「シカゴ・カブスとリグレー・フィールドに関する報告書」で山口由美子さんを偲ぶ

サラ・パレツキー『カウンター・ポイント』をようやく読み終わった。読書中に気がついたのだが章のタイトルに野球用語が多い。というよりほとんどである。1遊撃手、2ホームベース、3スラッガー、4出塁、5カーブで三振・・・というように。そしてリグレー球場が重要な舞台である。ストーリーに夢中になって読んでいたが、後半になって山口由美子さんを思い出した。
山口さんはサラ・パレツキーさんが最初に来日されたときにVFC会員になった。そして5年くらい会員だったが仕事が忙しくなったと退会された。その後は道でばったり会ったりして何度かお茶したが、連絡が絶えてしばらくして新聞に訃報が載った。57歳で心不全だったが、やっぱり元プレイガイドジャーナル編集長や、新聞に載ったなあと思ったものである。さっき検索したらウキペディアにあった。「プレイガイドジャーナル」は略して「プガジャ」という大阪発の情報誌で、80年代頃は知らない若者はいなかったほどの人気だった。

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トップページの目次でCHICAGOへ。CHICAGOの目次の一番下に「シカゴ・カブスとリグレー・フィールドに関する報告書/山口由美子」(1997年7月)があります。
文房具の調査員(当時雑誌に連載してた)だったミコさんがシカゴのリグレー球場について調査した報告書です。わたしも依頼人として登場しています。