山岸凉子「牧神の午後」と映画「赤い靴」

久しぶりに少女マンガ、山岸凉子「牧神の午後」(1989)を貸してもらって読んだ。山岸凉子のマンガはずっと昔に「日出処の天子」(1980−84)を延々と買って読んだことがあるけど、それ以後は読んでいなかった。

20世紀のはじめのディアギレフ率いるロシアバレエ団のことは、いろんなもので読んでいてよく知っているが、こうして絵物語になるとまた格別の味わいだ。天才ダンサー、ニジンスキーの輝きが美しく描かれていて久しぶりに気持ちが高ぶった。

ディアギレフはニジンスキーの代わりの踊り手ミャーシン(96ページ)を見出した。映画「赤い靴」に出ているレオニード・マシーンの若き日である。
わたしは「赤い靴」をかなり昔から機会あるごとに見ていて、最近はDVDで何度も見ている。最初はバレエへの憧れで見ていたが、誰かの本でバレエ団の団長がディアギレフをモデルにしていると知った。そしたら靴屋を踊っているマシーンのこともわかった。牧師をやっているロバート・ヘルプマンもディアギレフのところにいた人と知った。

そしていま検索していて「赤い靴」の新しいDVDが出ていることを知った。
【映画監督のマーティン・スコセッシがオリジナル・ネガ修復作業に着手し、2年の歳月をかけて完成された<デジタルリマスター・エディション>が、2009年カンヌ国際映画祭で世界初公開された。】
4,059円か〜 そのうち買おう。

ミクシィ・コミュニティ「昔 素敵な少女雑誌があった」を懐かしむ

昔の少女雑誌「白鳥」のことを「幻の雑誌『白鳥』と内田静枝編『長沢節』というタイトルで2007年1月に書いている。
そのころJさんが主催していたミクシィのコミュニティ「昔 素敵な少女雑誌があった」にずいぶん書き込んだ覚えがあるが、いつの間にかコミュ自体が消えてしまった。60年くらい前の少女雑誌の写真をたくさん見せてくださってすごくありがたくうれしかったのだが。こんなことなら気に入った写真だけでも保存しておけばよかったと思ったが後の祭り。でもこどものときから少女時代にかけて心の友だった少女雑誌の写真を再び見られた喜びの気持ちは残っていてそれだけでも充分と思っている。

それから7〜8年経って、最近、Jさんがミクシィに再度出てこられたのでちょっと言葉を交わした。そしたらこのサイトを教えてくださった。
吉本由美さんによる『吉本由美のこちら熊本!』というサイトの<a href=”http://kumamonne.blog.fc2.com/blog-entry-66.html”_blank”>「小さな町の小さな図書館は少女雑誌の宝島」(2013.05.04)</a>という記事。いざとなったら熊本の菊陽町図書館に行ったらいいのである。多分行かないだろうが、そこに存在していると思うだけでも満足。
Jさん、教えてくださってありがとうございます。

そういえば、こどものとき読んだ本を探して、千里の国際児童図書館にあるのがわかり、コピーしてもらったことがあった。
願えば叶うものだと思ったものだ。願いにはかなりの努力が必要だが・・・。今回はJさんが当時わたしが喜んだことを覚えてくださったからね。そしてミクシィをやめずにいたから。

よしなが ふみ『きのう何食べた?』1巻〜8巻

だいぶ前のことだけど、なんかおもしろい本はない?と友だちに言ったら、これおもしろいよと1巻から7巻まで送ってくれて、続いて出たばかりの8巻も送ってくれた。読んでツイッターとミクシィでおもしろいと書いたら、今度は違う友人が1と2をくれた。
2007年から「モーニング」に連載。1巻は07年の11月に出て、8巻は13年の12月に出ている。ファンが定着しているのだろう。

最初からずっと料理を作っては食べてばかりのマンガなんだけど、料理を作るのがゲイのカップルというところが新しいというか、今風なんですね。毎日、お金をかけずに何品かのおかずを作っている。

主人公カップルは43歳の弁護士 筧史朗(シロさん)と二歳年下の美容師 矢吹賢二(ケンジ)。
シロさんは40歳近くになってはじめて新宿二丁目のハッテン場(ゲイが集まる有名なところ)に友人と行ってケンジと出会い、その後ケンジが働く美容院で再会。シャンプーしてもらいながら、一生分の勇気を奮い起こして「ウチ 来る?」と言った。「じゃ、じゃあ、行っちゃおうかな」とケンジ。それ以来二人の同居がはじまり3年くらい経った。

