明日はスーパー・ムーン、そして、全原発停止を祝うサウンドデモ大阪

【5月5日から6日、月と地球との距離は今年で最も近くなる。これが満月と重なる場合には「スーパー・ムーン」と名づけられる。】という記事をネットで読んだ。明日は天気が良さそうなのでスーパー・ムーンを見ることができそうだ。
今夜だって明るい月が見える。部屋の灯りを消して窓から眺めたら薄い雲がかかったり、小犬のようなかたちをした白い雲がいそいで通り過ぎたりと、夜空のショーを楽しめた。
下を見ると街路樹がもう一人前に繁っているではないか。この前、新芽が出てきたと思ったところなのに。いやもうなんでも早く通り過ぎていくからこわい。

明日はどんな月が見られるのだろう。おりしも明日は泊原発が止まる日で、これで日本中の全原発がストップする。40年以上稼働し続けてきた原発が止まるのだ。
明日は、【5月5日、全原発停止を祝うサウンドデモ/パレードを大阪で開催!まだまだ本気で祝える状況やないけれど、原発停止を派手に歓迎し祝うことで、奴らが後戻り(再稼働)できない状況を作ってしまえ!14時南堀江公園集合!!ぜひ楽器を片手に!】このデモに参加するつもり。

日曜日らしい一日

昨日は疲れていて用事がはかどらず、ショールとメガネと本をもって寝床に入ったときに時間を見たら3時過ぎてた。少しだけと自分で念を押して読み出したがやっぱり4時まで読んでいた、レジナルド・ヒル「真夜中への挨拶」。

今日は日曜日らしく午後ゆっくりはじまり、出かけたのは近所のフランスパン専門店だけ。帰りにピンクの花を咲かせている雑草を摘んで帰った。わたしの秘密の花園で(笑)。

ツイッターからのリンクで、【IWJ チャンネル 4 】「市民と科学者の内部被曝問題研究会 シンポジウム」に、医師の山田真さんが講師として壇上におられるのがわかり、昼寝のつもりをやめて視聴。講演は終わっていて質疑に入ったところからだけど。山田さんはわたしのミステリ友だち。
質問する人も答える人もみんなちゃっちゃと質問や言うべきことを言うのが気持ちよい。成熟した大人の会議だと思った。
そうそう、お昼過ぎには奈良デモのユーストを見ていた。

夜は相方がつくったスープ(にんにくとにんじんとたまねぎが喉にいいんだって)とパスタとサラダとフランスパン。さっきお風呂に入って東京の友人が送ってくれたバウムクーヘンでおやつ。
先週の日曜日は会報作りでせっせと働いていて、木曜日の夜遅くまでかかったので、今日はまるまるの日曜日になって、気分がゆったり。

怪しい雲行きと肉食ご飯

春になったらと頼まれていた庭仕事をしに相方と姉の家に行った。うちではベランダ園芸をやめてしまったので、相方にとっては楽しい庭仕事である。わたしは雑草引きと観音竹とかの枯れ葉を切ったりの雑仕事で庭にいた。藤の鉢植えの枝に20本の花が垂れ下がっているのが見事だ。今年は萩が大きな群れになりそう。オニタビラコがたくさん伸びてつぼみをつけている。これは咲くから抜いたらあかんよと言うておいた。どこかから種が飛んでくるんやな。
午後早くは暑いほどの陽射しだったのが、だんだん怪しい雲行きになってきた。生暖かい風が吹いてきて気色悪い。いつもなら8階の窓から眺めているところを、狭いといえども庭にいる。怪しく気色悪いのを心身で楽しんだ。

結局雨は降らず、夕方には片付けてお風呂に入ってご馳走を食べておしゃべりして帰ってきた。ビールに、とりの唐揚げ、焼売、サラダ。日本酒に、マグロの刺身、カツオのタタキ、京都の漬け物。そして巻寿司。焼き菓子とお茶。全部阪神百貨店で買っていったもの。
うちも姉のところもふだんは粗食なので、目をギラギラさせて、うまいなぁと言って食べたのは事実。
でも、ふだんは魚売り場に行かないから魚を買うときのコツというか勘が狂っていて戸惑った。これほんま。そして食べてからいうのもなんやけど、野菜のほうが身に合ってきている。

