「老人ホームで孤独死」というニュース

レジナルド・ヒルの「死にぎわの台詞」は3人の老人の死と死にぎわの言葉をテーマにした物語だった。この本をお書きになったヒルさんは去年亡くなられた。そんなことでわたしにも「死」はうんと近づいている。まあ考えてもどうもならん、そのときがきたらきたとこのこっちゃ、なんだけど・・・。

今日、茨城県の有料老人ホームで入居者の女性が死後約1週間経って発見されたというニュースを読んだ。有料老人ホームに入居したら孤独死なんてあり得ないはずだし、入居者もそう思ったからこそ高いお金を払って入ったのだろうに。約1週間ほったらかしとはあんまりだ。

姉の友人は夫さんが亡くなってから有料老人ホームに入居した。ひとりの部屋にいるが、トイレの入り口近くにセンサーがあって、長時間反応がないと様子を見にきたり電話があったりする。食事は食堂で食べるので一日に3回は安否確認してもらっているという話を聞いた。

姉は一戸建ちの家に猫2匹と暮らしているが、隣近所のひとと親しい交流があるのでありがたい。寒くて家を出ないでいると、前の家のひとが見かけないけどどうしているのと訪ねてきてくれるし、民生委員も近くにいる。緊急連絡電話も設置してある。

まあ、人間、生まれるときと死ぬときはひとりだ。元気なうちに読んで食べてしゃべって好きなことをして後悔のないようにしよう。すでに遊び過ぎという声あり(笑)。

寝台特急日本海に一度乗った

さっきミクシィのニュースを見ていたらこんな記事があった。
【「日本海」(A寝台28席、B寝台282席)は青森発の列車が発売後10秒で、大阪発の列車が発売後15秒で完売。】

わたしが日本海に乗ったのは70年か71年か、季節は10月の終わりごろで、相方の実家の小樽へ行った。すでに2年くらいは同棲(当時の言葉ですね。「同棲時代」というマンガがあった。)していたから、ここで顔見せくらいしておこうと初対面の挨拶をしにいったわけ。

大阪駅を8時頃に出る列車に友だち夫婦が花束をもって送ってくれた。寝台車は新幹線ができる前の東海道線にわりと乗っていたが、こんなに長時間乗るのははじめてだった。朝起きてからが長かった。お金がないのに食堂車へ何度も行った。言葉通り日本海が見えて東映映画のタイトルみたいな波の海が見えた。
北海道って遠いなと思った。
青森あたりからみぞれになって青函連絡船に乗るまでの寒かったことをよく覚えている。

帰りは夜小樽を出て函館から青函連絡船で明け方に青森に到着。船が揺れて少し酔ったが、乗客みんなが走るのでいっしょに走って「白鳥」に乗った。長い時間乗って夜の8時ごろに大阪へ着いたときはほっとした。昔の北海道旅行はしんどかった。

テレビのない生活は快適

去年の7月24日でアナログ放送が終わるということで、これを機会にテレビをやめようと決めた。なんやかやの電話の末にNHKから「放送受信契約終了のご案内」が届いた。
7月24日のお昼の12時だったかな、これで放送が終わって砂嵐場面になるんやで、そこを見ておこうと待っていたら、なんと放送が続いている。しかも、でっかい文字の「あと○○日で放送終了」の文字もない。2カ月くらいその文字で字幕が隠れていたのだ。でっかいテレビをお持ちの人にはわからんことだが(笑)。

なんとなくあればニュースを見る。そして12月になってNHKの人がきた。テレビのキカイがあればお金を払わんとあかんらしい。で、あっさり撤去することにした。大阪府の「家電リサイクル大阪方式」に電話したら2日後に来て3000円で引き取ってくれた。

新聞とテレビのない生活は気分よい。なんでNHKニュースと「クローズアップ現代」を見てたんかしらと思う。テレビの場所が空いたのも精神によい。楽しいもの置き場になっていて、わたしはそこを「我が家のタムタムカフェ」といっている(笑)。

テレビを見始めたころ「ロスアンゼルスは晴れていた。わたしは殺人課に勤務していた」ではじまる「ドラグネット」が大好きだった。「パパはなんでも知っている」「鬼警部アイアンサイド」「弁護士ペリー・メイスン」「ララミー牧場」も大好きだった。

