思い出いろいろ 第3回

 

東京の思い出 その4 土手と富士山と

五反田の家のそばに土手があったと覚えているのだが、どこへつながっているとか、そこだけ高くなっていたのかとか全然覚えていない。ただ坂をあがれば高いところにいけて、そこから富士山が見えたのだけ覚えている。夕日と富士山という陳腐な風景があたまに残っていて、もしかしたら漫画の一コマではないかと思ったりするけど、確かに見えてたように思う。それといっぱい生えてた猫じゃらし。

散歩の好きな一家で両親と姉二人と兄二人がぞろぞろ連れ立って歩いていた。その次にわたしと弟がついていた。もう一人弟がいたのだが、ジフテリアに感染して次兄とわたしが入院して助かったときに入院しないうちに亡くなった。いつもきょうだい7人といっているが、実は幼くして亡くなった弟がいてきょうだい8人だった。末の弟は赤ん坊がいたっけというくらいの記憶しかない。末っ子の妹は大阪に引っ越してから生まれた。
東京の家のことはほとんど覚えていない。ジフテリア菌が記憶をとばしてしまったのかも。入院のことはよく覚えていて、東京の記憶はジフテリアの入院にまつわることばかりだ。

思い出いろいろ 第2回

東京の思い出 その3 雑草の名前はヤブガラシ

住んでいた五反田の家の近くの空き地に生えていた雑草がずっとアタマから消えなかった。その花か実を忘れられないで何十年も生きてきた。なんという名の草なのかずっと疑問に思っていた。よく見る草だとはわかっていたが、調べ方がわからなかった。
それが数年前にうちの近くの長堀通りで見つかった。長堀通りの中央に遊びのある草地ができた。最初はきれいに整地してあったがいつのまにか雑草の王国となって、わたしを含めて近くの雑草好き(わたしが知っていたのは1人)が喜んだ。野バラ、レンゲ、スミレ、カラスノエンドウ、ハコベ、ホトケノザ、オニタビラコ、ヒメジョオン、などが咲き、ヘビイチゴが実った。ツクシもたくさん伸びていた。季節が移ると赤まんま、月見草がいっぱい。どこからかタネが飛んできたのかハーブも生えていた。

初夏になると先に書いた雑草とともにヤブガラシがあった。これは折って帰り図鑑で確かめた。そうか、これはヤブガラシというのかと感無量。でも喜んだのは束の間で、夏になると繁る繁る。おっそろしいほど繁殖した。これが子供の時に見たあの寂しげな草の正体かとびっくりした。繁る前のまだ暑くなる前に見たんだね。
大阪のど真ん中の道路だからきれいに整地され植木が植えられ、いまは雑草が生える隙間がない。もうヤブガラシとも会えないかもね。

思い出いろいろ 第一回

ぼちぼち書き溜めていこうと思っています。

東京の思い出 その1 東京生まれ

わたしは戦前の東京で生まれた。住所は東京都品川区五反田まで知っていてあとは覚えていない。姉か兄に聞いたらわかるだろう。両親と姉2人と兄2人と弟の8人で5歳ぐらいまで住んでいた。
覚えていることは少ない。簡素な家があり狭い庭があり巡らした木の塀から外に出る木戸があった。庭に立っている洗濯干し竿に母がいつも洗濯物を干していた。
洗濯干しが終わると母は木戸から外に出て買い物に行く。弟をおぶった母に手を引かれて出ることもあったが、留守番するようにいわれて庭や縁側で遊んでいた日が多かった。ある日、母が買い物に出たのを追いかけて迷子になり、お巡りさんに連れて帰ってもらった。迷子札をつけていたので助かったそうな。

東京の思い出 その2 紙芝居

家の庭の周りに低い木の塀が巡らされていたが、ある日、紙芝居屋さんが塀の外に来て仕事を始めた。わたしは塀の中から板の間に顔を突き出して外の子供達といっしょに紙芝居を楽しんだ。「おたけ〜」と女中さんを呼ぶお嬢さんが出てくる。姉の名前が武子なので、姉が呼ばれているような気がした。
紙芝居が終わって顔を引っ込めようとしたら引っかかって入らない。耳が邪魔になってたみたい。通りかかった大人が顔を引っ込めてくれたのだが、それを兄が見ていて、「あれは◯◯だ」と当時の喜劇俳優の名前をいった。ほんまかどうかはわからないまま。

