。今夜はどんな映画か全然覚えてなくて見たのだが、やっぱり全然覚えがなかった。こんな地味な映画とは思ってなかった。黄色いリボンが西部の空にはためいているかと思ったが慎ましやかなリボンが女性たちの髪を飾っていた。
ヒロインのジョアン・ドルー(ジョーン・ドルーと覚えていた)はわたしの好きな映画10本のうちに入る「赤い河」(ハワード・ホークス監督)でモンゴメリー・クリフトとジョン・ウェインと共演している女優。あの気の強さはすごい。今回は上官のお嬢様だが気の強さはたいしたもの。

ジョン・フォード監督の騎兵隊三部作の2作目。1作目が「アパッチ砦」、3作目が「リオ・グランデの砦」。
ジョン・ウェイン扮する騎兵隊長の退役目前の最後の6日間を描いている。いやな上役かと思うと温情を示す上官、酒飲みの部下の恩給を心配してやるジョン・ウェインは若い部下の恋の応援もする。あくどい武器商人はインディアンにやっつけられる。

とにかく馬が走る。走る馬が主役の映画だ。
ボストンの探偵スペンサーが「馬が走る映画が好き」と言っていたが、なんて映画だったろう。わたしも馬が走る映画が好きだと再確認した。

ジョン・フォード監督「アパッチ砦」(1948)

先日「駅馬車」を見たらおもしろくて同監督の騎兵隊3部作を見たくなった。「アパッチ砦」「黄色いリボン」「リオ・グランデの砦」の3本だが、持っているのもあり、持っていなくてもDVDが300円ほどで売っている。
昔見ていたはずだが、まったく初めての感じがするし何度も見たような気もする。2時間を越える大作でジョン・フォードとジョン・ウェインの息があっていて安心して見ていられた。まだ若いときなのに監督主演とも名人芸の域という感じ。
新任の司令官が娘と一緒に到着するがその娘さんがシャーリー・テンプルちゃん。実際には見たことないんだけど、父親の話によく出てきた可愛い子役が年頃になって出てきたということである。

ちょっとおかしな話。
新司令官のヘンリー・フォンダと娘が駅馬車でアパッチ砦に向かうんだけど、フォンダが取り出したのがiPhone、のはずないけど、<a href=”http://matome.naver.jp/odai/2140041858713641501″>こんな写真</a>が出てきたので見てください。コメントも笑える。

SUBの西山さんが亡くなられて4年

SUBは谷町9丁目の駅構内にあるジャズのお店である。50年ほど前に店を作られたミュージシャンの西山さんが亡くなられて4年、月日の経つのが早すぎると3年経った去年書いているが、それから1年経って、わたしはいまも生きている。
はじめてお会いしたのは10年ちょっと前なんだけど、1961年1月10日にフェスティバルホールで「アート・ブレーキーとジャズメッセンジャーズ来日公演」で同じ空気を吸って、ギターの竹田さんもそこにおられたので、3人は半世紀のおつきあいということに勝手にしている。

西山さんは亡くなる半年ほど前にニューヨークへ行かれて、おみやげにリキテンスタインの額をくださった。波の中であっぷあっぷしかけているのに「あんたの助けはいらない」と叫んでる女性がまるでクミちゃんやと言ってくれた。わたしの机の上のMac miniの横に置いてある。西山さんの期待を裏切らないようにアホなことだけしながら生きていこうと思っている(笑)。

実は長いことSUBにはご無沙汰している。涼しくなったら忘れられないうちに行かなくっちゃ。

ジョン・フォード監督「駅馬車」(1939)

こどものころの夏は夜になると父親を囲んで縁台に座って星を見たり、しゃべったりしたものだ。同じことを何度も聞かされてうんざりしたが「駅馬車」と「暗黒街の顔役」が素晴らしい映画だということを叩き込まれて育った。父親の青春時代の記憶だったんだろう。
その父親が100歳を過ぎて施設に入った時に、施設内で映画を見せてくれたそうだ。なにかご希望はと聞かれて、父は「駅馬車」と叫び、見せていただいたそうである。きっとあの主題曲も口ずさんだことだろう。

わたしが「駅馬車」をテレビではじめて見たとき、期待が大きすぎて少しがっかりしたように覚えているが、今夜見たらなかなかよくできた映画だと思った。レーザーディスクを買ってがっかりした「暗黒街の顔役」もいま見たらいいと思うかもしれない。

リンゴ・キッドのジョン・ウェインが若くて美しい。ジーンズの後ろ姿も前姿も美しい。ダラス役のクレア・トレヴァーもよかった。「キー・ラーゴ」でアカデミー助演女優賞をもらっているが、映画は見たのに覚えていなくて残念。
飲んだくれの医者ブーン(トーマス・ミッチェル)、賭博師ハットフィールド(ジョン・キャラダイン)も癖のあるいい味を出しているし、その他の俳優がみんないい。

本屋に行きたい

ハンズの地下にある本屋、クリスタ長堀にある本屋、新大阪駅にある本屋とちょっと立ち寄れて便利だ。でも行きたいのはジュンク堂堂島店。
吉田喜重「変貌の論理 」(2006)を買いたい。アマゾンへ注文したらすむのに(在庫は確認済み)、本屋で買って抱えて帰りたい。アホかと思うけど、好きな人への想いは重い(笑)。だけど2006年発行だから在庫あるかな。まあ一度本屋を見てなかったらアマゾンに注文しよう。買ってもすぐに読めないし。
吉田さんのもう1冊「メヒコ 歓ばしき隠喩 (旅とトポスの精神史) 」(1984)もそのうち読みたいなあ。これは中古本で買うか。「見ることのアナーキズム 吉田喜重映像論集 」(1971)も欲しくなった。

