関西翻訳ミステリー読書会(アーロン・エルキンズ『古い骨』

第9回関西翻訳ミステリー読書会に行った。わたしの参加は6回目。前回は大好きな作家の第1作(ヘニング・マンケル「殺人者の顔」)だったから、喜び勇みすぎて、批判的な意見にがっくりきたりした(笑)。
今回のように好きでも嫌いでもない作家だと気がラクだという真理がわかっておもしろかった(笑)。

夕方早めに出て堂島のジュンク堂へ行きたかったが、梅田大丸IRIEでパン(シナモンロール)を買って大阪駅構内へ出たら歩く気が失せて、ヒルトンホテルのジュンク堂で間に合わせることにした。そしたらなんのこっちゃ買うつもりの本のタイトルも作者名も覚えていなかったのであった。堂島のジュンクなら棚まで行けばお目当ての本はあるのにね。まだまだ手元に読む本はいっぱいあるので、探すのを諦めて椅子に座って休んでから読書会に行った。

今日の寒さは大寒寒波なんだって。寒さの中をみなさん元気に出てこられて、和気あいあいとしゃべった。みんなの冷やかしや笑いも暖かかったのは、主人公ギデオン・オリヴァーの人柄によるのかもしれない。このシリーズの翻訳が15冊も出ているということは愛されている作家&主人公ということだろう。

久しぶりの本格的外出だったので、疲れてちょっとぼーっとしたが、元気に帰れてよかった。このブログを読んでくれている人が2人いたのもうれしかった。
帰ったら、約束のうどんができていた。お餅と揚げとネギの入った熱〜いうどんで二度目の晩ご飯。デザートはシナモンロールとヨークシャーティー。

メアリ・バログ『うたかたの誓いと春の花嫁』

翻訳者の山本やよいさんに新訳書を2冊送っていただいた。「キリング」と本書で、いつもなら「キリング」に飛びつくのだが、体調のせいでロマンスのほうを先に読むことにした。
訳者あとがきに「華麗なるリージェンシー・ロマンス」とあった。はじめて知った言葉なので検索したら「リージェンシー・ロマンスとは英国の摂政時代を舞台にしたロマンスのことです」とあって、皇太子ジョージ(のちのジョージ4世)がイングランド国王に代わって摂政となった時代だが、広くはヴィクトリア時代の前まで入るそうだ。そして「リージェンシー・ロマンス」とは、ジェーン・オースティンの小説のようなロマンスをさすとあった。これで今日はすごく勉強した気分(笑)。

甘口ではあるが手に取るとやめられない。夜遅くまで読んでなにをしていることやら(笑)。主人公のヴァネッサがジェーン・オースティンの「高慢と偏見」のエリザベスを3倍にしたくらいの気の強さなのだ。相手のエリオットはダーシーさんに負けない美男子で、なんと最初は田舎のダンスで二人は最初に踊り言葉を交わす。

物語は、名門伯爵家の血筋ではあるが両親を亡くし地味に暮らす一家を中心に繰り広げられる。イングランド中部の田舎のコテージで姉のマーガレットが妹のキャサリンと弟のスティーブンの面倒をみてゆったりと暮らしている。そこへ突然、ハンサムな子爵エリオットが現れ、この家の長男スティーブンが伯爵家を継ぐことになったという。
4人は伯爵家の本邸で暮らすことになり貴族社会の仲間入りをすることになる。次女のヴァネッサが本書の主人公で、病気のへドリーと結婚して1年半で死に別れ、近くの婚家で暮らしている。エリオットは放蕩をしてきたが30歳になるしそろそろ結婚したいと思っていて、長女のマーガレットに申し込もうとするが、マーガレットには叶わない恋をしている相手がいる。ヴァネッサは姉を窮地から助けようと、自分からエリオットに結婚を申し込む。ヴァネッサは美人ではなく、美貌の姉と妹の間にはさまれて〈地味な娘〉と言われて育った。
なんだかおかしな展開だが、結局は結婚していろいろあって、だんだんと愛を確認していく。
(山本やよい訳 原書房ライムブックス 914円+税)

