村上春樹『ノルウェイの森』を読んだ

今日は雨も降らず暑くもない気持ち良い日曜日だった。数日前に夫から村上春樹の『ノルウェイの森』(上下)を借りて読み出したのが、昨夜読み終われずにさっきようやく読了した。久しぶりに恋愛小説を堪能してまんぞくまんぞく。

村上春樹の本は『ダンス・ダンス・ダンス』が出たときしか読んでない。なぜかあまり熱中できなくて、村上春樹はわたしには合わない作家と独り合点してしまった。それ以来なにも読んでいなくて、友人が全部持ってるから貸してあげるといっても、頑なに「読みたくないからいらん」と断ってきた。
今回「はるきさん、きらいやねん」から「好き」に転向。
夫に「よかったわ〜」といったら、「これも読むか」と『風の歌を聴け』など4冊出してきたので、もうちょっとしたら読む。
目が悪いのであまり熱中したらあかんのやけど、『ノルウェイの森』は恋物語に惹かれてつい読み過ごしてしまった。

わたしは恋愛小説が好き。そういえばながらく恋愛小説を読んでなかった。読んでないからこの日記にも感想が書いてないままだ。どんなんが好きかと考えたら、やっぱりデュラス。フランソワーズ・サガンは読みすぎてすこし飽き気味。先日古い本の整理をしていたらマルグリット・デュラスの『タルキニアの子馬』が出てきた。遅れたが今年も読もうと思う。30年くらい前から毎年夏になると出してきて読む本だ。
これからは『ノルウェイの森』も毎年夏になると出してきて読むかもしれない。なぜ夏かというと初読が夏だったから(笑)。

『ノルウェイの森』は素晴らしい恋愛小説だ。語られるのは「愛」と「自殺」と「音楽」である。最後にワタナベ君が救われるのは、緑との熱い愛があるから。
長いこと誤解してたけど、村上春樹は恋愛小説の名手だ。

ソウルフード 上原善広『被差別の食卓』を読んで

上原さんの子供時代の食べ物の話からはじまって、世界のソウルフードを求めた旅の話を興味深く読み終わった。そしてわたしのソウルフードってなんだと考えた。

わたしが疎開先から大阪へもどったのは1946年夏だった。新町の家がB29の爆撃で焼け、父が働く会社の寮に一家が集合したとき、知り合いの韓国人が故郷へ帰るから、空いた家に住むようにと手配してくれた。小さな家だが家具がついていてありがたい話だった。その近所には朝鮮人、被差別部落、沖縄人らが住んでおり独自の生活をしていたように記憶する。近所に住む弟の友達からの情報で、親が弟に口止めしても偉そうにわたしに伝えるのだった。

貧しい上に小さな子供まで抱えての生活は大変だった。母は近所の農家を手伝って現金収入を得ていた。内職はなんでも引き受け子供達が手伝った。
晩のおかずは必ず鯖の煮付けか塩焼きだった。それにほうれん草のおひたしがつく。思い出して上原さんが書いている「あぶらかすと菜っ葉の煮物」そのものやないかとうれしくなった。毎日母は魚屋で大きな鯖を2匹買ってきて自分でさばいていた。鯖は兄達には不評だったがわたしは大好きだった。鯖を炊いた汁にほうれん草を浸して食べるのは我が家のソウルフードだったといまごろわかった。

上原さんは世界を旅して、被差別の人たちの歴史と現状を報告している。その食べ物への好奇心には恐れ入ってしまう。本書は食べ物の話から入って差別について深く考えさせてくれる本である。
(新潮新書 680円+税)

『家なき子』が焼くどらやき

『家なき子』を読んでいたら、主人公のルミが親友のマチアに「帰ったらどらやきをいっぱい作って食べさせてやるから」という言葉があってびっくりした。「どらやき・・? 英語かフランス語でホットケーキみたいな言い方はないの?」
あとから読んだところにも何回かどらやきは出てきたけど、どうも慣れない。

読み終わってから「フランスのどらやき」みたいな言葉でいくつか検索したら、あるじゃないの「フレンチどらやき」の店とか。地図もあった。なんや、普通にあるんや、知らんかったのはあたしだけか。
ルミは小麦粉、卵、バターをたくさん買って、育ての親の家に帰り豪勢に「どらやき」を焼く。牛乳は苦労して手に入れたお金で雌牛を買って連れて帰り、世話になったおばさんにあげて、それから自分が乳をしぼる。