義兄の三回忌、帰ったらMac miniが・・・

義兄の三回忌で姉の家に行った。家でお弁当を頼むとのことで、世話役がたいへんだったが気兼ねのない集まりだった。お坊さんが11時に来てお経と蓮如上人についての話と近所のお寺なので世間話的な話もされた。
それからお酒と豪華な弁当が出た。庭の大きな侘助椿にいっぱい白い花が咲いている。おととしの葬式のときも咲いていたっけ。12月の終わり頃にこの花が終わって、その後は横の薮椿が赤い花を咲かす。
義兄のほうの親戚が帰った後は、兄を中心に戦争中の話や両親きょうだいの話や尽きることなく話していた。早く両親を亡くしたふたりの姪ははじめて聞く母親の青春時代の話を楽しんだ。

たくさんお土産をもらって夕方帰宅したが、お腹はいっぱいだし疲れてしまってすぐに爆睡2時間。起きてパソコン起動したらネットにつながらない。相方が調べ確かめること1時間。いろいろやってようやくつながった。ネットがないと生きていない(笑)。
ほっとして蕎麦を食べて、お茶とお菓子でくつろいだ。

皆川博子『開かせていただき光栄です』のことをもうちょっと

わたしが18世紀のロンドンの事情を知ってもなんにもならないけれど、好奇心を満たすってのも読書の喜びのひとつだ。皆川さんは最後に主要参考資料を16冊もあげておられる。それらを駆使して書かれた作品を読んでこちらは楽しんだ上に知識を得る楽しみを味わっている。

エドのお父さんは盗難を疑われ、投獄され、裁判で有罪になり、絞首刑になった。後で真犯人が見つかったが、偉い人につながりがあったためうやむやにされた。エドはいう「裁判官の皮膚を剥ぐと死刑執行人が現れる」。その後にイギリスの官僚制度についての説明がある。

いかがわしい店が繁盛している。男色専門店の薔薇亭がよく出てくる。トム・クイーン亭はあらゆる階層の遊び人たちが集まるパブである。酒、女、賭博、闘鶏、牛いじめ、熊いじめ、鼠殺し、そして娼婦としけこむ部屋がある。

炭坑の労働者の過酷な労働、家畜のように扱われた労働者たちのことも書いてある。
ロンドンの暖房は石炭を燃やしていた。おおかたの家では石炭屋が家の中に入り込まないように、道路の端から石炭貯蔵室に通じる穴を掘ってある。金属製の上げ蓋を開けて石炭を放り込めば斜面をなだれ落ちて行く。
※わたしは細野ビルヂングでこの装置を見たことがあるので、興味深く読んだ。細野さんにビルを案内してもらったときに、細野ビルの裏側に鉄の蓋がしてあるところがあった。ここに暖房用の石炭を落とし込んだという。地下室に降りてみたら、ビルの隅に石炭を受ける場所があった。その石炭をボイラー室で燃やしてビル中の暖房がされていた。

明け方の夢は地震の夢

今朝の地震の夢はリアルだった。がたがたっと揺れて目を覚まし「地震やっ」と叫んだ。目が覚めたときも揺れていたみたいで、いまになってもほんまに地震があったような気がする。さきに起きていた相方が地震なんかなかったでと言ったのが信じられない。それでネットで「履歴」を見たのだが、もちろん今日は関西に地震はなかった。
前の道路をトラックが通って荷物ががたんと音を立てたのか、強い風が吹いてベランダのドアががたがたいったのかもしれない。とにかくがたがたっと大きな揺れだった。
明け方に見る夢は正夢だとこどものころにだれかに教えてもらった。それからたまーに合ってたと思うことがあったが、最近は夢を見ていたことは覚えていても、夢の内容は覚えていないことが多い。
今朝は地震の揺れで目を覚ましたのだからどうもこうもない。正夢でないことを祈るのみ。

月の光

さっき空を見たら、真上にある満月が雲の中に入ったり出たり。まわりはビルだらけだけど月だけを見れば神秘な光を放っている。

昨日は松尾大社で素晴らしい体験をした。ライトがいろんな色や形を楼門や舞台にあてている他は月の光だけ。月の光を遮るのは大きな木の葉叢だけ。そばにいる人の顔も判然としない。複数の知り合いが来ていたのに確かめられず、帰ってからツイッターやミクシィでそこに居たのを知った。
それでふと思ったんだけど、昔は恋する人の存在を香りで判断したのだろう。だから香というものが大切だったんだろう。匂宮、薫宮と名前からしてそうだなんだもんと、ふんふんとうなづいている。「源氏物語」とか何十年ぶりに読みたくなった。