のびるの酢みそ和えは春の香り

中央図書館のとなりのスーパーコーヨーの角を曲がったところの食べ物屋さんが店の前で採れたて野菜を売っている。道の駅みたいに竹筒に代金を入れるのも楽しい。今日は水菜と菜花の他に野蒜(のびる一束200円)を買った。
泥を落としてよく洗い茎を切ってさっと茹でて酢みそで食べたらおいしくて春の香りがした。街にいながら田舎が食べられてありがたい。
今日は相方が夕方から「4.6原発再稼働許すな!首相官邸前&関電本社前抗議」に行ったので、晩ご飯をつくってお出迎え(笑)。

今日の晩ご飯:日本酒熱燗、のびるの酢みそ和え、厚揚げとキノコと水菜の炊いたん、五分づきご飯、菜花の味噌汁、塩昆布、たくわん、梅干し、ヤーコン茶、フェナンチェ、コーヒー。
フェナンチェは妹の息子が働いている自閉症者の作業所製を送ってもらった。マフィンと桜が焼きこんであるバウンドケーキが入った大箱なので当分おやつたっぷり。

「老人ホームで孤独死」というニュース

レジナルド・ヒルの「死にぎわの台詞」は3人の老人の死と死にぎわの言葉をテーマにした物語だった。この本をお書きになったヒルさんは去年亡くなられた。そんなことでわたしにも「死」はうんと近づいている。まあ考えてもどうもならん、そのときがきたらきたとこのこっちゃ、なんだけど・・・。

今日、茨城県の有料老人ホームで入居者の女性が死後約1週間経って発見されたというニュースを読んだ。有料老人ホームに入居したら孤独死なんてあり得ないはずだし、入居者もそう思ったからこそ高いお金を払って入ったのだろうに。約1週間ほったらかしとはあんまりだ。

姉の友人は夫さんが亡くなってから有料老人ホームに入居した。ひとりの部屋にいるが、トイレの入り口近くにセンサーがあって、長時間反応がないと様子を見にきたり電話があったりする。食事は食堂で食べるので一日に3回は安否確認してもらっているという話を聞いた。

姉は一戸建ちの家に猫2匹と暮らしているが、隣近所のひとと親しい交流があるのでありがたい。寒くて家を出ないでいると、前の家のひとが見かけないけどどうしているのと訪ねてきてくれるし、民生委員も近くにいる。緊急連絡電話も設置してある。

まあ、人間、生まれるときと死ぬときはひとりだ。元気なうちに読んで食べてしゃべって好きなことをして後悔のないようにしよう。すでに遊び過ぎという声あり(笑)。

寝台特急日本海に一度乗った

さっきミクシィのニュースを見ていたらこんな記事があった。
【「日本海」(A寝台28席、B寝台282席)は青森発の列車が発売後10秒で、大阪発の列車が発売後15秒で完売。】

わたしが日本海に乗ったのは70年か71年か、季節は10月の終わりごろで、相方の実家の小樽へ行った。すでに2年くらいは同棲(当時の言葉ですね。「同棲時代」というマンガがあった。)していたから、ここで顔見せくらいしておこうと初対面の挨拶をしにいったわけ。

大阪駅を8時頃に出る列車に友だち夫婦が花束をもって送ってくれた。寝台車は新幹線ができる前の東海道線にわりと乗っていたが、こんなに長時間乗るのははじめてだった。朝起きてからが長かった。お金がないのに食堂車へ何度も行った。言葉通り日本海が見えて東映映画のタイトルみたいな波の海が見えた。
北海道って遠いなと思った。
青森あたりからみぞれになって青函連絡船に乗るまでの寒かったことをよく覚えている。

帰りは夜小樽を出て函館から青函連絡船で明け方に青森に到着。船が揺れて少し酔ったが、乗客みんなが走るのでいっしょに走って「白鳥」に乗った。長い時間乗って夜の8時ごろに大阪へ着いたときはほっとした。昔の北海道旅行はしんどかった。

テレビのない生活は快適

去年の7月24日でアナログ放送が終わるということで、これを機会にテレビをやめようと決めた。なんやかやの電話の末にNHKから「放送受信契約終了のご案内」が届いた。
7月24日のお昼の12時だったかな、これで放送が終わって砂嵐場面になるんやで、そこを見ておこうと待っていたら、なんと放送が続いている。しかも、でっかい文字の「あと○○日で放送終了」の文字もない。2カ月くらいその文字で字幕が隠れていたのだ。でっかいテレビをお持ちの人にはわからんことだが(笑)。

なんとなくあればニュースを見る。そして12月になってNHKの人がきた。テレビのキカイがあればお金を払わんとあかんらしい。で、あっさり撤去することにした。大阪府の「家電リサイクル大阪方式」に電話したら2日後に来て3000円で引き取ってくれた。

