すさまじいかみなり、夏の晩ご飯

暑い暑いといいながら毎日を過ごしている。一滴も雨が降らんねと嘆きながら。
あまりの暑さで昨日とおととい(19日20日)は日記お休みした。元気がないねん。今日は21日金曜日だけど、もう12時過ぎたから22日になってしもた。結局21日の日記はお休みです。阪神タイガースの藤浪投手頑張ったから21日の勝ちは書き残しておかねば。

午後の雷はすごかった。一発だけやったけど、その一発がでっかくて。音で飛び上がった。ついでえらい勢いで雨が降り出した。その前に洗濯物を入れといてよかった。

晩ご飯はそうめんだけどご馳走。エビとハモの天ぷらと椎茸の煮物つき。ハモを「これなに?うまいなあ」といって呆れられた笑。
食前か食後に果物が必ずついているのが最近の傾向。ささやかな贅沢。

猛々しく暑い

この10日間暑くてたまらん日々だったが、おととい、きのう、きょう、猛暑という表現を超えた暑さである。10日前は寝入る前に部屋を冷やしておいてエアコンを消していたが、いまやエアコンと扇風機をつけっぱなしで寝ている。その上で足の冷えを防ごうと太腿から下には毛布をかけている。膝にかけた毛布は有効だ。

天気予報で明日は今日よりもっと暑くなるといっていた。もうたまらんと梅雨明けしてからずっと叫んでいるが、熱中症にならずになんとか生きている。
明日も酷暑の中で生きていたら、なんと叫ぶかな。
ほんま、暑いわ。

35度、暑い!

夜が明けないうちからセミが鳴いていたように思う。5時過ぎだったかな、トイレに起きてうるさいなと思ったらそれから寝付けなくなってなんぎした。なんぎしながらも結局は熟睡したけど。

毎年いくら暑いといっても大阪は35度はいかなかったように思う。35度がどんな暑さか経験を記憶しておかなくちゃ。
クーラーを入れたら涼しくて気持ちよくなった。さっきまで35度のところにいたんだと思うと電気さまさまである。しかし足元が涼しすぎる。また冷えでなんぎするはめになるので、用心の膝掛けかけなきゃ。ソックスも忘れずにはいておかなきゃ。

寝る時はクーラー消すのでまたもや暑さ用心しなきゃ。窓を開けて北方面からと西方面からの風を通すとベッドの上を涼しい風が通っていくので安眠できる。うまく風が通り過ぎますように。

梅雨明け、夕立、少し涼しい

今朝はセミの大合唱で目が覚めた。クマゼミだけでなかったような気がするが、よくわからん。とにかく派手だった。
今日関西地方が梅雨明けしたとお昼のニュースで言っていた。その後はひたすら暑い。夕方突然雨が降り出した。北の方から雨雲が広がって大降り。洗濯物を取り入れて一息ついたら少し弱くなってきたが、すごい降り方だった。

天気予報を見たらあさってくらいから気温があがるようだ。35度が1週間くらい続くって。連日35度ってどんな感じかな。老骨は横になっているしかないのかな。
クーラー嫌いだけど、そうはいっていられないな。クーラーつけて静かに暮らす。

さっきぐだぐだとだべっているうちに夕食後に映画を見ることに決まった。Amazonで調べたらこれよさそう。
『プロミストランド』監督がガス・ヴァン・サント、主演マット・デイモン。これは間違いないと見ることにした。楽しみだ。
『マイ・プライベート・アイダホ』『ミルク』の監督ガス・ヴァン・サントだから間違いない。

久しぶりに医院へ行って

診療とリハビリを受けた。送ってきた相方とともに受付で体温を測ってくれオーケーと中に入れてくれた。
お医者さんに「ずっと家でじっとしてたん?」といわれて「はい、本を読んでました」と答えた。久しぶりに膝の水を抜いてヒアルロン酸の注射をしてもらった。相変わらず膝に水が溜まっていたと注射針を見せられた。なかなかなんともなりません。

帰りは回り道して長堀通りの遊歩道を歩いた。相変わらずよたよたなのでいやになる。1本あるライラックの花がもう終わりになりかかっている。香りも消えかけ。もうちょっと早くくればよかった。
雑草が元気だが中でも元気なのはハルジオンで蔓延している。ハルジオンの花は可憐で好きだ。そのうち市が刈り込みにきて雑草はなくなるだろう。
10年くらい前に雑草の園だったこともあるけど、その後はさっさと刈ってしまって色気がない。水たまりに伸びていたヘビイチゴが懐かしい。

雨降り、閉じこもり二日

昨日と今日は雨降りの陰気な日だった。足元から冷えてくるのでオイルヒーターの温度をあげている。予報では明日は好天気になるらしい。溜まった洗濯物を片付けよう。

この閉じこもりの2日間はうまいものを食わせてもらって空いた時間は体操していた。昨日読んだネット記事に高齢者には栄養のあるものを食べさせて体操させろと書いてあったが、そのとおりのことをしている笑 ただし若い者にしてもらっているのではなく自発的に。

吉村知事の休業要請が出た。この日々は14日午前から5月6日まで続く。できるかな。経験したことがないからわからんけど、本と音楽があればなんとか生きていける。メールもあるし。

昨日は良い天気、今日はヘンな天気

お昼頃起きたら雨が降っていた。風も強い。昨日はあんなに良い天気だったのに今日は荒天ですなと洗濯物を引き寄せた。もう濡れるものは濡れてたけど。
朝食はサンドイッチとスープとサラダ。
昨夜はケアマネ事務所の帰りに阪急オアシスに寄って出来合いのおかずをいろいろと買った。赤ワインがあるので、チーズ、サラダ、揚げ物いろいろ。うちとしてはお金がかかった夕食だった。お腹いっぱいで寝たら寝つきが悪かった。

