体重を減らす

若いときは45キロ、それから47キロくらいが長かった。当時の写真を見るとほんまにすっきりしている。それが堺筋本町にある会社に転職して職場の近くに有名なスイーツの店があったのがいけなかった。毎日午後に夏はアイスクリーム、涼しくなったらコーヒーとシュークリーム。おいしいかったのは確かだが、サボりたかったのが真実(笑)。
その会社を半年後に辞めたのだが、それから少しの間主婦業をしているうちに50キロをオーバーした。なんせ背が低いので45〜47キロが順当なところを52キロで30年間くらい過ごしてきた。
膝を悪くしたとき、体重を減らしたほうがいいと思ったが、思うだけでは1キロだって減りはしない。とにかく食べるのが好きなんで。

それが一日二食にしたらたちまち50キロを切って49キロに。美容院でほっぺたの贅肉がなくなったと褒められてうれしかった。お腹の肉はとれないけど、腰のまわりにずっしりついていた肉はとれた。菜食にしてまた痩せて48キロに。今年になってから47キロ台である。昨夜みたいに食べ過ぎると47.6になり、夜食をしないと47.2にさがる。
目標は45キロなのでまだだいぶかかりそうだが楽しみだ。

パスタ!

この半年間くらいすごくパスタを食べるようになった。
ざっと書き出したらこんな具合である。
5月2日 ルッコラを振りかけたペペロンチーノ
5月3日 つぼみ菜のトマトソースパスタ
5月5日 ルッコラ入りペペロンチーノ
5月7日 ホウレンソウのトマトソースパスタ
5月8日 つぼみ菜のトマトソースパスタ
5月10日 アーリオ・オリオ・ペペロンチーノ
5月12日 つぼみ菜のトマトソースパスタ
5月13日 パスタ入り野菜スープ
5月14日 アーリオ・オリオ・ペペロンチーノ
5月15日 マカロニとオートミール入りのトマトソース
5月16日 新ニンニクのペペロンチーノ

昼食の最初にパスタが出て、食べた後にサラダとスープとパンが出る。
時間がかかるが待っていると出てくるのでありがたい。
わたしがやっていたときは、なにもかもがすごくテキトーだった。いまはレシピ通りのきちんとした皿が並ぶ。スパイスやハーブも増えて、わけがわからん(笑)。

『VEGE BOOK』『VEGE BOOK 2』

Eat your vegetables!(ちゃんと野菜を食べなさい)がサブタイトル。
最初は「VEGE BOOK 2」を相方が図書館で借りてきたのだが、すごく気に入って欲しくなった。それに予約がついていたから返す日がせまってきた。
買おうと決めて、アマゾンで調べたら「3 ヴィーガン・デザートをつくろう! 」「4 カフェエイトのヴィーガン和食」と4冊出ている。
とりあえず2冊頼んだのが今日届いた。表紙を見ているだけでうっとりする本だ。わたしはまだ表紙と写真を見ただけなんだけど、相方は図書館から借りてきたらすぐに料理を作っていた。

うちは菜食にして2年9カ月経ったからそろそろヴィーガンと称してもいいかなぁ。まあ外食とか姉の家では魚や肉を少々食べるから、わたしは“ほとんど菜食”とか“ゆるい菜食”とか言っているけど。
いつの間にか昼食を相方が担当するようになり、正月のマイコプラズマ肺炎以後は晩ご飯も2/3くらいはやっている。ほんまにご飯をつくってもらうってラクだ。えらそうに言われると、いままで40年もあたしがやってきたんやからねと返すし(笑)。

本の紹介でなくて、買った歓びの日記であります。
著者は東京のヴィーガンフードのカフェ「カフェエイト」を経営している二人の女性。
(リトルモア 1800円+税)

昔乗ったバス

今日は亡くなった義兄(次姉の夫)の33回忌だった。わが家が第二次大戦の空爆で焼け出されてからずっと住んでいた家に、姉の家族が家を建て直して住んでいる。
わたしはかなり長いことここに住んでいた。阪急沿線とはいえ不便なところで駅まで遠かったのを歩いたり自転車に乗ったりしていたが、バスが開通してすこしラクになった。あまり本数はないし、夜は早く終ったけど。
姪から電話で駅まで車で迎えに行くということだったが、昔みたいにバスで行くわと言ったら、この前といっしょやなと笑われた。前回は駅から歩いて道を間違え、お経がはじまってから到着して、センチメンタル・ジャーニーやってる間に迷ったんやと言い訳したのを覚えてたってわけ。
今日は慎重に梅田のバス停の場所と発車時間を調べておいた。バスに乗って窓から外を眺めながらの40分の旅だった。小銭もちゃんと用意してたし降りる場所も間違えず。

