足はおもうように動かずとも

なぜか計画とか計算が苦手でたいていのことを行き当たりばったりでやってきて、それなりにうまく収めてきた、と自分では思っている。からだは小さいがわりと丈夫で思うように動けていた。口もからだも達者だったのね。ところが最近は思いに体がついていかない。特に歩き過ぎがたたったと思うが膝を悪くした。膝痛とは長い付き合いになった上に治療に通ってもなかなか良くはならない。膝痛に緑の野菜が良いというのを知って相方がいろいろと食べさせてくれている。もっと体重を減らしもっと体操をしなくては!という結論はいつも同じ。

さっきまで当ブログの整理をしていた。過去のブログに書いた原稿が置いてあるので残そうと思うものをこちらにアップする。面倒な仕事だが過去の記事を読むのはなかなかおもしろい。

「足はおもうように動かずとも」という言葉が出てきて、うーんとうなった。
2012年6月24日の「酒井隆史『通天閣 新・日本資本主義発達史』読書は佳境に入っているが」という記事。
映画作家川島雄三が織田作之助を評価していてこう述べている。
【しかし、「故郷はない」とつねに断言し故郷の根を断ち切っていたからこそ、都市と故郷をかさねている者とちがってより見えてくる「都市的なもの」もあるはずだ。そもそも、歴史のなかで「都市的なもの」を形成してきたのは、この「根を断ち切った」者たちの群れではなかったろうか?】
【課題は、織田作を織田作自身から逃がすことであり、大阪を大阪自身から逃がすことであるように。/足はおもうように動かずとも、そう、それは魂の問題なのだ。】

こつこつとやってる作業が役に立った。「それは魂の問題なのだ。」という美しい言葉に再び出会った。鼓舞された。

四方田犬彦『女神の移譲 書物漂流記』

図書館で借りて返しに行ってまた借りてきて長いこと抱えこんでいた。全体をさあっと目を通したけど、きちんと読まないと理解できないことがわかった。四方田さんはよく読むのはもちろん、よく人と会って話す。そして現地に走って納得するまで見る。そして書く。エネルギッシュである。
この本は買って自分の本にしようと決めた。それでとりあえずあさって図書館に返しに行く。
買ってすぐに読んだらいいんだけど、いま積ん読本の山があるので、心覚えだけここに書いておこう。

本のタイトルになっている『女神の移譲』は26章のうち20章目に入っている。本のタイトルにするくらいだから気合いが入っていると感じた。タイトルの「女神」がアルテミスのことと知ってうれしくなった。狩りと月の女神アルテミスは弓を放てば百発百中だったそうだ。わたしの性格はアルテミス型だとわかったのはジーン・シノダ・ボーレン『女はみんな女神』を読んだから。

ギリシャ神話のアルテミスはローマ人にはディアーナと呼ばれていた。フランソワ・トリュフォー監督の映画『黒衣の花嫁』ではジャンヌ・モローが花婿を殺した仇と突き止めた画家のモデルとなる。ディアーナの衣装で弓を持った姿が印象的だった。

女神の像を見るために四方田さんはエフェソスへ旅する。イスタンブールから飛行機でイズミール到着、ホメロス生誕の地である。バスを乗り継いでセルチェクへ到着。シーズンオフなのでバスもない。ホテルの主人が車を都合してくれたのでエフェソスへ向かうが、崩れかけの階段なんか見て面白いのかと不思議がられる。
四方田さんはこの地に生きた人について書き、その人が生きた場所を訪ねたいと思ったと書いている。

ここから引用
だが最後に、もう一つ別の、いささか観念的な理由を告白しておこう。それは他ならぬこの地域が古代のギリシャ人によって、最初に「アジア」と名指された場所であったという事実に関連している。わたしは二十歳代の韓国留学が契機となって、長い間にわたりアジアとその映像をフィールドとしてきた。ここらで一度、その名称の起源の地とやらに立って、四方の風景を見渡しておいてもいいと気紛れな気持ちを抱いたのである。
引用終わり。暖かな気持ちになった。
(作品社 2400円+税)

四方田犬彦さんの『心ときめかす』を心ときめかせて読んでいる

翻訳ものばかりに気を取られて100冊以上の本を出しておられるというのにお名前もろくに存じあげなかった。去年手にした2003年発行の『ユリイカ』吉田喜重監督特集号で四方田さんが書いた「母の母の母」を読んで論理的な人やなと思ったのが最初である。それ以来、吉田喜重、蓮實重彦、四方田犬彦をわたしは先生と呼んでいる。
そんなときに姉が購読している『波』で四方田さんのインタビューを読んだ。今年出た本『母の母、その彼方に』についてである。えっ、箕面!!

