午後はつるかめ整体院、夕方からタムタムカフェ→プラタス

日記を読み返すと。「疲れた」という言葉を使い過ぎているような気がするが、ほんまに疲れているのは確か。姉疲れや会報疲れなんかを併せて勤続疲労であろう。
午後につるかめ整体院に行って触ってもらっているうちにぐっすり眠ってしまい自分のいびきで目が覚めた。おかげでかなり疲れがとれて気分よく帰ってきた。
同時に台風の日に転んで歯を折り歯医者通いをしていた相方の歯の治療が片付いた。

今夜は外食しようと久しぶりに日本橋のタムタムカフェへ。
ぬる燗の清酒 旭日によく味のしみたおでんが超うまい。
今日のメニューは「おうちごはん定食900円(・鳥取県産ブリあら大根・ほうれん草ゴマ和え・レンコン天婦羅・ソウメンカボチャ酢の物・新米ご飯と味噌汁付) 。
ブリのあらは何年ぶりかに食べて感激の味(家では菜食してる)。
それよりなによりの美味は料理人アベチカちゃんとパートナーとの会話だ。
他のお客さんたちとも何気ない会話を楽しんだ。

帰り道でコーヒーを飲もうと味園プラタスへ寄った。立ち上がった先客の男性(DJ)がすぐに「マントヒヒ回想」サイトを話題にしたのにはびっくり。わたしのマントヒヒ時代にはまだ生まれてなかった若者が、サイトをおもしろいと言う。阿部薫のことを聞きたがる。そしてフリージャズ、パンク、ニューウェーブの話を聞きたがる。森田童子を知ってるかと聞かれて二回コンサートに行ったと言って尊敬された(笑)。
あまり出かけていない昨今だが、遊び人の相方のおかげでどこへ行っても若い話し相手に不自由しない。幸せなことだ。

川端康成「女であること」(本と映画)

いま調べたら「女であること」は1956年に新潮社から刊行されているから、朝日新聞に連載されたのは54・5年だろうか。わが家は朝日新聞をずっととっていたから連載小説はこどものころから全部読んでいた。川端康成は「乙女の港」以来大好きな作家だから毎朝姉と新聞の取り合いだった。

物語は大阪の“さかえ”という若い女性が、船場の旧家から東京へ飛び出して行くところからはじまる。東京では母の友人の佐山家にやっかいになるが、佐山家に行く前に生理になったので、その期間をステーションホテルに滞在する。
読むまで忘れていたことが多く、読むとああそうやったと思い出した。いまになって買って読もうかと思ったのは、あるシーンのこと。
さかえは佐山夫人の元恋人に近づいて交際するのだが、ふたりでデパートのハンカチ売り場へ来て、さかえはいちばん上等なハンカチを男ものと女ものとを2ダースずつ買う。その買い方の鷹揚さに驚いた店員の千代子は後姿を見送るのだが、そこへ来たのが佐山家に厄介になっている友人の貧しい妙子。それで、あれが話題のさかえさんと千代子も納得。
覚えていたとおりだった。貧乏な少女はハンカチ2ダースに圧倒されて何十年後も覚えておった。とともに、大阪の女性が東京の女性を圧倒しているところに手を叩いたことも思い出した。

詳しく解説した映画のサイトがあった。1958年公開のモノクロ映画。
さかえは久我美子、佐山夫妻が森雅之と原節子、妙子が香川京子、監督が川島雄三。
映画は丸山明宏(美輪明宏)の歌でスタートする。タイトルのバックに若き日の写真あり。
原節子も久我美子も美しくてまぶしい。

オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督『インベージョン』

原作はジャック・フィニイのSF小説「盗まれた街」で、2007年に4回目の映画化されたもの。
フィニイの名前は昔から知っているが本は読んだことがない。もしかしたら「レベル3(異色作家短編集)」を買った覚えがあるので読んだかもしれない。

ニコール・キッドマンがワシントンに住む精神分析医キャロル役、すごくきれいで真面目で、ちょっとゾンビっぽい映画の品格を高めている。夫と別れて小学生の息子と二人暮らし。ハローウィンの日でスーパーマンの衣装で登校する息子を見送るという楽しくきちんとした日常生活を送っている。パーティでは美しく装って知的な会話で周りの人たちを魅了する。

