田中康夫「33年後のなんとなく、クリスタル」を読み出した

「ユリイカ」12月号(特集「百合文化の現在」)をすぐに読みたいので発売日の今日買いに行くことにした。ジュンク堂大阪本店に行くことが多いが、梅田よりも難波店のほうが近いといまごろ気がついた。もうだいぶ前だがデモの帰りにこんなところにジュンク堂があると知ったのが最初だった。
地下鉄を降りてすぐ外に出ないで歩くとすぐにスーパー・ライフがあって、1・2階にはホームセンターがあって、その上の3階である。
とにかく広い。そして本棚の間の空間が広くとってあるので見やすい。今日で3回目くらいだから慣れてなくてうろうろしたが、慣れたらすいすいと思うところにいけるだろう。

まず「ユリイカ」を手にして、うろうろと文庫本のところへ行き、ジュリアン・グラッグ「アルゴールの城にて」(岩波文庫)を、それから昨日ツイッターで知った田中康夫さんの新作、「33年後のなんとなく、クリスタル」(河出書房新社)を買った。合計3780円。
あとはなんとなく千日前線に乗るまで地下の商店街を歩いた。

「ユリイカ」はあちこち興味のあるところ(やっぱり吉屋信子や宮本百合子と古いところになる-笑)を流し読みして、「アルゴールの城」は相方へのお土産にして、さあ康夫さんだ、と読み出した。すっごくおもしろい。

雨の音を聞きながら「山の音」を読んでいた

「雨の日の猫は眠い」という言葉を猫を飼っているときになにかで読んでほんまやなと思った。外は雨、猫だけではなく人間も眠い。
片付けをすませテーブルに未読本を数冊置いてなにを読もうかと迷っていたら、あくびがはじまりハナミズずるずる。これはあかんとコーヒーをいれてナッツの缶を開けた。これで眠気をごまかして本を読もう。未読本はあかん、何十回目になる川端康成「山の音」にしよう。とても好きな小説で、最初に発表された雑誌から読んでいたような気がする。

鎌倉に住む会社経営者の信吾の長男の優しい嫁菊子への繊細な心遣いがこころに染みる。戦争のせいで気持ちが荒んだ修一は新婚の妻をないがしろにして外で女遊びにふけっている。
老夫婦と息子夫婦が暮らす家に娘がこどもをふたり連れて戻ってくる。息子は美男なのに娘は美人でなくひがみっぽい。修一と菊子は美男美女で、保子と房子は美しくない母娘である。菊子はいやがらずこどもの世話をする。

物忘れをするしネクタイの結び方を一瞬忘れたりで老年に入って行く自分を眺める信吾の気持ちをなんとなく読んでいたけど、いまでは共感して読んでいる(笑)。
妻の保子はまるい性格のいいひとなのだが、図太い神経の持ち主のように描かれている。信吾が保子の美しい姉に惹かれていたからだ。

微妙なこころの動きと生々しい夫婦生活の描写があって、その遠景には山の音が聞こえる鎌倉の自然がある。

川端康成「女であること」(本と映画)

いま調べたら「女であること」は1956年に新潮社から刊行されているから、朝日新聞に連載されたのは54・5年だろうか。わが家は朝日新聞をずっととっていたから連載小説はこどものころから全部読んでいた。川端康成は「乙女の港」以来大好きな作家だから毎朝姉と新聞の取り合いだった。

物語は大阪の“さかえ”という若い女性が、船場の旧家から東京へ飛び出して行くところからはじまる。東京では母の友人の佐山家にやっかいになるが、佐山家に行く前に生理になったので、その期間をステーションホテルに滞在する。
読むまで忘れていたことが多く、読むとああそうやったと思い出した。いまになって買って読もうかと思ったのは、あるシーンのこと。
さかえは佐山夫人の元恋人に近づいて交際するのだが、ふたりでデパートのハンカチ売り場へ来て、さかえはいちばん上等なハンカチを男ものと女ものとを2ダースずつ買う。その買い方の鷹揚さに驚いた店員の千代子は後姿を見送るのだが、そこへ来たのが佐山家に厄介になっている友人の貧しい妙子。それで、あれが話題のさかえさんと千代子も納得。
覚えていたとおりだった。貧乏な少女はハンカチ2ダースに圧倒されて何十年後も覚えておった。とともに、大阪の女性が東京の女性を圧倒しているところに手を叩いたことも思い出した。

