パソコン専用メガネを買った

わたしは老眼になるのが早かった。最初に保谷の広告で知った遠近両用メガネを買おうと決めて、それからずっと遠近両用メガネをかけている。きちんと目に合って長く使ったのは心斎橋そごうと白山眼鏡店のものだったが高かったから次は違うところ。そのときの経済状態に左右されている(笑)。お金と性能が正比例するのがメガネだ。

おととしの末に読書用にはじめて老眼鏡を買った。ほんまに本を読むのに調子いい。去年のはじめに遠近両用メガネを買ったのが、パソコン画面を見るのが少々しんどくなった。考えてみれば(考えなくとも)パソコンの前にいる時間がいちばん長い。遠近両用は外出時とテレビを見るときとか家事をするときにかけると役に立つ。
それでパソコン専用メガネを買うことにして、老眼鏡だから今回は近所のお店にした。この店が開店したときから見かけていた店主は若いおにいちゃんからおっちゃんになっていたが、親切丁寧でお互いに言いたいことを言いあって買うことにした。
いまそのメガネをかけて書いているが快適である。ミクシィの細かい文字も〈拡大〉しなくても、きちんと見えている。ますますネット生活に拍車がかかる。

マイケル・コックス『夜の真義を』のお屋敷

「夜の真義を」の主人公エドワード・グラブソンは幼年時に大きな屋敷に連れて行かれたことがあった。そのときの印象を大人になっても覚えている。
いま好意をもって遇してくれているタンザー卿の秘書に伴われて訪れたのは、タンザー卿の大きな屋敷である。エドワードはこここそ子どものときに行った場所だと確信する。すばらしく美しい敷地に建つ屋敷である。〈訳者あとがき〉によると、マイケル・コックスは本書を書くにあたってイギリスの三つの実在の場所を参考にしたとある。
そのひとつが〈ストップフォード-サックヴィル家の私邸〉とあるのに気がついた。サックヴィルだったら覚えている。ヴァージニア・ウルフの「オーランドー」だ。ウルフの親友で恋人だったヴィタ・サックヴィル・ウェストの屋敷。ヴィタの息子ナイジェル・ニコルソンが書いた「ある結婚の肖像」にも出てきたわと思って本を2冊出してきた。写真がある。このお屋敷が〈ストップフォード-サックヴィル家の私邸〉であるかどうかはわからないけど、とりあえず素晴らしく大きな屋敷なので、ここと思って屋敷を訪れるシーンをまた読むことにする。
今夜はせっかく出してきたことだし、「オーランドー」を広げてヴィタとヴァージニア・ウルフのことを偲ぶか。
(越前敏弥訳 文芸春秋 2619円+税)

マイケル・コックス『夜の真義を』

主人公エドワードが語る長い物語のはじまりは1854年秋のロンドン。エドワードは標的に選んだ見知らぬ赤毛の男をナイフで刺し殺す。この殺人は本当に殺したい男を殺すために試しただけだ。エドワードには本当に殺したい男がいる。いままでの人生のすべてを邪魔をした男、恋した女まで奪った男を生かしておけない。
イートン校からの親友ル・グライスとは心を開いてつきあっている。彼といっしょに酒を飲みうまいものを食べているとくつろげる。最近の様子を心配するのでこれまでのすべてを話したが、最後の決心は明かせない。

エドワードはドーセットで作家の母親と貧しい二人暮らしの生活をしていた。12歳の誕生日に母は木箱を持って「これは貴男のものよ」と言った。その箱には革袋に入った金貨が2袋入っていた。エドワードはこの贈り物は一回だけ会った悲しげな目をしたミス・ラムからのものだと思う。その上に母の親友がイートン校で学ぶように手続きもしてあるという。こうしてイートン校へ入学して成績もよく楽しい学生生活を送っていた。

彼の一生が狂ったのは学友のフィーバス・ドーントの奸計によって無実の罪をきせられ放校されたときからはじまった。
ドーントは貧しい牧師の息子だが、母が亡くなったあとに継母に寵愛される。父のドーント師はタンザー卿の領地の教会の仕事や屋敷の図書室の仕事をするようになる。継母とフィーバスは子どものいないタンザー卿に取り入る。その上にフィーバスは文才があり文筆家として人気が出る。

