楽しい食事、話題はアフリカ

夕方Kさんと相方と3人で食事の約束をしてあるので急いで支度して堀江へ出かけた。
アブサンで美味しいお酒と地中海料理を食べながらおしゃべり。気を使わないでゆっくりとしゃべって食べて、楽しい夜だった。Kさんの話し上手で聞き上手を見習いたいものだ。

話題はあちこちしたけど、アフリカの話が主になった。うちらは雑誌『WIRED』の特集記事「ワイアード、アフリカにいく」からの話題や質問だったけど、Kさんの話は現実のアフリカだから重い。アフリカの現在の様子がわかってすごく勉強になった。
Kさんの娘婿さんが来日して空港で娘さんと喜びの再会をした動画を見せてもらった。「愛」が二人の姿かたちになって表現されていた。

「Vic Fan Club News」製作中

毎月、つまり年に12回出しているヴィク・ファン・クラブの会報の11月号をいまやっている。ふだんは12ページから16ページだが、先月は原稿が多くて20ページなりレイアウトが大変だった。いつもは同じ体裁に仕上げるところを、特集記事だったからレイアウトを変え書体と文字サイズを変えて6ページに仕上げ、空間ができたから原稿を書いた。そのへんは臨機応変。

毎月10日〆で15日発行といっているが、なかなかうまくいかず20日過ぎになる。先月は月末ギリギリに配達された。それにはわけがあって、そんなことはもうないと思うが、大変だった、よくやった。

あれだけバタバタしたんだから、一回休んだらどうかと思うが、一回休むと休みっぱなしになりそうでこわい。まあ今月は届いている原稿でなんとか仕上げる。こういう読み物は新鮮さが魅力だと思うので毎月頑張らなくっちゃ。老骨に鞭打って(笑)。

クロソイの煮付け、温野菜、しじみの味噌汁

スーパーで安かったからと相方が買ってきたクロソイはメバルに似た姿で全身が黒い。煮付けたらうまそうだ。いっしょに日本酒も買ってきた。今日の晩ご飯は、冷酒、クロソイの煮付け、温野菜いろいろ、しじみの味噌汁、白菜の漬物。メニューが決まるとさっさと下ごしらえをして作りはじめた。わたしは友人にメールを書いていたが、なにやらうまそうな匂いが流れてきて伴奏になった。ちょっと悩みがあるのを聞いてもらうメールをあちこちしながら書き上げた。これでわかってもらえるやろか。

ご飯の前にメールを出したのに、ご飯がすんだら返信が届いていた! すごっ! Nさんは返事が早い、決断が早い、これで連休中のもやもやがどこかへいった。わたしも決断は早いほうだが迷い出したらきりがない。彼女がこうしましょうといってくれた通りにすれば問題ないと思ったら、ほんとに問題なく解決できそうな気持ちになった。

ご飯のあとは三年番茶、富有柿、コーヒーとオーガニックチョコレートとナッツ、豪勢なもんだ。悩みが霧消したせいでしょう。

肩こり治るかな〜ヴィク・ファン・クラブのこと

毎月一度は書いてるけど、わたしはヴィク・ファン・クラブというミステリの主人公のファンたちの会に入っていて、会長のような、小使いさんのようなことをやっている。仕事は毎月会報を出しているだけ。まあ会員さんからのメールを受けて返信するのも仕事といえば仕事かな。SNSでのやりとりもね。仕事というより楽しみだ。

ヴィク・ファン・クラブはサラ・パレツキーのハードボイルドミステリの主人公、V・I・ウォーショースキー(愛称ヴィク)のファンが集まった会である。始めてから26年経っているが、毎月の会報(Vic Fan Club News)でいろんなことを語り合っている。

この夏、シカゴに長く住んでサラ・パレツキーさんと面識のあるNさんが久しぶりにシカゴを訪ねることになった。そしてシカゴのホテルでサラさんと会う約束とのこと。会員からの手紙を手渡ししてくれるので、6人の会員が英文の手紙を書いた(わたしだけ特別に日本語を英訳していただいた。)のを届けていただいた。

Nさんが帰ってこられてから、サラさんから航空便で荷物が届いた。手紙を書いた人にと一人ずつきれいな紙に包んだサインが入った著書とカードや手紙もあった。

わたしが書いた手紙への返事として、エイダ・ラブレスへの言及があり、特に、Ada Lovelace, Sara Paretsky, Kumiko Sugiya と名前を連ねて書いてあるところは、過分な褒め言葉をいただいたと赤面するしかない。

