今夜は「あんこう鍋、のようなもの、ぴー」

スーパーにあんこうがあったと買ってきたので晩ご飯はあんこう鍋に決まり。長いこと食べてなかったなあ、何年振りかなあ、どないして食べるんやったっけ。わたしが案じてもしゃあないんやった。うちには料理人がいる。

昔、相方が黒門市場で買ってきた大きなあんこうを自分でさばいたことがあった。もう40年くらいになるか、曽根崎書店のおっちゃんが食べたいといったのでご馳走することにしたのだ。あれはほんまにうまかった。本に書いてあったのと、魚屋のおっちゃんのいうたことを参考にしたのだが、最後のおじやも残さず食べて腹いっぱい。おっちゃんはここんとこに寝転がってしもたんやと思い出した。わたしらずっと同じところに住んでいるんで(笑)。
今日、あんこう鍋しようぜといわれて「ずっと昔に曽根崎のおっちゃんにおごったねえ」と思い出した。おっちゃん亡くなって20年以上経っているけどよく覚えている。

戦争中と戦後にラジオでよく聞いたのが「できますものは、あんこうのようなもの、ぴー・・・」と小僧さんが叫ぶ落語。三遊亭金馬さんがものすごく笑わせてくれた。うちでは全員が真似して「ようなもの、ぴー・・・」とやっていた。これは50年以上前の話。
いま検索したら、ちゃんと解説があった。「落語「居酒屋」の舞台」というのが親切丁寧。笑える。
鍋の後に映画を見る予定なんで今夜は素早くブログを書きました。

熟柿(じゅくし)

何度も書いているが柿が好きで実を食べるのも木に生っている景色を見るのも大好きだ。最近は柿の木を見ることもなくて、食べるだけだが。
今日のおやつはスーパーの柿だった。やや柔らかくなりかけているが4個200円という安さに感動。さっそく1個を半分ずつ食べたらええ塩梅に熟れていてすごくうまい。食後が楽しみ。熟柿やんかといいながら口の周りを拭いた。

田舎ではたいていの家の庭に柿の木があり、秋の風情を添えていた。夕日と柿の木。
採って食べるのは自由だけど、低いところでもわたしには手が届かない。いたずら小僧さんがさっさと登って枝を揺らして実を落としてくれるのを待つばかり。柿の木は折れやすいので気をつけろと叔父さんがいつもいっていた。

地面にべちゃっと落ちた実は「熟柿」(ずくしといってた)で、拾うにもべちゃっと地面にくっついて食べられない。だれも見てなかったら拾うのにと思った(笑)。
うまい具合につぶれてないのを拾えればオーケー。桑の実とともに食べてもおこられないありがたい食べ物だった。

干し柿大好き

無農薬野菜のライオンファームへ野菜を買いにいったら干し柿があったと相方が3個入りの袋をくれた。ライオンさんの柿の木になった実の皮をむいて干したもので見るからにうまそう。
さっそく番茶を沸かしておやつにした。うまいし、あまーい。

山梨県のおじさんが剥いた干し柿はほんまのプロの作品というかぴかぴか光っている感じですごかったが、ライオンさんのは1個1個大きさと形がばらばらで大小3個1組になっている。これもよい。
おじさんの干し柿は毎年買い手が決まっていて、毎年同じ仕入れの人が来て商品の干し柿をきちんと運んで行った。どこかの裕福なおうちのお正月の飾りやお茶菓子になるのだろう。

干し柿は残念ながら子供には1個もあたらなかった。盗み食いなんかようせんし(笑)。長じて百貨店の果物売り場で買って帰り家族におごったことがある。母親なんか値段を聞いてもったいながったものだ。
えべっさんの帰り道の出店で四国のどこかの売り場に縄でしばった干し柿がたくさん売っていてうまかった。えべっさんにはもう20年くらい行ってないけど。

ミンチボールスープ

昨夜も遅くまで起きていたので当然今日のはじまりは午後から。朝昼兼用ごはんは昨夜の残りの鶏肉スープを温めたのとサンドイッチとサラダを午後3時ごろ。みんなつくってもらうので楽チンこの上ない。食後に柿を食べた。夕方にはコーヒーとチョコレート。

晩ご飯の主菜はミンチボールの入ったトマト煮スープで明日の朝の分も計算してつくってある。それにトーストとサラダがついた。
相方が午後にわざわざミンチ肉を買いに行ってミンチボールをつくった。台所から呼ばれて見に行ったら、きれいに丸くにぎったのを12個バットに並べて「これを見ろ」と見せてくれた。「すぐ食べたらもったいないね」といったら「飾っとくか?夫の作品ですといって」と笑われた。

晩ご飯にミンチボールを3個ずつ食べて、明日の昼にも同じだけ食べるように鍋に残してある。そこにサラダとパンがつく。
明日の晩ご飯は魚料理と野菜の煮物とご飯と味噌汁と納豆が出る予感がする。

やってきたよと合図の曲

市内に住んでいると外から毎日やかましい音が絶えずといってもいいくらいに聞こえる。一日中童謡を大きな音で流しながらなにかを運ぶ車が通る。「ゆうやけこやけの赤とんぼ・・・」いっしょに歌う。ずうーっと何年も聞いている。なにやさんやろ。「田舎の競馬場どだどだ・・・」と調子をとる。草競馬はなにを運んでくるのかな。廃品回収車も決まった曲を流しながらやってくる。あれなんの曲だっけ。
最近になって間違いなくあれだとわかった曲がある。灯油を運んでくるくるまの音楽だ。「雪やこんこん、あられやこんこん、降っても降ってもずんずん積もる」近所のマンションから灯油の容器をさげた住人がぼちぼち出てくる。
冬になったんやなとつぶやくと「昨日もそういうてたで」と相方が呆れる。どうやらちょっとボケてきたのかも(笑)。

