1カ月ぶりにSUBで楽しんだ

夕方から関西電力前の抗議集会に行く相方と5時過ぎにざるそばを食べて、わたしはそれから掃除や片付けして8時にSUBへ。
先月SUBに行ったときになぜか咳が出て偶然持っていた〈うどんや風一夜薬の生姜飴〉で救われた。帰ってダウンはしなかったけど咳が止まらず、風邪だろうかもしかして黄砂のせいかと疑ったが、とにかく咳に悩まされた10日間だった。

久しぶりだったのでなんだか歓迎された感じ(笑)。ターキーサンドとコーヒーを頼んだ。ターキーサンドはターキーと野菜をトーストしたパンにはさんである。オリーブとキュウリのピクルスとポテトチップスがついてなかなか上手な盛りつけ。コーヒーで食べたが、今度はビールにしようかな。

今夜は竹田一彦さんのギターと、ベースは財盛紘さんと途中から井上幸祐さんに変わった。最後の2曲はテナーサックスの長谷川朗さんが加わった。
竹田さんのギターはいつも静かで優しい。井上さんのベースといっしょだといっそう叙情的になる。
最後に、竹田さんに誘われて、お店をやってる長谷川さんがいそいそと楽器を出して、うれしそうに加わった。「枯葉」と「バイバイ・ブラックバード」。
西山さんが亡くなってからはじめて演奏する「枯葉」。西山さんは毎回「枯葉」やろう言うてたなって竹田さんの言葉にみんな笑ったあとしんみりとなった。
いつものことだけど生演奏を聞いているとわたしは幸福だなとつくづく思うのである。

今夜のSUBは、Two Guitarists

金曜日のSUBは竹田一彦さんのギターと財盛紘さんのデュオの日なんだけど、今夜は東京からのギタリスト菅野義孝さんと竹田さんの「Two Guitarists」だった。ふたりは息の合った華麗なギターを聞かせてくれ、客はみんな時間や仕事のことや苦労を忘れて聞いている感じ。ふと顔を上げて客席を見渡したら恍惚とした表情で聞き惚れている人もいて、満員の客全体に幸福そうな気配が充満していた。

わたしは先日からレジナルド・ヒルの傑作「ベウラの頂」を読んでいて、アタマの中は滅多に味わえない幸福感に満たされている。この作品ではマーラーの〈亡き子を偲ぶ歌〉が底に流れていて重要な役割を担っているのだが、今夜のわたしには、ふたりのジャズギタリストが奏でる音が〈亡き子を偲ぶ歌〉とだぶっていた。

演奏中に突然喉がいらついて咳が出てナンギなことになったなとハンカチで口をおさえたが、バッグにのど飴が1個入っていて助かった。非常袋を持ってるもんですね。生姜飴(うどんや風一夜薬)とビニール袋と小型懐中電灯(サラ・パレツキーさんにいただいたシリーズ30周年もの)と手帖とペン、健康保険証をお気に入りの小袋に入れている。でも1個だけなので、効力があったところで口から出してハンカチに包んでおいて、もう一度咳き込んだので、また使った(笑)。今日は一日中背中が凝ってたし風邪を引くのかも。今シーズン最初の風邪やな。

SUBでシクラメン

2日から5日までベースの宮上啓仁と井上幸祐が入れ替わるだけであとは同じメンバーというシクラメンの今日は3日目。
地下鉄から出て階段を昇りかけるとドラムの音が聞こえてきた。練習してるのかしらと思ったら、8時半前にもうはじまっていた。
メンバーは横尾昌二郎(trumpet) 長谷川朗(sax) 蓼沼ゆき(piano) 宮上啓仁(bass) 中道みさき(drums)。
トランペットとテナーサックスがふたり並んで目の前で吹くのだから景気がよい。ふたりの気が合っていて、好きでやっているという幸福感がもろ伝わってきて楽しかった。長谷川さんのサックスからはニューヨークからの風が吹いてきた。宮上さんのうまいベースがそれを受ける。蓼沼さんのピアノもよく響いた。そしてはじめてきくドラムの中道さんは大学1年生。10歳からドラムをやりはじめたそうで、うまくて力強くてしなやか。しっかりファンになった。
10時過ぎまでいい演奏を聞かせてもらってしあわせな気分になって帰った。
これからもこのメンバーでやるそうで、グループ名はシクラメンだと長谷川さんがいい、みんなで笑った。