詳しく解説した映画のサイトがあった。1958年公開のモノクロ映画。
さかえは久我美子、佐山夫妻が森雅之と原節子、妙子が香川京子、監督が川島雄三。
映画は丸山明宏(美輪明宏)の歌でスタートする。タイトルのバックに若き日の写真あり。
原節子も久我美子も美しくてまぶしい。

川端康成におぼれる・・・『千羽鶴』

先日の本棚片付けで出てきた文庫本の中に川端康成が数冊あった。「雪国」や「川のある下町の話」は覚えているけど、「美しさと哀しみと」はどんなんだったかしらと古ぼけた文庫本を開いたら、すぐに耽美の世界に入り込んでしまった。P・D・ジェイムズというがっちりしたイギリスミステリの世界でかしこまっていたわが魂は、あっという間に川端康成の美の世界に絡めとられていた。どっちも上等な文学だから読むのに矛盾がないのだ(笑)。

こうなったらちょっとの間は川端康成におぼれようと新しい文庫本を買うためにジュンク堂に行った。買ったのは「千羽鶴」「みずうみ」「女であること」の新潮文庫3冊。これを読み終ったら「山の音」も買おう。この他にも好きな本があったのを徐々に思い出そう。
そんなことを思って買った土曜日に「千羽鶴」を読み出した。翌日は雷鳴で目を覚ました夜中に続きを読んでしまった。だけど「千羽鶴」は飛び去って行かず、鶴の脚に絡めとられて昨日と今日と2度目を読んでいる。
昔だって何度も読んだ本だけど、いま人生の酸いも甘いも噛み分けてるつもりなのに(笑)、菊治の惑いに胸が痛み、太田夫人と文子の甘美と苦悩に想いがいく。

新調文庫には「千羽鶴」の後日談「波千鳥」が入っている。
菊治が千羽鶴のふろしきを持った見合い相手の稲村ゆき子に惹かれたのが前作の冒頭だった。
太田夫人と文子との葛藤で悩む菊治にゆき子が惹かれて結婚するのが「浜千鳥」の冒頭である。菊治の惑いや傷はゆき子の素直さに癒されていくようだが・・・

映画「千羽鶴」(1953)を見た記憶がないのに、栗本ちか子役の杉村春子の顔と声が思い出されたのは驚いた。検索したらやっぱり杉村春子だった。菊治は森雅之、太田夫人が小暮実千代なんだけど覚えてない。

マーク・ロマネク監督・カズオ・イシグロ原作『わたしを離さないで』

翻訳が出始めたときから大好きでかなり読んでいるカズオ・イシグロだけど、「わたしを離さないで」(2005)は途中までしか読めず置いてある。
いま映画「わたしを離さないで」(2010 イギリス)を見終えて、現代SF小説の映画化だとわかった。

クローン技術で生まれた子どもたちが70年代のイギリスの田舎の広い屋敷に隔離され集団で生活させられている。彼らは注意深く教育され、一定の年齢に達すると臓器提供可能者としてコテージで過ごし、臓器が必要とされるときに病院へ送られる。
臓器の提供は3回ほどで【終了】となる。介護士は【提供】をはじめた者を介護するので、少しだけ余分に生きられるが、やがては【提供】する者になる。

ゆっくりした寄宿舎生活だけど悲劇的な雰囲気がただよう。真実を教えようとする新しい教師がすぐに辞めさせられる。
キャシーはちょっとはぐれっ子のトミーに関心を持っているが、友だちのルースがトミーと仲良くなる。

大人になったキャシー(キャリー・マリガン)は介護士になってルース(キーラ・ナイトレイ)の介護を担当している。ルースはトミー(アンドリュー・ガーフィールド)と仲良くなったのはキャシーとトミーの間を嫉妬したからだと言って、償いをしたいという。連絡するとトミーはすでに2回【提供】していたが元気だった。
愛し合っている者どうしなら提供猶予されるという規則があるとルースに聞いて、キャシーとトミーは当時の校長(シャーロット・ランプリング)に会いに行く。校長はそれは噂に過ぎないと否定する。
その後、トミーは3回目の【提供】で【終了】した。それからすぐにキャシーに提供開始の知らせがきた。