いつもミステリと文庫の棚しか行かないから、どこに映画の本があったっけという感じ。「ユリイカ」の棚はカウンターに近いからしょっちゅう見てるけど。
そういえば美術本の棚も久しく見ていない。今度行ったらアート関連本をゆっくり見てこよう。

山岸凉子「牧神の午後」と映画「赤い靴」

久しぶりに少女マンガ、山岸凉子「牧神の午後」(1989)を貸してもらって読んだ。山岸凉子のマンガはずっと昔に「日出処の天子」(1980−84)を延々と買って読んだことがあるけど、それ以後は読んでいなかった。

20世紀のはじめのディアギレフ率いるロシアバレエ団のことは、いろんなもので読んでいてよく知っているが、こうして絵物語になるとまた格別の味わいだ。天才ダンサー、ニジンスキーの輝きが美しく描かれていて久しぶりに気持ちが高ぶった。

ディアギレフはニジンスキーの代わりの踊り手ミャーシン(96ページ)を見出した。映画「赤い靴」に出ているレオニード・マシーンの若き日である。
わたしは「赤い靴」をかなり昔から機会あるごとに見ていて、最近はDVDで何度も見ている。最初はバレエへの憧れで見ていたが、誰かの本でバレエ団の団長がディアギレフをモデルにしていると知った。そしたら靴屋を踊っているマシーンのこともわかった。牧師をやっているロバート・ヘルプマンもディアギレフのところにいた人と知った。

そしていま検索していて「赤い靴」の新しいDVDが出ていることを知った。
【映画監督のマーティン・スコセッシがオリジナル・ネガ修復作業に着手し、2年の歳月をかけて完成された<デジタルリマスター・エディション>が、2009年カンヌ国際映画祭で世界初公開された。】
4,059円か〜 そのうち買おう。

小津安二郎監督「晩春」

「晩春」は1949年の作品で、ずっと公開時に見たと思いこんでいたが、49年に見たはずがない。いったいいつ見たのだろう。ベ平連のころより先か後か、全然わからん。一人で見に行ったのはたしか。そうだ!「東京物語」(1953)を見たあとだ。「東京物語」が評判良かったので小津特集とかやったのかな。

独り者の父(笠智衆)と結婚の決まった娘紀子(原節子)の二人が京都へ旅して旅館で枕を並べて眠るシーンに驚いたのをいまも覚えている。それこそ、紀子が叔父の再婚に「不潔!」と言った以上だと思ったものだ。もっとも、紀子は間違ったことを言ったと自分の結婚が決まってから後悔していたが。

能楽堂のシーンはよく覚えている。のちに梅若万三郎さんの「杜若」を産経観世能で見たことがあるのだが、晩年の万三郎さんが素晴らしかった。
能を見ながら父は再婚話の相手に目礼する。それを見た紀子の嫉妬心が能面のような表情の下に見え隠れする。

小津安二郎監督「麦秋」

「麦秋」という言葉が好きだけど実った麦畑を見たのはほんの数度あるだけで、だからこそ「麦秋」という言葉に惹かれるのかもしれない。
「麦秋」(1951)は爽やかな風に揺れる麦畑のように後味の良い作品だった。

北鎌倉に老いた両親と長男の医師康一(笠智衆)と妻(三宅邦子)と男の子2人の一家、それに会社勤めをしている長女紀子(原節子)が穏やかに暮らしている。日常の些事を描きながら映画はゆっくりとすすんでいく。

大和から来た伯父が紀子が28歳で独身なのを心配し息子をせかす。
紀子の会社専務の紹介があって話は決まりそうだったが、年齢が行き過ぎと家族は気にする。
近所に住む医師の矢部は戦争で死んだ紀子の兄の友人で、妻が女の子を残して亡くなり、母親(杉村春子)と暮らしている。
ちょっとした用事で矢部の家を訪れた紀子は、母親から息子が秋田の病院へ転勤する話を聞き、その流れであなたのような人と結婚できたらという言葉に、あたしでよかったらと自然に言葉が出た。
そこからは家族からなにを言われてもにこにこと自分を通す紀子。親友(淡島千景)もびっくりするが納得。

最後に紀子と兄嫁が海岸を歩くシーンが美しくて、後味の良い映画だった。その後、大和に暮らす老親たちが実った麦畑を眺めながら話すシーンがよかった。

溝口健二監督「新・平家物語」市川雷蔵の平清盛

ほとんど日本映画を見ないできたから、機会があればできるだけ見たい。いま見たばかりの「新・平家物語」(1955)は大好きな市川雷蔵が清盛をやっている。母の泰子(木暮実千代)は祇園の白拍子出身で白河上皇の寵愛を受けていたが妊娠し、上皇の意向で清盛の父の忠盛の妻となる。清盛は忠盛の嫡子として育ったが、実は上皇の子とわかり苦悩する。
清盛は貧乏貴族の娘でてきぱきした時子(久我美子)に惹かれて結婚する。なんやかやと断片的な知識がある時子夫人とはこうして結ばれたのかと納得。久我美子さん清潔感があふれて美しい。
木暮実千代の胸の谷間がきれいで色気が充満していた。胸の谷間をちらと見せて上着を羽織るのはいまも同じ。
市川雷蔵は優しい顔つきを太いゲジゲジ眉毛にして逞しい男に見せていた。貴族社会の終焉とこれからくる武士社会のはじまりの時代を生き抜く勢いを感じさせてよかった。

原作(吉川英治)を読んでないし、テレビドラマもほとんど見ていないし、いい加減な歴史の知識しか持っていなかったからおもしろく見た。比叡山のシーンといい、牛車がゆったり歩く京の道といい、それぞれの屋敷の佇まいといい、豪華なロケやセットで映画製作にまだ力があった時代。