ああ、もうちょっとで物語は終わる。
もうちょっとで真実の母に会って、自分の生まれと身分を知り、持っているはずの財産を本当に相続する。離れていた恋人にも会うことができる。

三度目の『家なき子』は青空文庫で

『家なき子』(エクトール・マロ)は、小さい時から家にあった本で、姉や兄たちが読み散らかした本箱の中にあった。わたしが読んだのは一度や二度でなく、何度も読んで最後の幸せになるところでいい気分になっていた。

疎開先に持って行かなかったので縁は切れていたが、いまから10数年前に図書館の子供本の棚で見かけてその場で読み出し、座り込んでだーっと最後まで読んでしまった。
面白かったなあ、昔読んだままやったなあと感動したがいろいろ忙しくてそのままになっていた。その後、気になったこともあったが、そのままで、最近になってもう一度読みたいな、買おうかなと思った。そういえば青空文庫があったやん、あればすぐ読めるわと探したところ、楠山正雄訳のがちゃんとあった。昨日のことです。

いつものいらちで途中から読み出し、前へ戻ったり、最後へ行ったり、そうそう、嵐になって一家離散するところ、炭鉱で事故のところもあったっけと、いろいろ確かめつつ読んでいる。

気になったのは、ディケンズの作品と似通ったところがあることで、『荒涼館』と似ているなと思った。時代とか調べなあかんと思いつつ、思ってるだけでしょう、多分。

レジナルド・ヒル『ベウラの頂』は何度読んでも好き

レジナルド・ヒルの作品が好きで翻訳されたものは全部買って読んだ。でも読み出したのが遅かったのが悔しい。
50歳くらいのとき京都三条から歩いて15分くらいの会館でイギリスの作家3人の講演会があると聞いて出かけた。3人とも話しぶりがとてもよくてすぐに好意を持った。ヒルはすでに人気作家で質問する人も熱烈ファンな感じだった。
帰りに受付で本を各1冊買いサインしてもらった。それぞれ読んで気に入ったが3人のうちでいまもファンなのはヒルである。
サインをしてもらったときの情景をいまも思い出すと笑ってしまう。知らない人がサイン本を受け取るうれしそうなわたしの写真を撮っていて、のちのちミステリの会で行き合ったとき渡してくれた。われながらほんとにうれしそうで、知らない人も可愛い(けったいな?)オバハンやなと思って捨てなかったのだろう。

ヒルの作品のなかでも好きなのは『武器と女たち』『ベウラの頂』『完壁な絵画』の3冊。他の作品もみんな好きだが古いポケミスは文字が細かいしこれからもう読めないだろうと処分しこの3冊だけ置いてある。
先日から『ベウラの頂』を読んでいて、ああ、この本はまた読みたくなると思って、「置いとく本」のコーナーへ入れた。

15年前にベウラの山で3人の少女が行方不明になった。担当していたダルジール警視は必死の捜査を続けるが事件は未解決のまま現在にいたる。のんびり休日を過ごしていたパスコー主任警部と妻エリーのもとへ寄ったダルジールは、遠慮のない会話を交わしていたが、新しい事件に呼び寄せられる。
ひとりの少女が家に帰ってこない。

大島真寿美『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』

1ヶ月ほど前に『週間現代』の読書欄で知った本。大島真寿美『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』(うず いもせやまおんなていきん たまむすび)。タイトルも作者名もはじめて目にしたが読みたいと思った。「妹背山婦女庭訓」(いもせやまおんなていきん)という言葉に惹きつけられたのは、ちょうど谷崎潤一郎の『吉野葛』を久しぶりに読んでいたからだ。この谷崎の愛らしい作品のはじめのほうに著者と友人が奈良で待ち合わせ、吉野へ行くいきさつが書いてある。読者はつぎの言葉が読みたくてそそられる。
最初のほうで妹山と背山が並び立ちその間を流れる吉野川の描写がある。幼い谷崎が母といっしょに橋の上から妹山背山を見た記憶が語られる。二つののびやかな山の写真も載っている。

