レイモンド・チャンドラー『かわいい女』

わたしは日本でチャンドラーが紹介された最初のころの読者だと思う。家には「別冊宝石」が山ほどあった。チャンドラーの他にもウイリアム・アイリッシュ、エラリー・クイン、クレイグ・ライスなど子どもながらにおもしろくてしかたなかった。父が亡くなったときに10册ほどもらってきて置いてあるが、触るとぼろぼろと破れ落ちそうだ。

いつまでも読まない本を置いておいてもしょうがないので、不要な本は整理しようとぼつぼつ出している。わりと新しいのは妹や友だちに送っているが、汚くても手放せない本がナンギだ。読みたい本は買う主義だったが最近は図書館で借りて読むことが多い。物を持たないという考えが本にはおよんでいなかったのが、ようやくおよんできた。

さて、本書、レイモンド・チャンドラー「かわいい女」だが、古い(1959年発行)創元推理文庫だ。紙は茶色く変色し小さな文字は読みにくい。それでも持っていたのは愛着があったからだが、もういいか。チャンドラーの作品中でいちばん好きなので捨てられなかったのだが。
ドロレス・ゴンザレスというハリウッド女優が好きでずっと名前を覚えているくらいだ。ドロレス・ゴンザレス、これからも忘れないだろう。燃えるようなブラウス以外は男が着るようなスタイルの黒ずくめの服装。「女には、いくら恋人があったとしても、どうしても他の女にゆずれない恋人があるのよ」「でも、私が愛した男は死んでしまったわ。私が殺したんだわ。他の女に奪られないように・・・」おお。

その他にも「濡れた手袋で顔を殴ってやったらいいわ」「誰がいったんだ」「壁よ。ものを言うのよ。地獄へ行く時に通り抜けた死んだ人の声よ」という受付の女。

PANORAMA手芸部で息抜き

家にいるとパソコン前と読書の他になにもすることがないという不趣味者である。ちくちくと針仕事ができれば言うことはないのだが、出来上がりのカタチが見えるのに手が追いつかぬ。今日はPANORAMA手芸部の日。息抜きが必要と10時過ぎに片付けて出かけた。人のお裁縫を見てのんびりしよう。

最近は知った顔が増えて、その上にツイッターでみんなの動きが見えているので場に居やすくなった。女たちそれぞれがいきいきしている。音楽がある場でいままで味わったことのない雰囲気がある。何十年か音楽の現場から離れていた間に変わったのね。
昔のジャズ喫茶は男の世界だった。わたしはどこでも出入りしていたし、男性たちも受け入れていたけど、それは〈名誉男性〉だったからだ。いつから変わっていったのだろう。
わたしが言うとリクツっぽくなるが、女性がそのまんまの姿でいられる場所があるいまはすごく気持ちがいい。

今夜はHさんの誕生日で、突然DJサキちゃんがハッピーバースディツーユーをかけ、みんな拍手をして祝った。まわってきたアベチカさん作のケーキは秋の味で最高だった。
マッサージもしてもらった。すごい肩こりが解消されたので今夜は安眠できそう。

個人年表作成中

おととい佐藤薫さんと話をしたときは(80年代)と指を折り、昨日は「マリクレール」を買っていたのはいつだったかな(90年代)と首を傾げて考えた。毎度こんなことをしててはいけない、ってずっとこうしてたんだけど(笑)。で突然、年表つくろうと思った。
今日はエクセルで西暦、年号、年齢、自分のできごと、まわりのできごと、社会のできごとの行をつくった。いやに縦に長いんでいやになるが、ちょこちょことすぐ書けるところを入れていくと、人生だな〜悪くないって気になった。

この表を眺めながらブログのテーマを決める日もありそうだ。とりあえず数日は入れる楽しみを味わえる。さっそく去年暮れの義兄、今年夏の義姉の命日を入れたが、父親と母親のを覚えてないという親不孝者である。父のほうはブログをはじめてから亡くなったのでわかるけど。母のほうは姉に聞こう。
登山のところは登った山まで入れようとしたらたいへんやな。このころ登山に夢中と書いておくか。コーラスも団長したこともあったなぁ。仕事を辞めてぶらぶらしてたとき大阪府知事選のアルバイトをしたとか、年表っていくらでも埋めることが出てくるのね。

海野 弘「プルーストの部屋『失われた時を求めて』を読む」を読む

暑くても本は読んでいたけど、涼しくなると厚い本を読もうという気になる。海野弘さんの「プルーストの部屋『失われた時を求めて』を読む」を出してきた。1993年に出た本で何度か読んでいるのだが、時を隔てて読むとまた新鮮に読める。
わたしは井上究一郎訳の「失われた時を求めて」を二度読み、三度目は挫折したままなのでなんとか完読したいのだが、こんな生活をしていたら無理だ。それで本書で気を紛らわそうと思ったのだが、この本は「失われた時を求めて」を読みたくさせる本でもあった。ああ、どうしよう。