新聞とテレビのない生活は気分よい。なんでNHKニュースと「クローズアップ現代」を見てたんかしらと思う。テレビの場所が空いたのも精神によい。楽しいもの置き場になっていて、わたしはそこを「我が家のタムタムカフェ」といっている(笑)。

テレビを見始めたころ「ロスアンゼルスは晴れていた。わたしは殺人課に勤務していた」ではじまる「ドラグネット」が大好きだった。「パパはなんでも知っている」「鬼警部アイアンサイド」「弁護士ペリー・メイスン」「ララミー牧場」も大好きだった。

義兄の三回忌、帰ったらMac miniが・・・

義兄の三回忌で姉の家に行った。家でお弁当を頼むとのことで、世話役がたいへんだったが気兼ねのない集まりだった。お坊さんが11時に来てお経と蓮如上人についての話と近所のお寺なので世間話的な話もされた。
それからお酒と豪華な弁当が出た。庭の大きな侘助椿にいっぱい白い花が咲いている。おととしの葬式のときも咲いていたっけ。12月の終わり頃にこの花が終わって、その後は横の薮椿が赤い花を咲かす。
義兄のほうの親戚が帰った後は、兄を中心に戦争中の話や両親きょうだいの話や尽きることなく話していた。早く両親を亡くしたふたりの姪ははじめて聞く母親の青春時代の話を楽しんだ。

たくさんお土産をもらって夕方帰宅したが、お腹はいっぱいだし疲れてしまってすぐに爆睡2時間。起きてパソコン起動したらネットにつながらない。相方が調べ確かめること1時間。いろいろやってようやくつながった。ネットがないと生きていない(笑)。
ほっとして蕎麦を食べて、お茶とお菓子でくつろいだ。

皆川博子『開かせていただき光栄です』のことをもうちょっと

わたしが18世紀のロンドンの事情を知ってもなんにもならないけれど、好奇心を満たすってのも読書の喜びのひとつだ。皆川さんは最後に主要参考資料を16冊もあげておられる。それらを駆使して書かれた作品を読んでこちらは楽しんだ上に知識を得る楽しみを味わっている。

エドのお父さんは盗難を疑われ、投獄され、裁判で有罪になり、絞首刑になった。後で真犯人が見つかったが、偉い人につながりがあったためうやむやにされた。エドはいう「裁判官の皮膚を剥ぐと死刑執行人が現れる」。その後にイギリスの官僚制度についての説明がある。

いかがわしい店が繁盛している。男色専門店の薔薇亭がよく出てくる。トム・クイーン亭はあらゆる階層の遊び人たちが集まるパブである。酒、女、賭博、闘鶏、牛いじめ、熊いじめ、鼠殺し、そして娼婦としけこむ部屋がある。

炭坑の労働者の過酷な労働、家畜のように扱われた労働者たちのことも書いてある。
ロンドンの暖房は石炭を燃やしていた。おおかたの家では石炭屋が家の中に入り込まないように、道路の端から石炭貯蔵室に通じる穴を掘ってある。金属製の上げ蓋を開けて石炭を放り込めば斜面をなだれ落ちて行く。
※わたしは細野ビルヂングでこの装置を見たことがあるので、興味深く読んだ。細野さんにビルを案内してもらったときに、細野ビルの裏側に鉄の蓋がしてあるところがあった。ここに暖房用の石炭を落とし込んだという。地下室に降りてみたら、ビルの隅に石炭を受ける場所があった。その石炭をボイラー室で燃やしてビル中の暖房がされていた。

明け方の夢は地震の夢

今朝の地震の夢はリアルだった。がたがたっと揺れて目を覚まし「地震やっ」と叫んだ。目が覚めたときも揺れていたみたいで、いまになってもほんまに地震があったような気がする。さきに起きていた相方が地震なんかなかったでと言ったのが信じられない。それでネットで「履歴」を見たのだが、もちろん今日は関西に地震はなかった。
前の道路をトラックが通って荷物ががたんと音を立てたのか、強い風が吹いてベランダのドアががたがたいったのかもしれない。とにかくがたがたっと大きな揺れだった。
明け方に見る夢は正夢だとこどものころにだれかに教えてもらった。それからたまーに合ってたと思うことがあったが、最近は夢を見ていたことは覚えていても、夢の内容は覚えていないことが多い。
今朝は地震の揺れで目を覚ましたのだからどうもこうもない。正夢でないことを祈るのみ。