昼ごはんはお蕎麦

うちは朝起きたら白湯を飲む。朝ご飯は抜き。遅起きなのであれこれしているとちょうどいい塩梅にお昼になる。半年くらい前までは我が家の熱心なシェフが、パスタ、サラダ、肉の入った料理とコース料理のように調理していた。あるときお昼ご飯食べすぎやなと気がつき、相談してそれからちょっと量を減らすことにした。洋食が多かったのを和食を増やし、それも蕎麦やうどん、さつまいもに小豆をかけたのとか、軽めにした。洋食にしてもパスタ少なめでサラダを多く。アラジンのオーブントースターで焼いたオープントーストは肉系よりも野菜をのせる。
午後はお腹が減るから果物とかヴィーガンケーキとかカロリーのあまり高くないものを食べ、晩ご飯は以前のとおりたっぷり。お酒少々。いまのところそれが合ってるみたいで快調。

お蕎麦は乾麺を茹でている。麺つゆは何回分かを大鍋で作って冷やしておく。つゆには梅干しと生姜をすったのと刻みネギを入れる。お蕎麦の前に卵とか魚とかタンパク質と野菜を食べる。食後は甘いものをちょっと食べる。貰い物のお菓子とかクッキーとかこんなときあるとありがたい。
まあ、だいたいにおいてよく食べる。快食である。そして快便。

街の中で曼珠沙華

こどものとき、お彼岸に山梨県の母親の実家に行った。すぐ近くの丘に彼岸花(曼珠沙華)の群落があってどこまでも真紅の花に圧倒された。近所の人が山羊を飼っていて山羊の乳を飲ませてくれた。山羊の乳で溶いた粉で焼いたお菓子もうまかった。

いま、この辺りでもちょっと歩けば家の玄関先に置いた植木鉢や公園の片隅に誰かが植えた曼珠沙華が咲いていて楽しくなる。姉の家のあたりに行くと街路樹の根元にも咲いていて、去年も見たっけと微笑ましい。姉の庭にあるのは白の曼珠沙華で、最初はわざわざ買って植えたそうなので全体に大きい。毎年きちんと同じ場所に5本くらい咲く。また近所には赤いのが乱れ咲いていてなかなかいい感じだ。

この近くの以前は街路樹が植えてあったコーナーに花の咲く雑草が茂っている。猫じゃらしもあるから勝手に生えたのか人が関わっているかわからないけど。その中に1本だけ曼珠沙華がぐっと伸びて咲いている。がんばれよ、来年も出てこいよと応援した(笑)。

蒸し暑いし蚊に噛まれるし

今年の夏は最高に暑かった。いっとき猛暑から解放されてタオルケット1枚では寒い!というくらいに涼しくなった。1週間もなかったけど。その後、最盛期よりはましだけどまた暑くなって今日に至る。今日の午後からの蒸し暑さはすごかった。じっとりと汗かいてTシャツ2回着替えたもん。いまは少しマシだけどそれでも暑い。

その上、目の前を蚊が飛んでいる。あっという間にキーボード打ってる右腕を噛まれた。さっきはテーブルに移動してコーヒー飲んでたら左腕を噛まれた。なんちゅうこっちゃ。結局血を吸われて逃げられた。
先日なにかの虫に刺されたらしく赤く腫れたことがあって、ムヒを買ってきた。その前はキンカン塗ってたことがあったが、ほとんど掻いている間に治るから薬なしで掻いている。でもせっかくのムヒがあるのだからさっき塗った。

蚊は猛暑のときは出てこないでちょっと涼しくなると出てくる。寝る前に蚊取線香を忘れずにつけておかねば。

小山仁示さんの思い出

小山仁示さんが5月26日に亡くなられたと昨日(6月2日)姉の家の朝日新聞で知った。専門は日本近現代史で関西大学名誉教授だけど、ずっと大阪大空襲の講演会のほうで知られていた人だ。2006年の講演会のときにしんどそうだったので、それ以来お名前を見ないし気になっていた。実は先日ふと小山さんのことを思い出して検索してほっとしたところだった。虫の知らせというけど、亡くなられた日の前後だったと思う。

大阪大空襲は1945年3月13日の深夜から14日の明け方にかけてだった。わたしの家は西区にあってアメリカ軍の空襲で焼け出され、命からがら親子離ればなれになって逃げた。わたしはいま焼けた家の近くに住んでいるのだが、なにも空襲について学ぼうとかいう気持ちをもたないで戦後50数年を過ごしてきた。それが田辺寄席の会報「寄合酒」に載っていた「田辺に落とされた模擬原爆、戦中戦後の男性と女性」という東住吉区女性学級の記事を読んで行ってみようと思った。講演内容もだが講師が小山仁示さんだったので、お会いしたくなったのだ。

その帰り道で、昔の仲間の話になり、わたしの知っていた夫人は若くして亡くなり再婚したこと、いっしょに遊んだ文学仲間の青年も最近亡くなったと教えてくれ、「昔の仲間で生きてるのはぼくときみだけや」と言われた。「ぼくも元気なつもりやけど、君は元気そうやな」と続けられ、わたしは「出世とかお金のことを考えへんから元気なんですわ」と答えて「変わらんなあ」と笑われたのだった。
それから2006年の講演会にもう一度行ったのが最後だった。そのときは面会者がたくさんいてお話できなかった。
小山仁示さんのご冥福をお祈りします。

