グリーンスリーブス

昨夜深夜に2回目の『秘密の花園』を見ていた。全体が大好きな映画なんだけど、台所でグリーンスリーブスの歌声が流れるシーンが好き。外には春の風が吹き、広い台所で使用人たちが働いている。そこに歌がゆっくりと流れたのでびっくりしたがとても場面に似合っていていいシーンだ。久しぶりにきいたグリーンスリーブスでいろんなことを思い出した。

この曲はわたしが若いときに曲にはまったく関係なく曲名を知った。ドロシー・L・セイヤーズ浅羽莢子訳『学寮祭の夜』(創元推理文庫)(わたしがこどものときから大切にしていた本は訳者が黒沼健さんで『大学祭の夜』)で、ピーター卿がハリエット・ヴェーンにプレゼントする骨董品店で梱包を待っているときに小さな楽器で弾いたのがグリーンスリーブスだった。ピーターのテナーに合わせてハリエットも歌う。どんな曲が調べるすべもなく何十年も経った。

イギリス児童文学にはまったのはいまから思うと何十年前のことだが、アリソン・アトリー『時の旅人』で歌われていて感激した。ずっと過去のスコットランド女王の時代と現代を行き来するお話なんだけど、グリーンスリーブスは過去の時代に、その時代の新しい歌であった。

それからまた、いまから7年くらい前のことだが、ジャズの店SUBで店主でベーシストの西山さんが「好きな曲を演奏してあげる」と言ったときに、間髪を入れず「グリーンスリーブス」と言ったものだ(笑)。実はこの曲はコルトレーンがやっているのをレコードで聞いていたので言うたんやけど。ちょっとびっくりされたけど弾いてくださり、演奏後「ええ曲や」と言われたのを大切に覚えている。亡くなるまで何度も演奏してもらった。

アニエスカ・ホランド監督『秘密の花園』

先日古い文庫本からフランシス・ホジソン・バーネットの『秘密の花園』をiPad miniに入れてもらった。文字も紙も古びてたので読みやすくなってありがたい。何気なしに最初のページを読んだらいつものことで最後まで一直線。読み終わったら次は映画を見たいなあとアマゾンプライムを調べたら、400円払えば今日と明日見られる。さっそく見始めていま見終わったところ。

アニエスカ・ホランド監督1993年の映画。この監督の映画は他に見ていないが、イギリス ヨークシャーの自然と少女と少年を描いてとても美しい映画だ。
インドでこどもに無関心な両親に育てられた少女メアリー、コレラの流行で両親が亡くなり、助かった彼女はイギリスの伯父に引き取られた。ヨークシャーのお屋敷には妻を花園の事故で亡くした伯父と息子のコリンがいたが伯父は孤独に旅に出ることが多く、いとこのコリンはいつ死ぬかわからない恐怖に震える病弱な少年だった。

メアリーが着いたときはまだ寒かったが、召使のマーサにもらった縄跳びをしながらメアリーは飛び回り「秘密の花園」のありかを突き止める。そこはコリンの母が亡くなった場所で、それ以来伯父が閉鎖していた。
メアリーが花園を見つけたのは春がくる少し前のことで、そこで枯れ草の下に生え出した花々の芽を見つける。やがて春が来て、外に出るのを怖がっていたコリンが花園を見たがり、マーサの弟ディコンの助けがあって花園は3人のこどもたちの笑い声で満ちる。

明日もう一回楽しもう。メアリーちゃんの着てる服がすてき。ロンドンからのお取り寄せかしら。

《amazonのページ》

秘密の花園 [DVD]
秘密の花園 [DVD]

posted with amazlet at 16.09.27
ワーナー・ホーム・ビデオ (2010-04-21)
売り上げランキング: 11,881
秘密の花園 (光文社古典新訳文庫)
光文社 (2013-12-20)
売り上げランキング: 1,938

ジェーン・オースティン『高慢と偏見』は何十回目

古い岩波文庫の『高慢と偏見 上下』(富田彬訳)を大切に持っていて何十回も読んできた。紙が変色しているのでそろそろ新しいのを買おうかなと思っていた矢先に相方が「自炊」してiPad miniに入れてくれた。これからは読みやすく楽しく読書できると思うとうれしい。さっそく読みかけている。何度も読んでストーリーもシーンも頭の中にあるんだけど、また読むってなんでだろう。
いま読んでいるロザモンド・レーマン『恋するオリヴィア』(1936 行方昭夫訳 角川文庫)のヒロイン、オリヴィアの愛読書にも入っているのでうれしくなった。

