エドワード・W・サイード『晩年のスタイル』第五章「消えやらぬ古き秩序」

エドワード・W・サイードの名前は知ってたけど本を読んだのははじめてだ。朝日新聞をとっているとき文化欄で大江健三郎がサイードについて書いていたように思うが、内容を読んだことがなかった。
今回は相方が図書館で借りてきたのを横取りして読んだ。「晩年のスタイル」というカッコいいタイトルに惹かれて。それと第4章に「ジャン・ジュネについて」があったから。ジュネについて読んだら、晩年の作品を読んでないのに気がついた。でも、エドマンド・ホワイトの「ジュネ伝 上下」を持っているから書かれていることはわかった。
さっき「ジュネ伝」も再読はじめたので、ジュネについてはまた今度にしよう。

「消えやらぬ古き秩序」という章は小説と映画の「山猫」について書いている。
ヴィスコンティの映画「山猫」はかなり昔に見たままだけどよく覚えている。イタリア南部の滅び行く貴族一族の物語だった。豪華絢爛の映像に度肝を抜かれるって感じだったが、20世紀フォックスから資金援助を受けた映画なのをいま知った。そのせいで20世紀フォックスのスターであるバート・ランカスターが貴族の役で出ていたのだ。(わたしはバート・ランカスターが大好きで「雨を降らす男」「OK牧場の決斗」「成功の甘き香り」など50年代のものが特に好きだ。「空中ブランコ」を長い間見たかったのを数年前に見てうれしかった。)その他、成り上がり者の娘アンジェリカにクラウディア・カルディナーレ、甥のタンクレディをアラン・ドロン、二人とも美しく素晴らしかった。(DVDが欲しい!)

本書ではじめて「山猫」の原作者のことを知った。ランペドゥーサの唯一の小説なんだって。ランペドゥーサは滅びゆく貴族として生きた記憶を書き残そうと小説執筆に踏み切った。「山猫」は多くの出版社に断られたあと、作家の死の1年後に出版され、ほぼ瞬時にしてベストセラーになった。4年後にヴィスコンティが映画化。

サイードは原作と映画の違いについて論考している。イタリア南部問題についてグラムシの分析から【まさに唖然とするほどの問題をかかえている。】という言葉を引用している。(ああ、グラムシ、若いときに読んだっけ。)グラムシが述べていることを詳しく解説したあとに、その反対側にいる小説の主人公についての話になる。

小説の一節から引用
【つまり、彼の先祖があんなにたくさんの資産を楽々と浪費しなかったら、彼のように卓越しデリカシーがあり、魅力的な青年を得るのは、おそらく不可能なのだ。】