お経が長い上に説教も長いのを聞きつつ、義兄のことを回想していた。大正の末に生まれて、大阪で働き出したときに赤紙がきて中国戦線で戦って戦後復員した。戦線の話はせずに桃源郷って言葉はほんまやでと桃の林が美しかったことや、上官の馬の世話係をやっていたことなどを話してくれた。わたしも若かったからそれ以上のことを聞けなかった。

お昼は近所の和食店で懐石料理を食べながら姪ふたりとこどもたちとしゃべって笑った。今度彼らと会うのは姪の夫の三回忌である。

モンゴル岩塩【蒙古颪】

医師で日本とモンゴルとの架け橋をされていて、ヴィク・ファン・クラブ会員でもある梅村さんが、娘さんの涼さんとふたりでモンゴル岩塩の販売をはじめられた。モピ活動の一環として行うので、一部はモピへのカンパになる。

その運動のことをぜひ会報に書いてくださいとお願いしたら、快諾と同時に岩塩を100グラム送ってくださった。食べて感想を知らせてほしいとのこと。
さっそく使わせてもらった。
生野菜をちぎったサラダにオリーブオイルといっしょに岩塩をふりかけている。ごま塩も胡麻を炒ったのに岩塩を混ぜている。蒸した野菜にもふりかけるとおいしい。ふつうに炒め物につかってもおいしい。漬け物もおいしい。

わが家でいままで使っていた塩は沖縄の「粟國の塩(沖縄県粟国島)」である。そこへモンゴル岩塩の到着で、台所に海と山の塩が並んだ。壮観である(笑)。

以前からモンゴル岩塩を使っているひとの話では、お風呂で入浴剤として使っているのだそうだ。そんな贅沢なことはようせんけど、そういう使い方もあるってことね。

いただいた100グラムがなくなりかけたので、今日は500グラム入りの大袋を注文した。ついている説明書には《モンゴル秘境の岩塩 蒙古颪(もうこおろし)3億5千万年前の神聖な塩ジャムツダウス》と書いてある。
(モンゴル岩塩 100グラム入り=300円/500グラム入り=1,000円)

早朝の地震

昨夜は映画を見て、会報づくりをちょっとやってから日記を書いた。そしてお風呂に入って髪を洗って乾くのを待ちながら本を読むことにした。半身浴のせいで冷えていた足が温まったのはいいが痒くなり、本を読みながらばりばり掻いていたらおさまってきたのでようやく3時半ぐらいに横になった。痒くなるのはかなわんけど、温まったという体からの合図なのでオーケーなのだ。
そのまま一直線で夢の世界に入っていった。最近ときどき寝付きが悪いことがあるが、寝てしまえばぐっすり眠れる。どんだけ楽観的なやつか自分でもおかしい(笑)。

ぐっすりと眠っていると地震だった。ちょっとした揺れならさっと起きるのだが、今朝は揺れが大きかった。そのまま仰向けで運命を待ち受けていたが、かなり揺れたあと止まった。ああよかったと、起きてツイッターを読んだら続々と地震の報告が入っている。わたしもちょこっと書いておいた。
あとからyahoo! japanの地震情報を見たら、震源地は淡路島、深さ10kmとあった。大阪市は震度3となったが、体感震度は4だったよ。
時間が阪神大震災のときと同じくらいだったからよけいに感じたのかもしれない。あのときは片側の壁全面が本棚で上段の本が飛び落ちてきたっけ。
そんなことを思い出しながらまた眠りに落ちた。

料理は愛 ☆

わが家は一日二食だから朝食はなしで昼食の支度は2年くらい前から相方がしている。起きるのがわたしより早いからちょうどよくて、晩ご飯はわたしの係だった。今年になって正月早々ふたりとも風邪を引いてナンギしたが、そもそも風邪の元を拾ってきたのがあっちだ。風邪が治るのも少し早くて晩ご飯の支度をしだしたのが、けっこううまくできて、なし崩しにやつの仕事になった。しかも研究好きだから料理本を買ったり図書館で借りたりしながらレパートリーを増やしつつある。高野豆腐やひじきもうまく炊く。
晩ご飯の支度の時間を本を読んだりツイッターを読んだりしていると、幸福感がふつふつと沸いてくる。わたしのようにばたばたしないから時間はかかるが、そんなことでモンクをいうたらあかん。美味しいとほめて食べる。いや、ほんまにうまい(笑)。

で考えたんだけど、同居して何十年も経つのに、なにも疑問をもたずにご飯作りをしてきたのだろう。
で、昨日ツイッターに書いた。
〈なぜか自分がご飯を作るものと思いこんでいた数十年。〉
Uさんがミクシィで返信してくれた。
〈ほほう。〉
わたし
〈 Uさん わたしも男女の役割をなにも考えずにやってきたのだなーと。それと母性愛が多すぎ(笑)。〉
Uさんが上手に答えてくれた。
〈 kumikoさん 愛ですわ(笑)。〉