その前にアマゾンの中古本でこれはと買ったのが『ハイスクール 1968』だ。まず、これをと読み出して一通り読んだときに『母の母、その彼方に』を買ってきた相方にとられた。わたしらにとっては1968年は忘れられない年である。きっと四方田さんもと思ったが、わたしらよりもずっと若くてハイスクールのときだったのだ。いろんな人の経験談や回想や自慢話を聞いたけれど、高校生だった人の話は聞いていない。非常に勉強になった。

いままでに読んだ本
『赤犬本』(扶桑社 1993)〈図書館〉
『ハイスクール 1968』(新潮社 2004)
『歳月の鉛』(工作社 2009)
四方田犬彦・鷲谷 花 編集『戦う女たち 日本映画の女性アクション』(作品社 2009)
『女神の移譲 書物漂流記』(作品社 2010)〈図書館〉
『人、中年に到る』(白水社 2010)〈図書館〉
『母の母、その彼方に』(新潮社 2016)
いま注文中『ひと皿の記憶 食神、世界をめぐる』(ちくま文庫 2013)

いま読んでる本『心ときめかす』(晶文社 1998)〈図書館〉
平野甲賀さんの装丁になる美しい本で文字も読みやすくてうれしい。四方田さんが心ときめかすものってなんだろう。『枕草子』がいちばん先にある。やっぱり普通に語ってはいない。ノスタルジックな歌『ペィチカ』についての真実をはじめて知った。そして『アリラン』の真実をいままで知らなかった。
「蜜の歴史ー矢川澄子」は大好きな森茉莉のこと。フランス語に「神聖なる怪物」という言葉があって、コクトーやオーソン・ウェルズのような大芸術家たちを指すそうだ。四方田さんの見るところでは日本の文学者ではたった二人しかいなくて、三島由紀夫と森茉莉だという。
こんなふうに「心ときめかす」ことがたくさん書かれたエッセイ集である。さあもう少し読んでから心ときめかしつつ寝るとしよう。
(晶文社 1900円+税)

心ときめかす
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四方田 犬彦
晶文社
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四方田犬彦『ハイスクール1968』がおもしろい

吉田喜重監督と岡田茉莉子さんカップルが好き。ここ数年DVDで映画を見たり、お二人の本を読んでもっともっと好きになった。その縁であまり気にしていなかった蓮實重彦さんの本をも読んで、尊敬の念が湧き起こった(笑)。蓮實さんのお名前は昔から知っていた。
四方田さんの名前は『ユリイカ』の「吉田喜重特集」にあるエッセイを読むまで知らなかった。自分でもおかしいと思うが、同時代に生きていて100冊も本を出している方の名前を知らないなんてほんまにへん。最近のことだが書店の棚に四方田犬彦『吉田喜重の全体像』(作品社 2004年)を見つけて買おうと思ったが高かったのでそのうちにとやめたまま。

今回は姉が購読している新潮社の『波』に『母の母、その彼方に』(新潮社 2016年2月)の紹介と四方田さんのインタビューが載っていたので読んだわけ。
それでまずアマゾンの中古本で『ハイスクール1968』(新潮社)を買った。昨日届いたのを相方と取り合いで読んでいる。1968年はわたしらにとってもいろんなことがあった年なので興味津々である。
晩ご飯のときに相方が、明日本屋に行くから『母の母、その彼方に』を買ってきてやるとのことですごく楽しみ。

ジョージ・C・スコットの「クリスマス・キャロル」(クライブ・ドナー監督)

