この冬いちばん寒い日

おお寒むぅ。今日はこの冬になっていちばん寒い日のような気がする。

ベランダで洗濯ものを干してたら足の脛が寒い。あわててタイツをもう一枚はいた。背中と腰を冷やさないようにカイロを貼った。暖かいご飯を食べ熱いコーヒーを飲んだ。なのに夫婦げんかして冷気を呼んでしまった。こんなときのための腹巻を出してつけてようやく暖かさが回復笑。

食後にストーブの温度をあげた。

最後に布団乾燥機をかけて布団を温め安眠に備える。

寒いから熱燗

ああ寒い。今夜の晩ご飯は外食で熱燗にマグロのお刺身でご機嫌さん。帰ってから、昨日見た映画『ビューティフル・デイ』をもう一度見た。ご飯はおいしく、映画はとても熱中できた。

午後から姪たちのお手伝いに元姉の家の片付けに行った。暖房を入れても古い日本家屋は寒い。おおかたの暖房器具は片付けてエアコンだけなので、カーディガンを借りて、スカーフをもらって、わたしは本棚の整理。といっても、本を点検してもらう本をまとめ、不要な本は最後に捨ててもらう。

お昼を食べておやつを食べて、もうひと仕事。押し入れから箱に入った木綿風呂敷がたくさん出てきた。ほとんど紺系統で台所の前掛けによさそう。

突然寒い

1週間くらい前の暖かい日が続いていたとき、天気予報が週末は猛烈に寒くなるといった。ふーん、そうなのって聞き流した。

そしたら友だちからのメール1号「こちらでは週末に雪マークがつきました。全く冷えていませんが。この急激な気温の変化が堪えますね。気をつけてお過ごしください!」とあった。その後にいただいたメールにも週末は寒くなるから気をつけてとみなさんいたわってくれている。

昨日はかなりの雨で歯医者に行くのに往復タクシーにした。家計がピンチだが雨の中をよろよろ歩くよりましだから。それでもそんなに寒くはなかった。今朝も寒いことは寒いがそれほどでもなかった。それが夕方になってぐっと寒くなり、いまは夜の11時前だけど、布巾を干しにベランダに出たら大寒くなっている。天気予報はほんまやったんだ。

天気予報を見たら大阪市の警報・注意報は「発表なし」となっている。寒いけど穏やかな夜であるらしい。はよう寝よ。

ちょこっとなにか食べたいとき

可愛い缶に入ったお菓子をもらうとうれしい。中身を食べ終わったら、小袋に入ったクッキーなんかを買ってきて入れておく。お菓子が入った缶が並んでいると豊かな気分になる。お茶やコーヒーを淹れて缶からお菓子をとり出して食べる。それを称して「小さな喜び」という。笑

姉の見舞いには、舶来マヨネーズの空き瓶にクッキーを入れて持っていった。ジャムの瓶とかきれいな瓶は洗っておくと便利。近所の専門店で量り売りの紅茶を買ってきて瓶に入れておいて使う。いろんな種類の紅茶が小さな瓶に入って並んでいると豊かな気分がする。

机の引き出しに、ゼムピンや画鋲を入れた小瓶を何個か入れてある。小瓶、小箱、可愛らしいものが好き。

丸顔に憂いすくなし

今日の午後は相方が堀江マルシェに買い物に行った。わたしは家でストレッチと膝裏体操などぼちぼち。

堀江ではベースでお菓子を買ったほか、野菜や果物をたくさん手に入れてご機嫌さんである。すぐにコーヒーを淹れてお菓子を食べ、それから柿をむいて食べた。どちらもうまかった。

堀江ではあちこちのお店で食べたり話したりして楽しかったそうだ。ジョローナでは30~40代くらいの女性がたくさんいて「スギヤさんの奥さんはどんな人?」と聞かれたとか。わたしは今年になってから社交生活ゼロだから知らない人が増えている。「12歳年上だけど、丸顔で若く見えるからずっとおないどしで通してきた。最近はブログやフェイスブックで年齢を書いているよ」と答えたそうだ。

「丸顔に憂いすくなし」は夏目漱石『虞美人草』で糸子さんのことをいっていたと思い出した。実はわたしも若い時からそういわれてた。憂いはたくさんあるが丸顔ゆえにないように見えるだけだ。

姉の老人施設生活がはじまった

姉が入居した老人施設に行ってきた。

いままで古びた日本家屋で一人で暮らしていたから戸惑うだろうと思ったが、諦めの心境になったか黙って受け入れている感じだった。

施設の個室はホテルのシングルルームみたいだ。トイレと洗面台と物入れと空調があって、ベッドが置いてある。姪たちが運んだ引き出しなどとテレビがある。あと小さいテーブルを持ってきたら完了だ。ここで姉は余生を送ることになる。