気を入れて返事を書いた。なにを書くかどう書くかを考えていたらなかなか書けなくて英訳してくださるkyokoさんに迷惑をかけたが、ようやく気に入った返事が書けてほっとした。
この手紙も会報に入れて10月号ができあがった。早くから表紙絵を描いてくれたOちゃん、原稿を書いてくれたみなさんをお待たせしたけど、今日の夜ポストに入れました。

スリランカカレーを食べてスリランカの勉強

最近の我が家のカレーはスリランカカレーであると作る人がいっている。たしかにカレーは独特な味わいでうまいけど、「スリランカ」って国はどこにあるの」というのがわたしの最初の問い。

スリランカ民主社会主義共和国、通称スリランカ、1948年イギリスからセイロンとして独立。72年にスリランカ共和国に改称して英連邦内の共和国となり、1978年からスリランカ民主社会主義共和国となった。
セイロンはインド洋にあり、国民の7割が仏教徒である。

《》はウィキペディアより
《島国で、現在もこの国が占める主たる島をセイロン島と呼ぶ。国名をスリランカに改称したシリマヴォ・バンダラナイケは世界初の女性首相である。また、国民の7割が仏教徒(上座部仏教)である。》

《文化遺産は、聖地アヌラーダプラ(1982年)、古代都市ポロンナルワ(1982年)、古代都市シーギリヤ(1982年)、聖地キャンディ(1988年)、ゴールの旧市街と要塞(1988年)、ダンブッラの黄金寺院(1991年)。
自然遺産は、シンハラジャ森林保護区(1988年)、スリランカの中央高地(2010年)。》

以上丸写しだが、カタカナの響きにも懐かしいようなエキゾティックな響きを感じる。これはなにかを読んで感じるのがいいかも。参考文献を読まなきゃ。

セイロンという名称はセイロン紅茶で知っていただけという情けないわたし。これからスリランカカレーを食べながらぼちぼち勉強していこう。

物覚えが悪くなったけど

今日はヴィク・ファン・クラブの友人iさんとデート。堀江のジョローナで待ち合わせたら、秋物の展示品の中からわたしのバースデイだからとスカーフを買ってプレゼントしてくださった。黒いセーターにぴったりの華やいだスカーフ、これを巻いたらまたみんなに「カワイイ」といってもらえそう(笑)。
今日会った用件はサラ・パレツキーさんに自筆手紙を書いた人にサラさんからお礼に著書を送ってくださったのをiさんに渡すこと。それを兼ねて久しぶりに顔を見て話そうということ。ジョローナから5分のところにあるバー、アブサンに行って食事した。白ワイン、ひよこ豆のコロッケ、ピクルス、ピザ、ケーキとコーヒー。うまかったよ〜

おしゃべり中に、わたしの登山経験なんかもしゃべった。夕方仕事を終えて電車に乗り、夜遅く山の麓(比良山が多かった)について翌日朝一で山に登った話とか、けっこう武勇伝も。その話中に登山用品の店の名前を忘れて、うちの近くのなんとかいうお店といってた。帰ってから検索してようやくわかりほっとした。「モンベル」だ! ずっと昔にマックのノートパソコンを入れる袋を買いにいったことを思い出したんだった。
具体的なことはよく覚えているのに名前や名称が出てこないことが多い。私の場合は記憶を迂回させて到達するような検索をする。ナンギだがまだ自分で解決できるからいいとしよう。

疲れて眠い

今日は会報をやってしまったのでポストに入れに行こうとカバンにまとめて入れた。靴を履いて出て行こうとしたらやけにしんどい。これはあかんわ、あとにしようと部屋に戻ってぼーっとしていた。買い物に行った相方と交代して出ようと思ったが、今日はまあええわと、出来上がった封筒には悪いが今日は夜分出て行くのはやめた。封筒の中は会員の皆さんが待っているサラさんの写真もあるのだが。明日の朝起きたら入れに行くので半日待ってくださいませ。

昨日はプリントまでしたから、今日は綴じて封筒入れして切手を貼った。この切手が曲者で10年以上のお年玉切手シートをがばっとカンパしてもらったもの。120円分をちぎって貼るのが一苦労だった。モンクをごちゃごちゃいってるがありがたい。また欲しい(笑)。