こうして明暗を分けた二人の人生だが、フィーバスの野心はエドワードがこの世にいることが邪魔で、あらゆる手段でエドワードの人生を踏みにじろうとする。

ディケンズの「荒涼館」を思い出した。イギリスの貴族の奥方はすごい。またバイアットの「抱擁」も思い出した。やっぱり芯の強い女性だ。エドワードの母も「抱擁」のレズビアンの詩人も自分が産んだ子どもを他人に託す。
(越前敏弥訳 文芸春秋 2619円+税)

マイケル・コックス『夜の真義を』をようやく読んだ

本書が3月10日に出ると知ったのは1月の末ごろだったかな。編集者がツイッターに熱く書いておられたのを読んで、好みや〜と思い、そうRTしたらフォローしてくださったといういきさつがある。10日になる前に読んだという書き込みがあったので、8日に姉の家に行った帰りクリスタ長堀の本屋に寄ってみたら、あった! でもそのときは「忘れられた花園 上下」を読みおわったところで、感想をあわてて、しかし丹念に2日かけた書いたのだった。
ようやく確定申告をすませ、10日の夜はOKI DUB AINU BANDOの演奏を聴きに行って、翌金曜日はゆっくりと仕事していたら地震があって津波が襲っていた。それに加えて原発事故が起こった。
そしてこの週は会報作り。時々刻々という感じでメールが入りミクシィとブログの書き込みがあって、それへの返信と会報への転載とで慌ただしかった。いらぬ雑事もあって時間と気持ちをとられた。ほんまにようやった1週間だった。前置き長過ぎ。

そんなことで、なかなか「夜の真義を」に取りかかれなくてあせったが、読み出すと現実を忘れて熱中していた。
ディケンズの時代の物語である。作中にディケンズの連載小説が載っている週刊新聞を待っているところがあった。ディケンズに捧げるみたいな気持ちがあるような気がした。ロンドンの霧、ロンドンの倶楽部、ロンドンの売春婦、ロンドンの食べ物、ロンドンの暗黒社会といちいち言いたくなるくらいに、ロンドンが描かれている。
だけど、本書に描かれているのは、現代人の精神の病いではないかしら。最初のシーンで主人公が見知らぬ男性を刺し殺すシーンの不条理は、19世紀に生きている人々を描いているのに〈いま〉(2006年イギリスで刊行)の感覚だ。
権威も良識もある人物から認められ好意をもたれる知性のある青年なのだが、彼の思いはただひとつ、仇を討つことに集中している。大学から放逐されるよう仕組れたところからはじまり、これでもかと押しつぶそうとする相手の禍々しさ。恋する相手さえも奪われるのだが、彼女は奪ったほうの男を愛していて彼をだましていた。
あらゆるものについての細かい描写に心を奪われつつ読んでいき、最後になって現代人の孤独な精神の物語なのだと気づいた。
(越前敏弥訳 文芸春秋 2619円+税)

マドンナ 作 ガナディ・スピリン 絵『ヤコブと七人の悪党』

図書館で最初に借りたのは英語版だった。まず絵が素晴らしいのに引き込まれて、眺めているうちにこの絵の意味はなんやろと思った。子ども向けとはいえ文章が多くて、こりゃ読むのは無理だなと思っていたところ、図書館に日本語版があったので読むことができた。

カバーの裏側にマドンナの言葉「この本は、18世紀のウクライナに実在した偉大な師、バール・シェム・トヴの話をもとに書かれました。(中略)どうか、影の後ろには光があるということをけっして忘れないでください。」がある。

中世の感じの建物と道を行く馬車の美しい景色を見ながら靴職人のヤコブが働いている。彼には妻と息子ミハイルがいるが、息子は病気で医者から見放されている。ヤコブは村はずれに住む賢者に最後の手段として息子の命を助けてくれるように頼みにいく。
賢者の祈りだけでは助けることができず、賢者は町の悪人どもを連れて来て祈るように導き、ミハイルの命を救う。

絵だけを見ていたときは悪人どもがわからなかったし、そのうちの一人ボリスが裸足で、最後に靴を手に持っているのがわからなかった。賢人は自分の息子バベルのためにヤコブに靴をつくってもらう。脱いだバベルの靴をボリスが盗むのだが、反省して返しにもどってくる。その靴は君にあげるとバベルは言い、生まれてはじめて「ありがとう」とボリスは言った。