「シャボン玉とんだ、屋根までとんだ〜」も毎日のようにきてたけど最近ちょっと聞かないような。なにを売る車だったのかな。
来る車の荷物に用事があるひとは、曲によってなにを売りにきたのかわかるからいいか。
そんなことを考えていたら「やきいも〜 いしやきいも〜」と焼き芋屋さんが昔と変わらない呼び声を響かせて自転車を引っぱって行った。

サポーターに助けられ

寒くなったせいか膝がしんどい。ときどき膝に湿布を貼ってその上にタイツを穿く。湿布で膝痛が治るわけでなく痛みを感じるのを抑えるだけだとなにかで読んでなるほどと思った。湿布を貼って治るのなら苦労しない。痛みを抑えているのだと納得して使えばいい。治らなくても現在がラクになればいいと思えば。
毎日使っているのはサポーター。細い毛糸を編んだ見るからに高級品は姉にもらったもので2組あって外出するときに使う。ふだんはラシャの丸い輪をぶつ切りしたようなのを使っている。その他に高価なふくらはぎサポーターを梅雨や初秋にはめる。

膝の具合はサポーターを使わないときと比べると格段の差である。
ただ、痛みがとれて治るかというとそうはいかない。
日々サポーターに助けられ、いくらか快適に過ごせるということかな。

今年いちばんの寒さがきた

昨夜遅くiPhoneにお知らせが入った。明朝は今日より5度低いから注意してくださいって。えええっ、いまもけっこう寒いやん、これより5度寒いってどんなんよ。モンクをいってもしかたない。ストーブの温度をあげて柿をむいて食べた。深夜の柿、うまかった。

そして、今朝は注意のとおり寒かった。
午後からつるかめカイロ整体院で治療してもらってきた。村上春樹さん読書のせいで目が疲れているのを丹念にマッサージしてくれたのがよく効いた。ほんまにありがたい。
終わったら相方が車椅子を押して迎えにきてくれた。わたしの治療中に無農薬野菜や健康食品を買いに淀屋橋のマーケットへ行ってきたのだ。どっちむいても足をむけられない。足は痛いがありがたい。
帰りは昼間とうって変わった侘しい夕暮れの風景になっていた。夏なら西日が射すところが、同じ時間でも夕暮れだもんね。

住まいにもどったら友人から手紙がきていて、手紙とともにカンパの切手ががばっと入っていた。とてもありがたい。こういう人がいてヴィク・ファン・クラブはやってこられたのだ。モンクいわずにがんばろ。

今年の寒さ対策

午前中も午後も日当たり良く空が青く雲が白い。洗濯物がそよ風にゆれている。こんなときこそ車椅子を出してもらって銀行の用事やら買い物やら片付けてこよう。暖かい日差しの中を東に向いて出発したが、最後にちょうどよかったと整形外科に寄ったものだから帰りは西日どころか暮れかけていた。

膝掛け毛布をかけて行って正解だったけど、これから何ヶ月かは暖かいものを忘れたらあかんな。北風が足首を直撃するとからだ全体が冷える。このあいだ古着を整理していたら腹巻が3枚出てきた。これはありがたい。すごく寒い日は腹巻を二重にして間にカイロをはさめばいい。今年の寒さ対策は怠りなし。
また思いついたら書き足します。

山羊の乳入りどら焼き(わたしの戦争体験記 74)

昨日の寝しなに思い出したんだけど、戦争中に食べた山梨県のY叔母ちゃんの山羊の乳入りどら焼きのうまさったらなかった。Y叔母ちゃんは母の姉妹の4番目で、母の実家から歩いて2時間くらいのところで夫婦とこども2人で農業で暮らしていた。母たちの話ではあまり裕福ではなくて苦労しているらしかったが人柄は最高だった。わたしは自分が理解されている感じがして好きだった。

家の前に川が流れていて橋を渡ると家があった。
山羊を飼っていてわたしが行くと乳をしぼって飲ませてくれた。またそのミルクでメリケン粉を溶きフライパンでおいしいどら焼きを焼いて食べさせてくれた。気前の良い叔母さんで、高さ3センチくらいのを半分に切って、またその半分に切ったのを皿にのせてくれた。甘くてうまーい。その味をいまだに覚えている。
叔母さんは「おやき」といってたように覚えているが、ここでの話からいくと「どら焼き」だ。『家なき子』のルミ少年のイメージした「どら焼き」はこれだと今頃思い出した。ルミのはしぼりたての牛のミルクだった。叔母さんのは山羊だが、どっちも元気な動物のミルクをもらって食べたのだ。

いろんなどら焼き

ふと思い出したんだけど、わたしが子供の頃に留守番してるときにつくって食べたホットケーキまがいのメリケン粉を丸くのばして焼いたホットケーキまがいのやつ、家では母が「おやき」といっていた。山梨県の言い方なのかも。田舎ではメリケン粉でなくて米粉でやってたかもしれない。トウモロコシの粉でもやったがすごく不味かった。

『家なき子』では主人公のルミが田舎のおばさんの家に着いたらいっぱいどら焼きを焼いてあげると友だちのマチアに約束していた。東西どこでも、粉さえあればできるものだったんだろう。
わたしは母親の真似をしてつくってたんだけど、簡単でうまくて気に入っていた。きょうだいに食べさせた覚えがないから、一人のときに作っていたんだろう。火を起こして、終わったら火を消さないといけないのに面倒なことをよくやったなあ。自分の食欲に負けてたんやな。

いまもどら焼きは好きだ。名の通った和菓子屋のどら焼きはやっぱりうまい。近いところで廣井堂のどら焼きがうまい。