月を眺める 室生犀星『山吹』を思い出しつつ

こどものときから月を見るのが好きだった。夕暮れどきよそで遊んでいて、兄がそろそろ帰る時間だぞといい出すと空には月があった。泣き止まない弟か妹をおぶった母親が暗くなりかけた外に出てあやしているときも月が出ていた。十五夜お月さんの歌をうたっていた姉の姿も月とともに思い出す。子沢山の一家だから上の子が下の子の世話をした。姉は早くから働いて弟の学費の補助をした。母親はいつも内職をしていた。

両親はいくら家計がしんどくても季節の行事を欠かさなかったし誕生日とクリスマスにはプレゼントがあった。アメリカの少女小説をよくくれたがこどもに渡す前に自分が楽しんでからくれたようだ。わたしが読み終わると「よかっただろ」と東京弁で聞いたものだ。中年過ぎて大阪暮らしになったから東京訛りがとれなかったのだ。反対に妹はハタチで東京へ行ったからいまだに大阪弁が抜けない。

月で思い出すのは室生犀星の『山吹』。病が重くなった男がつきそっている山吹にいう。「後の世にもこうして月を見る恋人たちがいるだろうか」「いますとも」。ここが好きで何度も読んだし、こうして覚えていて何度も思い出している。
月を眺めるのが好き。

エドワード・D・ホック『怪盗ニック全仕事〈4〉』 を読みだした

昨夜は早く寝ようと思ってたけど、先日木村二郎さんに送っていただいた『怪盗ニック全仕事〈4〉』(エドワード・D・ホック 木村二郎訳 創元推理文庫)を読みはじめたのと、届いたばかりの美しい本『ヨーロッパの幻想美術-世紀末デカダンスとファム・ファタール(宿命の女)たち  海野 弘 (著)』を開いては閉じ、また開いては閉じして遊んでいたのでやっぱり遅くなった。

今朝はお昼前に起きてカンタンサンドイッチをつくり、かぼちゃの水煮があったので豆乳でスープにして食べた。
午後から昼寝をぐっすり1時間。天気が良いので洗濯物が乾いて気持ち良い。
夕方起きてきた相方が晩ご飯にカレーのうまいの作るわといって買い物に行った。
昨夜の読書の続きで『怪盗ニック全仕事〈4〉』を読む。久しぶりのニック・ヴェルヴェットの仕事の話がおもしろい。1〜3と読んでいてそれぞれおもしろく読んだんだけど、今回は格段におもしろい。本の内容がわたしのいまの心境と合ったのかなあ。
だいたい本が届いたときに開いてそのページを読んだらニックのガールフレンドのグロリアが別れ話を言い出していた。「あれまあこの二人どないなるん?」と開いた本を立ったまま読んだわたし。わたしはこのカップルが好きなのである。まだまだ全部読み終われない厚さの本で楽しみ〜

晩ご飯は豆腐のステーキと野菜のサラダとカレーライスとビール。それぞれうまかった。
少しのビールでまっかっか。

網野善彦『異形の王権』

『週刊現代』4月8日号、佐藤優さんの連載「ビジネスパーソンの教養講座 名著再び」に網野善彦『異形の王権』が紹介されていた。〈後醍醐天皇の力の源「異形の輩」とはーー日本の暗部を突く論考〉とある。ちょっとあおられた感じで、読んでみたいと思った。網野善彦さんの本をいままで読んだことがないし、どういう傾向の人だとかも知らなかった。そもそも日本歴史を知らない。時代小説もほとんど読んでない。翻訳ミステリをただひたすら読んできただけというお粗末な人である。思い切って買ってみた。
読み出したら図版が多くて文章がわかりやすい。ただ、いくらやさしく書いてあっても基本がないからどうしようもない。絵と写真を見てふーんといっているだけだ。
わかったようなわからんような感じで最後まで読んだ。そこで見つけたのが、鶴見俊輔による解説「身ぶりの記憶」だった。鶴見さんによると、敗戦までの70年くらいに小学校に入った世代の日本人にあてはまることがある。日本史には三つの劇的な場面があって、その一つは天孫降臨、もうひとつは、南北朝対立のさいの南朝方の苦難。もうひとつは江戸時代の末に幕府をたおして新政府をつくる明治維新の偉業である。三つの劇的場面の中心に天照大御神、後醍醐天皇、明治天皇がいた。網野善彦の日本史はこれを切り崩すものとして対している。しかし後醍醐天皇を重要視するということにおいては、一致している。その位置づけかた、えがきかた、意味のとらえかたが違う。後醍醐天皇は、異形の人びとをよびあつめて新しい力をよびさました異色の天皇であり・・・
ここまで読んでようやく鶴見さんのいわんとすることがわかり、網野さんが書こうとしたことが見えてきた。こうやって文字を打つという行為も学びのひとつだなあ。自己満足(笑)。
(平凡社 951円+税)