このストーリーさえわかっていれば英語版のほうがずっといい。タイトルの絵と文字の組み合わせが良すぎる。物語は教訓的だが絵が素晴らしい。
(角田光代訳 集英社 1900円+税)

ヴィク・ファン・クラブ例会日、その前に細野ビルヂング

マイケル・コックス「夜の信義を」をおおかた読んだのだが、今夜はまだ感想が書けそうもない。ツイッターの読み過ぎだが、いまいちばん興味のあるところだからしゃあない。原発事故について勉強中。勝間和代って最初から好かんかったがほんまに好かんわ。上野千鶴子とどっこいどっこいに好かん。

今日はヴィク・ファン・クラブの例会日なので、ジュンク堂へ寄ろうと思って早めに出たら、細野ビルの近くで細野さんとばったり出会った。ちょうどいいところで会った、話があるからお茶を一杯と言われてビル内へ。話というのは、今日細野ビルでやるはずだった大阪市西区の催し「魅力伝道師による音楽のある写真展覧会」が地震のために中止になったことだった。ここんとこ細野ビルにはご無沙汰していたので知らなかった。
午前11時から午後5時までの写真展示と音楽演奏(リコーダーと鍵盤ハーモニカ)という静かなものなのだが、自粛することになったのだという。急なことで展示者と出演者には知らせたが、肝心のお客さんには知らせることができなかったため、来た人に謝って帰ってもらうしかない。一人一人にビルを案内するにも、入場者が重なってしまうとできない。区役所からはだれも来ないので、細野さんは昼ご飯を食べずに朝から夕方まで一人で対処していたという。
そのパンフと中止と書いてある紙を「細野ビルヂング情報サイト」に載せてもらいたいというのがわたしへの依頼だった。オーケーしてあわてて梅田へ。

ジュンク堂滞在時間は30分になったが、目的のサラ・パレツキー「レイクサイド・ストーリー」「センチメンタル・シカゴ」をまず買った。サラ・パレツキーとVFC普及のために、貸本屋「アンポポ」に置いてもらう。本にはVFCの名前とわたしのメールアドレスを貼っておく。
もう1冊、ピーター・トレメイン「死をもちて赦されん」を買った。修道女フィデルマのシリーズの最初の作品がようやく訳された。7世紀アイルランドの物語なので、読みやすいのが最初に訳されていた。ちょっとお店で読み出したら、若きエイダルフが出てきた。おっ、フィデルマと初対面のシーンがこれからあるのね。興味しんしん。

例会のほうはいっぱい食べておしゃべりふっとう。フィッシュ&チップス、ソーセージ炒め、サンドイッチ、すじ肉のワイン煮、そしてギネスとアイリッシュコーヒー、今宵は肉食可で胃袋がびっくり満足、おしゃべりで気分も満足。

ミステリマガジン4月号はジョー・ゴアズ追悼特集

明日25日は5月号の発売日なので書いておこう。ツイッターで売り切れ書店続出というツイートを読んで、慌ててジュンク堂へ行ったのは3月のはじめごろだったか。特集がふたつあって、わたしの読みたいのはジョー・ゴアズ追悼特集なんだけど、売りは「高橋葉介の夢幻世界」なのだ。たった1冊しかなかったのには驚いた。だからツイッターにもわざわざ「ジョー・ゴアズ追悼特集」だから買ったと念押し(?)ツイートしといた(笑)。

特集にはゴアズの短編小説がひとつと、追悼エッセイがふたつある。木村二郎さんの「ハメットを追いかけた男」と小鷹信光氏の「ビッグ・ジョーの思い出のひとかけら」。ゴアズという素晴らしい作家を亡くしたさびしい思いが伝わってくる。
わたしはゴアズのファンで作品はわりと読んでいるほうだと思う。机のそばに「スペード&アーチャー探偵事務所」を置いてあってときどき読む。「ダン・カーニー探偵事務所」ものも大好きだ。ここに出てくる女性たち、キャシー・オノダやジゼル・マークがとてもいいのだ。このシリーズは出版社が違ったりしているがずっと読んできた。