リリアン・J・ブラウン『猫は殺しをかぎつける』

1988年発行の本で出たときから知っていたのだが、猫が家にいて、なにからなにまで猫づくし生活をしていたので、ミステリまではと遠慮したのだった。
仕事場が別にあったときは、猫のためにクッションやぬいぐるみを置き、あちこちに膝掛け毛布や布があり、部屋そのものが「花子の家」だった。
そんなことを思い出しつつ翻訳の出たシリーズ最初の本を読んだ。
検索したら29作も出ているんだ。そのうち25冊がここにある、ヤッホー〜
1966年から書きはじめている息の長いシリーズを、ずっと待っていて読むって快楽だったろうな。
Jさんに頂いた本、とにかく早く読んで次にまわそう。

2匹のシャム猫「ココとヤムヤム」と飼い主の新聞記者のジェイムズ・クィラランの楽しい物語。クィラランは独身で身長6フィート2インチ、しかし体重は医師から30ポンド減量を言い渡されている。そんなときに新しいグルメ記事を書けという編集長のお達しがある。

読みながらクレイグ・ライスみたいだと思った。ユーモアとか女性がクィラランに話しかけるところとか。
おデブちゃん友の会—全員重量級—の会合では堕落者が罪を告白する。趣味を持ちなさいと言われて、食べるのが趣味なのって答えたのには笑った。
猫だけでなく食べることが好きな人にもおすすめ。

ミス・リード『ドリー先生の歳月』

たくさんいただいた本の中の単行本2冊がミス・リードの本だった。名前を聞いたことがあるという程度の知識しかなかったのでありがたい。
「ミス・リード・コレクション」と名付けられた7冊の本をみんな欲しかったと2冊読んだところで思う(笑)。いえいえ、いただいた2冊で充分にイギリスの田舎の生活がわかります。

去年レジナルド・ヒルさんがお亡くなりになった。彼の作品を読んでいると、古き良きイギリス(ヨークシャー)を愛していた人だったと思う。いまのイギリスになくなりつつある人間味やウィットが充満している彼の本の中でも「異人館」と「完璧な絵画」の田舎は最高だ。
図書館で年末に「異人館」を借りてきて再読し、これは買って持っていようと思った。
のどかな田舎に警官が入り込んだり(完璧な絵画)、オーストラリアとスペインから自分の過去を調べにきたり(異人館)と、外からの風や光があたって、田舎の風物が輝く。みんなそれぞれ過去があったのが明らかになり、愛も甦る。
まあ、いわば、お伽噺のような世界で、だから好きなんだけど。

「ドリー先生の歳月」では、ドリー先生が生まれてからいろいろなことに出合いつつ教師を続け、ついに教師を辞めて田園生活を楽しむところまでを、率直にまっすぐに書いている。
ミス・リードの語りは率直で、咲いている花、実っている実、そよぐ風、小川の流れ、洗濯物など田舎の家のあれこれが語られる。

ドリーの父フランシスは屋根葺き職人で母のメリーと姉のエイダがいた。
町の南に沼地があって貧乏な人たちが住んでいた。ドリーたちはそこより少しましなところに住んでいた。わずかなお金でどうやって家族を養っていくかよりも、どうしたら自分たちの窮状を身近な人たちに隠しておけるかと苦労する人が多かったがドリーの両親も同じくだった。

1888年に生まれたドリーは人形のエミリーをいつも抱いていて祖父母にも愛されて育った。のちに出会った生涯の友がエミリー。
知り合いからの紹介で一軒家を借りられることになって一家は喜ぶ。
その家で大きくなり、教師となり、恋をする。村人に信頼されている。この家で子ども時代からの友エミリーと暮らそうと決める。
(中村妙子訳 発行:日向房 発売:星雲社 1999年 2000円+税)

アーロン・エルキンズ『古い骨』

関西翻訳ミステリ読書会の課題書を早めに買って読んだ。アーロン・エルキンズの本を読むのは5年ぶりで3冊目になる。5年前の2008年に読んだ「骨の島」の感想に「古い骨」を読んだことがあると書いているが、それは間違いで、「暗い森」を読んだのだと思う。たしか友だちと話していて、彼女が持っていた本のモン・サン・ミッシェルの写真について話した覚えがある。「モン・サン・ミッシェル、絶対に行くからね」と彼女は言った。阪神大震災前のまだバブルが消えてないときだった。その後、彼女の仕事も泡と消えてつきあいも切れた。そんなことを思い出しつつ読んだ。1冊の本にもいろいろまつわる話がある。

妻のジュリーと結婚して熱々の(13冊目も熱々だが)人類学者ギデオン・オリヴァーは、一片の骨から真実を暴き出すことができる人である。そして彼が出かけると〈骨〉がある。