毎日シロさんは6時に仕事を終らせて買い物して帰る。スーパーの値段をよく見て安いものをうまく買う。栄養も考えた献立を考えてさっさと作り、出来上がったころにケンジが帰ってくる。二人の食事シーンが楽しい。シロさんは自分たちの老後のことを考えて貯金している。だから紹介されている料理はシンプルで経済的によく考えられている。

ずいぶん前に読んでしまったのをまた読み出したらおもしろくてしょうがない。また全部読んでしまいそう。そろそろ返さなきゃいけないのに。
(講談社 1巻 571円+税)

よしながふみ『西洋骨董洋菓子店』全4巻

長い間少女マンガを愛読していて「別冊マーガレット」とか「少女コミック」を買っていた。それらが単行本になったのをけっこう買っていたがいつのまにか処分してしまった。少女マンガはそこまでで、その後は「ビッグコミックオリジナル」を毎号買っていた時代が長くあった。それから「攻殻機動隊」があって、それ以来ご無沙汰している。

わたしよりはずっと若い40代の人たちも、大島弓子、萩尾望都、竹宮恵子を読んでいるけど、あの時代の熱狂とはちょっと違うだろうなと思う。いま思い出したが、倉田江美「栗の木のある家」好きだったなあ。サガンみたいで。そういえば主人公と友人がサガンの小説が好きよというシーンがあったなあ。切り取って綴じてあったが、紙が古くなってたので切り抜きを整理したとき捨てたんだった。ああもったいない。

さて、よしながふみ「西洋骨董洋菓子店」。
よしながふみのマンガは「大奥」を出たときに借りて読んでいた。あまり好みでなかったのですっかり忘れてた。今回はすごく気に入って楽しく読んだ。
「西洋骨董洋菓子店」は4人の男性がケーキ屋を開く話である。お坊ちゃんだった橘がケーキ店をやろうと計画し、ゲイですぐに若い子に手を出してその店に居られなくなる天才パティシエと、元プロボクサーだがボクシングができなくなった青年が弟子となってパティシエを目指す。橘の実家で家政夫をしていた小早川がやってきて4人になる。
「西洋骨董」というのはケーキ屋の店名である。おいしそうなケーキがどんどん出てくる。どれもこれも食べたくなるケーキ。そして美形が4人。
(新書館1-3巻 520円+税 4巻 530円+税)

スーザン・ヒル『雪のかなたに』

プロローグ、「ゆうべ、雪が降った」と何度も繰り返す年取った女性の独り言からはじまる。父も母も兄も村の人たちもだれももういない。みんな亡くなってしまって残ったのはわたしだけ。
ずっと昔、9歳の少女のわたしは牧師館で両親と兄と暮らしていた。いたずら好きの兄は妹をからかうが仲のよいきょうだいだった。ドーセットの枯れ草色のわびしい丘、お屋敷があり主人たちはぬくぬくとしていて、使用人たちは屋根裏部屋で寒さに凍えていた。

巡ってきたうれしいクリスマスの日、ファニーは母に新しく作ってもらったマフを手に教会に行く。帰るとご馳走ができていてお客さんや使用人と楽しい食卓を囲む。
その最中に村の男性が亡くなった知らせがあり、別の家では子どもが産まれた。牧師の父は両方の家に行き遅く帰ってきた。翌日、ファニーは父について亡くなったおじさんの家に行き遺体に別れを告げる。その近所の家では昨日生まれた赤ちゃんを抱っこさせてもらう。

クリスマスの3日間は楽しいことだらけだった。
年が明けて春に父は街の教会に転任する。街ではクリスマスになってももうあの村でのようなクリスマスは訪れなかった。あのときわたしは9歳だった。
(野の水生訳 パロル社 2004年発行 1400円+税)

スーザン・ヒル『ガラスの天使』

スーザン・ヒルとなにか結ばれているものを感じる。久しぶりに行った図書館の棚で目についたのが「ガラスの天使」と「雪のかなたに」の2冊のクリスマス物語だった。パロル社の美しい挿絵の入った小型の本だ。