「妹背山婦女庭訓」は近松半二による浄瑠璃のタイトルである。当ブログ5日に書いているが、わたしは20代のころ文楽と歌舞伎に夢中になって「妹背山婦女庭訓」も見ている。その優美さは忘れていないけれど、なんせ40年も昔のことで記憶がほとんどない。近松半二と名前を見ても近松門左衛門の息子さんかなと思うくらい頼りない。全然違ってた、息子さんではありません。
『週間現代』に導かれて本を注文しようかなと思っていたら、図書館に行くからと夫が探して借りてきてくれた。それが先週の木曜日で、木曜日の夜と金曜日丸一日、土曜日の半日かけて読み終えたら目が疲れてしんどくて。
からだは疲れたけどやめられないほどおもしろかった。大阪弁の会話が自分らがしゃべるように自然で頭に入ってくる。
江戸時代の大阪の人々の様子が目に浮かぶように大阪弁で語られるからどんどん惹きつけられていく。道頓堀の芝居小屋の様子が目に浮かぶよう。ろーじ(路地)の長屋など、わたしの幼児期の新町の記憶が役立ち、少しは雰囲気がわかるような気もした。とにかく大阪弁がすごくぴったりきた。

『オール読物』に連載されていたとも知らないで、いまごろ週刊誌の書評欄からの知識で読んだのだが、もし知っていて連載第一回を読んでいたら、続きを読みに毎月発売日に走って買いにいってただろう。『剣客商売』のときのように。
いまは読んだだけでお腹いっぱいになっているが、そのうちまた読みたくなるだろう。今度は買って読む。
(文藝春秋 1850円+税)

谷崎潤一郎『吉野葛』で思い出したことなど

去年は折口信夫に関連する本をたくさん読んで、折口をますます好きになった。子供の頃に親の言いつけで新町までお茶を買いに行き、駄賃をもらって道頓堀で芝居を見たという話にしたしみが増した。
そんなときにこのブログに「わたしの戦争体験」を書き出して、自分の過去をたどると、国民学校(小学校)の遠足で「笠置」へ行ったことを思い出した。「笠置」といえば「後醍醐天皇」を思い出さざるを得ないということも思い出した。歴史の知識はまるでないのに、郷愁に誘われて日本中世史をひもとくことになった。興味が広がるばかりでまるで勉強とはいえないけれど、雰囲気がわかりだして自分では納得している。まだわかりだしたところだが。

そんなときに文庫本を積んである中から谷崎潤一郎の『吉野葛』が見つかった。後醍醐天皇→南朝→吉野と連想がいっての『吉野葛』。すっごく素晴らしい物語で何度も読んで楽しんでいる。
谷崎が東京から京都で一泊して朝早く奈良に入り、待っていた友人と吉野へ向かう。
その友人の恋物語が素敵なのだ。その道中で「妹山」「背山」の前を通ることになる。間に流れているのは吉野川。そこんとこで思い出した。歌舞伎と文楽とで妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)を見たことがある。たしか20代になったころ。そのころは演劇に夢中で自分でお金を払って遊ぶのがうれしかった。もうどんな芝居かも覚えてないが、妹山と背山があって春の場面だった。お琴を弾くシーンがあったなあ。記憶はそんなところである。

それから、25歳くらいで登山に夢中だったころ、知り合いの登山家が自分がよく知っている吉野に連れて行くというのでついて行った。男女2名ずつ4名のパーティで近鉄下市口まで電車、それからバスに乗ってだいぶしてから降りた。どこで降りたやらなんという山に登ったやら覚えていない。沢を歩いて、這って、登って、ご飯をつくって食べた。この山行きは「吉野」という特別な名前でいまだに覚えているが、バス停の名前くらい覚えておいたらよかった。

ここまで書いてネットで調べたら、この芝居を文楽劇場で5月にやっていた。
〈5月文楽公演「通し狂言 妹背山婦女庭訓」〉

●妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)という言葉をどう読むかも忘れていたところ、数日前に大島真寿美さんの本『渦』と出会った。この本の話は後日書く。

夏目漱石『草枕』を音読してみた

椅子にきちんと座り声に出して本を読むのが物忘れ防止によいと『クロワッサン』(5/25号)に書いてあった。「しっかり声を出すことで海馬を刺激し脳機能を高める」そうで、なるほどと思った。そして甲州弁で読んでみようと深沢七郎『甲州子守唄』でやってみた。甲州弁で書いてある会話がわたしが読むとみごとに大阪弁になり挫折。

それなら夏目漱石だ。漱石でいちばん好きな何十回と読んでいる『草枕』だが、音読はしたことない。
今日の昼下がり、相方はアメリカ村ビッグステップで開催されているステップ・ハーベストに行っている。静かな午後に漱石の朗読か〜ええやんかと、iPad miniを出した。漱石作品がいろいろ入れてある。
『草枕』の好きなところを開いて読んでみた。山の池の周りに咲いている椿の花がぽとんと落ちるさまが、静かで密かで不気味という描写が声に出すと目で読むよりずっと迫ってくるものがある。