ミステリーで恋愛小説『トレント最後の事件』

先日「探偵小説 最初の3冊」というタイトルで、F・W・クロフツ『樽』、A・A・ミルン『赤色館の秘密』(いまは『赤い家の秘密』)、E・C・ベントリー『トレント最後の事件』のことを書いた。
『トレント最後の事件』を突然思い出したと書いたが、実は新刊の文庫本を本屋で見かけて突然!思い出したのだった。クリスタ長堀にある本屋さんはわたしが欲しい本がわりとすぐ目につく。ちょっと前の川端康成の「虹いくたび」もそうだった。本の並べ方がわたしに合っているみたい。そのときはほうと思っただけだったが、帰り道で無性に読みたくなって、通りかかったよその本屋さんを見たが見つからなかった。それでまたクリスタ長堀まで行って買ったというわけ。

トレントの最後の事件なのだが、トレントがいままで扱った事件は前作があるわけでなく、この本の中で言われているだけである。本職は画家なのだが有名な素人探偵として新聞社から依頼を受け、自身の推理による解決までを書いて探偵料と原稿料を稼ぐ。探偵にせよ画家にせよ普通は寡黙な人間だと思うが、トレントはおしゃべりである。めちゃくちゃおしゃべりで楽しい(笑)。

トレントはアメリカ人の大富豪で大実業家マンダースンがイギリスの海岸の別荘で殺された事件を調べるために現地に到着した。紹介される前に海岸の崖にひとり座っている富豪夫人メイベルを見て一目惚れする。のちに彼女に紹介されるが夫の莫大な遺産を受け継いだ未亡人と思うと片思いのまま諦めるしかない。
(『トレント最後の事件』E・C・ベントリー 大久保康雄訳 創元推理文庫 1000円+税)

鎌田東二さんへの興味は雑誌『現代思想』からはじまった

はじめて宗教学者鎌田東二さんの名前を知ったのは今年になってから。雑誌『現代思想』2017年2月号(総特集*神道を考える)の、安藤礼二氏との対談を読み写真を見てからだ。
いままで神道は遠かった。折口信夫文学のファンであり、単に神社仏閣や仏像などを見るために奈良や京都によく出かけていたが、信仰は持っていなかった。静かな佇まいの境内や裏山が好きなだけと思い込んでいた。ずっと昔だが大本教の教会を見に綾部まで行ったことがある。門が開いていたので境内にそっと入って静けさに耳を傾けていた。梅が咲いていて、ずっと向こうの玄関に人がいたが咎められることもなくそっと帰ってきた。

『現代思想』を開いたら鎌田東二×安藤礼二の対談のタイトルが「隠された神々の世界を求めて 折口信夫と出口王仁三郎から」だったから驚いた。写真の印象だけど「学者」って感じの安藤さんとやんちゃな感じの鎌田さんの対談で、神道とはなにかをちょっとだけ分かったような気になった。文学者の折口しか知らなかったので、この対談を読んでから偉くなったような気がしている(笑)。

『現代思想』に入り口を示してもらった感じで、読み終わってもないのに鎌田さんについて知りたく2冊の本を買った。
『神界のフィールドワーク 霊学と民俗学の生成』(創林社)と『呪殺・魔境論』(集英社)。
雑誌→『神界のフィールドワーク』→『呪殺・魔境論』と続けるのが順番だと思うが、3冊目のタイトルが気に入った友人に感想を聞かせてといわれているので、先にちょこちょこと読んでいる。

「呪殺・魔境論」ってすごい怖いタイトル。2004年発行ということで、ああ、麻原影晃、酒鬼薔薇聖斗かと思い浮かぶ。帯にも〈麻原影晃、酒鬼薔薇聖斗が向き合った「魔境」とは何だったか〉とある。全部読んでないけどおもしろいです。おもしろいというようなことでないけど。中古本で出てるので気になったら買って読んでほしい。