先日はTさんにターキーサンドを半分いただいて食べたのがおいしかった。今日はわたしが隣に座った女子に半分わけてあげた。近所で働いているひとで地下鉄の階段を降りるときにいつも気になっていたけど今日はじめて入ったとのこと。話がはずんで楽しかった。

モリッシー

今年来日公演があってツイッターなどで名前を見たものだから、気になって紹介されていた最近の動画を見たりしていた。
今日は本を探していたら本棚の奥に「The Smiths」(「もう誰にも語らせない。」ザ・スミス写真集)があった。1994年にロッキング・オンから出た本でモノクロの大胆なレイアウトの本だ。どこで手に入れたのか大判のカラー写真も数枚挟まっていた。
だいぶ前のことだが在庫の本を整理したとき処分するほうに入れたのを読み直していたら、モリッシーのインタビューにいい言葉があったので残しておいたものだ。(この言葉はヴィク・ファン・クラブサイトにある「わたしのサラ・パレツキー論(1)」にも引用している。)

【「…僕はほんとうにたまたまフェミニストの作家にとても影響を受けてしまったんだ。モリー・ハスケル、マージョリー・ローズにスーザン・ブラウン=ミラー。名前を挙げ始めたらきりがないよ!
フェミニズムの話ばかりし続けたくはないけど、フェミニズムというのは理想的な状態なんだ。でも理想を超えて現実のものとなることは決してないだろう。この社会は強い女性を忌み嫌っているからね。気絶し、へつらい、結婚しか望んでいない。そういう女性だけを好む社会なんだ。神経過敏になっているわけじゃないけど、この問題は僕の曲作りになくてはならない要素になっている。」】
※モリー・ハスケルの本を1冊持っている。「崇拝からレイプへ 映画の女性史」(平凡社)

パンク・ニューウェーブを聞いていたのは70年代後半から80年代前半の数年だから、ザ・スミス(1982〜1987ギターのジョニー・マー脱退・解散)をきいたのは最後のほうになる。レコードとレーザーディスクを持っていてモリッシーの異質の美に惹かれた。上記の本はそのあとに買ったものだ。いま読んだらモリッシーとジョニー・マーの危うい甘さがただよってきてせつなくなる。この本が出たときは彼らの仲はすでに終わっていて、そのことを書いているひとの気持ちにもせまってくるものがある。

長いあいだ聞いてなかったので、なにかないかなとユーチューブを探したら素晴らしいライブがあった。Morrissey – Festival de Viña del Mar 2012 HD – Show Completo
今年のライブで1時間20分ある。そして55分ごろに衝撃的な画面があるのでぜひ見てほしい。ゲイでベジタリアンでマンチェスター出身のイギリス労働者階級の代弁者モリッシー、50代になったが健在です。今夜はすごくうれしかった。

西山満さんの追悼コンサート「これからもJAZZでいこう!」

馬鹿は死んでも馬鹿のまま by 西山 満

去年の8月31日に亡くなられたジャズベーシスト西山満さんの追悼コンサートが本町のヴィアーレ大阪で行われた。
開演30分前に着いたらすでにたくさんのひとが集まっていて、西山さんの影響力を感じた。知っているひともちらほら、SUBで知り合った若手ミュージシャンたちが受付や案内をしていた。

演奏は日野皓正クインテットからはじまった。日野さんの新しく激しい音が響いた。次に竹田一彦さんのギターで鈴木道子さんと札幌から来られた玉川健一郎さんのボーカル。次々と11のバンドが演奏し、演奏の前にはそれぞれのミュージシャンから西山さんにまつわる思い出が語られた。
若いときに西山さんといっしょに活動していたひとや、弟子や孫のように可愛がられたひともいて、最高年齢は80歳のベーシスト鈴木勳さん(女装のような髪型と衣装がステキだった)、最低年齢は16歳のドラマー鬼束大我さん。