そのころ原因不明のスペースシャトル墜落事故が発生。空中分解したシャトルの破片が地球の各地に落ちてくる。破片についたウィルスが世界中になぞの感染症を引き起こす。周りの親しい人たちも感染していく。
別れた夫との面会日に息子を行かしたのが心配になり会いに行くと、夫はすでに感染していてキャロルもその毒を浴びる。眠ったら最後、発病するのがわかっているので、眠らないように頑張る。息子は小さいときにかかった感染症で免疫ができていて眠っても発病しなかった。
恋人の医師ベン(ダニエル・クレイグ)とともに街を脱出したが、あとで会おうと別行動になり、待っている間に追われたり襲われたり危機一髪が続く。

「インベージョン」はいま現在見るのにもっともふさわしい映画だと実感した。ニコール・キッドマンがウィルスの恐怖と闘っている姿を見ながら、エボラ出血熱の恐怖を実感していた。

マーク・ロマネク監督・カズオ・イシグロ原作『わたしを離さないで』

翻訳が出始めたときから大好きでかなり読んでいるカズオ・イシグロだけど、「わたしを離さないで」(2005)は途中までしか読めず置いてある。
いま映画「わたしを離さないで」(2010 イギリス)を見終えて、現代SF小説の映画化だとわかった。

クローン技術で生まれた子どもたちが70年代のイギリスの田舎の広い屋敷に隔離され集団で生活させられている。彼らは注意深く教育され、一定の年齢に達すると臓器提供可能者としてコテージで過ごし、臓器が必要とされるときに病院へ送られる。
臓器の提供は3回ほどで【終了】となる。介護士は【提供】をはじめた者を介護するので、少しだけ余分に生きられるが、やがては【提供】する者になる。

ゆっくりした寄宿舎生活だけど悲劇的な雰囲気がただよう。真実を教えようとする新しい教師がすぐに辞めさせられる。
キャシーはちょっとはぐれっ子のトミーに関心を持っているが、友だちのルースがトミーと仲良くなる。

大人になったキャシー(キャリー・マリガン)は介護士になってルース(キーラ・ナイトレイ)の介護を担当している。ルースはトミー(アンドリュー・ガーフィールド)と仲良くなったのはキャシーとトミーの間を嫉妬したからだと言って、償いをしたいという。連絡するとトミーはすでに2回【提供】していたが元気だった。
愛し合っている者どうしなら提供猶予されるという規則があるとルースに聞いて、キャシーとトミーは当時の校長(シャーロット・ランプリング)に会いに行く。校長はそれは噂に過ぎないと否定する。
その後、トミーは3回目の【提供】で【終了】した。それからすぐにキャシーに提供開始の知らせがきた。

クリストファー・ノーラン製作、ザック・スナイダー監督『マン・オブ・スティール』

昨夜もお金に糸目をつけない超大作を見て圧倒されたが、今夜も上映当時話題になったスーパーマンを描いた映画「マン・オブ・スティール」を見てしまった。2013年の製作で日本でも8月に公開されている。やることがいっぱいあるのに二人揃って大作映画を見たい病気にかかってしまった。

「スーパーマン」は昔から自然に知っていたが、アメリカの小説を読んだら出てくるからかな。マンガを知ったのはいつのことだろう。マンガの映画を見た記憶はない。映画の「スーパーマン」はテレビ放映で見たことがある。もしかして連続テレビドラマを見たのだろうか。なにかあるとクラーク・ケントが公衆電話でSの字がついた制服に着替えて空へ飛ぶのだった。