探偵小説 最初の3冊

小さいときは絵本や兒童もの、その後は少女小説、少年ものも兄たちのを読んだ。少女小説は買い直したり買い足したりしていまも読んでいる。情緒の安定によく効く。
そのあとに読んだのが大人の探偵小説だった。
F・W・クロフツ『樽』、A・A・ミルン『赤色館の秘密』(いまは『赤い家の秘密』)、E・C・ベントリー『トレント最後の事件』の3冊がわたしの寝ている部屋の本棚に並べてあった。それはもういろいろな本があって、いまも背表紙が思い浮かぶのだが、内容が記憶に残っているのがこの3冊なのだ。3冊とも小学5年くらいで読んだかなあ。

『樽』の表紙は樽の割れ目から人間の腕がぎゅっと伸びていて、金貨が手のひらからこぼれ落ちている。それはそれは怖かった。とにかく父親がなにかといえば『樽』というので、長い間これが探偵小説ナンバーワンかと思い込んでいた。大人になってから読んで、そこそこええけどなあって思った。
『赤色館の秘密』は大好きになって何度も読んでいる。それでも大人になると途切れて、20年くらい前に文庫本を買った。ギリンガム君とかだいたい覚えていた。図書室で本棚をとんとんと叩いて地下道への入り口を知るとか、これいまの記憶だけどあっているかどうか。兄が病気で入院したとき見舞いに持って行ったら懐かしがっていたっけ。また読みたくなった。

そして、『トレント最後の事件』だけど、前の2冊は何度か読んでいるけど、これだけは小学生のとき以来である。なんで読む気にならんかったのかな。先日、突然思い出して、半世紀以上前に読んだんだぜとびっくりした。トレントが初めて出てくる本なのに最後の事件とはなんや?と当時思って父や兄にうるさく聞いたのを思い出した。普通の探偵小説とは違って犯人を探して終わりではないところがいいんだと父がいってたような気がする。どうも納得いかなかったが。恋愛小説でもあるのになぜいままで読んでなかったのかな。これからは愛読書になったりして(恋愛部分が)。
(『トレント最後の事件』E・C・ベントリー 大久保康雄訳 創元推理文庫 1000円+税)

折口信夫について勉強する

昨夜はずいぶんと読書で遅くなった。アマゾンで買った3冊ではなくて、雑誌『現代思想』の「神道を考える」のほう。これをまずおさえておいて、それから鎌田さんの本にかかる。
わたしは少女時代から折口信夫ファンだったが、もっぱら短歌「葛の花 踏みしだかれて 色あたらし この山道を 行きし人あり」のほうだった。その後に『死者の書』を読んだが、もともと当麻寺が大好きだった。幼いときは絵本『中将姫』を愛読していたから、奈良を歩くようになってからは当然、竹内峠から当麻寺へ歩いた。『死者の書』を読んでからは、当麻寺と中将姫への愛着がますます深まった。

そんなことでの折口ファンだったのだが、今回「神道を考える」を読んだらこれはもうえらいこっちゃなのであった。折口についていろんな学者が書いておられるのをぼちぼち読んで勉強する。

昨夜はえらく遅くなったのに、今日は姉のところに行くので早起きした。帰りは気晴らしに心斎橋界隈をちょっと歩いてタクシーで帰宅。
お風呂に入ってから晩ご飯にビールをコップ一杯飲んだだけで眠くて〜椅子にかけたままうとうとしていたらコーヒーが出てきた。チョコレートをひとかけら食べてコーヒー飲んだら目が覚めてきた。
それでツイッター読んでこれを書いている。コーヒー効く〜

吉野を思い出した

本の包みが二つ郵便受けに入っていた。『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』と『神界のフィールドワーク 霊学と民俗学の生成』。どっちも届くのが早い。
先に頼んだのは伊藤野枝伝だが野枝さんがどういう人かは推察できるから、未知の方向の神界のほうを先に読むことにした。ちょこっと読み出したらおもしろい。途中でやめずに最後まで読めそう。

