青空文庫で坂口安吾と宮本百合子

ツイッターで坂口安吾の「桜の森の満開の下」が好きとつぶやいてるひとがいて、わたしも好きですと返信したら読みたくなった。だが全集をさがす根気がない。ふと思いついて青空文庫をさがして読んだ。そしたらもう一度「吹雪物語」を読みたくなった。
安吾を思いつつ、そやそや青空文庫つながりで宮本百合子が「伸子」で湯浅芳子と知り合うところを確かめたい。

宮本百合子の著作はすごくあってびっくりした。さっそく「伸子」を開く。
パソコンではフォントも行間もちょうどよくて読みやすいのだが、思ったところへいくのにスクロールがばかにならない。特に読みたいところが長編小説の終わりのほうだから、ちょこちょこ読んでいたら結婚生活の描写が長くていらいらした。ようやく野上弥生子が湯浅芳子を紹介したところになった。ふたりは散歩したりご飯を食べたりする。そしてわたしが読みたかった寝そべって話すシーンになった。はじめて読んだときは、宮本顕治夫人の百合子さんがレズビアンでもあったとはまったく知らなかった。単純に仲のよい友だちどうしでいっしょに暮らしたしモスクワへも長期間行ってたと思っていた。でも「伸子」のこのあたりになんかもやもや感じてたのを思い出して。
「百合子、ダスヴィダーニヤ」という映画が去年話題になっていたのを思い出してサイトを探したら、予告編があってラブシーンがあった。

相方が青空文庫を読むならiPadを使えばいいのにとアプリを入れてくれたので、次の青空文庫の読書はiPadにする。ちょっと夏目漱石「三四郎」の「これは椎」のところを開いてみた。読みやすいし、スクロールいらんしゴクラクや。

「老人ホームで孤独死」というニュース

レジナルド・ヒルの「死にぎわの台詞」は3人の老人の死と死にぎわの言葉をテーマにした物語だった。この本をお書きになったヒルさんは去年亡くなられた。そんなことでわたしにも「死」はうんと近づいている。まあ考えてもどうもならん、そのときがきたらきたとこのこっちゃ、なんだけど・・・。

今日、茨城県の有料老人ホームで入居者の女性が死後約1週間経って発見されたというニュースを読んだ。有料老人ホームに入居したら孤独死なんてあり得ないはずだし、入居者もそう思ったからこそ高いお金を払って入ったのだろうに。約1週間ほったらかしとはあんまりだ。

姉の友人は夫さんが亡くなってから有料老人ホームに入居した。ひとりの部屋にいるが、トイレの入り口近くにセンサーがあって、長時間反応がないと様子を見にきたり電話があったりする。食事は食堂で食べるので一日に3回は安否確認してもらっているという話を聞いた。

姉は一戸建ちの家に猫2匹と暮らしているが、隣近所のひとと親しい交流があるのでありがたい。寒くて家を出ないでいると、前の家のひとが見かけないけどどうしているのと訪ねてきてくれるし、民生委員も近くにいる。緊急連絡電話も設置してある。

まあ、人間、生まれるときと死ぬときはひとりだ。元気なうちに読んで食べてしゃべって好きなことをして後悔のないようにしよう。すでに遊び過ぎという声あり(笑)。

「ミステリマガジン」5月号はレジナルド・ヒル特集

いちばん楽しかった記事は翻訳者の松下祥子さんの連載記事の「ダルジール警視の好物」(ミステリヴォイスUK 第53回)だ。松下さんはヒルが亡くなったあとで日本の愛読者情報を知ろうとネットを見た。数は多くないがとても熱心で、感想をブログに綴っているひとも何人かいるのがわかった。わたしもブログを書いているので読んでくださったと知ってうれしい。というのはわたしが書いた「パーキンというお菓子を食べてみたい」に応じた「ダルジール警視の好物」なので。

【ホテルのテラスで。「濃いヨークシャー・ティーをポットで頼む。あと、パーキンもいいな」。パーキンは〈ヨークシャー名物の生姜と蜂蜜のケーキ〉と註がある。パーキン食べてみたい。(230ページ)】とわたしは書いている。
以上をふまえてパーキン(parkin)の作り方を教えてくださっている。パーキンにはいろいろなバージョンがあるが、黒糖蜜、オートミール、生姜を入れるのが特徴だそうだ。レシピが書いてあって、もっちりした黒いケーキができるそうである。わーっ、食べたい!
材料はなんとかなりそうだけど、うちにはオーヴンがないのでできない。そのうち誰かが作ってご馳走してくれるのを期待しよう。
ヨークシャー・ティーは製茶会社テイラーズの紅茶の銘柄だそうだが、日本で手に入るのかな。