「マン・オブ・スティール」は重厚な作品に仕上がっていた。
父親(ラッセル・クロウ)が滅びゆく惑星クラプトンから、生まれたばかりのわが子を宇宙船に乗せて地球へと送り出す。ラッセル・クロウが重厚な演技を見せる。
農地で赤ん坊を乗せた宇宙船を発見したカンザスの農民(ケヴィン・コスナー)と妻(ダイアン・レイン)は息子として大切に育ててくれ、クラーク・ケント=スーパーマン(ヘンリー・カヴィル)は成長する。父は息子の能力を知って、他人には能力を隠して暮らすようにしつける。そのために息子が助けに行けば助けられるシーンだったのに、自分が走って命を落とす。カンザスだから竜巻だ。
新聞記者のロイス・レイン(エイミー・アダムス)がよかった。いままでのスーパーマンのときと立場は同じでも、いまの時代のロイスだ。
スーパーマン(ヘンリー・カヴィル)はオトコマエで好み。イギリス人だって。

ローランド・エメリッヒ監督・脚本・製作総指揮『2012』

予備知識なしで見はじめたらすごい大掛かりな映画でびっくりした。「2012」(2009)はマヤ文明の予言による世界の終焉を映画化した作品だった。ローランド・エメリッヒという名前は知っていた。フィルモグラフィを読んでいたらけっこうテレビで見ているのに気がついた。
※テレビを捨ててからテレビ放映に縁がなくなったし映画情報はメルマガとツイッターになってしまった。

おもしろい映画なんだけど、これでもかこれでもかとクライマックスがあって疲れた。最後の予想はつくけど、それまでにまだあるのかと驚かせてくれて、またそれにのってほいほいと見てしまった。上映時間158分。

大作に向いてないように思えるジョン・キューザックが主役。わたしは「すてきな片想い」(1984)で彼を好きになった。汚いTシャツの上によれよれのレインコートをひっかけた姿がよくて真似したくらい。30年も前のことだけど(笑)。「グリフターズ/詐欺師たち」もよかった。主な出演作品の表を見たらテレビでが多いがたくさん見ている。どれも〈好いたらしい男〉である。
「2012」でも家族を愛する売れないSF作家でリムジンの運転手をしいている。妻と娘と息子とともに災厄に立ち向かう。勇気あるいい人の役を自然にやっててやっぱりステキ。

ケヴィン・レイノルズ監督・リドリー・スコット製作『トリスタンとイゾルデ あの日に誓う物語』

久しぶりに映画を見ようということになったが、秋だしSF映画や暴力ものはやめよう、軽くない恋愛映画はないかなと探した。リドリー・スコット製作で「トリスタンとイゾルデ」があったはず。そのうち見ようと言っててまだ見てなかった。

「トリスタンとイゾルデ」の物語は有名だし本もいろいろ出ている。わたしの持っているのはローズマリー・サトクリフの「トリスタンとイズー」(1971年 井辻朱美訳 沖積舎 )。何度も読んで大切にしている。
こういう古典という感じの映画だと思って見たら大間違いで、活劇シーンが多くて恋愛映画と言い切れないのが残念だ。
そして媚薬が出てこないのもちょっとがっかりだった。傷口に薬は塗ってあげてたけど。媚薬がなくても、二人は宿命的な恋に落ちたからそれでいいのか。

トリスタンをやってるジェームズ・フランコがすごく端正な美男子でよかったし、ソフィア・マイルズのイゾルデも気品があった。

アレハンドロ・アメナーバル監督・脚本・音楽・製作『海を飛ぶ夢』

実在の人物ラモン・サンペドロの手記「地獄からの手紙」(1996)をもとにした映画(2004)で、全身不随の主人公が尊厳死を求めて闘う姿を描いている。

ノルウェー船の船員だったラモン(ハビエル・バルデム)は25歳のとき事故で首から下が不随となった。それ以来、父と兄夫婦とその息子の世話になって25年にわたり寝たきり生活をしてきた。自分自身で死ぬこともできず尊厳死を望むだけの毎日。
尊厳死団体のジェネが弁護士のフリア(ベレン・ルエダ)を紹介する。フリアは杖をつきながらも住み込んでラモンに接し、彼が文章や詩を書いているのを知る。口に咥えた棒で操作するパソコンと甥の協力で清書やプリントアウトしたものを嫂が大切に保管してあった。フリアは読むなり感動し本にしようと勧める。
ふたりは話したり仕事したりしていて、フリアがタバコを吸うとラモンが一服吸わせてくれと頼む。なんとも言えない色気があふれるシーン。
ラモンがそろそろと立ち上がり窓辺へ行く、それから海へ飛ぶ。ラモンとフリアは海辺で抱き合う。

