ブリあらと大根のトマト煮

今日の主菜はいつも食べる米のご飯とブリのあらと大根の醤油煮でなくて、トマトで煮たもの。見たところはイワシのトマト煮と変わらないけど、箸をつけたらおおいに変わっていた。お醤油で炊いたブリの目玉のところが大好きなのだが、トマト味もうまかった。片身だけだったから、目玉はわたしがもらった。
もう一皿は大根、にんじん、生椎茸を蒸した温野菜、グリーンの葉っぱをのせて。そしてトーストパンはなにもつけずに焼いただけ。トマト煮のお皿を最後はパンでぬぐってなにも残さず完食した。赤ワインとよく合って質素だけどうまかった。
ちょっとしつこい味で口の中が魚とオリーブオイルの味でいっぱいになったが、食後の紅茶がさっぱりとよく効いた。

時雨れる

午後から姉の庭の片付けに行った。今日は晩ご飯をいっしょに食べるので鍋の材料をデパ地下で買った。鶏肉と牡蠣と豆腐と野菜と饅頭とプラス頼まれ買い物をぶら下げて、デパート出てタクシー拾うまでが重かった。

今日の仕事、伸び過ぎた竹と終わった萩の枝を切って捨てようとゴミ袋に収納していたら雨が落ちてきた。これは時雨じゃわいと大喜び。冷たいのがしばらくぱらぱらと降ってやんだ。いまのは時雨やったなとまだしつこくいっている。すこし寒くなったときにさっと降ってやむ雨。すっごい日本的というか、情緒たっぷりな雨じゃわいとかひとり思って喜んでいた。
作業中にいつも土曜日担当の姪が、忘れ物があったとやってきた。やーやーと家の中で用事をすませて帰るわというので、「顔くらい見せーな」といったら「それ!顔」と差し出してから引っ込めて帰っていった。時雨みたいな女子なり。

タチアナ・ド・ロネ原作、ジル・パケ=ブランネール監督『サラの鍵』

おんな友だちにいい映画だから見るようにと紹介されたのだが見てよかった。
世界的ベストセラーになったタチアナ・ド・ロネの小説を2010年映画化したフランス映画。残念ながら原作を読んでなかったのでこれから買って読むつもり。

サラ・スタルジンスキという女の子がベッドで弟とふざけているところから始まる。幸せな笑い声が響いているところへ警察がやってくる。母が相手をするが警官たちは問答無用で、父と母とサラを連行しヴェルディヴ(屋内競輪場)へ送り込む。1942年7月、ナチに占領されたフランス政府と警察がパリ市内に住むユダヤ人1万3千人を逮捕し、うち8000人をヴェルディヴに収容し、のちにアウシュヴィッツに送った。

一家3人はヴェルディヴに送り込まれる。サラは弟を納戸に隠し鍵を外からかけたため、ずっと弟を助けにいこうと思っている。トイレもなくなんの設備もない競輪場に収容されたユダヤ人たち。ひどい悪臭が立ちこめるところで過ごすが、次は臨時収容所に移され、男・女・子供と別にされる。

サラがもう一人の女の子と建物の外へ出ると、他の人たちはみんなアウシュヴィッツに送られてしまった後だった。弟を助けに行かなければと二人で脱走しようとする。若い監視人が鉄条網を持ち上げてくれ二人をくぐらせてくれた。必死で草原を走る二人は、ひととき小さな沼に体を浮かべて休息する。森を抜けて村へ出たがどこの家も助けてくれない。小屋に潜り込んで寝ているところを農家の夫婦に助けられる。
もう一人の女の子はジフテリアで死ぬ。警官が調べにやってきたがサラは匿われて助かる。
老夫婦はサラを服と帽子で男の子に変装させパリへ連れて行く。サラは自分のアパートへ行くとドアを鍵で開ける。そこで見たものは・・・

アメリカ人ジャーナリストのジュリア(クリスティン・スコット・トーマス)はフランス人の夫と結婚して安定した家庭だが、二人目の子供を妊娠している。いまさらの年齢で子供を持ちたくない夫と気まずくなるジュリア。
「ヴェルディヴ事件」についての記事を書くことになり取材をはじめる。