映像のほうは最近見てないけど、イギリスBBC制作のテレビドラマ(1995)のDVDを持っている。これはコリン・ファースのダーシーさんが素敵だ。エリザベスのジェニファー・イーリーはエリザベスと印象がちょっと違うと最初思ったが何度も見ているうちに納得した。『抱擁』のクリスタベルがとてもよかったし。この2本で時代劇女優だなと思った。

もうひとつ、二次創作というのか、P・D・ジェイムズ『高慢と偏見、そして殺人』(羽田詩津子訳 ハヤカワポケットミステリ)を持っていてときどき読んでいる。うまく原作とつながっていて、殺人事件と納得の解決。最後はダーシーさんの妹が恋した彼と結婚するだろうという結末にほっとする。

《amazonのページ》

高慢と偏見〈上〉 (岩波文庫)
ジェーン オースティン
岩波書店
売り上げランキング: 48,850

誕生日だから『キャロル』

ここまできたらもうどうってこともない誕生日、めでたくもありめでたくもなし。行こうと言っていた外食はお店が日曜日休みで、家飲みに変更。
相方がご馳走してやると買い物に行って白ワインとカルパッチョと野菜料理が山ほど出た。姉と妹から「おめでとう」の電話があって、甥から「おめでとうございます。いくつかは、さておき、これからもお元気で」とメールがあった。姉はお金を渡すから自分で欲しいものを買うようにとのこと。

さて、誕生日やから映画見ようということになって(誕生日でなくても見ているが)、10日ほど前に届いた『キャロル』を初見しようと決めた。わたしは3回目、相方は2回目だが、全然飽きないで最後まで見た。好きという気持ちを暖かく描いたとても素晴らしい映画だ。行き届いていて隙がない。

ツイッターで「キャロラー」という言葉を知った。言葉通りにキャロルとテレーズに入れ込んだ女性たちのことだ。キャロラーが集まって語り合う会が大阪と東京で何度も開かれている。
そして、今度は本(キャロル合同誌)『Flung Out Of Space』が出版された。「24人のキャロラーによるキャロルとテレーズを中心に紡いだ物語」だそうだ。わたしは注文するのが遅れて、初回は品切れなんだけど、増版するのでちょっと待つことになったが楽しみだ。これが自分へのバースディプレゼント。

ロザモンド・レーマン『ワルツへの招待』

友だちが本を貸してくれた。以前から持っていた『ワルツへの招待』(角川文庫 MY DEAR STORY)と物語が続いている『恋するオリヴィア』(角川文庫)の2冊。続きのほうは最近ずいぶん高価な古本を手にいれたそうで、わたしはなにもせずに宅急便を受け取って読んでいる。ラッキー。

角川文庫の「MY DEAR STORY」はギンガムチェック柄のカバーがついた少女向けの本で、わたしの本棚にはジーン・ポーターの『そばかすの少年』と『リンバロストの乙女 上下』が並んでいる。本の最後にリストがあり、たいていの作品は読んでいるのだが、この本は知らなかった(なんだか最近知らない本にぶつかることが多い)。またその上に作家も知らなかった。少女ものならたいてい知ってるんだけど。

ロザモンド・レーマン(1901−1990)ははじめて読む作家である。検索したら「ヴァージニア・ウルフと同じように意識の流れの手法で知られる作家」だそうである。『50年代・女が問う』が中古本にあった。あと2冊ほどかなり前に訳が出ているのでそのうち調べよう。今回の2冊ともにBBCで映画化されている。

『ワルツへの招待』はオリヴィアという少女が主人公で、両親と姉弟がいる。姉のケイトとオリヴィアは舞踏会に招待されそれぞれ自分なりに着飾って出かける。作品の大部分はその舞踏会のことで、いろんな相手とダンスしながらの会話が綴られる。踊ったり話をしたり飲んだりしているうちに夜が更けて帰ってきた二人。翌日ケイトと踊った相手から電話があり、ケイトは晩餐と狩猟に招待される。
(増田義郎訳 500円 角川文庫 MY DEAR STORY)

L・P・デイヴィス『虚構の男』

久しぶりに買った国書刊行会の本。かなり前にはちょっと変わった本をけっこう買っていたが最近はご無沙汰中だった。いちばん思い切った買い物は少女雑誌『ひまわり』(復刊)で全冊が大きな箱に詰まったのが届いたときはうれしかった。(たしか28000円だったけどうろ覚え)
今回、読書会で取り上げる本の知らせで久しぶりに国書刊行会の本を買った。責任編集=若島正+横山茂雄だからおもしろいものになるはずと期待したら期待どうりだった。