その他、ダルジールの好物や作中で食べたものいろいろ。おいしそうなロースト・ビーフとヨークシャー・ブディング、ミート・パイ。そして、マトン・パスティー、イヴのブディング、スポッティド・ディッグなど名前も知らなかった食べ物の話や作り方があって楽しい。
(早川書房 876円+税)

人間の料理

男の料理ってよく聞くけど女の料理とはいわない。当たり前のことはいわないのだな。うちだって共同生活を40年ほどしているが、つい数年前までわたしが家事を担当していた。まあ自営業で直接の仕事はあっちがするからしかたなかった。それになんやかやいうても、家事ぐらいしてやりたい気持ちがある。これってナンギなもんです(笑)。

自分が食べたいものをつくりたいと最近は2食のうちの1食である昼食は相方がつくっている。そうそう、昨日の送別会に相方がつくった豆のサラダを持って行った。パーティの会話に話題を提供したのがよかった。そのとき側にいた女子2人と男子2人との会話で、どうも女子は手抜きオーケーちゃっちゃとやったらええやん、なのであった。わたしの料理の早さは半端じゃないもんね。段取りがうまいのさ。

明日は昼過ぎに出かけるため早めに起きて洗濯して早い昼ご飯を食べることになった。それで相方は明日の昼用のパスタのソースをつくっている。もう男の料理ではなくて人間の料理(笑)。

金星と木星が最接近

今朝「今週の日没後、西の空を見てみよう。肉眼で見える最も明るい2つの惑星、木星と金星がとても接近しているのが見える」というネットニュース記事を目にした。すでに昨日の夕方見たのだが、今日14日夜が一番接近するという。
カーテンを閉めるときに窓を開けて空を見るくせがあるので、おとといは偶然見ることができたというわけ。こっちから見て二つの星は1メートルくらい離れた感じ(笑)。今日は夕暮れを待っていて窓を開けたら輝いていた。昨日よりもより接近して70センチくらい離れていたが(笑)、昨日は高さが揃っていたが、今日はちょっと高低差があった。昨日のほうが美しかったかな。

西の地平線に沈むまで4時間とあったが、うちは向かう側のマンションのうしろへ沈むまで30分の宇宙ショーであった。
天文学者ゲザ・ギュク氏によると「今回の合は、沈む太陽から離れていて、空の高い位置に見えるという点で少し特別だ。火星も反対側の東の空にある」そうである。うちのような街中のマンションの窓から見ることができるなんて、ほんまに特別だよね。次は2013年5月28日で今週の合よりも3倍接近して見えるそうである。

茨住吉神社の椿

今年も昨日無事に確定申告をすませた(無事とは去年一年病気せずに過ごせて税金の申告もちゃんとしたということです)。
国税局のサイトで申告書を作成したのをプリントアウトして持っていくのが年に一度の行事だ。今回は途中に用事があったので中央大通りに出て左折し木津川大橋をわたっていった。暖かくて川風が気持ちよい。長い信号をわたると西税務署がある。空いていてすぐに用事がすんだ。

帰りはいつものように年に一回の九条散歩。20数年前に相方が胃潰瘍で入院したえきさいかい病院の前を通ってどんどんいくと茨住吉神社がある。垣根にそって植えてある椿の花が咲きかけている。毎年同じ時期に来てもう少し満開のときに来たいと思う。
それから九条商店街をぶらついてもどってきて、昔からある喫茶店さくらに入ってコーヒーを飲んだ。隣のテーブルにいる女性2人のぼやきを聞きながら足を休めた。商店街を出て信号をわたりもうちよっと行くと千代崎橋がある。角のたこ焼き屋で足を止めてお土産にたこ焼きを2舟600円で買った。

ビリが先頭になるとき iPhone3G

iPhone3Gをまだ使っている。iPhoneが発売された2008年の7月からだから、今年の夏がきたら4年になる。姿カタチが美しいからカバーはせずに布袋に入れている。
買ったときはこれは小型コンピュータだと粋がっていたけど、結局は遠くへ持ち歩くこともなく、家ではパソコン使ってるしiPhoneは電話とメールしか使わないというていたらく。写真を撮るのが面倒でカメラも使っていない。
ツイッターを読んでいたら「4S」が発売されたときはたいていの3Gもってるひとが「4S」を買ったようであおられた。そこをぐっとガマンして当分これでええわと言っていた。もちろん経済的理由。
ところがですね、おととい若者が多いところで「3G」を出してメールチェックしてたら、まずiPhoneでおどろかれ(年寄りがiPhone!)、次にiPhoneを発売と同時に買ったことでおどろかれた。それも男子と女子と別々に。おっ、あたしの時代がまたまわってきた(笑)。
「5」が出たら買い替えようと思うが、そのときはまたトップに返り咲き。べべたにいた者がトップになる(笑)。