第20回大阪翻訳ミステリー読書会 『さむけ』ロス・マクドナルド著

早くから課題書が決まっていたのになかなか読めず、というより、読むべき本の中に混ぜて積んだままだったのをようやく読んだ。ロス・マクドナルドの本は70年代になってミステリー読者に返り咲いたころに読み出して夢中になったが、最終的にはたいしたファンではなくなっていた。輝かしくロバート・B・パーカーのスペンサーが出てきて、ジョセフ・ハンセンの調査員ブランドステッターやマイケル・ナーヴァのヘンリー・リオスなどゲイの探偵、そしてヴィクなど女性探偵たちの新鮮さに興味が移った。あちこちで書いたが、目下の興味は北欧の捜査官たちに向いている。

今夜の「第20回大阪翻訳ミステリー読書会」は20名の参加者が熱心に『さむけ』について語り、ロスマクについてそれぞれ感じたところから語っておもしろかった。ベテランの読み手の人を別にして、たいていは今回はじめて読んだ人なので感想も新鮮だ。その感想の裏打ちをするベテラン読者がいるのがいい構図だった。読書会の醍醐味を主催者は味わったと思う。

甘いもの食い過ぎ

今日は木曜日で姉のところへ介護に行く日。朝から出かけて5時まで家事とあんま。背中をあんましながらいっしょにテレビを見ていた。日馬富士問題では貴乃花親方がおしゃれなのに驚いた。ええマフラーしてはる。2時間の古い刑事物も見た。
おやつにイカリスーパーで買っていった大きなおはぎを食べた。二人とも高齢者なのによく食べる。長生きの秘訣は「よく食べる」ことにあり(爆)。

帰りは空っ風みたいな風に吹かれて長時間のタクシー待ち。祝日だからなかなか通ってくれない。ようやく乗れてやれやれ。運転手さんと相撲の話なんかしながらライトアップした御堂筋を通って機嫌よく帰ってきた。

家のドアを開けたら相方がアメリカ村ビッグステップの催しSTEP HARVESTで買ってきた食べ物をテーブルに並べて一息ついていた。無農薬野菜いろいろ、蜂蜜と調味料、パンとケーキとチョコレート。
その中から1個600円!というシナモンロールを半分こしてコーヒー淹れて食べた。それから八百屋さんにもらった大学芋も食べた。両方ともむちゃうまい。だけど、こんなに食べてええのかな、ええんかいなと反省心がわいてきた。まあ明日から考えよう。今日は勤労感謝の日だから甘いものを食べて感謝だ!

今宵の雨の寒さかな

もうとうに過ぎたが11月7日は立冬だった。この日から立春の前日までが冬だって。暦には「日は短くなり時雨が降る季節」とある。先週くらいから目立って日が短くなって夕方すぐに暗くなるので慌てた。11月22日ごろが「小雪」というんだって。平地にも初雪が舞い始める。雪が舞わなくても大寒いのだろう。

今年はいつもの年より早く寒くなった。毎日寒くてかなわん日々である。先日と昨日と慌てて冬の服を補充した。寒くても天気が良ればいいが、雨になると冷えて大寒い。今日は夕方から雨になったが、部屋の中まで冷やっこくて寒い。ガス代の心配しつつファンヒーターの温度を上げている。
ベランダへ出てみたらひどく寒いから洗濯を中止した。いささかオーバーだけど干した衣服が凍りそう。天気が戻ったら洗濯して干すことにしよう。
トシのせいだろうが毎年だんだん寒さをきつく感じるようになった。暖かいタイツの補充をしなくては。部屋履きの厚いソックスの洗濯替えを買わなきゃ。つい手元にあったのを人にあげてしまったので。

かんちがい

先日、なんとなくはじめて入った婦人服の店で声をかけられて「これより少し短かめで太めのパンツを探してるんやけど」といったら「お客さんにぴったりのがありますよ」と出してくれた。試着してみたらほんまにぴったり。「これいただくわ」という本のタイトルがあったっけと思い出しながら即買った。売る相手のあてがあったのがこっちへまわってきたのかも。

接客の話題や態度も気に入ったのでもう一枚いいのがあれば買おうかなと今日ぶらりと行って、ここだっけかなと前を通ったら「こんにちは」と声が聞こえた。声の方を見たら、昔の知り合いみたいで、「久しぶりやね」と返事した。昔の知り合いが昔のままでいるわけない。先日のお店の人である。ボケてるわとあわてて謝って新たに1枚良さげなのを出してもらって買った。今日は裾を5センチほど短くしてもらった。1時間待っていると仕上がるというのでコーヒーを飲みに行って戻ったらできていた。