ドーキー・アーカイヴについての説明【知られざる傑作、埋もれた異色作を、幻想・奇想・怪奇・ホラー・SF・ミステリ・自伝・エンターテインメント等ジャンル問わず、年代問わず本邦初訳作品を中心に紹介する、新海外文学シリーズがついに刊行開始!】というのを読んでうれしくなり、さっそく読書会の課題本に指定された本を買った。挟んである小冊子がすごく楽しい。10冊のうちたった一人知っている名前がドナルド・D・ウェストレイクで『さらば、シェヘラザード』という実験的ポルノ〈作家〉小説だって。即買うしかない。もう一人は女性作家アイリス・オーウェンズの『アフター・クロード』。まずこの2冊は買うっきゃない。

昨日の日記に関西ミステリー読書会が、L・P・デイヴィス『虚構の男』を取り上げたことを書いた。「本の感想はまた明日。」としたので、今日は本の紹介をしなくちゃ。
L・P・デイヴィスは初めて知った名前だけど、訳された本が2冊あったと持ってきた人がいた。1冊手元に回ってきたので書いておく。『四次元世界の秘密』(少年少女世界SF文学全集 1971年 あかね書房)

本作はL・P・デイヴィス(1914-1988)によって1966年に書かれた。イギリスののどかな田舎に住む作家アランは、世話好きな隣人や親切な村人に囲まれて暮している。いまアランは50年後の2016年を舞台にしたSF小説を書こうとしている。
アランは執筆の合間に散歩に出て若い女性と出会う。わたし好みの甘いロマンス小説によくあるような丘の上の草地での語らいや笑いあいながら歩く村の小道のシーンはとてもロマンチックなのだが、どこか違和感が漂ってくる。アランは医者に薬を処方され、付添婦は忘れないように薬を飲ませようとする。穏やかに庭の草取りをしている隣人は親しくしているけど、アランのことを常に探っている。
後半は2016年の世界になる。
(矢口誠訳 国書刊行会 2200円+税)

第17回大阪翻訳ミステリー読書会 L・P・デイヴィス『虚構の男』

夕方から読書会に行った。まず梅田へ出てシャーロック・ホームズで晩ご飯を食べてから指定の場所へ。バスの中もお店の中も会場も寒くてまいった。帰りの駅からの歩きで汗をかいてほっとした。これからだんだん暖かくなって痒くなる予定。

課題本が決まったと聞いてすぐに本を買い、日時が決まって募集があったとき一番に申し込んだ。本を読み始めて半分ほど読んだときに、青木理『日本会議の正体』が出たので買った。内容の濃い本でしかも8月の靖国参拝時期が近いこともあって真剣に読んだ。考え込んでちょっとミステリに戻れなかった。
それからはまだ読書会まで日にちがあるわと、四方田犬彦さんの本を読み、偶然のように知ったマイケル・カニンガムの『この世の果ての家』を夢中で読んだ。そして昨日の『キャロル』スペシャル・エディション [Blu-ray]である。

結局『虚構の男』を3日間で読んで感想を考えることになってしまった。読むのは読んだのだが、読書にコクがない。参加者さんたちが感想を話していくのを聞いていると、みんなそれぞれの気持ちを語っている。自分の順番になって話したものの、本を買ってすぐにページをめくったときの気持ちを再現できなかった。

それでも、いろんなミステリファンの方たちがそれぞれ受け止めた話を聞くのは勉強になった。いま(2016)から50年前(1966)に書かれた50年後(2016)の物語である。50年前によく2016年の様子を描くことができたものだ。
みんなでいまから50年後の世界について話し合った。みんないろんなことを考えているもんだなあ。わたしは一向思い浮かばなかった。

終わった後に懇親会があるのだが、わたしは1回参加しただけであとは学習会のみで帰っている。お酒が飲めないもんで。
本の感想はまた明日。

足はおもうように動かずとも

なぜか計画とか計算が苦手でたいていのことを行き当たりばったりでやってきて、それなりにうまく収めてきた、と自分では思っている。からだは小さいがわりと丈夫で思うように動けていた。口もからだも達者だったのね。ところが最近は思いに体がついていかない。特に歩き過ぎがたたったと思うが膝を悪くした。膝痛とは長い付き合いになった上に治療に通ってもなかなか良くはならない。膝痛に緑の野菜が良いというのを知って相方がいろいろと食べさせてくれている。もっと体重を減らしもっと体操をしなくては!という結論はいつも同じ。

さっきまで当ブログの整理をしていた。過去のブログに書いた原稿が置いてあるので残そうと思うものをこちらにアップする。面倒な仕事だが過去の記事を読むのはなかなかおもしろい。