晩ご飯のあとになにか映画を見ようと何本か候補があがった。「クリスマス・キャロル」を見たいと主張したのはわたしだけど自分でもおかしくなった。いくらディケンズが好きでいろいろ読んでいるといってもクリスマスに吝嗇を改心する話を見たいなんて。いやいや、これには理由があるのです。
半年くらい前に中沢新一の『純粋な自然の贈与』を読んだのだが、数編の論文の中の「ディケンズの亡霊」というタイトルに惹かれた。ディケンズの亡霊ってなんのことかと読み始めたら「クリスマス・キャロル」が主題になっていた。長いあいだ忘れていた物語を中沢さんの導きで再び読めて、しかもわたしの目には見えていなかったものが示されている。
「クリスマス・キャロル」をわたしはこどものときから家にあった絵本でよく知っていた。その物語が教訓的だとさえ思っていた生意気な子どもだった。
それだけに「ディケンズの亡霊」を読んだ時はそんな大切なことが書いてあったのかと驚き、知ったことに感謝した。

今日見たのはいままで9本製作された「クリスマス・キャロル」の中の3作目、ジョージ・C・スコットがスクルージを演じている1984年の作品。
ジョージ・C・スコットのスクルージさんはそのままのスクルージさんぽくて微笑ましく見た。従業員のクラチットさん、甥のフレッドも物語にあるとおりだった。

クリスマス・キャロル (字幕版)

さっき素直な気持ちで友だちへのメールに「メリー・クリスマス」と書き添えた。

(『純粋な自然の贈与』 講談社学術文庫 960 円+税)
純粋な自然の贈与 (講談社学術文庫)

吉田喜重「変貌の倫理」と岡田茉莉子「女優 岡田茉莉子」

つい最近になって気になりだした吉田喜重監督だが、なにげなく買った雑誌「ユリイカ」の「高峰秀子特集」で高峰秀子を語るインタビューを読んですごく論理的な人だと思ったのが最初だ。
それから彼が監督している映画DVDを何本か見て、パートナーの岡田茉莉子の自伝「女優 岡田茉莉子」(文藝春秋)を買って読んだ。
岡田茉莉子の自伝はすごい文字数に驚いた。あとで知ったが全部ペンで書いたという。記憶力もすごいが、母上が資料をきちんと残しておいてくれたからこそ書けたそうだ。
わたしは岡田さんの映画は最初の出演作「舞姫」を見ている。この間木下恵介監督の「今年の恋」を見て「はしけやし」という感じやなとつくづく思った。この映画の助監督が吉田さんだったんだって。
この本で吉田監督とどのようにして出会ったかがわかり、二人がいっしょにした仕事や、別々にした仕事のことがわかって楽しかった。
いまやお二人の大ファンである。

吉田喜重の本は他に「小津安二郎の反映画」(岩波書店)を読んだ。「ユリイカ」の総特集「吉田喜重」も読んだ。きちんと感想を書きたいが雑用に追われてなかなか書けないのに、また「変貌の倫理」(青土社)のページをめくっている。あ、みんな自分で買った本です(笑)。
「ユリイカ」の岡田茉莉子と蓮實重彦氏の対談でお二人のことをかなり知ることができてうれしかった。ファンだから(笑)。

本屋に行きたい

ハンズの地下にある本屋、クリスタ長堀にある本屋、新大阪駅にある本屋とちょっと立ち寄れて便利だ。でも行きたいのはジュンク堂堂島店。
吉田喜重「変貌の論理 」(2006)を買いたい。アマゾンへ注文したらすむのに(在庫は確認済み)、本屋で買って抱えて帰りたい。アホかと思うけど、好きな人への想いは重い(笑)。だけど2006年発行だから在庫あるかな。まあ一度本屋を見てなかったらアマゾンに注文しよう。買ってもすぐに読めないし。
吉田さんのもう1冊「メヒコ 歓ばしき隠喩 (旅とトポスの精神史) 」(1984)もそのうち読みたいなあ。これは中古本で買うか。「見ることのアナーキズム 吉田喜重映像論集 」(1971)も欲しくなった。

いつもミステリと文庫の棚しか行かないから、どこに映画の本があったっけという感じ。「ユリイカ」の棚はカウンターに近いからしょっちゅう見てるけど。
そういえば美術本の棚も久しく見ていない。今度行ったらアート関連本をゆっくり見てこよう。

吉田喜重監督『エロス+虐殺』〈ロング・バージョン〉

1970年公開の作品。公開時に見た記憶があるから45年前だ。覚えていないところばかりだが、思い出したところもあり。今回は216分のロング・バージョンだから公開時の映画館では1時間近く短縮されていたと思う。

