日本人のブルース

月に一度のSUBの西山 満 QUARTET[西山 満(cell) 歳森 彰(P) 財 盛紘(B) 弦牧 潔(D) ] 。毎月一度の演奏を欠かさずに行って31回目だ。聴くたびにアンサンブルがよくなる。特に今夜は西山さんが最後にやったブルースを、メンバー全員よくやったと褒めた。客たちも一体になって楽しんだ。
わたしは聴きながら日本人と日本の音楽について考えていた。てれくさいので〈(笑)〉と入れたいところ(笑)。

この1週間に3本の日本映画を見た。「仁義なき戦い」(戦後のヤクザ)、「昭和残侠伝」(設定は戦後だがイメージは昭和初期のヤクザ)、「嵐が丘」(中世のはぐれもの)と時代が違って表現が違うが、なにか共通のものがあるとジャズを聴きながら思った。特に「嵐が丘」はイギリスの女性作家によるヨークシャーの荒野の物語を日本に置き換えたものだが、日本を描くのに、その物語を借りてきたものだ。

今夜の演奏は、アメリカのジャズというものに対して、これが日本のジャズです、と言っているようなちゃらちゃらしたものではない。真剣な日本のジャズなんだと思った。4人の奏者が真剣に生きていること、真剣に音楽をやっていること、から発生した音がほんとの日本のブルースの演奏になったと思う。

佐伯清監督「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」

目下、気分は健さんで、肩で風切って歩く気分(気分だけですが)。そして池部良の美しさに溺れている。この映画は封切りで見ていた。傘をさしかけるシーンの美しさは覚えていたとおり。

シリーズ2作目「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」(1966)は昭和初期に舞台を設定している。1作目は戦後だったが戦前の雰囲気が濃厚だったから、ぴったりの時代設定だ。
花田秀次郎(高倉健)は宇都宮の左右田組の客分だったが、自分の弟分(津川雅彦)の恋人が左右田組の息子に惚れられて困っているので駆け落ちさせる。話を通しにいくとその代わりに榊組の親分、秋山(菅原謙二)を斬るように頼まれて殺す。折り目正しく死んで行く秋山に秀次郎は襟を正す。
榊組は石材掘りの請負業をしているが、左右田組はすべてを分捕ろうと画策している。組長は元は榊組の人夫だった。
3年後に刑務所から出てきた秀次郎はまず秋山の墓参りに行くと、秋山の子どもがいてなついてくる。そこに秋山の妻(三田佳子)が来るが秀次郎は名乗れない。その後は左右田組の悪行を知ってなにかにつけ榊組に味方する。
榊組にアジア諸国を放浪していた畑中圭吾(池部良)がもどってきた。秀次郎と対決しようとするがひとまずとどまる。
そして我慢の緒が切れた秀次郎が左右田組に向かおうとすると、畑中がいた。彼の差しかけた傘の下で巻いてあった布から刀を取り出す秀次郎。雪が降る道を行くふたりの姿に主題歌がだぶる。

「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」全9作の土台がここに決まったという感じ。1作目はこれ1本だけという気持ちがあったろうが、この作品ではシリーズにしていく気持ちがある。それにしても主題歌がなんていいのだろう。斬り込みのシーンにびたっと決まって高揚感がいやが上にも盛り上がる。

吉田喜重監督『嵐が丘』

お盆休み映画鑑賞の3本目は前から見たかった吉田喜重監督「嵐が丘」(1988)。原作エミリ・ブロンテの「嵐が丘」は中学2年のときお年玉で買って以来何度も読んでいる。だけど映画は1939年のハリウッド映画、ヒースクリッフをローレンス・オリヴィエがやったのしか見ていなくてお話にならない。それよかアンドレ・テシネ監督でエミリ・ブロンテをイザベル・アジャーニがやっている「ブロンテ姉妹」が「嵐が丘」の雰囲気を伝えていると思う。

吉田喜重監督の「嵐が丘」は舞台を日本の中世に移している。役者の立ち居振る舞いやメイクと衣装が能や歌舞伎を取り入れており、広大なロケ地に建てられたおどろおどろしい鳥居や屋敷も中世的な雰囲気が漂う。うまい設定である。物語は原作どおりなので、時代を中世以降に設定したら、あの強い愛に生きる女性は描けなかったような気がする。一方、愛する女の骸骨まで愛するということは、やっぱり中世にしたのがよかったように思う。