長い一日の前半は家族と

横浜に住む妹の夫が亡くなったとき、体調の良くない兄姉を心配して大阪から葬儀に来なくてもいいと妹が主張し、関東在住の次兄夫婦が通夜と葬儀に参列した。早くから家族葬と言っていたのでそのまま受け取っていたが、そうもいかなかったようで自由葬にしたそうだ。趣味の多かった義弟にあったいいお葬式だったようだ。

今回は妹が納骨のため大阪に来るので夫を偲ぶ会をしたいということで、大阪にいる家族ら合計14名が大阪駅のホテルに集合した。
在りし日の義弟の写真がたくさんと春の花に飾られた祭壇の前での食事は、ひな祭りをテーマにした料理で春らしい陽気にぴったりのご飯だった。賑やかに和やかに21階からの眺めも堪能した午後だった。
いろんな組み合わせの写真をいっぱい撮られたがどんな具合に写っているやら。

ミクシィ日記を書くのをやめた

2005年の7月にミクシィに登録してからずっと書いていた日記を数えたら2676日分あった。最初の月をのぞいて一日も休まずに書いている。最盛期はコメントも多くて賑やかなことだった。上から目線のコメントを書かれることが再々あって、たしなめたりケンカしたこともあった。ミクシィがなければ夜も日も明けぬ日々だった。
いまも楽しい日記を書いているマイミクさんが10人くらいいて、これからも読みにいくしコメントを書くつもりだ。

ミクシィコミュニティというのもうまくできていた。あらゆる分野のことについて話し合える場としてほんとによく機能していたと思う。
わたしはコミュニティに入るのは100までと決めていて、そのうち3つをつくり管理人をしている。サラ・パレツキーのコミュに入ったひとがマイミクになり、それから自然にヴィク・ファン・クラブにご入会というのがパターンになっていた。ミクシィがなければヴィク・ファン・クラブは先細りだったろう。ほんまにありがたい。親友というべきひともいる。

最近は日記に書くテーマがなくて食べ物の話に逃げることが多かった。ブログからそのまま転載することもあった。しおどきかなと思う気持ちと、少数でも楽しんで読んでくれる人がいるので続けようという気持ちがあった。
でも、積極的に活動したり書いていた人がフェイスブックにいってしまい、おとなしいひとはネットから引き上げていくように思えて、宙ぶらりんやなと思うようになった。
しかも、先日はミクシィ日記を書くのを忘れていて、横になっていたのに起きて書いた。別に明日でもいいのにね。そんなことでミクシィ日記はここでひとまずやめることにした。

寝台特急日本海に一度乗った

さっきミクシィのニュースを見ていたらこんな記事があった。
【「日本海」(A寝台28席、B寝台282席)は青森発の列車が発売後10秒で、大阪発の列車が発売後15秒で完売。】

わたしが日本海に乗ったのは70年か71年か、季節は10月の終わりごろで、相方の実家の小樽へ行った。すでに2年くらいは同棲(当時の言葉ですね。「同棲時代」というマンガがあった。)していたから、ここで顔見せくらいしておこうと初対面の挨拶をしにいったわけ。

大阪駅を8時頃に出る列車に友だち夫婦が花束をもって送ってくれた。寝台車は新幹線ができる前の東海道線にわりと乗っていたが、こんなに長時間乗るのははじめてだった。朝起きてからが長かった。お金がないのに食堂車へ何度も行った。言葉通り日本海が見えて東映映画のタイトルみたいな波の海が見えた。
北海道って遠いなと思った。
青森あたりからみぞれになって青函連絡船に乗るまでの寒かったことをよく覚えている。

帰りは夜小樽を出て函館から青函連絡船で明け方に青森に到着。船が揺れて少し酔ったが、乗客みんなが走るのでいっしょに走って「白鳥」に乗った。長い時間乗って夜の8時ごろに大阪へ着いたときはほっとした。昔の北海道旅行はしんどかった。