いまは出ていない女性誌「マリクレール」に連載されていたものである。もう亡くなられたけど名編集者で知られる安原顕さんが編集長だった。安原さんに「好きなだけやれ」と言われて延々4年間続けた労作である。美しい写真とともに毎月読むのが楽しみだった。

1980年代後半から90年代のはじめはどんな時代だったろう。雑誌が輝いていた最後の時代だったのかしら。個人的には音楽から去って猫の時代だったなぁ。音楽関連の若い友人たちが東京へ行き、わたしらは猫と家でレーザーディスクで映画を見ていたんだわ。ソニーの大画面のテレビを買って、そうそうプロ野球も見てたんだ。ちょっと年代表をつくってみたくなった。失われた時を求めて。思い立ったが吉日だエクセルでkumiko年表の骨組みをつくった。徐々に書き入れていく。
(1993年初版発行 中央公論社 4500円)

dommuneでEP-4 佐藤薫さん

半月ほど前に発表されたEP-4 佐藤薫さんのdommune出演日が今日だった。実は昨日は間違えて7時にパソコンの前に座っていたが他の番組がはじまり、カレンダーを見直したら今日なのであった。今日も7時に夕食をすませて正座っぽく椅子に座った。

EP-4は80年代のパンク・ニューウエーブを聴いていた時代にもっともスゴイ(いまの言葉で言うとヤバイですね)と思ったバンドだった。外来のバンドはそのバンドが生まれた街でやったらヤバイだろうが、こちらへ来るとホールでやるからもうひとつなのだった。

扇町へんの営業を終えた小さなブティックの店内を片付けてスタンディングのライブ。この一回しか聴いていないのに、80年代というとなにをおいてもEP-4を思い出す。その次は友だちが佐藤さんといっしょにわが家に来たのだ。そのときは夜を徹して語り合った。いつのまにか窓の外が明るくなっていったのを覚えている。朝食に紅茶とトーストとゆで卵を出したっけ。とにかくオトコマエで笑顔が優しかった。
それからは東京へ行かはったのだろうか。いつの間にか25年経っていた。

わたしの愛するミュージシャンは70年代は阿部薫で、80年代は佐藤薫だとさっき気がついた。素晴らしいミュージシャンと知り合った幸せを感じる。阿部薫は亡くなってしまったが、佐藤薫さんは音楽の世界に帰ってこられて、また活動をはじめられるようだ。

今日のdommuneでは、司会者たちと会話するほっそりとした佐藤さんはエフェクタから声を出されていた。横のTLに「佐藤薫といえばヴォイスエフェクターだ」というのがあったので納得。
EP-4の83年のライブ映像に佐藤さんが音を重ねられた。カッコいいぞと叫ぶ声をとどけたいが、すでにいっぱい聞こえていることでしょう。
また「25年前のぼくのレコードは、いまのDJの人たちにかけてもらうために12インチで出してたんです」とおっしゃった。
また「音楽はどっかで聞くもの」とも。相方は「だよな。おれは今夜もクラブで聞く」とツイッターに書いてお出かけ(笑)。

少し風邪気味だけど元気

この1カ月くらいはサラさん来日に向けての会報づくりや連絡メールで忙しかった。昨日の光合祭で冷えたってこともないが、ようするに張り切り過ぎがたたったのだろう。今朝はすこし風邪気味。寝ていたらヒューという小さな音が自分の胸の内から聞こえたと思ったら咳が出た。
起きてから野菜と豆のカレーをつくって煮込みながら半身浴して、食後は2時間寝たらかなり回復。だけど夜遊びのPANORAMA行きはお休みにした。

うれしいメールがきて、一人悦にいっている。サラ・パレツキーさんのブログにわたしらの写真が1枚入っている。

もういっちょう、ツイッターにあったサラさんの出発直前のコメントを教えていただいた。
I’m getting ready to leave for Japan where I’ll have the opportunity to speak and take part in the International PEN Congress on literature and the environment. Very excited, especially at the opportunity to meet up with some of the strong interesting women I met there fifteen years ago.