松田優作の映画はこのほかに「ブラック・レイン」しか見ていないというお粗末。まわりの女子たちが騒ぎすぎていたこともあるけど、ちょっと距離をおいてた。「嵐が丘」では「ようやっている」という感じで、他の映画の松田優作を見たい。

1988年の映画だがこれだけの大作なのに映画「嵐が丘」があることさえ知らなかった。いかに映画から(そして音楽からも)離れていた時代か、いまになって不思議がっている。
吉田監督の映画は「秋津温泉」(1962)、「エロス+虐殺」(1969)しか見ていなくて、どうもすみませんというしかない。これからDVDでできるだけ追いかけたい。

佐伯清監督「昭和残侠伝」

懐かしき「昭和残侠伝」だけど、シリーズ1作目ははじめてだ。このシリーズはタイトルを覚えていないが何本か見ており、後期だと思うけど、雪が降っていて池部良が傘を高倉健にさしかけるシーンが美しかった。それだけでなく全体に様式美ともいうべき極ったシーンがあってしびれたことを思い出した。

戦後すぐの闇市シーンからはじまる。浅草の青空市場からマーケットを建てるまで、伝統を守る神津組に新興やくざ新誠会がからむ。由緒ある組の親分は時代の流れのなかで跡目にしようと考えている清次が戦争から復員するのを待っている。親分が息子の目の前で銃弾に倒れ遺言を残したあとに清次(高倉健)がもどってくる。清次の恋人綾(三田佳子)は縁続きの組の親分と結婚していた。
家出した妹を探して風間(池部良)は東京へ出てきて組の居候になっている。池部良と菅原謙二が仁義をきるところがなんともいいようがない。売春婦に身を落とした妹はこの組の一人と恋仲になっていた。殺された恋人の葬式の場で兄と妹は出会い、妹は結核で入院するが死んでしまう。
力のある親分の世話で小売商たちをなんとか自立させようとマーケットを建設していると、夜中に新誠会に火をつけられて全焼。

我慢の緒が切れて清次が立ち上がる。みんなはこれからのマーケットのことを考えろ、俺はひとりで行く。歩き出すと風間が待っていた。ふたりは新誠会事務所へ乗り込む。

深作欣二監督『仁義なき戦い』

お盆やし(笑)たまには映画を見ようやと相方が借りてきたDVDの1本目は懐かしき深作欣二監督「仁義なき戦い」。1973年の封切りで見て以来だから40年近く経っているのだが、いろんな場面を覚えていていっしょにセリフを言って楽しんだ。

「明日がないんじゃけ、明日が」と広能昌三(菅原文太)が殺しに出かける前夜の、鯉の入れ墨をした背中で女を抱いているシーン。若杉寛(梅宮辰夫)が逃走用に学生服を着て天ぷら学生と言っているところを警察に踏み込まれ、撃ち合いの末に殺されるシーン。坂井鉄也(松方弘樹)がふと玩具屋に入って見ているところを後ろから射たれるシーン。
刑務所で若杉と広能が兄弟分になるところ、梅宮が出所したいがために狂言で腹を切って文太が看守を呼ぶところもすごい。見ているとどんどん思い出していく。
最後の坂井の葬式で、たいそうな祭壇に広能がピストルをぶっぱなすシーンもすごい。

岩に浪がぶつかる東映映画のタイトルが出たあとに原爆が落とされるシーンがあり、闇市の活気とアメリカ兵の横暴シーンへとフルスピードでつながり、そこにいた広能の向こう見ずの暴力。ほんまにすごい映画だ。

アン・クリーヴス『野兎を悼む春』(1)

アン・クリーブスの「野兎を悼む春」を読み出した。その前に読む本があるのに、買ったときにちらっと読んだら離せなくなった。「大鴉の啼く冬」「白夜に惑う夏」に続く〈シェトランド四重奏〉の第三章である。前の2作は図書館で借りて読んだ。今回は翻訳が出るのを待って買ってきた。

最初に出てくるのが老女のミマなんだけど、彼女はすごく小柄で洗濯物を干すのに背伸びしないと洗濯紐に届かない。華奢で軽そうで強風にさらされて海に飛ばされそう。ミマはシェトランド署のサンディ・ウィルソン刑事の祖母である。彼女を訪ねてきたサンディはこともあろうにミマの死体の第一発見者になってしまった。こんなに楽しそうに書かれている女性がすぐに死んでしまうなんて。でも、過去形でも彼女がしきたりなどにとらわれず、したい放題してきたことがわかって楽しい。
そして前回に続きジミー・ペレス警部が登場。彼の恋人フランはいま読んでいるところでは、電話とペレスの心の中にたびたび登場する。