これからのSUBについての報告もあった。
西山さんが亡くなったとき、半年後のことは未定だったわけだが、テナーサックスの長谷川朗さんが店を引き継ぐことになった。すでに4月の演奏日程が決まり昼間の営業もあり、メニューも増えている。
わたしはジャズが好きといってもSUB以外のところにまで聞きに行く元気もないので、お店の存続はありがたい。20分で行ける近場で好きな音が聞けてラッキー。

今夜はDJ HANDAさんの送別会だった

このごろこの年齢でこんなに元気でいいのかなってふと考える(笑)。
ほとんど毎日気持ちよく目が覚めて食欲はいっぱいあり、肩凝りと膝の痛みはあるものの病気とまではいかない。とはいうものの、この冬は寒くてなかなか夜になって出かけにくかった。だからといってしょげているわけでなく、読書とネットを友にして夜長を楽しんでいたけど。でも暖かくなったからもう少し出かけようかと思う。
ここ数年、クラブというものを相方が知り熱中している。60歳を超えているから集まっているひとたちからは父親か祖父か(笑)。外国では男女ともにこの年齢層がいるのは当たり前のことらしい。

相方が行くところへたまーに出かけたときは若者たちとおしゃべりするのが好き。
おととしのことだが、カウンターにいたDJのHさんと話したとき、ドイツのパノラマってクラブがのっているサイトを教えてもらった。わたしのほうは例によってサラ・パレツキーとシカゴの女性探偵ヴィクのことを話した。Hさんはすぐにヴィクシリーズを読んで、音楽のシカゴハウスと共感するものがあるとメールをくれた。
それから311があった。Hさんはサウンドデモの中心になって動いた。わたしもデモがあるたびに参加した。

そのHさんが長野県へ生活の拠点を移すことになって、今夜が送別会だった。たくさんの友人たちが集まってとてもいい会だった。
DJのKさんが横に座って話しかけてくれたのが最高にうれしかった。頑張って話した(笑)。女子たちともいろいろ話ができてよかった。
Hさんは、わたしらが帰るとき、お別れを言い抱き合ったときに、わたしたちとの大阪での出会いが大きな出来事のひとつだったと言ってくれた。

竹田さんのギターのやさしい音

夕方になって突然SUBへ行く気になった。その前にツイッターでいまSUBをやっている長谷川さんのツイートにターキーサンドの写真があったのが潜在意識になっていたみたい(笑)。晩ご飯は[焼酎湯割り、数の子の松前漬け、厚揚げの焼いたん、玄米ご飯、薄揚げと葉つきたまねぎの炊いたん、おから、もずくの味噌汁、漬け物]とさっぱりしたフルコース。

8時半前にSUBについたが、当たり前ながらお腹が減ってなくて、サンドイッチは後からにしようと思っていたらTさんが注文して半分わけてくださった。おいしかった。ターキーサンドってアメリカの小説によく出てくるけど、こっちでは珍しいような気がする。以前、肉を食べているとき料理本にターキーとあったときはトリの胸肉を使ってた。今度はお腹を空かせて行こう。
食べる話ばかりでどうもすみません。

今日は竹田一彦さんのギターと財盛紘さんのベースにピアノの蓼沼ゆきさんが加わった。蓼沼さんのピアノははじめて聞いたが、こんなに優しい音のピアノははじめてだ。力強く弾いていても優しい。そこのところが竹田さんの優しいギターの音と合っているように思えた。竹田さんは蓼沼さんとやるのははじめてのようだったが、なんかとても合っていた。とりわけ今夜は竹田さんのギターの音が優しく聞こえた。そして聞くほうもみんな満足して気持ちよく終わってよかった。
暖かい気持ちになって帰宅。もうちょっと起きていて本を読んでから寝よう。

トークショウ「クラブカルチャーと風営法」

昨夜は遅くなってから2月26日に大阪のGalaxy Galleryで行われたモブ・ノリオと若野桂によるトークショウ「クラブカルチャーと風営法」司会:半田暁士の録画を見た。
2時間をじっと座って見て聞いて理解しようとつとめていたのだからすごい。というのも半田さんとは親しくしてもらってるし、モブ・ノリオさんは作品を読んだことはないけど関西の作家でデモでお顔を見てたし、若野桂さんはツイッターでフォローしている。そのうえに今回知ったのだが、2000年頃だったかなー、わたしが憧れていたソニーのロボット小型犬aiboを生み出したのが若野さんだったのだ。