連日高温だから暑さ疲れしてる。姉に定期電話したら「あんたが倒れたらわたしはどうなるの?」といわれた。姪にもいってるらしいが、ほんまに倒れたらどうなる? からだが大事。今夜は早く寝よう。

今月もVFCのこと

なんやかやと月に一度VFC会報を話題にしている。毎月のイベント(笑)。
今月もこのくそ暑さの中をぶーぶーいいながらやってて、いまは最終ページのプリント中。ほんまにやれやれようやったと自画自賛。
今月は会員の中野さんのカナダからシカゴへの旅行記がある。シカゴでは有名ホテルのティールームでサラ・パレツキーさんと会って親しくお話してきた。7年前にご夫婦で来日されたときに、奈良で日本料理を囲んで歓談した。そのときと奈良から京都へお見送りのふたりが英語で手紙を書き、持っていってもらってサラさんに読んでもらおうというのが今回の企画。
わたしは2回の来日で世話役をしたので、特権(笑)で、お土産を持っていってもらった。堀江のジョローナでハードボイルド作家に似合いそうなネックレスを選んでもらったときの話も楽しい笑い話になったようだ。

そんなこんなおもしろ話もあって、話題豊富な会報が出来上がった。
明日綴じて封筒に入れてお年玉切手をたくさんカンパしてもらったのを貼ってポストに入れる。

英国パブ シャーロックホームズ 40周年感謝祭

長いこと毎月ヴィク・ファン・クラブの例会を開かせてもらっていたシャーロックホームズが開店40周年を迎えた。8月3・4・5の3日間が感謝祭ということで、全品200円offで提供と先日行ったときに聞いた。
たしか大阪駅前第一ビルができたときに入居開店したと最初の経営者であるご両親に聞いていた。わたしは15年目くらいから25年間行っている。最近はなにごとも5年10年単位で勘定してるなあ(笑)。

ということで、相方を誘って美味しいギネスを飲みに行ってきた。マルビルのスタバで待ち合わせ、LLビーンで服や小物を買ってお店に到着。いつもギネス1パイントは相方で、わたしは半パイントなんだけど、今日は1パイントずつにした。大きいカップの方が抜群に味が良いが、量を飲まないわたしはいつも半分。でも今日は1パイントを半分くらいさっさと飲んだ。うまーい。うまかったけど酔った(笑)。

お店はだんだん人が増えてきた。ダーツのお仲間とかよく見るカップル、男子一人で飲み食べるひと。帰りしにお店の経営者とこれからもよろしくと女性同志の固い握手を交わしてきた。

シカゴからの便り

ヴィク・ファン・クラブの会員中野和子さんはいまシカゴを旅行中である。20年ほど前にシカゴから便りがあって、友人からヴィクことV・I・ウォーショースキーが活躍する本を教えてもらって読んだという。そしてすぐにヴィク・ファン・クラブ(VFC)に入会された。VFCでは最初は手紙と電話とファックスが連絡手段だったけどすぐにメールを使うようになった。そしてかなり早く1998年に「VFCサイト」を立ち上げた。

ヴィクの活躍する街シカゴに住んで文章を書くのが得意ときたら、原稿を書いてもらわねばということで、中野さんはその翌年から毎月「シカゴだより」を届けてくれた。いま数えたら「42」まである。そのあとはブログKAZUN’s Show Caseに続いている。持続力があるのに改めて感心する。ヴィク・ファン・クラブが続いていることで、わたしもまた持続力があると自画自賛しておく(笑)。

中野さんは数年前に帰国されて関東に住んでおられ、今回は長く住んだシカゴを旅されている。そして、シカゴ在住中に面識を得たヴィクの生みの親であるサラ・パレツキーさんと会うという快挙を成し遂げた。
今日、その会見の様子をメールしてくれた。写真も文章もうまい中野さん、楽しいメールだ。今回は二度来日されたサラ・パレツキーさんに会ったことのある会員が、英語で手紙を書いてことづけることになった(わたしだけ中野さんに翻訳をお願いした上にわたしだけプレゼントをことづけた)。
今日はその会見の第一報がメールと写真で届いた。続いて詳しい報告が届く予定。会報の8月号は当然特集する。気になっている「VFCサイト 2」をやらなくっちゃ。