ちょこっとなにか食べたいとき

可愛い缶に入ったお菓子をもらうとうれしい。中身を食べ終わったら、小袋に入ったクッキーなんかを買ってきて入れておく。お菓子が入った缶が並んでいると豊かな気分になる。お茶やコーヒーを淹れて缶からお菓子をとり出して食べる。それを称して「小さな喜び」という。笑

姉の見舞いには、舶来マヨネーズの空き瓶にクッキーを入れて持っていった。ジャムの瓶とかきれいな瓶は洗っておくと便利。近所の専門店で量り売りの紅茶を買ってきて瓶に入れておいて使う。いろんな種類の紅茶が小さな瓶に入って並んでいると豊かな気分がする。

机の引き出しに、ゼムピンや画鋲を入れた小瓶を何個か入れてある。小瓶、小箱、可愛らしいものが好き。

丸顔に憂いすくなし

今日の午後は相方が堀江マルシェに買い物に行った。わたしは家でストレッチと膝裏体操などぼちぼち。

堀江ではベースでお菓子を買ったほか、野菜や果物をたくさん手に入れてご機嫌さんである。すぐにコーヒーを淹れてお菓子を食べ、それから柿をむいて食べた。どちらもうまかった。

堀江ではあちこちのお店で食べたり話したりして楽しかったそうだ。ジョローナでは30~40代くらいの女性がたくさんいて「スギヤさんの奥さんはどんな人?」と聞かれたとか。わたしは今年になってから社交生活ゼロだから知らない人が増えている。「12歳年上だけど、丸顔で若く見えるからずっとおないどしで通してきた。最近はブログやフェイスブックで年齢を書いているよ」と答えたそうだ。

「丸顔に憂いすくなし」は夏目漱石『虞美人草』で糸子さんのことをいっていたと思い出した。実はわたしも若い時からそういわれてた。憂いはたくさんあるが丸顔ゆえにないように見えるだけだ。

姉の老人施設生活がはじまった

姉が入居した老人施設に行ってきた。

いままで古びた日本家屋で一人で暮らしていたから戸惑うだろうと思ったが、諦めの心境になったか黙って受け入れている感じだった。

施設の個室はホテルのシングルルームみたいだ。トイレと洗面台と物入れと空調があって、ベッドが置いてある。姪たちが運んだ引き出しなどとテレビがある。あと小さいテーブルを持ってきたら完了だ。ここで姉は余生を送ることになる。

食事は食堂で、おやつはそれぞれ部屋に運ばれる。専用のしっかりした車椅子が置いてあって、なにをするにも介護士さんが世話をしてくれる。

たしかに恵まれているが、ついこの間までの自立していた暮らしに比べると頼りなげ、所在なげ。記憶力も低下中。

冷えに用心

今日はよく冷える。電気代ガス代を節約はしたいがあまりごちゃごちゃいわずに使って暖かい部屋で過ごそうと思う。脊柱管狭窄症には冷えが禁物だから。

去年の暮れの寒い夜、姉の家の帰りにタクシーを待つため歩こうとしたが脚があがらず、這うようにしてタクシーをつかまえ帰宅した。

正月中は暖かくして横になっていると快適で治った気分になるが、起き上がると歩けない。

考えたら半年ほど前から歩行困難気味だったのをだましだまし歩いていたのだ。義弟の年賀状の一行で、「これや! 一緒や」と叫んだ。脊柱管狭窄症という病名を初めて知って自分のもこれとわかって、義弟に電話した。医者にかかったが手術はしないでストレッチで抜け出したとのこと。本を教えてもらって買い、テニスボールを買い、家で自製マットを敷いてストレッチに励んでいる。でも義弟のようにはいかなくて。向こうは半年の精進で治ったそうだ。でも経験者の知り合いに話すと1年はかかるという。むむ・・・。何年でも続けようと思うけど、何年かしたら狭まっている脊柱管が広がるのだろうか。女性は男性より筋力が足りないから、治るのが遅いともいわれたが、そうなのかな。ストレッチはやると気持ちがいいから続けるけど。

冷えないように気をつけて日々を暮らす。

姉へのおみやげ

近所の高級スーパーでちょこっと買い物したら、ポリ袋が可愛いクリスマス仕様になっていた。これはちょうどよいとすぐに転用を思いついた。あさって姉のいる施設に行くからお土産を入れていこう。いまはお土産の買い物しにデパートまで行けないからうちにあるものでなにか。

そうだ、猫の絵本がたくさんあるから可愛いのをあげよう。

これだ、これだ、エスター・アベリルの『黒ネコジェニーのおはなし』の1と2と『しょうぼうねこ』の3冊を取り出した。わたしの大事な猫本のうちでも上位に入る本だ。

可愛いポリ袋に3冊がぴたりとおさまった。よしよし。

それと無印良品で買ってきたしゃれたお菓子をマヨネーズの空き瓶2本に入れて、ちょうどあったゴディバの紙袋へ。こちらもあつらえたようにぴったり。

よしよし、これがわたしのお見舞い。

姉が施設へ

10月の終わり頃にドラマチックに倒れて入院していた姉が、明日から高齢者向け施設に移ることになった。姪2人(姉が長女で姪たちは亡き次女の娘である。わたしは三女)が奮闘して病院での世話をし、施設を見つけ、明日の引越しにこぎつけた。「わたしらがするからおばちゃんは落ち着いたら行ってやって」とのことで、こちらも高齢者のわたしは木曜日にゆっくり姉の相手をしに行くことにした。