最初の章で、著者は吉野下市口から山道をたどって天川に行く。
むかしのことだが、吉野下市口で電車を降りて春浅い吉野へ行ったことがあるのを思い出した。夕方大阪に帰ってジャズ喫茶マントヒヒにはじめて入った。それで70年代のはじめのことだとわかる。
すごく寒かった。吉野の山をずんずん登って行ったところの小さな茶店に入った。まるで漱石の『草枕』の茶店にいたおばあさんのような人がお茶を淹れてくれた。七輪を抱くようにしてお酒も頼んだっけ。今朝採ったというワラビを買って、七輪から離れて寒さに震えながら帰った。
そのずっと前のこと、下市口からバスでどっかへ行って、それからずいぶん歩きキャンプしたことも思い出した。

今週はしっかり読書の予定

タイトルに今週はしっかり読書と書いたけど、書いた途端に無理だと気がついた。ヴィク・ファン・クラブの会報をつくらなあかん。
パソコン向いて会報、テーブルに座ったら読書、部屋の中を行ったり来たりで一日を過ごすことになりそう。まあ、いつも同じようなことだが、それが頻繁になるわけで。肩こりがきつくなり、目がしばしばするのが増えるだけだけど。

今週届く中古本
『村に火をつけ 白痴になれ――伊藤野枝伝』(栗原 康 岩波書店 2016)
『神界のフィールドワーク 霊学と民俗学の生成』(鎌田東二 創林社 1985)
『呪殺・魔境論』(鎌田東二 集英社 2004)

昨夜遅くに『神道を考える』(現代思想2月号)を開いて鎌田東二さんと安藤礼二さんの対談「隠された神々の世界を求めて」を読んでいたら鎌田さんの本の紹介があった。折口信夫と出口王仁三郎のことが書いてあるらしい。このお二人とも昔から畏敬しているので、これを機会にちょっとでも深く知りたい。さっそくアマゾンの中古本で『神界のフィールドワーク 霊学と民俗学の生成』(鎌田東二 創林社 1985)を購入。
今日になってその本のことを知ろうと検索していたら著書に『呪殺・魔境論』(鎌田東二 集英社 2004)があった。タイトルに惚れてしまい、なにもわからないけど購入。

おととい去年から買おうと思っていた『村に火をつけ,白痴になれ――伊藤野枝伝』(栗原 康 岩波書店 2016)を頼んだ。明日くらいに届く予定。
伊藤野枝は吉田喜重監督の映画『エロス+虐殺』の主人公で岡田茉莉子主演。映画を思い出しつつ読む。

どれを先に読むかな、届いた順番かな、いちばん楽しいのはいまかも(笑)。

川端康成『虹いくたび』

クリスタ長堀の本屋さんで目についた文庫本。去年の3月に46刷改版とある。出てるのを知らなかった。

昭和25年3月号から26年4月号の『婦人公論』に連載された作品で、作者50歳から51歳のときと北条誠の解説にあった。北条誠とはなつかしや、雑誌『ひまわり』にすごーく甘い連載小説を書いていた作家だ。
このころの「婦人公論』が家にあったのか、読んだ記憶がある。もしくは単行本になったのをのちのち読んだのか。どっちにしても昔のことだ。
川端康成といえばずっと『乙女の港』だったから、そのあとに読んだのならずいぶん薄気味悪かったんじゃなかろうか。『雪国』とかのあとなら納得したかしら。昔のことで思い出せない。『ひまわり』連載の『歌劇学校』もどっかじめっとしたところがあったっけ。

百子、麻子、若子の父親が同じだが母親がそれぞれ違う3姉妹の物語。百子は戦争で恋人を亡くして、戦後のいまは少年たちと遊び戯れている。結婚せずに百子を生んだ母親は自殺し、父親に引き取られて妹の麻子といっしょに住んでいる。若子は京都で母親とともに暮らしている。麻子はまだ会ってない妹を探しに京都へ行ったけどわからなかった。
建築家の父親は東京から娘を連れて京都や箱根によく出かける。麻子と父親は箱根に行ったとき別行動の百子が美少年を連れているのに気がつく。黙って自分たちの宿に行った父と娘。父が温泉に入っていて、そこに麻子が入っていく。美しいはだか〜 ああ、びっくり〜 父と年ごろの娘が同じ風呂に入る〜(小津安二郎の『晩春』では父と娘が宿でふとんを並べて寝てたけど、あれに匹敵するショック)

そこでちょっとひっかかったけど、『古都』や『山の音』に比べると完成度が低いけど妖しいところのある作品で気に入った。もう一回読もう。
(新潮文庫 550円+税)