大阪にもどってきて地下鉄から上がると、いつもは「帰ってきた〜やっぱり新町はええなー」と思うのだけれど、昨日だけは「あれっ、ヘンな匂いがしてるなー、松尾とえらい違うなー」と思ったのだった。はは、いい空気を吸った後だから異臭に敏感になっておった。

どんぐりころころ

近所のビオトープのある公園は実のなる木が多い。掲示板には樹木の写真と遊び方が書いてある。マテバシイ、アラカシ、あとは忘れてしまったがドングリのような実がなる木である。今日はいっぱい転がっているドングリをほいほいと拾ってきた。

ウキペディアを見たら【シイ(椎)は、ブナ科シイ属(Castanopsis)の樹木の総称である。ほかに、マテバシイ属のマテバシイ(Pasania edulis)もこの名で呼ばれている。果実のドングリは椎の実と呼ばれ食べられるので、古くから親しまれている。照葉樹林の代表的構成種でもある。】と書いてあった。

食べられるとあったので「椎の実の食べ方」で検索したら「大学生のための社会的責任投資概論 花咲爺の教え」にヒットした。「椎の実の食べ方」だけでなく他のページも勉強になりそう。
わたしはインテリア用に拾ってきたのだが、写真を見てたらほんまにおいしそう。生で食べると気分は縄文時代だそうだ。ちょっとようせんなぁ。

たしか夏目漱石の「三四郎」で、三四郎が池のそばにいるとふたりの女性が近くにおり、まだ知り合いになっていない美穪子があれはなんの木?と尋ね、相手は「あれは椎」と答えていた。

親戚の葬式 台風6号は明日か・・・

お昼前に家を出て葬式の会場へ行った。台風がきたらどうしようと心配していたが、いい案配に雨がときたま降るだけだった。これならいけるとタクシーはやめて駅から歩きはじめたら、途中の家の庭でクマゼミが激しく鳴いていて、なんとなく安心した。

故人はサッカーを高校、大学、社会人と続けて、Jリーグができる前のことだけど、一度は社会人で天皇杯まで勝ち続けたことがある。最後に負けて杯は手にできなかったけど。その試合のビデオが会場に映し出されていた。サッカー関連の方がびっくりするほどたくさん来てくださったのは、故人がよく後輩の世話をしたからだろう。
火葬場がけっこう遠くてバスでの2往復は時間をくったが、道中の田んぼや池や公園の景色を見ていたら飽きなかった。

そうそう、昨日に懲りて、今日はタイツと膝のサポーターをしていったらオーケーだった。雑談中に冬物の下着を着てきたとか、レインコートを膝掛けにできてよかったとかの声が。すこし年を取るとだれでも冷えるんだから。

帰りくらいに台風がくるかと心配したが、どうやら大阪は明日になるらしい。街路樹がときたま激しく揺れている程度だ。四国からの参列者がおられたが帰りの交通はどうされただろう。

扇風機から団扇へ?

毎日暑くてたまらない。6月で観測史上最高の暑さなどと言われているが、ほんまに暑い。去年の夏の終わりに扇風機の掃除をしていたらぽきんと折れてしまった。阪神大震災より前から使っていたものだからモンクは言えない。来年のシーズンがきたら買おうと思っていたら、もうその時期になった。ニュースでも友だちのブログでも品不足が伝えられているが、お店に行って今度の入荷品を予約できないかなと呑気にヨドバシ梅田店へ行った。
さて、売り場へ行ったら売り場は空っぽだった。見本さえない。気の抜けた笑いでごまかして、マウスパットを買って帰った。

ヨドバシから大阪駅へ出ようと思うと工事のせいだと思うが、目の前の場所に道路を横切れない。階段を上がって途中で休憩してからエスカレーターで降りたら大阪駅中央へ出られた。まっすぐに外へ出てシャーロック・ホームズへ。今日は水曜日でダーツの会をやっている。古くからの顔見知りと会ってにっこりしたり挨拶したり。ギネスとおいしい料理をたらふく食って地下鉄で四ツ橋へ。
ハシゴ体質の相方の誘いでCOMPUFUNKのバーへ行くことになった。もてなし上手な女子と店主と雑談。おしゃべりは健康のもと。元気に帰ってきた。扇風機代金は飲み代になったので今年はうちわで頑張るか(笑)。