姉は入院はしたものの、内臓に悪いところがなくいつまでもいられないのと、ベッドに寝たきりになったらいけないので、出て行くところを探したわけ。日本家屋の家にもどって一人暮らしは無理だから。

施設は個室で介護付き。食事や入浴の世話もしてくれる。ベッドは備え付けで他の家具は自分のものを持って行くんだって。今日は下の姪Aが夫を動員して家具やテレビを運んだそうだ。とりあえずは整ったので、明日午前中に病院から介護タクシーで引っ越すそうだ。

わたしはその翌々日に行って片付けなど手伝い、姉の話し相手をして夕方までいる予定。

小春日和、ランチはココナッツカレー

昼過ぎに四ツ橋方面の用事を片付けに出かけた。小春日和の日差しの中を人力車椅子を押してもらってゆうゆう出発。これを小春日和というんやなと実感できる日差しの暖かさが気持ち良い。車椅子はじかに座っていると風が冷たいので、ひざ掛けが絶対に必要。

あちこちまわって用事をすませ、堀江で遅いランチにした。最近もらったチラシで知った自然派カフェ ココウェエルカフェは堀江公園の北側にあってすぐにわかった。ゆったりとした部屋にゆったりと音楽が流れていてくつろげた。チキンカレーを頼んだらココナッツを使った上品な味。メニューすべてにココナツを使っているそうだ。

壁に映る南の島のこどもたちの映像に気持ちが和んだ。ずんずんヤシの木に登っていく子のたくましいこと!

ところで、ココナッツってヤシの実だって今日まで知らなかった。ちょうど座ったテーブルの横に鉢植えがあったので「もしかして、これがココナッツ?」と聞いたら「そうです、ヤシの木です」と答えがかえってきた。ココナッツミルクの缶詰は我が家に常備してある。

純米酒 秋鹿 生囲い(あきしか なまがこい)

能勢に住んでいる甥夫婦が先日姉が入院している病院へ見舞いに来てくれた。相方が奥さんのYちゃんに先日お世話になったお礼にチョコレートの小さな箱を渡した。今度はそのお返しにYちゃんが「純米酒 秋鹿 生囲い(あきしか なまがこい)」と立派なレッテルを貼ってあるお酒を送ってくれた。
先日届いたのを冷やしておいてさっき蓋を開けて飲んだところ。肴はうちとしてはがんばって鯛とハマチのお刺身。野菜いろいろを素揚げしてつけた。そのあとは、ご飯と味噌汁、煮昆布、納豆、梅干し。

「秋鹿」は箕面へ行った帰りとか買って帰ったことがあって、わりと親しみのあるお酒だ。奈良には「春鹿」があったっけなどとしゃべりながら、まず一献。

牛乳鍋

いつも無農薬野菜を売りに来る女性から牛乳を1,8リットルもらった。しぼりたてを煮立てて冷ましてから瓶に入れて持ってきたそうだ。いつもの売り場に野菜を買いに行った相方がいただいて帰った。そのまま飲んでみたが市販の牛乳とは味が違う。これが本物のミルクと感じた。

さあて今夜は牛乳鍋だぞと、帰る途中のスーパーのベンチに座り込んでつくり方を検索し、野菜など入れるものを買ってきた。
味噌と牛乳と調味料をいろいろ入れただし汁に、豚肉、とうふ、にんじん、みずな、きのこなどを入れてぐつぐつ煮立てた。
今夜はご飯とかうどんとかいっさい食べず、牛乳だけで腹いっぱい。3時間経ってもお腹が空かないよ。いつか機会があれば、お餅、中華麺なんかを入れてもうまいかも。

懐かしのかちんうどん

今日の晩ご飯は相方が知り合いとよそでご飯を食べることになって、わたしは個食になった。昼ご飯に食べた鯖の味噌煮缶と野菜と豆腐とキムチの味噌汁にお餅を入れてぐつぐつ煮たのを大丼で豪快に。なにに入れてもお餅はおいしい。

先日、近所のそば処 宋平で焼酎とおかずのあとに「かちんそば」を相方が食べた。食べる前に「かちんそばてなんや」と質問あり。「そばにお餅を入れてある、かちんうどんもうまいよ」と返事したが、わたしはその前に鍋焼きうどんを注文していた泣。餅入りのお蕎麦、かちんそばがおいしかったって。

最近宋平以外にうどん屋さん蕎麦屋さんに入ることがない。通天閣の側にある総本家 更科の蕎麦はうまかった。そして鍋焼きうどんのまたとないうまさかな。大晦日の年越し蕎麦もすごーくうまかった。こちらも長いことご無沙汰だが道頓堀の「今井」のうどんもうまい。
すいすい行けるようになったら食べに行くぞ〜

もっと昔の話だが(ハタチごろ)東淀川区の三国の幼稚園を借りてコーラスの練習をしていた。薄汚い神崎川が流れているところで、頑張って泉合唱団という名前をつけた。あたりにまだ蓮池が残っていた頃のこと。
週に一度の練習日に仕事を終えて集まるのだが、たまに三国商店街にある「力餅」できつねうどんかかちんうどんを食べたものだ。小遣いの都合で毎週とはいかなかったが、ここで晩ご飯を食べる工場労働者もけっこういた。大メシと素うどんのセットが懐かしい。