机の引き出し、たまには整理

わたしのパソコン机は右側の下部分は引き出しで、上部分には3段の書類ケースを入れてある。その両方に書類やらノートやらなんでもつっこんであるのでいざというとき探すのが大変だ。でもこの中に探すものが入っているという確信があるので、そんなに心配はしていない。

左側の下段はファイルが並べてあり、上段にはヴィク・ファン・クラブ関連の書類が入れてある。左右のボックスの上に大きな一枚板をのせて、その上にiMac(27インチモニター)を置いている。
真ん中にある椅子に座って、机上の左側に当座の書類入れを置き、右側には第一号のノートを捨てずに飾ってある。一枚板から棚がはみ出していてお菓子の缶などが雑多に置いてあるのがご愛嬌(笑)。

今年も税金申告の時期がきたので、パソコンでやろうと思っているが、去年は自信がありすぎてやりなおしたから慎重に。申告書を片付ける前の書類のいろいろが、引き出しと書類ケースにつっこんである。年に一度の整理をしつつ、申告書をつくるのが以前からの習慣。

今夜は書類入れだけでなく引き出しの整理もした。いろんなものがつっこんであるので捨てるかどうか迷いつつもゴミ袋へ移動。
足元がヒヤッとしてきたのでそろそろ片付けてお風呂に入ろう。

春の野菜の花 コウサイタイ(紅菜苔)

野菜の花が好き。年が明けると小さなつぼみがついた菜花が八百屋さんの荷に入ってくる。外は寒いが暖かい部屋で、ツボミのついたところをガラスのコップに挿しておくと徐々に咲いてくる。何回飾ってもまた次に買ってくるから食卓に花が絶えない。

今日の野菜の包みにはコウサイタイ(紅菜苔)があった。実は年末からぼちぼちあって気にせずにおいしいなと食べていた。今日は包んであるセロハン紙を開くと黄色い花がたくさんついていて、これはこれはとガラスの花瓶に挿した。コウサイタイの花は飾って可愛く、食べて美味しい。
野菜の花ってほとんど黄色くて可愛い。

今日はちょっとベランダに出ただけで、部屋にもどると目が痒い。しばしばして涙が出る。クシャミが出る。なんぎだ。だけど春だ!

とんとんとんからりと隣組(わたしの戦争体験記 49)

なぜかいまだにときどき口に出てくる隣組の歌「とんとんとんからりと隣組、格子を開ければ顔なじみ、まわしてちょうだい回覧板、教えられたり教えたり」
歌詞は多分間違ってないはず。ラジオからしょっちゅう流れていていたのがいまだに口にくっついている。

「コトバンク」の解説を読むと「江戸時代からの五人組は昭和になると都市では消滅したが、日中戦争以後に政府は国民精神総動員運動を企画した。1940年10月大政翼賛会の運動に引き継がれて・・・」と説明されている。
要するに、政府の思惑により外郭団体などが企画して国民生活の隅々まで支配しようということで、大阪新町に移り住んだ我が家も隣組に組織され、回り持ちで組長になって回覧板をまわしていた。

わたしは国民学校4年で疎開したので、その後のことは知らない。1年から4年の一学期が終わるまではずらりとハンコを捺した回覧板をお隣りさんにまわしに行ってた。配給とか灯火管制とか生活にかかわることはすべて上からの指導によって行う。それを軽快な歌を歌いながら運ぶ。

そういえば疎開から帰って住んだ家にも隣組があったが、みんな隣組といいながら自治会と名称が変わっていた。わたしの母親は婦人会の会長をしたりして活発な活動をしていたように思う。有志が集まって頼母子講なんかもやっていた。

姉が結婚して義兄が育ち暮らしてきた家に住むようになった地域には自治会があった。結婚して間もなく会計係に任命されたとかぼやいていた。その地域はいまも自治会が続いていて、とんとんとんからりんと戸を叩いてお隣りへお知らせなどを持っていっている。先日姉の代わりにわたしが持って行くと玄関はベルになっていた。玄関先での立ち話は昔のとおり。

曇りの日は苦手

最近よく思うのだが、曇りの日は苦手だ。もちろん雨の日はほんまにかなわんのやけど、雨が降っていると最初から諦めがつく。これなんのこっちゃでしょうが、膝の話です。湿度の高い日は痛い。これほんま。

わたしが子供だったころ、おばあちゃんや知り合いのお年寄りが、雨の日は肘が痛いとか、膝の具合が悪いとかよく嘆いていた。何気なく聞いて年寄りって大変なんやと思いつつ、実はあんなに文句をいう年寄りにはなりたくないと思っていた。11歳年上の姉のぼやきでさえ、うっとおしく感じていたもんなあ。なもんで、できるだけ泣き言をいうまい明るく振舞おうと頑張ってきていまにいたる。だから「くみちゃんは元気」が知り合い中の常識になっていて、わたしがしんどいといおうと思っても誰も聞く耳持ってない。
じっさい、幼年時のジフテリア以来、病気は風邪ひきとめまいくらいで1日寝たら治っていた。