シェトランド諸島の地図を見ながら楽しんでいる。スコットランド北方沖に浮かぶ100以上の島からなるシェトランド諸島は北欧にも近い。スウェーデンのヘニング・マンケルの作品は緊張したまま突っ走り、ヴァランダー刑事は高い血圧と血糖値でよれよれの体で犯人を追いかける。犯罪も高度に発展した資本主義社会から生まれたものだ。本書のほうは資本主義といってもまだ農業や漁業と手仕事の世界である。読むほうも血圧があがる心配は無用。
(玉木亨訳 創元推理文庫 1300円+税)

1日2食で6年、菜食にして1年

1日2食にして6月で6年経った。月日の経つのが早すぎてこんな調子だとすぐに人生終わってしまいそう。まあ、あんまり考えんこっちゃ。ということで、1日2食は体にあったのだろう、自然に続いている。
菜食は去年の8月からだから満1年だ。家でだけの菜食で外食は肉食オーケーだから大きな声で言えないが、最近は懐不如意で外食あまりしてないからまあまあ菜食家だろう。我が家には、肉、魚、卵、牛乳がいっさいない。野菜と穀物と豆類ばかりである。冷蔵庫開けると野菜がどばっと入っている。

昼ご飯は、野菜スープ、野菜炒め、野菜サラダとパン。
晩ご飯は、ご飯、味噌汁、五目煮、厚揚げと白菜の煮物、切り干し大根、きゃらぶき、梅干し、緑茶、饅頭。

ヘニング・マンケル『背後の足音 上下』(3)

いま二度目を読んでいる最中である。下巻の途中までいった。最後がわかっているので気持ちがラクだから、ここが好きだなぁというところを何度も読んだりしている。出てくる女性がそれぞれみんな気持ちよい。

今回のヴァランダーは糖尿病を認めたくない50歳を前にした悩める警察官である。もうちょっとで車の事故を起こすはめになったり、いくらでも水を飲みたくなり、トイレが近くなり、疲れて棒のように感じる足で働いている。

くたびれ果ててもうこれ以上運転できないと思う。食べ物と睡眠が必要だ。道路沿いのカフェでオムレツとミネラルウォーターとコーヒーを注文した。注文を受けた女性は「あなたのお年では、ちゃんと夜は眠らなければ」とやさしく言い、そして手鏡を出してヴァランダーの顔を映してくれた。そして厨房の後ろに小部屋があってベッドがあるから使っていいという。車よりも眠れるでしょうとの言葉に甘えて横になり寝すぎてしまうのだが。「眠れるだけ眠らせてあげたかったのよ」とエリカはヴァランダーが起きるまで待っていてくれた。エリカは警官と結婚していたが離婚している。こんないい出会いをしたんだからヴァランダーとつきあったらいいのにね、と勝手に思うのであった。

ヴァランダーは女性に優しい。捜査中にアルコール中毒者の妻と話すが「でも、あたしはあの人がいなくなって寂しいわ」というのに、「わかると思う。親しくなければわからない面を人はだれでももっているものだから」と答える。
【その言葉を聞いて、ルートははうれしそうだ。ほんの少しのやさしい言葉で人を喜ばせることができるのだ、とヴァアンダーは思った。距離をおく態度と理解しようとする態度のちがいはほんの少しなのだ。】

ヴァランダーは大変な捜査の途中で、警察署長リーサ・ホルゲソンと部下のアン=ブリット・フーグルンドの二人の女性が自分の味方だと思う。受付のエッパもそうだ。エッパがヴァランダーに頼まれて家に行くところは、いつまでも帰ってこないので心配した。もうすぐ年金生活に入るというのに。
(柳沢由美子訳 創元推理文庫 上下とも1200円+税)

ヘニング・マンケル「背後の足音 上下」(1)

前作「五番目の女 上下」は去年の8月翻訳出版で、読んだのが10月だったから、今回7月発行は一年も経っていない。今回「背後の足音 上下」はそうそうに買ってきて読み出した。読み出したらやめられなくて先を急いで読み、いま二回目を読んでいるところだ。