そのあとで一人の男が視野に入り、反対側からやってきたのがヒロインの那美さんである。ふたりの所作を見守る画家。男になにか渡した那美さんは画家に気づき道を上ってきた。そしてさっきの男性にお金を渡したという。

ここからは引用
野武士の顔はすぐ消えた。那美さんは呆然として、行く汽車を見送る。その呆然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない「憐れ」が一面に浮いている。
「それだ!それだ!それが出れば画になりますよ」と余は那美さんの肩を叩きながら小声に云った。余が胸中の画面はこの咄嗟の際に成就したのである。

ヘロン・カーヴィック『ミス・シートンは事件を描く』

一回読んでからまた二回目を読んだ。おもしろい。笑わせてくれる。
ミス・シートンが主役のシリーズ1冊目『村で噂のミス・シートン』は、美術教師のミス・シートンが遺産でもらった田舎の家に行く前にロンドンでぶつかった事件からはじまり、田舎に着くとまたまた事件。田舎の人たちがおもろく笑わせてくれた。思いつきで書いたようだけど、うまく考えて決着をつけた作品だった。ブラックユーモアもただよっている。

ミス・シートンは自分が実際に見たことを絵に描く。警察官たちは事件に遭遇したミス・シートンに犯人の顔を描いてもらい、捜査におおいに役立てた。今回は絵の代金の小切手を郵送してくれたので、ミス・シートンはそれを銀行へ預けに行って悪い出納係と出くわし連れ去られる。

今回もとぼけた味わいのミス・シートン、村のナイト医師と娘のアン、女性新聞記者のメルが大活躍するのも楽しかった。先日、映画『バガニーニ』を見たとき、ロンドンの女性記者が取材にきていて派手に元気にふるまってた。メルもようやっているがこれってイギリスの女性新聞記者の伝統的スタイルなのかな。

事件は一方で連続子供殺人事件、もう一方で銀行の出納係が横領し変装して別人になりすまし逃亡する事件が発生。ミス・シートンは学校の子供たちの似顔絵を依頼されるが、学校に行かず家にいる一人の少年の顔だけは描けないという。あの顔は子供ではない。

クライマックスの戦闘が楽しかった。メルの武器は長いひものついたトートバッグ。家を出るときバッグにドアストッパーを投げ込んで武器になるかゆらゆら試してみて、これはいけると駆け出した。ミス・シートンには傘がある。
(山本やよい訳 原書房 コージーブックス 880円+税)

森山大道『遠野物語』に導かれ

ひと月ほど前に相方が森山大道さんの写真の本をたくさん図書館で借りてきた。大きな買い物用リュックにいっぱい詰めて。その中から「これ先に読んでもいいで」と出したのが『遠野物語』で、早速先に読ませてもらったが、写真はもちろんいいけど、文章が抜群なので何度も読んで楽しんだ。

そもそもわたしはずいぶん昔に柳田國男の『遠野物語』を買ったものの読み終えていない。いろんなところで紹介されているのを読んで理解しようと思ったけど、どうもピンとこないというかしっくりこない。
子供の時に『甑島昔話集』という本が家にあり、甑島(こしきじま)という島の名前を覚えた。昔話や古い土地の話のことが話題になると甑島を思い出す。内容は忘れてしまったがこの本は楽しかった。読んだ年齢のせいもあるかもしれない。

教養をつけようと思って『遠野物語』を読もうとしたのがそもそもの間違いだった。
いまはツイッターで「遠野物語を紐解く」をフォローしていてツイートが入ると楽しんで読んでいる。「教養」でなくて「楽しみ」として読んでいるのがいいみたいで、遠野物語を楽しめている。

そこへ偶然、森山大道『遠野物語』が目の前に出されて、ゆっくりと写真を眺め、文章を読んだ。
ようやく『遠野』がわかったような気がする。森山さんの写真の『遠野』が、わたしにも『遠野』なのだ。

わたしが東北を旅したことは一度だけ。友人たちと仙台の裁判所へ裁判の傍聴に行き、七夕まつりの仙台で泊まって、翌日はみんなと別れ一人で中尊寺へ行った。一人旅でまだハタチ前だったように思う。お金が不足で中尊寺からは急行券をケチって普通夜行列車で東京へ戻り、有り金を数えてその日の急行で大阪へ。お金をかけず時間がかかった旅だった。

『遠野』ええなあ。死ぬまでに行きたいな・・・まあ無理。それより後醍醐天皇の「笠置山」へ行って子供のときを思い出したい。そこがわたしにとっての『遠野』かも。