フリアはラモンの家の階段で倒れる。実は大病を患っていて最終的には痴呆症になるとわかる。彼女はラモンの尊厳死に協力すること、自分も尊厳死の道を選ぶことを決心し、実行はラモンの本を出版したときと約束する。

フリア役のベレン・ルエダがすごく美しくて彼女を見ただけで満足だった。目尻に皺もあるのだけど上品な昔のハリウッド女優のような。

アレハンドロ・アメナーバル監督の作品は「オープン・ユア・アイズ」とショートフィルム「ルナ 月は見ていた」だけしか見ていない。もっと見たい。

クリストファー・マンガー監督『ウェールズの山 』

8月29日の大阪翻訳ミステリ読書会の課題本ベリンダ・バウアーの「ラバーネッカー」はウェールズに住む少年パトリックの成長物語でもあった。作者のベリンダさんもウェールズに住んでおられる。そのせいか、なんとなく背景にウェールズの風景を感じた。ほんまに、なんとなくウェールズ(笑)。

25年くらい前のことだが「イギリス児童文学研究会 ホビットの会」というのに月に一度参加していた。ひと月に一人の作家を取り上げるので多作の作家だと大変だった。ウェールズを舞台にした作品はどのくらいあったのか、思い出すこともできないが、好きな作家もいた。会員の一人がウェールズ協会に入っていろいろと話してくれたことも忘れてしまったが、なんとなくウェールズ恋しい気分になって映画「ウェールズの山」(1995)を見ることにした。以前見てから20年近く経ってる。
おじいさんが孫の少年に話す物語になっているが、クリストファー・マンガー監督がその少年のように思えた。大人になって祖父に聞いた話を映画にしたって感じ。

1917年のある日、イングランド人が2人(若者アンソンがヒュー・グラント)南ウェールズの村にやってきた。彼らは地図作成のためファノン・ガルーの山の高さを測る。みんなが固唾を吞んで待つが、5メートルの差で「山」でなく「丘」とされたウェールズの「山」。
村の人たちは技師たちを村から出さないように頑張り(大人げないおもしろさ)、山上に土を運ぶ。途中で雷雨になるがめげずに、最後にはベティがアンソンを色仕掛けまでするが真面目なアンソン。日曜日は安息日だが牧師を中心に作業をする。アンソンは村人に合流する。
高齢の牧師が最後に倒れ亡くなり、積み上げた土の中に埋葬する。
日が沈みみんなは帰って行き、愛し合うアンソンとベテイはふたりで山に留まる。日が昇るのを待ち測量すると、ファノン・ガルーははっきりと山であった。

SUBの西山さんが亡くなられて3年

ベーシストの西山満さんが亡くなられてはや3年。月日の経つのが早過ぎる。西山さんに妹とまで言うていただいたのに、最近はジャズから遠ざかりSUBへも行ってない。でも、西山さんは怒ってはれへんと思うのである。「好きなことをやってたらええねん、それがジャズ的生き方や」と言うてくれはると確信しているから。「顔を見せにおいでや」と言われてSUBへ行ったのと同じように、本やパソコンやKindle画面を読んでいるから。

1961年1月10日にアート・ブレーキーとジャズメッセンジャーズが来日公演したときにフェスティバルホールに行った。同じ場所に西山さんと竹田一彦さんがおられたのを40年を過ぎて知った。
わたしはその後、フリージャズにいき、パンクに走り、その後はクラシックなどを聞きつつ文学の世界にいた。
10年ほど前に30数年ぶりにジャズを聞きたくなりSUBへ行った。わたしが天王寺のマントヒヒにたむろしていたころに谷町9丁目にできたのがSUBだった。

2000年代になってSUBでジャズを味わって、しかも西山さんに可愛がっていただいた。くみちゃんと呼んでくれたときの笑顔を思い出す。

いまなにが好きと聞かれたら映画「 ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン」で知ったヒップホップの50 Cent (フィフティセント)と言うかな。YouTubeでたまに見聞きするだけだけど。