今回はモン・サン・ミッシェルの島で〈国家警察北海岸地方犯罪捜査部〉のジョリ警部が出席している司法人類学の講習に、ギデオンが講師として参加している。今日はプルターニュ地方ではあいにく白骨死体のからんだ殺人事件がないので標本を使うとギデオンは話し始める。

ところが、古い屋敷での晩餐会のあと、すぐに地下室で紙にくるまれた白骨が見つかる。
今朝方、満ちてきた潮に引きずられて死んだ老人の死に方もおかしい。
過去の事件と今日亡くなった老人と、遺産相続の件で集まった人たちと、事件に首をつっこんだギデオンとアメリカ人のFBIのジョンはジョリ警部と協力して真犯人を追いつめる。
(青木久恵訳 ハヤカワ文庫)

こんなときに読む本 それはコージー!

5日にたくさん本を送ってもらった。引っ越しなさるので不用になったとのことで、書き出してあるのを全部もらうことにした。重い箱が届いて改めて本て重いなあと思いつつ開けると文庫本57冊、ハードカバー2冊が入っていた。

ヴィク・ファン・クラブができたころに好きな人がいたドロシー・ギルマンの「おばちゃまはスパイシリーズ」と同じくギルマンのコージーな冒険恋愛小説。だれに譲ろうかと考えたが、咳と筋肉痛に悩まされているときに読み出したらおもしろくて、こんなときのコージー!と思いましたです。

それからSさんに貸していただいている、モンゴメリ「アンの思い出 上下」を読んだ。モンゴメリの最後の作品。「赤毛のアン」のファンが読んだら感涙ものだと思う。短編小説の前に詩とアン一家の会話がある。アンはお医者様と結婚して子どももいて幸福であるが、戦争で息子を亡くしている。その悲哀があって、乗り越えた家族の語らいと安らぎがあって、けっこう辛辣な短編小説がある。
わたしの感想を書けばすらっと書けるけど、これはあかんと思った。思いがたくさんある人が思いを書かなきゃいけないと思う。
もともと「赤毛のアン」のファンでないのは、読むのが遅すぎたからでだと思う。少女時代は暗い英国もので凝り固まっていたからね。大人になってから読んだから遅かった。というわけで、本書については、興味深く読んだとだけ書いておく。

それから、いただいた本の1冊、ミス・リードの「ドリー先生の歳月」がよかった。これはそのうちに書きます。

風邪引いた&本がいっぱい

数日前から相方が咳をするので風邪やからおとなしくするべしと言うたんやけど。妻の暖かくもこうるさい言葉もなんのその、年末年始の夜遊びで風邪をこじらせ、その上にわたしまで風邪気味とあいなった。
今シーズンは風邪を引かないなぁと喜んでいたのになんたること。咳が出て鼻水が出て大変です。足元を冷やさないようにレッグウォーマーをはめて、肩にはサロンパスと背中にカイロ貼った。ふとん乾燥機でおふとんを温めて寝よう。
今日はうだうだして過ごし昼寝もしたし夜は熱いうどんを食べて温もった。明日ものんびり過ごしたらきっと治るでしょう。

ミクシィで知り合ったJさんが引っ越すので本を譲りたいとつぶやいておられたので、他の方がもらわないならと数日待ってから申し込んだ。先に一人おられた方は本のタイトルで選ばれたので、わたしは残ったのを全部引き受けた。文庫本57冊、ハードカバー2冊の大荷物をどさっと受け取った。読んでない本がほとんどである。今年中に読み切れるかな。友人にもまわしてみんな読み終ったら貸本店へ持って行くから本が長生きする。

うだうだしながら『異人館』を読む

おせち料理を作らないといつもと同じように食事作りをやらなあかん。どっちもどっちやな。掃除もそろそろせねば。洗濯は毎日している。洗濯物が溜まるのがいやなんで。

暮れに昔懐かしい生姜煎餅を買っておいたのを開けた。うまい! 煎茶にぴったり。暮れからいろんなお菓子をもらったり買ったりしてあるが、これがいちばん美味かも。

読んでいる本はレジナルド・ヒルの「異人館」。再読だがおもしろい。図書館で借りているがこれも買っておこうかな。ダルジール・シリーズは全部そろっている。ジョー・シックススミス・シリーズは3冊のうちSさんにお借りした2冊と図書館でいま借りている1冊。これは持っていなくてもいいか。去年お亡くなりになったので、これ以上は読めないのがさびしい。「異人館」すっごくいい。