「道草」読んで暗くなっている

なんだか気分が暗いのは梅雨のせいではなくて、漱石「道草」の健三と妻とのやりとりを反芻してるから。われながら読んでる本に影響されやすい。お金を借りに来る人たちになけなしのお金を渡したり、自身が知り合いに借りてつくったお金を渡したりする。思っていなかった原稿料が入ったときは自分の趣味のものを買うから健三はそれでいいけど。
漱石夫妻のことでアタマがぐるぐるまわっているのに、今日はまたすっかり内容を忘れていた「彼岸過迄」を読み出した。「彼岸過迄」「行人」「こころ」が後期三部作と呼ばれているのも知らなかった。ちなみに前期三部作は 「三四郎」「それから」「門」である。これは知っていた。
漱石はほんまにおもしろい。ゆるりと読んでいくつもり。なんて、読み出したらおもしろいからめちゃ速読してしまう。

VFC会報はぼちぼちとやっている。今月もけっこうなページになりそう。こちらも梅雨のせいかとっとといかない。明日やろうと毎月同じことを言っている。

夏目漱石『道草』

昨夜から読み出したらおもしろくて手放せない。結局さっきまで読んでいて読了。
キンドルを買ってから青空文庫の夏目漱石を読むようになった。パソコンの画面で読むよりも文庫本感覚で読めるからかな。
何十年間も漱石を読むということは、全集でなく文庫本で「明暗」「虞美人草」「三四郎」と「草枕」を読むということだった。特に「草枕」は持ち歩いて読んでいる。好みが固まったままなので、これはいかんと先日久しぶりに「行人」を読んだ。二郎の苦悩、一郎の苦悩、いる場所を失い投げやりにならざるを得ない嫂。近代恋愛小説だった。

「道草」は夫と妻の物語である。漱石夫妻の姿を自ら描いた私小説。
健三は3年間のイギリス留学から帰ってきた。ある日かつての養父 島田と道ですれ違い、間違いなく彼だと確信する。間もなく島田がやってきた。顔つきや着るものの描写がすごくリアルでディケンズのよう。それから金を貸せと頼まれ迫られる物語がはじまる。元養父母、そして間に立ってやってくる人たち、実姉、実兄、尾羽打ち枯らした妻の父親。金のなる木とばかり、たかる、たかる。
長編小説の最後のほうで、順番は「彼岸過迄」「行人」「こゝろ」「道草」「明暗」。

電子書籍で夏目漱石「行人」を読む

キンドルには〈無料本〉というのがたくさんあってありがたい。青空文庫を縦書きにして読みやすくしているのが多いみたいだ。すでに青空文庫で岡本綺堂の「半七捕物帳」や横光利一、宮本百合子などけっこう読んでいるが、まだまだの本がいっぱい。当分電子書籍の新刊を買わないでいけそう。菊池寛訳の「小公女」があったので古い岩波少年文庫版を捨てた。何度も読んでいるからほとんど覚えていて、菊池訳に入ってないところを思い出した。ミンチン女史がインドの紳士を訪ねてきて、セーラが生意気な子だというところ。セーラが言い返すところが好きやねんけどな。まあ、読むときに思い出せばいいか。

小学校のときから親しんでいる夏目漱石だけど、3回くらいしか読んでなかった「行人」を今回読んで夢中になった。読むと思い出すのだが、その先がどうなるか覚えていないのでどんどん読み進む。そんなミーハー的興味まで満足させてくれた。

二郎が梅田ステーションで降りると母の遠縁の岡田が天下茶屋から迎えに来ている。そうそうお兼さんという奥さんだったと思い出した。二郎の両親の世話でいっしょになった岡田夫妻は円満に暮らしている。二郎は友人の三沢に会うつもりなので、この家を連絡先にしてあった。三沢は入院していた。
それから病院へ行って三沢と会い、彼が泊まっていた宿に滞在することにする。三沢は入院している女性「あの女」に惚れている。女と病気の話が延々と続く。
退院した三沢を送った翌日は母と兄夫婦を迎えにまた梅田ステーションへ行った。母のお気に入りのお手伝いさんの縁談をまとめようという岡田の計画である。縁談はうまくまとまった。

そこから話がややこしくなる。兄の一郎夫妻の不和が母にも二郎にも影を落とす。そうだ、昔読んだときは、嫂と二郎が一郎の要請で和歌山に行った章を読むのにどきどきしたっけ。
一郎は二郎に「直は御前に惚れてるんじゃないか」と言い、自分の妻を連れて和歌山に行き、妻に真意を聞いてほしいと頼む。二郎はいくら断っても引かない兄に悩み、母にも言われて中止しようとするが、兄は引かない。結局ふたりは和歌山に出発する。