雨の日曜日って秋らしい 夕方から光合祭へ

夏の間は雨が降らなくてたまに降ると大雨だったが、ようやく秋らしい雨が降るようになった。そしたら晴れてほしい日に降る。朝はまだ天気がよかったように思うが、お昼過ぎに起きたら降り出していた。

なにかうまいものが食いたくて、今年最後の茄子やと言いながら秋なすのパスタをつくった。トマトはずっと生のトマトを使っていたが水煮缶を使用。サラダのトマトも高くなったのでプチトマトに切換え。夏の名残りっぽい昼食がうまかった。

メールの返信やミクシィのコメント返しを書いておやつを食べて、夕方から光合祭の湊町リバープレイスへ。すっかり遅くなって帰りかけている人もいる8時までの2時間。最後の1時間はageishiさんのDJで盛り上がった。
秋分の日に毎年行われる光合祭が雨のために今日に延期されていた。今日雨ならば気持ちよい外でのお楽しみは屋内に変更されると聞いていたが、ほんまに雨になり屋内になった。あそこらへんへ行くとよく目立つピラミッドみたいなガラス屋根の下の階段と広場である。

子ども連れが楽しめるようにK嬢が小さな子どもたちを集めて遊ばせている。薄い衣装と大きな羽根を背中に広げたフェアリー姿で、フラフープやシャボン玉や昔遊びのいろいろ。先日のタムタムカフェオープニングパーティでも子連れが多かったが、これからはDJルームの横に託児室がいるね。子どもができてサヨナラするんでない人たちが増えたらええな。

サラ・パレツキーさん夫妻をお見送りの巻

サラさんご夫妻は昨日はお二人で古都奈良を散策して楽しく過ごされたそうだ。雨もたいしたことがなくかえって落ち着いてよかったとのこと。
奈良から東京へもどられるのを、京都まで送ってほしいと頼まれたので、通訳を翻訳家の飯干京子さんにお願いして難波で待ち合わせた。初対面だったけどすぐにわかり、ミクシィで長くつきあっているので奈良までの車中を旧知のように話し合っていた。

9時半に奈良ホテル到着、すこし早かったので近所を散策してからロビーへ。ここのロビーへ一度入ってみたかったのよね。クラシックですごくおしゃれ。すぐにサラさんが見つけてくださった。喫茶室で新聞を読んでいるコートニーさんがカッコいい。タクシーがくるまで庭で写真を撮る。サラさんはジーンズにスニーカーの軽装がよく似合っている。お二人の中に入って撮ってもらったけど、真ん中が谷だ(笑)。

タクシーで奈良駅到着。エレベーターの場所など確認しておいたのでさっさといき、時間があるので駅内のカフェでコーヒー。サラさんはiPadを出して写真を見せてくださる。コートニーさんはiPhoneで時間を見ておられた。
近鉄特急は指定席で4人向かいあって座った。飯干さんの流暢な英語で会話がはずむ。外は黄金色の田んぼが続き曼珠沙華が咲いている。快適な35分が過ぎて京都着。

新幹線の乗り場って電車を降りたらすぐなんだ。ずっと向こうのように覚えていたのはなんでやろ。ホームに上がってのぞみが来るのを待った。列車に乗り込まれるのを待って外で見ているとサラさんが中腰になって手を振っている。

お見送りが終わってホッと一息。二人で駅ビルを長いエスカレーターでのぼって昼食。JRで大阪へもどった。帰ったら疲れが出て一眠りしたけど、目が覚めたら元気回復していた。ああ、楽しかった。

サラ・パレツキー「サマータイム・ブルース」[新版](2)

2カ月ほど前にヴィクシリーズを友人に貸してあげることになったときに、「サマータイム・ブルース」だけがなくてごめんねと言って2巻からお貸しした。だれかに貸したままなんだけど、25年間に何冊か買っているのよね。それも最後になくなっていた。今回、[新版]が出てよかった。読み終わればやっぱり第1作はういういしい。

シカゴはいま7月。V・I・ウォーショースキー(ヴィク)はミシガン湖沿いに車を走らせている。レイク・ショア・ドライヴから離れサウス・ループへ出てモンロー通りの煙草屋の隣にあるプルトニー・ビルに入る。エレベーターが動かないので4階まで階段を上がる。薄暗い照明の下のドアの文字は〈V・I・ウォーショースキー、私立探偵〉
部屋に入りエアコンのスイッチを〈強〉にすると、ヒューズが切れて照明の電気も消えてしまう。窓を開けると通りの反対側にある〈アーニーのステーキ店〉のネオンがまたたいている。
そして依頼人が訪ねてくる。横柄な男で職業別電話帳で見つけたと言い、一人の女子学生の居場所を探るように依頼し、現金で500ドルを支払って去る。
何度読んでもハードボイルド私立探偵小説の出だしとして最強。