「さっきはごめんね、かんちがいもええとこや」と謝ったが〈おかしなおばはん〉と思われたやろな。アシックスの靴とジョローナのバッグとシルクの5本指靴下をえらく褒めてくれた。商売上手なんや。またなにか買いに行こう。

室生犀星『山吹』のふたり

道を歩いていているときにちょっと脇へ寄ってなんとなく空を眺める。青い空に白い雲が浮かんでいたらラッキー。運良く昼の月が見えたら気分がよい。雨雲が見えたり向こうのほうが曇ってきていると、雨になるから帰って洗濯物入れなくてはと気がせく。

夕方には月が見えないかなとぐるっと空を見渡す。天文の知識がまるでないから見えたらラッキーというだけだ。うちのベランダからは西から南方面と上空が見える。お月さんが西にあればいうことないけど、この半月ほど見えたことがない。時間をずらせば見えるだろうが、夕方から深夜にかけては全然見えない。寝坊だから家で明け方見るのは無理である。徹夜で遊んだ帰りに明け方の月を見るのが好きだが、この頃はそれがないので寂しいかぎりである。

月と木星がセットで見えてたときが懐かしい。あれは春か夏のことだったかな。
「月齢カレンダー」を見るのが好きだが、参照しようにも月が西の空に見えないのだからしょうがない。月にまつわる話をあれこれ読むばかり。俳句や和歌を読んで気持ちをうろうろさせる。

思いがたどるところは、室生犀星『山吹』。ふたたび会えた男女は都でいっしょに住むようになるが、おとこが病いの床につきさきが長くない。ふたりは月を眺めている。千年あとでも、ひとは月を見て語るのだろうか、とふたりは語り合う。
『山吹』の男女が語り合ったときから千年経っているかしらないけれど、いま、月を見て同じことを思ってますよとあのふたりに伝えたい。

アラジンのオーブントースター活躍中

長い間普通のトースターを使っていたが、大き目のパンを横にいれようとするとつっかえ、縦に入れるとはみ出したぶんは焼けないしナンギだった。
やっぱりオーブントースターがいるとなってネットで探した。せっかくだからちょっとおしゃれなのが欲しい。ということでこれいいねと3機種選んで検討したんだった。
値段もそこそこだし、これにしようと決めたのがアラジン。配達してもらわなくても買って即持って帰るからと相方が出かけた。
ネットでは3色あったが、店には黒しか置いてなかったそうで、「黒」といってもチャコールがかっていて粋だ。3色見てもこれにするとのこと。

さて、それからは、毎日機嫌よく使っている。ダンナがですが・・・。料理をするように皿のような鍋のような容器がついているのも便利だ。手袋も買ってきたし。持ち手のついたまな板みたいなのも買ってきて、毎日使っている。

蕎麦を食べる日と代わりばんこにオープントーストをつくってもらって食べている。一日置きにカフェメニュー(笑)。女性誌の料理特集をいろいろ買って研究しているからうまい。パンの上にのせるものがユニーク。

マーティン・スコセッシ監督『ニューヨーク・ニューヨーク』

ロバート・デ・ニーロとライザ・ミネリ主演の1977年の映画を日本での上映を待ち構えて見に行った。今夜はレンタルブルーレイで見たのだが、記憶とちょっと違っているような気がした。自分に都合よく覚えていただけかもしれないけど。
サックス奏者のジミー(デ・ニーロ)がアフリカ系ミュージシャンとともに演奏するときのシーンが記憶に残っているのだが。もう40年も経っているのだから自分勝手な記憶かも。

1945年日本との戦争に勝った戦勝記念日のニューヨークはたくさんの人出で賑わっていた。ジミーは、うろうろしているうちにテーブル席に一人座るフランシーヌ(ライザ・ミネリ)に気づき強引に誘う。ジミーはサックス奏者でフランシーヌは歌手だった。二人は共にビッグバンド楽団に入って田舎まわりのツアーに出る。ツアー中に結婚。ジミーは演奏はずば抜けているが短気でバンドのメンバーと同調できない。機嫌よく歌っていたフランシーヌは妊娠がわかりニューヨークに帰るという。結局二人は離婚してそれぞれニューヨークに帰る。
レコード会社の偉い人がフランシーヌの歌と容姿を認めて後援し彼女は大衆的な人気を得る。

数年後にはジミーもバンドと店を持ち成功している様子でフランシーヌの舞台を観にくる。
最後にジミーが一緒にご飯を食べようと誘い、楽屋口で待っていて彼女が来ないのに気がつく。