プロローグは1996年のミッドサマーイブ(夏至前日)の夕方にに3人(4人のはずが1人病欠)の若者たちが自然保護区でパーティをはじめるところ。その前に不気味な男が彼らを見張る場所を決めている。
若者たちはそれぞれ茂みに隠れてカツラをかぶり衣装を整え、いま生きている時代から抜け出して18世紀の国民的詩人カール・ミハエル・ベルマンの時代の人となった。仮装してベルマンの音楽を流しワインを飲むピクニックがはじまった。笑い声が高まりまた低くなる。夜中を過ぎて3時過ぎ、サイレンサー付きのピストルを持った男は一人ひとりの額を一発で打ち抜いていった。そして計画していたとおり死体を片付けた。

8月になった。クルト・ヴァランダーはもうちょっとで自動車事故で死ぬところだった。居眠り運転をしていたのだ。喉が乾きトイレが近いしひどい疲れ感といまの出来事でおどろき、医院へ行くと血圧と血糖値が高いから糖尿病と言われる。

いままでも署を何度か訪ねてきて娘のことを調べてほしいと言っていた母親がまた来て、絵はがきを見せ、筆跡が娘と違うという。ミッドサマーイブをいっしょに過ごした友人とヨーロッパ旅行していると書いてある。その件で同僚のマーティソンとスヴェードベリと会議をしようとするが、スヴェードベリは欠勤で留守電にも出ない。

夜中に目を覚ましたヴァランダーはなにかを感じてスヴェードベリのアパートへ行く。閉まっているドアをナイフで開けるが、ひとりの行動を避けマーティソンを呼び出す。二人で中に入るとスヴェードベリが死んでおり、ライフル銃が投げ出されていた。つらい長い一日がはじまる。

スヴェードベリの遺品を捜すとミッドサマーイブの若者たちとひとりの女性の写真が見つかった。これで二つの事件が結びつく。なぜスヴェードベリは黙っていたのか。スヴェードベリの身辺を洗い出していくと、いままで知っていた彼と違う人間であることがわかっていく。
(柳沢由美子訳 創元推理文庫 上下とも1200円+税)

ヘニング・マンケル『背後の足音 上下』(2)

ローズマリーとマッツは毎週日曜日に自然の中を散策するのを楽しみにしていた。彼らはその日、ハーゲスタの自然保護区に行くことにしてきちんと計画をたて、車にリュックと雨具を積んで出発した。平地を見つけて朝食を食べローズマリーは敷物の上に横になった。マッツは用を足しに茂みに入るが、そこで見つけたのは三体の遺体だった。
ヴァランダーとマーティソンは額を打ち抜かれ腐乱しかかっている遺体を見て言葉を失う。ヴァランダー「いまはどんな無理なことでも、やらなくちゃならないんだ」。この若者たちを家に連れ帰ることができなかったという思いが彼をさいなむ。

発見されたとき3人の若者たちはパーティをしている状態だった。鑑識課のニーベリは、遺体その他はどこか別のところに保管してあったはずだ、発見者がおととい散策に行っていたら見つけてないという。丹念な捜査で遺体が置いてあった場所がわかる。穴は4体入る大きさだった。

病気でミッドサマーイブに参加できなかったイーサが自殺しようとしたところをヴァランダーは助ける。親にかまわれない孤独な娘にパーティのことなど聞きだすが、イーサは病院を抜け出す。ヴァランダーは彼女を捜してペルンスー島へ渡る。島の郵便配達人ヴェスティンのボートに乗せてもらうが彼と話していると疲れがとれていくような気がする。イーサはこの島にある家におり、二人は長い時間話し合って気持ちよくそれぞれの寝室に引き上げるが、翌朝イーサは黙って家を出ている。島を探すとパジャマ姿で岩陰にもたれて射たれていた。

この本を読む直前にノルウェーで連続テロ事件があった。本書は1997年に書かれている。
マーティソン刑事の言葉。
【でも、時代が変わったんです。われわれの気づかないうちにスウェーデンは変わったんです。暴力は自然なものになったんです。われわれは気づかないうちに見えない一線を越えてしまったんです。若い世代はみんな確固たる地盤を失ってしまった。もはや彼らになにが正しいか、なにが間違いかを教える者がいないんです。】

事件が終わってヴァランダーの思い。
【ヴァランダーの前には、頭がおかしくなって、どこにも居場所が見つけられず、最後には彼自身制御できなかった暴力を爆発された男が座っていた。精神鑑定で判明したことがもっとあった。家族にもネグレストされた子で、なにか問題につきあたったら隠れて避けることしかできなかった。そして笑っている人間に耐えられなかった。】
(柳沢由美子訳 創元推理文庫 上下とも1200円+税)