主に若野さんが話されモブさんが聞き役にまわっていた。
テーマの「クラブカルチャーと風営法」だが、風営法に則ってクラブに手入れが入り、大阪ではすでに廃業した店もある。東京では先日客全員に尿検査というえげつないことが行われた。今日の労働を終えた若者がクラブで踊る楽しみを強制的に押さえつけられている。この現実の重さを話す3人の表情が暗い。
日本に暮らしている普通の市民にとってそれはどういうことか。外国との違いを若野さんが話されて納得。ほんまに出口なしとしかいいようがない。

でもね、最後のほうで「踊りたきゃ家でパーティしたらいいんだよ」と若野さんが言われ、わたしはパソコンの前で「そやそや」と同意した。うちではいまもやってるし(笑)。
ほんまに有意義な2時間だった。

長い一日の後半は昼寝のあと夜遊びに

昼食会から帰って2時間昼寝して目が覚めたら晩ご飯ができていた。寝つけなかった相方がパスタとスープとサラダをつくってくれていた。
片付けをすませてから、テクノ手芸部が終了するということで最後のパーティにひとりで出かけた。寒さもあったがここんとこ家で読書が身についてしまってたから久しぶりの夜の外出。

パノラマのドアを開けると白い布やピンクの花が垂れ下げられて乙女チックな雰囲気。奥のコーナーに手芸部員の作品を展示してあるのを見てまわり「宇宙マトリューシュカ」という毛糸の人形を入手。
すぐに手芸部長のはなちゃんが相手をしてくれたし、次々に知り合いが話しかけてくれて楽しく過ごせた。女子は楽しくてええわ。いやいや男子も楽しかった。
特にDJの半田さんとゆっくり話せてよかった。半田さんはサウンドデモや脱原発の運動に積極的に関わっているひとである。こっちはミステリ関連のことを話したのだけれど、人間や事柄についての評価のしかたで同意するところが多かった。かっこつけて言うと、お互いに絶望しつつ希望をもって生きているのを認識した、かな。

久しぶりに目の前で(ちょいちょいユーストを見ているから間隔が開いているように思えない)sakiちゃんと半田さんのDJを聞いて、今夜のふたりは吹っ切れた音を出していると思った。sakiちゃんは大人の女になったなぁ(えらそうに言うてすみません)。半田さんの音はいままで重くて暗い感じだと思っていたのだけれど、今回はさっきの会話で言葉で表現していたことが音になっているようですごくよかった。

アキラのズンドコ節が好きで

いま「ズンドコ節」で検索したら海軍小唄として歌われていたとある。戦地に赴く男たちの本音を歌った流行歌のようなもので、作詞者及び作曲者は不詳。それからいろんな歌手が歌っているが、1960年に小林旭がカバー。流れものシリーズのテーマ曲として歌った。

わたしの家族はみんな洋画派でわたしも洋画で育った。ところが友だちのお父さんが日活の株を持っていて梅田日活の招待券をくれる。はじめは仕方なしにいっしょに行ったのだが、「銀座旋風児」を見てからわたしのほうがはまってしまった。
当時は石原裕次郎のほうが人気があったから、タダ券で「嵐を呼ぶ男」「錆びたナイフ」とかもっといろいろ見たけど、わたしはアキラひとすじ。そうそう共演の宍戸錠も好きだった。そういうところから東映ヤクザ映画にも惹かれていったんだと思う。ゴダールもトリュフォーも好きだけどさ。

そんなもんで「アキラのズンドコ節」が好き。昨日若い友人が「きよしのズンドコ節」を歌いながら歩いたとツイッターに書いていたので「わたしはアキラの」と返信したら、アキラを知らなかったようなので動画ズンドコ節を歌っている「海を渡る波止場の風」(昭和35年)のURLを教えてあげた。気に入ったみたい。
今夜はアキラと健さんの動画を探して聞きまくっている。「唐獅子牡丹」もあった!