25年前のわたしは、幼少時から読んでいたのに離れてしまったミステリの世界にもどってきて数年後だった。数年間古本屋でポケミスを買いあさり、ハードボイルドミステリが自分にぴったりくることに気がついた。ハメットやチャンドラーは昔ある程度読んでいたので、その後継者たちの本をたくさん読んだ。そして出合ったのがロバート・B・パーカーのスペンサー・シリーズだった。最初の数冊を読んだときの熱狂はすごかった。そしてサラ・パレツキーのヴィク・シリーズが出て並ぶことになった。
二人ともインテリの作家で、第1作はハードボイルドミステリを研究し尽くして書いており、すごくうまいけどちょっとパターンどおりかなと思うところがあった。でもところどころはみ出している部分があっておもしろかった、2作目からそれぞれの個性ある作風になっていったと思う。

女子学生を探して大学に行き、先鋭な女性たちのグループに接近する。依頼人は怯えきっている14歳の少女とヴィクが言うと、やっぱりおまわりじゃないのと返される。その返事「わたしに命令できるのは、警官、市会議員、局長といった階級組織ではなくて、わたし自身だけよ」。そしてピーター卿なら気の利いた会話でなんでも聞き出し、そのあとレズビアン自由基金へ200ポンド寄付するだろうと続くのがおかしい。本書ではもう一カ所ピーター卿の名前が出てくるので、サラ・パレツキーによってドロシー・L・セイヤーズを知った人も多いと思う。
(山本やよい訳 ハヤカワ文庫 940円+税)

サラ・パレツキーさんご夫妻と楽しい会食 続き

昨日は公式報告ぽいことを書いてるので今日は具体的にいろいろと書こう。6時半前にお店に着いて入り口で通訳係の2人が待ち、4人は部屋で席順を決めて座って待つことしばし、お二人が入ってこられた。サラさんがすぐに「すぎやさん」と呼びかけてきて手を取り合った。サラさんは黒のトップとパンツに赤いジャケットと赤い靴がすごく似合っていた。

それぞれが座り料理が運ばれるまでプレゼント交換。チャルカで選んだ東欧アンティークのブローチを全員からプレゼント。Uさんが選んだ和紙のカードに全員サインしたのもつけた。サラさんはブローチをすぐに胸につけてくださり、渋い色の花が赤い服によく似合った。Sさんはみんなに持ってきた名物かりんとうのセットをサラさんにも。Tさんは長良川の鵜飼いの浮世絵を説明とともに。実はTさんは15年前に名古屋と大阪の講演会と大阪のパーティに出席された。帰りの電車でサラさんといっしょになったが、やさしく話してくれる英語が理解できなくて悔しかった。それから一念発起して英会話に取り組み、昨日はみごとに思いのたけを話された。
会員のKさんから預かったのは小浜市の名産品であるお箸で、オバマシールを貼ったカードつき。Oさんから預かったのは東京のサイン会での写真とお菓子が入った千代紙を折った父上手製の小箱。それとヴィク・ファン・クラブの会報9月号もお渡しした。

サラさんからわたしがいただいたのはマッキントッシュのローズピン。そしてみんなにヴィクシリーズ新作の「BODY WORK」にちなんだタトーシールが配られた。山本やよいさんからも心遣いのプレゼントをいただいた。
そして写真係が活躍。サラさんもご自身のカメラでみんなを撮っていた。山本さんからのチョコレートを持ったわたしの写真を山本さんに送ってくださるって。

サラさんたちは燗したお酒、わたしらは冷酒で乾杯。会話はUさんの仲介でどんどん進み、それぞれ手酌でご馳走を食べるのだが、話に集中して料理を味わっている余裕がない。ヴィクの事務所の壁にかけてある絵のことや、「バーニング・シーズン」の取材に高い場所に行ってコートニーさんがひやひやした話や、囲碁に深い関心をもっているコートニーさんの話。サラさんの短編に囲碁好きの日本人が出てくる「高目定石」というのがありましたっけとうなづきあった。

それからいっぱい話したんだけど、思い出したら追加することにして、最後はまた写真を撮り合ってお開きとなった。お店の人が全員写真を撮ってくれたし言うことなし。
それからそれぞれの本にサインをいただいた。新刊2冊の他に原書を持っているひと、新刊の「BODY WORK」を持っているひともいた。
お別れの挨拶をしていたら、コートニーさんがわたしを抱きしめて頬にキスをしてくださった。タクシーに乗るときに「もう一度」とまたキス。舞い上がってしまったわ。
サラさんたちは奈良ホテルへもどられ、わたしらは西大寺の駅で解散した。

大阪のホテルへ泊まるUさんと日本橋で降りてタムタムカフェへ。お互いにご苦労さんとカンパイし、ずっと続いている会話の続きをまた続けた(笑)。タクシーでUさんをホテルの前でおろしてから帰宅。長く充実した一日だった。

当分はヴィク・ファン・クラブをやめられない。