昨日はとても良い天気で、近所の野菜売りさんも「今日は暖かいですね」と西日を浴びながらいっていた。西区役所の近くにあるお店を金曜日の午後だけ借りて八百屋を開いている。半年前くらいに気がついて買いに行くようになった。
昨日は大きな「柿」という文字を風流な古書体で書いた袋に入れてある柿が置いてあったのでふたつ買った。さっき食べたら秋の柿のようにはうまくないが、でも柿は柿だからありがたく食べた。冷たいところに保存してあったのかな。街で暮らすといろいろあって楽しい。

関西弁と関東なまり(わたしの戦争体験記 78)

わたしは東京都品川区で1934年に生まれた。5歳で大阪新町に移転したときは近所の子たちに東京弁をからかわれ、必死で大阪弁をしゃべるように努力した。国民学校(小学校)に行く頃は大阪の子として大阪弁を使うようになっていたが、家では父親が東京弁を使い、母親は東京弁と山梨弁を交えた大阪弁を使っていた。姉兄たちは外では大阪弁、家では東京弁も交えて使っていた。
わたしは国語の時間に教科書を読むとき関東なまりで読むので、先生にうまい朗読とほめられるわ、みんなに感心されるわで得意になっていた。

山梨県へ疎開したときは、最初に大阪弁を笑われてから気を付けて東京弁を使うようにしたので違和感が少なかった。それも山梨弁よりも正しい標準語という感じで読むので国語の時間はクラスの華だった。6年生になると講堂で本の朗読をさせられたりした。でも勉強のできる子たちのほうが結局は勝ちで、勉強のできない子たちに慰められたりした。

6年生の夏に大阪にもどると国語の時間は先生に指名されて朗読することが多かった。クラスで勉強のできる子たちのグループがあった。わたしはできない子たちとの付き合いが多かったが、少しファンがついて投票などあるとけっこう人気があった。

わりと最近のことだが、初対面の人に「スギヤさんは関東出身?」と聞かれた。大阪弁でしゃべっていてもどこかに関東なまりが出るらしい。107歳で亡くなった父は死ぬまで東京弁だった。施設に入ったとき同室の人たちに影口をたたかれていたけど、気にせずに東京弁をとおしていた。

ひとりで留守番

こどものときから一人で留守番するのが好きだった。
戦後の住まいは辺境になったので昔のようにはいかないが、それでも「おおい、出かけるぞ」と父が叫び、母と子供達はわーわーいいながらついていった。昼間だと阪急電車に乗って梅田へ出て、歩いて天六商店街へ行った。または市電か地下鉄で難波か日本橋へ出て新世界へ行った。けっこう遠いのに平気で出かけたものだ。父の入るところは古本屋か古レコード屋に決まっていた。たまに古着屋に入り古着を買ってくれることもあった。

夕方だと近くの商店街の古本屋か道路脇で商いしている古雑誌やぞっき本の店をのぞいた。裸電灯の下でミステリーを漁る楽しみを覚えた。「金魚のふん」といわれながら、兄弟姉妹は上から順にへばりついて歩いたものだ。
わたしはみんなでわいわいするのも好きだったが、ひとりで留守番するのが好きだった。用事を言いつけられることもなく、マイペースでおやつをつくって食べた。まだガスがきてなかったから、七輪に火を起こしてフライパンをのせ、メリケン粉を水で溶いて丸く焼く。卵と砂糖があれば上等だ。おもむろに食べて片付けて、それこそ何食わぬ顔をして鏡を見る(笑)。

「これはまだ早い」と父に読むのを止められている本を読むのも楽しみだった。座布団を2枚並べた上に平べったくなって本を読む。禁じられた遊びを楽しんだ。
みんなが帰ってくるころにはきちんと片付け何食わぬ顔でお土産ちょうだいと手を出した。貧乏だったけど明るい我が家だった。
いまもひとりで留守番するのが好きだ。

パプリカ食堂 Veganでおいしいパスタ

いつも野菜を買いに行く野菜屋さんカリスファームはパプリカ食堂のひさしを借りて営業していて、うちは無農薬の野菜を月・木曜日に買いに行っている。いつもパプリカ食堂のヴィーガン料理ってどんなんやろといいながらまだ食べてなかった。
数日前から今度の火曜日に四ツ橋へ出た帰りに寄ろうと決めて楽しみにしていた。郵便局や銀行に寄って用事を片付け、ユニクロでTシャツとセーターを買って夕方新町1丁目のお店へ。店の前で野菜を買うときしか行ってないので、今日は新鮮な気分。
木の香りのする店内へ案内してもらって、まずトイレを借りた。車椅子では前からの風があたって冷えるのだ。カッコもクソもない(笑)。

メニューを見るとパスタがいろいろあってとまどったが、相方がうまく説明をききながら注文して、パスタとサラダとワインが出てきた。
家では真似できないパスタだといいながら食べた。ワインもうまくて、わたしはふだんあんまり飲まないのだが、ついコップの半分くらいを飲んでしまった。酔ったみたいで足がもつれ帰りに出口でどすんと尻餅をついた。相方とお店の人と外国人のお客さんが手を貸してくれてヒロイン立ち上がる(笑)。怪我はなし。

コーヒーとケーキをと思ったときはお腹いっぱいでコーヒーだけにしたんやけど、残念やった。ヴィーガンのケーキはどんなんやろ。たまごを使わないそうだがどんな味かな。次回が楽しみ。