食事は食堂で、おやつはそれぞれ部屋に運ばれる。専用のしっかりした車椅子が置いてあって、なにをするにも介護士さんが世話をしてくれる。

たしかに恵まれているが、ついこの間までの自立していた暮らしに比べると頼りなげ、所在なげ。記憶力も低下中。

姉へのおみやげ

近所の高級スーパーでちょこっと買い物したら、ポリ袋が可愛いクリスマス仕様になっていた。これはちょうどよいとすぐに転用を思いついた。あさって姉のいる施設に行くからお土産を入れていこう。いまはお土産の買い物しにデパートまで行けないからうちにあるものでなにか。

そうだ、猫の絵本がたくさんあるから可愛いのをあげよう。

これだ、これだ、エスター・アベリルの『黒ネコジェニーのおはなし』の1と2と『しょうぼうねこ』の3冊を取り出した。わたしの大事な猫本のうちでも上位に入る本だ。

可愛いポリ袋に3冊がぴたりとおさまった。よしよし。

それと無印良品で買ってきたしゃれたお菓子をマヨネーズの空き瓶2本に入れて、ちょうどあったゴディバの紙袋へ。こちらもあつらえたようにぴったり。

よしよし、これがわたしのお見舞い。

姉が施設へ

10月の終わり頃にドラマチックに倒れて入院していた姉が、明日から高齢者向け施設に移ることになった。姪2人(姉が長女で姪たちは亡き次女の娘である。わたしは三女)が奮闘して病院での世話をし、施設を見つけ、明日の引越しにこぎつけた。「わたしらがするからおばちゃんは落ち着いたら行ってやって」とのことで、こちらも高齢者のわたしは木曜日にゆっくり姉の相手をしに行くことにした。

姉は入院はしたものの、内臓に悪いところがなくいつまでもいられないのと、ベッドに寝たきりになったらいけないので、出て行くところを探したわけ。日本家屋の家にもどって一人暮らしは無理だから。

施設は個室で介護付き。食事や入浴の世話もしてくれる。ベッドは備え付けで他の家具は自分のものを持って行くんだって。今日は下の姪Aが夫を動員して家具やテレビを運んだそうだ。とりあえずは整ったので、明日午前中に病院から介護タクシーで引っ越すそうだ。

わたしはその翌々日に行って片付けなど手伝い、姉の話し相手をして夕方までいる予定。

11月3日は天気がよい

わたしが子どもで国民学校に通っているとき、11月3日は明治節といわれていて学校が休みだった。戦後に「明治節」は「文化の日」と名称が変わって祝日になった。
「明治節(めいじせつ)は、1927年(昭和2年)から1947年(昭和22年)まで、明治天皇の誕生日に相当する11月3日に制定されていた日本の祝日。」とウィキペディアに書いてある。

なぜかこどもの頃から明治節は天気が良いと決まっていて、遊びに行く約束とかしても安心だった。ニュース解説や天気予報でもいってたように思うが、ちょうど気候の巡り合わせでいい天気になる日なのだ。
遊びに行かないいまは洗濯ものを干して安心な日である。
わたしは毎年11月2日に「明日は天気やで、洗濯物干しといても大丈夫や」といっている笑。2018年の今日11月3日も良い天気だった。

見舞いはひととおり終了

姉のいる病院へ。行きしは相方が車椅子を押してくれた。地下鉄「新大阪」行きに乗ってしまい、次の「千里中央」行きに乗り換えたとき、電車とホームの間が離れていてタイヤが横向きに落ちそうになって汗をかいた。駅員さんがきて「後ろから乗ったらいけます」というので、その通りにしたらスムーズにいけた。

今日は関東からの姉への見舞い最終、川崎から亡弟の娘R子が来てくれた。わたしと同じで方向音痴なので病院を探して30分ほど歩き回ったらしい。病院がちょっと先にあるのに気がつかず歩いていたって、まったくすることがわたしと同じだ。夕方からきた姪A子が「おなじや〜」と叫んで、方向音痴が3人並んで意気高し。
姪どうしは住まいが東西に分かれて会うこともなかったから、姉の入院がきっかけで話ができてよかった。

昨日は義兄の妹Tちゃんに状況を電話で説明した。そしたら今朝さっそく夫婦で来てくれたそうで、豪華な梨とりんごが置いてあった。A子と二人でもらって帰ったが、最近はお見舞いを二人で分けるのでおやつが豊富だ。川崎からは川崎大師のわらび餅をもらった。