辻原登『寂しい丘で狩りをする』

辻原登さんの作品をはじめて読んだのは朝日新聞に連載された「花はさくら木」で、ものすごくおもしろかった。そして連載が終るとすぐに単行本を買って何度も読んだ。それからは図書館で7・8冊借りて読んでいる。
今回は「週刊現代」の著者インタビューで知ってすぐに読みたくなり書店に走った。好みの小説を読むときのクセですぐにさっと読んでしまい、もう一度ゆっくりと読み直した。もう少し時間が経ったらまた読むつもりだ。

映画編集者の野添敦子は長いタクシー待ちの列を並んで待っているとき、後ろにいた男性に行き先を尋ねられた。答えると自分も同じ方向に行くからと同乗を申し込まれて承知する。この押本が悪い奴でタクシーが着くと、敦子とは反対側に行く振りをする。そして彼女が道を曲がると追いかけて公園の林で背後から襲い、マンションのゴミ置き場に引きづりこんで強姦し、性的快感を高めるためにそこらにあった電気コードで首を絞めて傷害を与えた。その後奪ったバッグを調べて彼女に電話し「あんたの秘密を10万円で買ってくれ」と言い、それをしないと会社の人に言うし、もし警察にしゃべるとえらい目に遭うぞとおどす。
敦子は警察に届け出た。
押本は逮捕されて裁判が行われ、敦子は勇気をふるって証言した。押本は7年の刑を言い渡され福島刑務所に拘束された。

それから7年が経とうとしている。
フリージャーナリストの瀬戸が敦子も出席している仕事のパーティで、福島刑務所にいる押本が娑婆にもどったら敦子を襲うと言っているのを別の犯罪者に聞いたと話す。

敦子はイビサ・レディス探偵社の腕のいい女性探偵、桑村みどりに仕事を依頼する。
みどりは刑務所の出口から押本の尾行をはじめた。押本は着々と敦子を襲う計画を進めている。
みどりには敦子のことは他人事ではない。自分も野球場で知り合った久我からの虐待に苦労しているからだ。有名な芸術一家の出でカメラマンの久我は申し分のない外見で、人の目には優しい男だが中身はとんでもないやつだ。

押本も久我も自分のものと決めた女を陵辱するためにはなんでする。ひたすらそのために生きている。
警察に届けても犯罪が行われない限り動いてはもらえない。
ひたすら逃げていた女たちが復讐するとき・・・

敦子は古い映画の復元作業を成功させたことで自信をつけ、恩師の求婚を受け入れる。
みどりは自分が受け持った事件で知り合った会社員と結婚の約束をする。
4人が集まった最後がとってもよかった。
(講談社 1600円+税)

藤枝静男『悲しいだけ・欣求浄土』

静かに読み終った。〈私小説〉がこんなに新鮮に読めるとは思っていなかったので、いい機会をもらったものだと感謝でいっぱい。

『欣求浄土』から「一家団欒」と『悲しいだけ』から「雛祭り」
私の父は70歳で、兄は36歳で、姉は18歳で、もう一人の姉は13歳で、弟は1歳で、妹も1歳で、全員が結核で亡くなった。そして妻は39年間の結婚生活の最初の4年以外は結核と闘病したが亡くなったとある。もう少し時代が後だったら結核での死は免れただろうに。

実家の墓には彼ら全員が眠っている。
私はまだ妻が動けたときにいっしょに墓地へ行った。熱心に墓掃除をして、
【花を差し水を石に注ぎ叩頭して手を合わせたとき、後ろに立っていた妻が不意に
「わたしはこの墓に入るのはいやです」
と云った。暗黒のコンクリートの穴のなかで見識らぬ私の肉親たちにひとり囲まれるという恐怖が、妻の短く低い呟きに鋭く現れていた。帰途
「暗い土に埋まってひとりでに溶けて、それから水になってどこかへ消えてしまいたいのよ」
と柔らかく弁解するように云った。】

その後、妻が亡くなってから墓参りをしたとき、私は墓に妻の死を報告し、「私が死んだとき連れて行きます」と心の中で云う。私がいっしょに行けば妻も安心だろうしみんなも喜ぶだろう。それまでは妻の遺骨の入った骨壺は側に置いておく。
藤枝さんがお亡くなりになったとき、近親のかたがそう取りはからったことでしょう。
(講談社文芸文庫)