午後は歯科で気分よく、夜はSUBで楽しんだ

10日くらい前だが晩ご飯を食べていたら口の中でじゃりっと歯が欠けた。いちばん奥の下の歯だ。何十年も前に虫歯治療してちょこっと詰め物してあった。
去年の夏にいったのにまたかといやな気分になったがしかたない。美容院で教えてもらった新しい歯医者さんに行くことにした。
ビルの1階の診療所は受付も診療室も明るくて親切丁寧な応対で気持ちよかった。レントゲン撮るのも新式でラクだった。心配していた歯は簡単に治療できるようでやれやれ。今日型を取って1週間後にもう一度行けば済むみたい。
先生はレントゲン写真を見ながら、しっかりした歯だと感心してくれた。歯茎なんか30代40代と言ってもとおるって。
ということで、機嫌良く帰ってきた。

晩ご飯を食べて、地下鉄でSUBへ。
今夜は竹田一彦さんのギター、宮上啓仁さんのベース、最後のほうでイクノさんのボーカルが2曲。イクノさんはニューヨークで20年暮らして一昨年帰ってきたそうだ。
竹田さんと宮上さんはとても息が合う最強のデュオだ。あっという間に時間が過ぎる。もう終わりの時間かといつも思う。
お客が多かったのでカウンターに席を替わり隣の人とおしゃべり。何年も竹田さんのときに一人で来られているが、話したのははじめてだった。そのあと反対側のイクノさんにニューヨークと日本の違いなど聞いた。20年前と比較して若者が草食系になっていると感じたそうな。

鉄のフライパンを買った

昔からずっと鉄のフライパンを使っていたのに数年前からテフロンに鞍替えしてた。理由はなんだったろう。スーパーにはテフロンのしか売ってないが。だれかに言われて買うということはない。やっぱりラクをしたかったんだろう。
変えたときにはえらい使い勝手のいいもんだと感心したのは覚えている。それから3回買い替えて疑問がわいてきた。安くて使い勝手がいいようだが結局は高いものにつく。次は鉄のフライパンにしよう。もちろんお金の話だけではない。テフロンへの疑問が浮かんだから。

と思っていたところへ、ツイッターでフォロワーさんが鉄の中華鍋を買ったら快適とつぶやいておられた。使いはじめはどうするのと質問したら、野菜屑をたくさん炒めてよく洗ったらいいんだって。すぐに息子さんがソーセージを炒めたけどひっつかなかったよとのこと。

相方がネットで調べた上で千日前道具屋筋の専門店へ今日買いに行った。思ったよりもずっと安く買えたからと中小2個。これから写真を撮ってブログにアップするので、使うのは明日から。
電子レンジは使ったことがない。ご飯はステンレス鍋と土鍋で炊いている。フライパンが解決してやれやれ。炒め物をするにしても野菜と豆だから昔とは違う。

長いつきあいの友人と鍋とリュック

27年前に買ったビタクラフトの鍋のふたのつまみが壊れた。百貨店の売り場に持って行って部品を調達中。この鍋はいちばん酷使したもので、あとの3個はまだまだ元気いっぱい働いている。高価だったので覚えているがひとつ20,000から25,000円くらいのを徐々に買っていった。合計10万円を思い切って買ったものだ。それだけ元を取っていると思う。

先日、相方とL・L・ビーンへ買い物に行ったとき、店員さんが「すごいなぁ、レザーリュックじゃないですか」と声をかけてくれた。「何年くらい持っているかな、20年くらいかな」と返事した。リュックの底その他に皮が使われている。最初のは友人がはまっていたアメリカから直接買う通信販売でいっしょに買ってもらった。まだ家にある。レザーのは震災関連の用事で神戸へ行ったときに神戸店で買ったように思う。だったら16・7年くらい前か。

今日2時間ほど寄ってくれたのは45年も前からの友人である。こっちの2人は当時もいまも素浪人だが、彼は最初は大学院生で、何度もヨーロッパに留学し、国立の大学教授になり定年で辞めて名誉教授である。この間に何十回かお土産持参で会いに来てくれた。エディンバラからはモルトウィスキー、バスクからはベレー帽、ベトナムからは銀のネックレス、日本のあちこちの陶芸品、などなど。今日は台湾の茶器セットだった。
夜の会合のために大阪に来たのだが、うちに先に寄るために早く家を出たそうだ。去年の夏を過ごしたイギリスの田舎の話を専門分野からしてもらって勉強になった。夜の話のためのレジュメももらってラッキー。

会話のひとつに、イギリス人やアメリカ人は家の手入れをよくして長持ちさせるというのがあった。イギリスの家なんて古いほうが高価だそうな。
うちは亭主の手入れをちゃんとしているから長持ちしてる(笑)。