先日は関東在住の次兄が明日姉の施設を訪ねるからと電話してきたが、「あら、そう」だけしかいわなかった。こんなときは現地の人としていっしょ行くとか、どこかでご飯を食べるとかするのが常識だと思うのだが、実のところ、膝がしんどい。姉が一人暮らししているときはしんどいのは隠して明るくつきあっていたんだけど、施設入りして家事の手伝いがいらないとなれば、もうあきません。しんどいからしんどいという。今日のような曇りの日は苦手だ。

ひとり春気分

前髪が伸びてうるさくなったので美容院へ電話したらいけるとのことでお昼過ぎから行ってきた。ちょっと間が空いたので話すことがたくさんあり賑やかなこと。

カットして手のかかったハイライトできれいに仕上った髪の写真を撮ってもらった。そこへ相方が迎えにきてくれて(往復送迎付き)入り口で挨拶したら店主さんが二人の写真を撮ってくれた。笑顔がいいからもう1枚と計5枚。

礼をいって帰ったんやけど、家に帰るとすぐiPhoneに写真が届いた。なんかすごくうれしそうに暖かい雰囲気で撮れている。撮り手が親しいせいもあるが、わたしの顔が優しく楽しそうに撮れているのでおおいに気を良くした。
27インチ画面で見るともっとうんといい感じである。これをそのままiMacの壁紙にしようと思うくらい明るい笑顔なのである。

晩ご飯のときに「あたし最近可愛くなったと思えへん?」と相方に聞いたら「角がとれてきた。ばったばったと切り倒すというところがなくなったから、顔が穏やかなんかな」という。「自分が病気になって人に助けてもらうようなったから、顔がやさしうなったんや」とのこと。

今日の昼間は暖かくて気分がよかったですね。いまこれを書いているバックではわたしがにっこり笑っております。

マーク・ウェブ監督『さよなら、僕のマンハッタン』

昨夜は先入観もなにもなく「映画見ようや」「今夜はこれ見るから」というわけで、ご飯後にすぐ見始めた。タイトルは聞いたがすぐに忘れてしまった。先入観なしではじまったが、主人公の青年トーマス(カラム・ターナー)が爽やかですぐに好感を持った。
「ウッデイ・アレンみたいな映画やな」といいつつ、青年と彼に近づいてきた初老の男(ジェフ.ブリッジス)の会話を楽しみ、ガールフレンドとうまくいけばいいのにねと応援していたが、いろいろあって物語はドラマティックに展開する。

時代のせいか、作家の資質のせいか、マーク・ウェブ監督はウッデイ・アレンのようにとんがっていなくてよい。問題が起こってもちょっとナンギやなといった感じで見ていた。
「ニューヨークはええなあ、マンハッタンもブルックリンもええなあ」と行ったことないのに羨ましがっている。映画見て羨ましがってもしゃあないけど、おうちでの食事もお店でのパーティも、みんなおしゃれして、仕入れておいた会話を楽しみ・・・こんなんやりたいけど・・・わたしはやっぱりおうちごはんがいちばんのような気がする。気分は内向き。

懐かしの路地〈ろーじ〉(わたしの戦争体験記 48)

先日、四ツ橋筋まで行った帰りにいつもより一筋北寄りの道を通った。その路地は南北に通っている。南のほうの道から入って北へ出て西へ向いて歩いたら新町1丁目から2丁目になる。

ここの路地は80センチ×30センチくらいの石が自然にうまく組み込まれている。掃除が行き届いていてとても素敵だ。
戦災で焼ける前はうちの家から出たところもこんなんやったと相方に説明した。路地の入り口にはお好み焼き屋さんがあって、仲良しのさかえちゃんの家はこの辺と思い出した。奥の反対側の出入り口には陸軍軍人のお父さんがいるおうちがあった。町会長をしていて徽章がいろいろついた軍服を着て髭を生やしてはった。

大人の事情はよくわからなかったが、貧乏人の子沢山だったわたしの父親が東京での仕事がうまくいかず、新町に住む姉に相談したようだ。それで一家あげて新町にきて姉の住んでいた家に住むことになったみたい。家は路地を入ってすぐのところにある二階建てで小さな部屋が多く中庭があった。新町2丁目で路地のあとも残らず焼けてしまったのに、いまも路地がそのまま使えているところもあるのが運の差なんだろう。

3月も読書の月

今日は起きたときは温いような気がしていたがそうでもないとそのあと気がついた。夕方になるとお尻のあたりが寒々とするのでカイロを貼った。これで毛糸のサポーターをつけたら真冬並みだわとサポーターはなし。もうちょっと寒さを感じたら出してはこう。と思っているうちにカイロとストーブのおかげか暖かく感じるようになった。寒さ暑さに敏感な高齢者ですから。パソコンの前に座ったら膝掛け毛布が用意してあります(笑)。

読む本がたくさんあって困る。自分の本を点検しては捨てているのに、姉のところから持ってきた本がある。その中から今夜はドナルド・キーン『百代の過客 日記にみる日本人』(上下 朝日選書)をあちこち読んでいる。この本に「和泉式部日記」の章があったので、自分の持っている古い岩波文庫『和泉式部日記』を出してきてあちこち読んだ。昔ずいぶん愛読したせいで本が傷んでいるのが懐かしい。

『帝王後醍醐』『吉野葛』など読みかけの本もいろいろある。図書館で借りた森山大道『遠野物語』はもう一度読むつもりだが、写真と文章の両方がすごい本だ。