今日はふとん乾燥機をかけてぬっくぬくして寝よう。「異人館」を読みながら。

デユ・モーリア『レベッカ 上下』

年末に図書館で借りてきた。なんと中学生のときに姉の友人が貸してくれたのを読んで以来だ。映画(1940、日本公開1951)を見たのもずいぶん昔のことである。いま「レベッカ」が好きといっているのは、数年前に買った映画のDVDを何度も見ているから。マンダレーの門から屋敷に行きつくまでの長さは何度見てもおどろく。ピーター・ウィムジィ卿がハリエット・ヴェインを連れて母と兄がいる屋敷に行くときもそうだった。ダーシーさんとエリザベスのお屋敷もそうだった。イギリスのお金持ちに憧れるてるわたし(笑)。

ヒチコック監督の映画にすっかりはまって原作もそのとおりと思い込んでいた。ジョーン・フォンテインの〈わたし〉が語る物語。モンテカルロのホテルで金持ちのヴァン・ホッパー夫人の付き人をしている〈わたし〉と大金持ちのマキシム(ローレンス・オリヴィエ)が知り合う。ふたりは結婚してマンダレーの屋敷にもどる。若い娘にとってなにもなくても気後れするところを、マンダレーには亡くなった前妻レベッカの影響力がそのまま残っている。その上にレベッカに子どものときから仕えていたダンヴァース夫人が権勢をふるっている。

物語の大筋は映画と同じだが、肝心なところで映画は道徳的になっている。それと小説がもっている見せる場面が映画ではいっそうの見せ場になっていたように思う。
ヴァン・ホッパー夫人とのモンテカルロ滞在の話に入る前に、〈わたし〉とマキシムのいま(マンダレーがなくなってから)の生活が語られる。最初はすっと読んでいたが、あとでそこにもどって読み返し、ふたりの深い孤独な愛を想った。
(茅野美ど里訳 新潮文庫 上667円+税、下590円+税)

エドワード・D・ホック『サイモン・アークの事件簿 IV 』

すでに出ている3冊は著者が選んだものだったが、今回は訳者が選んだ8作が同じように年代順に並んでいる。二千年の歳月を生きている謎の男サイモン・アークは今回も8件の難事件に立ち向かう。同行する〈わたし〉は若い新聞記者のときにサイモンと知り合った。その後ニューヨークの出版社〈ネプチューン・ブックス〉の編集者になり、部長、副社長、発行人と順調に出世し、退職したあとは編集コンサルタントになった。作品の年代によっていろんな立場にいるが、いつもなんとか日にちを繰り合わせて、サイモンが声をかけるとどこにでも同行する。

目次を見ていたら「切り裂きジャックの秘宝」「ロビン・フッドの幽霊」とイギリスだとわかるタイトルがあったので、その2作から読み出した。イギリスを舞台にしたのは他に「悪魔の蹄跡」と「死なないボクサー」がある。半分がイギリスが舞台だ。二千年生きているサイモンだからイギリスが合うように思う。
「悪魔の蹄跡(ひづめあと)」、この一作だけは書き手の〈わたし〉がいなくて、ロンドンから架空の地ノース・ブラッドシャーへ向かう二等車両で、サイモンとロンドン警視庁のアッシュリー警部が出会う。いっしょに現地に着いて調査に同行したサイモンは、雪の積もったイギリスの田舎の怪事件を現実的に解決する。

「切り裂きジャックの秘宝」では、いかにもな感じのロンドンの古書業者が出てきて期待させる。「切り裂きジャックが狂人でも性的異常者でもなく金銭的利益を目的として冷徹な計算をしていた殺人鬼だったという証拠を、わたしは持っているんだ!」という視点での物語の終わりは充分に満足できた。

「ロビン・フッドの幽霊」は、ロビンフッドの地ノッティンガムの迷路の話がおもしろい。
「黄泉の国の判事たち」では、〈わたし〉に電報が届く。「きみの妹と父が自動車事故で死亡、すぐ来い」。故郷へ妻とともにもどった〈わたし〉の過去が明かされる。

いずれも怪奇に満ちた事件を合理的に解決するサイモン・アークの事件簿。でもサイモン・アークの存在自体が神秘だからこれでいいのだ。いつものように木村仁良さんによる丁寧な解説がうれしい。
(木村二郎訳 創元推理文庫 980円+税)