ダルジール警視シリーズを揃えようと思う

レジナルド・ヒルさんがお亡くなりになってから以前に増してダルジール警視シリーズに惹かれている。最初は図書館で借りて読んでいたが、いつのまにか買うようになった。それでもそんなに熱心ではなく読んでしまえば人に貸してそのままになったりで、あまり持っていることに執心してなかった。それに途中から読み出しているから全作品を把握していない。ジュンク堂で見かけてまだ読んでなかったと喜んで買ったり、前後もばらばらだった。
ここにきて揃えようかなという気持ちになり、いまアマゾンの古本で「幻の森」「子供の悪戯」「死者との対話」を注文した。ポケミス1冊分のお金で3冊買えてうれしい。
とにかくなにを読んでいてなにを読んでないかわからないというありさまだ(笑)。在庫本を出してなにがないかよく調べねば。全部読んでいると思うのだが9割かもしれない。

『アレクサンドリア四重奏』を読みたくなった

今日のツイッターに「アレクサンドリア四重奏」を読みたくなったという若い読書家のツイートがあった。思わず「早く早く読んで! 」とRTをつけてしまった。
それがね、わたしが読んだのは40年も前ですごいと思ったことしか覚えていない。いま、「ジャズ喫茶・ロック喫茶 MANTOHIHI(マントヒヒ)」という新しいサイトのためにわたしなりの「マントヒヒの思い出」を書いているんだけど、それが1971年からの話で、「アレクサンドリア四重奏」を読んだのはそれより前のことなのだ。はげしく読書に励んだ日々の記憶が蘇った。
あんなに読書したのは少女時代とあのころだ。まあいつでも本は読んでいるけど、あのころが最高やった。バタイユの「空の青」「眼球譚」、プルースト「失われた時を求めて」、セリーヌ「夜の果てへの旅」「なしくずしの死」、グラッグの「シリトの岸辺」、ジュネ「花のノートルダム」など文学志向。モーリス・ブランショとかロラン・バルトも読んだ。

また読むつもりだったからそのまま「アレクサンドリア四重奏」は置いてあったけど、つい最近、相方が読むと宣言して開いたらすごく字が細かい。結局は図書館で新しく出たのを借りて読んだようだ。
「ジュスティーヌ」「バルタザール」「マウントオリーヴ」「クレア」と4分冊だもん。1冊の本ならきっと読み返していたと負け惜しみを言っている。ああ、いまの積んどく本を早く片付けて文学書を読みたい。

ナンシー・アサートン『ディミティおばさまと聖夜の奇跡』

去年の末に「優しい幽霊シリーズ」3冊をNさんに貸していただいて読んだ。その続きで4冊目(2010年9月発行)の本書を今度はSさんが貸してくださった。
シカゴ出身のロリが亡き母の友人のディミティおばさまから莫大な遺産を受け取る。そして遺産の管理をしていた弁護士の息子と愛し合い結婚する。遺産の一部であるイギリスの田舎の家に住むことにし双子の男の子が生まれた。

ベビーシッターが長い休暇をとったので、義父の大ウィルスは子どもの面倒を見にボストンからきている。
クリスマスも近くなり、ロリは完璧なクリスマスにしたいと準備が忙しい。村の人たちとの降誕劇もある。外を見ると雪が降り出していた。

翌朝も雪は降り続き、ビルが窓際にぬいぐるみのうさぎレジナルドがいるのに気づく。息子のベッドに入れてやってたのに。窓に近づいて外を見ると一人の男が倒れていた。粗末な服装をしたホームレスのようだ。家に連れて入りソファに寝かせるとまだ脈はある。
大ウィリスが連絡して英国空軍の救命救急ヘリでオックスフォードのラドクリフ病院へ搬送した。義父の人脈を使った医師団が低体温からの肺炎と栄養不良で意識不明の彼の治療をはじめる。

ロリはディミティおばさまとの連絡に使っているノートを広げて天国のおばさまと交信する。浮浪者はどうやらおばさまに知り合いらしい。クリスマスのクッキーを焼いたり楽しい一日を過ごすはずが、オックスフォードのラドクリフ病院で過ごすはめになるなんてといやいや出かける。ビルはボストンに仕事が発生し出かける。
翌日、ロリは病院へ行くが、患者は見た目よりもずっと若く看護婦たちの関心を惹いている。帰ろうとすると一人の男が呼びかけた。あご髭をはやし黒い革ジャン姿だが、ローマ・カトリックの司祭ジュリアンと名乗る。
それからはジュリアンと助けた男スミッティのことで、走り回るはめになり、クリスマスどころではなくなってしまう。
(朝月千晶訳 RHブックス+プラス 800円+税)