ここに紹介されている短編「黄金のティキ像」(木村二郎訳)は、都会派とゴアズを思っていたから驚いた。フランス領タヒチ島パペエテ港でフェロは「きょうの冒険の問題は、冒険がないことだ」と言う。背が高くて胸板の厚い純血タヒチ人のマチュアがにやっと笑って答えかけたのをさえぎって、大男が声をかけた。船を貸し切りにし黄金のテイキ像を海中で探す仕事を大金を払うからと持ちかけられて、二人は応じる。思いがけない場所の設定だが、ゴアズらしい骨太の作品。〈冒険児フェロシリーズ〉だって。
(ミステリマガジン2011年4月号 800円+税)

久しぶりに昼夜の外出

ここんとこ昼間に出かけるのはスーパーと郵便局くらいだったが、今日は四ツ橋のみずほ銀行へ行った帰り堀江のチャルカへ寄って、おいしいシフォンケーキと紅茶、そしてお店のHさんと言葉を交わして、好みの紙類を買った。雑貨店に行くのは久しぶりで楽しかった。
7時からユーストで広瀬隆さんと広河隆一さんの原発事故の話を聞いた。具体的でよくわかるだけに恐ろしさがつのる。
晩ご飯をさらっと食べて10時ごろ、ひとりでパノラマへ出かけた。今日はパノラマ手芸部の2周年になる。たくさんの女子がにこやかに迎えてくれた。なんやかやと言葉を交わす人がたくさんいるっていいもんだ。
アベチカさんからのバースデーケーキのプレゼントをみんなでよばれた。いつものように音楽が響く中でマッサージをしてもらった。おしゃべりをたくさんして12時過ぎにご機嫌良く帰ってきた。

朝起きてからツイッターを開きっぱなしで原発事故についての書き込みを読んでいて、暗くなっていたから、とてもいい気晴らしになった。帰ってからまたすぐにパソコンをにらんでいるけど、若い人たちと楽しい時間を共有できてよかった。

笑顔でいこう

今日ちょっと会った若い人に「kumikoさんの笑顔を見るとほっとする」とほめてもらった。「顔を見たらほっとする」とか「安心する」と最近よく言われる。明日は先日そう言ってくれた女子がいるところに顔を見せに行くつもり。

震災後に妹から電話があったが「長電話するよ」とさきに言ってから延々と長電話。わたしと話をするとホッとするんだって。姉はそんなことは言わないが、姉の家に行っている6時間しゃべりづめである。わたしが間の手を打つのがうまいからだが、にっこり笑顔も効いていると思う。妹にはげらげら笑いが効いているみたいだ。

わたしだって不安がいっぱい。特に姉と妹と比べたら経済的にとんでもない生活である。自分でもこの楽観性はどこからくるのかと思うくらいだけど、「なんとかなるさ」と開き直っている。若い人に、ああいう生き方もあるんだなと思っていただければ、こういう生き方をしている者としてはうれしいことだ。
困難な時代だけど笑顔でいきましょう。

昔の西部劇『赤い河』のモンゴメリー・クリフト

この映画を40回くらい見たと言ったら呆れられるやろなぁ。うんと昔のビデオがない時代、上映されていると知ると遠い映画館でも出かけて見た。その後はテレビの洋画劇場みたいなので見たし、輸入版のレーザーディスクを買って何度も見て、いまはDVDで見ている。
最近は映画のDVDそのものを見ることもなかった。今日はTSUTAYAでなにか借りてこようと言いつつ行く元気がなくて、在庫をあさってこれに到達。

「赤い河」(1948)が好きの理由のトップはモンゴメリー・クリフトが出ていること。次は馬と牛がいっぱい。その次は、ジョン・ウェインとウォルター・ブレナンが出ていること。わたしはハワード・ホークス監督のファンでもある。
モンゴメリー・クリフトの映画の中でいちばん好き。細いウェストにベルトと拳銃のベルトが重たげ。静かだけど意志が強くて射撃の名手。ユーモアもある役どころを演じている。
見ながら次はこうなるんやでとかしゃべりつつ見ているとゴクラク。長い旅から牛の売買の契約のために事務所に入って天井を見つめる。「長いこと屋根のないところにいたからというで」と言ったらそのとおり(笑)。