「足はおもうように動かずとも」という言葉が出てきて、うーんとうなった。
2012年6月24日の「酒井隆史『通天閣 新・日本資本主義発達史』読書は佳境に入っているが」という記事。
映画作家川島雄三が織田作之助を評価していてこう述べている。
【しかし、「故郷はない」とつねに断言し故郷の根を断ち切っていたからこそ、都市と故郷をかさねている者とちがってより見えてくる「都市的なもの」もあるはずだ。そもそも、歴史のなかで「都市的なもの」を形成してきたのは、この「根を断ち切った」者たちの群れではなかったろうか?】
【課題は、織田作を織田作自身から逃がすことであり、大阪を大阪自身から逃がすことであるように。/足はおもうように動かずとも、そう、それは魂の問題なのだ。】

こつこつとやってる作業が役に立った。「それは魂の問題なのだ。」という美しい言葉に再び出会った。鼓舞された。

雑誌『ku : nel 』9月号が気に入った

隔月に出ている雑誌『ku : nel 』(クウネル)を最初に買ったのは3カ月前、雑誌の立ち読みをしていた相方がコウケンテツさんの料理ページを見つけて買ってきた。偶然、その号から編集者が変わり内容も変わったとのこと。雑誌を買わなくなって久しいので気にしていなかった。
たしか5月号で、出ている料理を作ってくれたのを食べたが、わたしが気に入ったのはパリの女性のファッションだった。ごく普通のかっこだが組み合わせやアクセサリのおしゃれがとてもうまい。インテリアも部分的に真似できそう。

いま出ている9月号はタイトルが「フランス女性は、なぜ素敵なのか?」である。フランス女性のおしゃれ度が高いというのはわかる気がする。行ったことがないから実は知らんけど。
どういう立場の人が『ku : nel 』に取り上げられているかわからないけど、いい感じの人が紹介されている。いかにも普通にパリの街角に立っていたり働いていたりしていそう。
20ページのアンヌ・レヴィさん、身長がわたしと同じく145センチなんだけどすごくおしゃれがうまい。ほんとにいい感じ。実はわたしのおしゃれと共通していると自己満足(笑)。
この特集の女性はみんな素敵だ。染めていた髪を染めるのをやめて伸ばしているから髪の途中から白髪と染め色が分かれている人がすごくカッコいい。わたしも髪染めを止めるときは悩まずにこうしたらいいのだ。

マイケル・カニンガム『この世の果ての家』

7月末に届いたマイケル・カニンガム『この世の果ての家』(角川文庫)をようやく読み終えた。572ページもある厚い本でしかもものすごく文字が小さい。おもしろいから読み終えたけど、理屈っぽいのなら途中でやめてるか最初から読まないかだ。
マイケル・カニンガムの本はとっても素敵な『めぐりあう時間たち』1冊しか読んでなかったが、本書も繊細な上に物語を書く才能に恵まれている感じで先へ先へと読み進んだ。本のカバーにある著者の写真を見ると、感じが『ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)』からはじまるビフォア3部作の主人公、イーサン・ホーク演じるアメリカ人の作家に似ている。
発表されたのは1990年、日本で翻訳出版されたのは1992年、文庫化が2003年。2004年にアメリカで映画化され、日本でのタイトルは『イノセント・ラブ』。

60年代から70年代のオハイオ州クリーブランド、ボビーとジョナサンのちょっと変わった二人の少年が親しくなる。ジョナサンの父親は町に映画館を持っており、母アリスは専業主婦である。二人はいつもいっしょにジョナサンの部屋で過ごす。音楽とクスリをやっているうちに自然に抱き合う二人。音楽を三人でいっしょに聞くところまでいって、ついに二人の関係を知ってしまう母アリス。

大人になった二人は違う道を歩むようになり、ジョナサンはニューヨークへ。ボビーはアリスにパン作りを習い料理の腕を磨く。そこまでが長くて(いやではないが)、ニューヨークへ行ったあたりからおもしろくなる。ジョナサンは新聞にコラム記事を書くようになった。ボビーがニューヨークへ出てきて転がり込む。ジョナサンはクレアという一回り上の女性と性関係なく住んでいて、ボビーを加えて3人家族となる。
ジョナサンはバーでバーテンダーのエリックと知り合う。

物語はジョナサン、ボビー、アリス、クレアそれぞれの語りで進んでいく。ちょっと面倒くさい最初から、大人になって食べていけるのかしらと心配になるし、えっ、どうするの?と出産におどろき、お金がうまい具合に入って食べ物商売が順調、しかし一人がエイズに襲われるし、出て行く者は出て行く。

映画では大人になったボビーをコリン・ファレル 、ジョナサンをダラス・ロバーツ、クレアをロビン・ライト、母アリスをシシー・スペイセクが演じている。そのうち見よう。もともとロビン・ライトつながりで知った本なんだから。

(飛田野裕子訳 角川文庫 857円+税)