なんとなく興味を持って買った「ユリイカ」(高峰秀子特集号)で、吉田喜重監督のインタビューを読んで、論理的な人だと驚いたのが最初だ。次に岡田茉莉子の「女優 岡田茉莉子」を買って読んだ。この本がまたすごくページ数が多くておもしろく、しばらく岡田茉莉子さんオンリーで過ごした。
岡田茉莉子と吉田喜重監督に惹かれて次に買って読んでいるのが吉田喜重「小津安二郎の反映画」(岩波書店)。いま注文中が「ユリイカ」(吉田喜重特集号)で明日くらい届くはず。
ということで、ミステリ読書はお休み中である。
その流れで今日はYouTubeで「エロス+虐殺」を見たというわけ。まだまだ見ていないのがあるのを調べて、さっき「鏡の女たち」のDVDを注文した。

ありゃ、もう2時半だ。映画の感想はまた今度書くことにして今夜は寝る。

映画『水で書かれた物語』岡田茉莉子と吉田喜重監督

岡田茉莉子が書いた「自伝 岡田茉莉子」を読んでいたら、小津安二郎、木下恵介を筆頭に日本映画の監督がたくさん登場するので、日本映画見たい熱が上がっている。特に茉莉子さんの夫である吉田喜重監督の映画が見たい!!
わたしが見たのは「秋津温泉」「エロス+虐殺」「嵐が丘」だけだ。今夜見た「水で書かれた物語」もすごくよかった。
「ユリイカ」でのインタビューを読んだら本も読みたくなって、おととい注文した「小津安二郎の反映画」が今日はまだだったが明日には届くだろう。

さっきまで「水で書かれた物語」を見て、その後に特典として吉田監督と岡田茉莉子さんへのインタビューがついていたので、時間が気になったが見てしまった。たしか2004年に行われたNHKのものだった。とにかくカッコいいカップルである。

藤枝静男『志賀直哉・天皇・中野重治』

アマゾンから読む気を誘う本の広告がよく入るが、本書もミステリとか翻訳小説のあいだに入っていた。この2年ほどのあいだに藤枝静男の作品を何冊か買ったからだろう。最初に読んだのが、一昨年の4月に雑誌「ワイヤード」でメディア美学者の武邑光裕氏が選んだ6冊のうちに入っていた「田紳有楽・空気頭」だった。すごい小説だった。びっくりしたなあ、もう。いまそのとき書いた感想を読んだがすごいと思った気持ちが現れていて笑える。

今回はタイトルに惹かれた。とはいえ、志賀直哉の作品を読んだのは中学の夏休みで、日本文学全集が家にあったからたくさん読んだ中の一人である。なにがいいのかよくわからんかったままにいまにいたる。

中野重治はハタチくらいで夢中になり無理して全集を買った。「むらぎも」がお気に入りだった。いくつかの詩はそらで言えるほどだった。ほら、雨の品川駅とかね。でも30歳くらいのときに北海道旅行するために古本屋に売ってしまった。
その頃から日本文学より翻訳物ばかり読むようになって室生犀星全集とかも売ったなあ。

二人の作家のあいだに「天皇」があるのにも惹かれたのだが、自分の本にしてみると読む気力がない。読まなくてもわかる部分があるような気もする。で、その前に収録されている志賀直哉について書いている随筆のような文章を楽しんで読んだ。藤枝さんが若い頃に志賀直哉に私淑していて、お宅に伺ったり(一日置きに!)していた様子が微笑ましい。

はじめのほうにあった言葉を引用する。
【誰しもそうであろうと思うのであるが、「雑談」を読むと、中野重治という強情で個性的な人間が、志賀直哉という同じく巌のように強い個性と力量を持った芸術家にむかって、まるで相手の懐に頭をおしつけてごりごりに揉みこむような気合いで迫って行く光景が思い浮かんでくるのである。中野氏の心中に内在する畏敬の念が、こういう姿勢のうちに否応なしに現れている点にも快感がある。】
これだけでわたしは納得した。でも志賀直哉を読んでないのでは話にならない。そのうちに読んで、ここにもどることにする。
(講談社文芸文庫 1500円+税)