「ガラスの天使」をまず手にとった。
ティリーは母と二人で屋根裏部屋で暮らしている。父は戦争で死んでしまった。
母はお屋敷のお嬢様のドレスを縫う仕事をもらった。お嬢さまは結婚式のドレスや付き添いの人たちのドレス、新婚旅行用の物も母に依頼してくれた。母が仮縫いに行くのにティリーはついて行き、母の仕事が終わるまでじっと待っていた。暖かい部屋で待っているのは苦にならない。
帰り道は土砂降りになった。重い荷物を持った母と歩いて屋根裏部屋へ。
翌日も雨、学校はクリスマス劇の練習で楽しい。家に帰ると母はお嬢様のドレスの生地を部屋いっぱい広げていて、ティリーは台所の隅でおやつを食べる。
階下のマクブライドさんはティリーに自分の過去のことやいろいろなことを話してくれる大人の友だちだ。
お母さんは学校のバザーに出すために人形を作ってくれた。ヴィクトリア・アメリアと名付けたこの子はくじ引きでルイーザのものになった。

母はひどい風邪を引き寝込んでしまう。ひどい雨漏りで縫いかけのドレスがびっしょり。ティリーは駆けてお屋敷へ。
けなげな母と子への周りの人たちからのさりげない贈り物に彩られたクリスマス。
(野の水生訳 パロル社 2004年発行 1400円+税)

マンガで覚えた料理

よしながふみのマンガ「きのう何食べた?」(1巻から7巻までSさんに貸していただいた)がすっごくおもしろい。あまりにおもしろいのでぱーっと読んで(最近はこれが多い。最後までいって納得してから2回目を読む)、いま2回目なんだけど、読む本がたまってきたので途中で止まっている。2回目を全部読んでから感想を書くことにして、今日は出ていた料理を作ったのでその話。
ゲイのカップルの生活を描いているが主に晩ご飯の話である。弁護士の筧史朗は6時で仕事を切り上げて帰ることにしている。帰りにスーパーで買い物をするのだが細かく値段を検討して今日の献立を決める。料理の過程が細かく書かれていてそのとおりに作ればできる。野菜中心で皿数が多い。
ご飯が出来上がるころに相棒の美容師 矢吹ケンジが帰ってくる。「シロさん、これうまい!」とケンジ。幸せなカップルの晩ご飯風景が楽しい。

この本を教科書に一皿の料理を作ってみた。
いんげんとじゃがいもの煮物(「きのう何食べた?」5巻より)
じゃがいも中4個を4〜5等分してひたひたに水を注いで水から煮る。
湯が沸いてきたら長さを半分に切ったいんげんを1袋分入れる。
(味付けにめんつゆを使っているのをパスして醤油とみりんにした。)
濃いめに味付けして汁気がなくなるまで中火で煮たら出来上がり。

やっていそうでやってなかったじゃがいもといんげんの煮物。さっぱりとしてうまかった。わが家の定番になりそう。

大和和紀『あさきゆめみし』全13巻

麗しい姫君が美しい衣装に黒髪を散らして苦悩する。源氏の君に抱かれるやんごとなき姫、罪を悔いつつも恋の歓びにもだえる人妻。大和和紀さんの絵が素晴らしい。

Cさんからどばっと宅急便で届いたときはびっくりしたが、あっと言う間に読み終えた。最初はストーリーがおもしろいのでどんどん読み、二度目は味わいつつゆっくりと読んだ。勝手な感想だけど、マンガは文字を読んでいくのよりずっと早いので忘れてしまうのも早い(笑)。最後までいき二度目を読んでいるうちに、味わいかたを自分で調整したらいいんだと気がついた。当分は現代訳を読まなくてもいけそう。原文を読むのは岩波文庫を捨てたときに諦めている。

紫式部はすごい人だと改めて感じ入った。
物語の骨組みがすごくしっかりしてる。女人たちのタイプがそれぞれのタイプの典型である。女性たちそれぞれの生き方がいきいきと描かれている。その上でどうしようもない運命に翻弄される。
論理的な頭脳の人だ。式部本人は論理的な人で、書かれているのは情緒的な人な感じ。20世紀の吉屋信子が似ていると思った。

好きな女人はだれかしらと考えたが、どなたも好きで、どのかたがいちばん好きと言いにくい。

物語の中では「野分」が好き。
今回、源氏物語よりも宇治十帖のほうが好きになった。
(1〜13 講談社)

大和和紀『あさきゆめみし』5巻まで読んだ

「源氏物語」とは全然関係なくミクシィの日記コメントに、ある男性の顔が〈末摘花〉に似ているとあって、納得の二人の笑い方がえげつない(笑)。そのあとにわたしが無粋にも「源氏物語」のなんて言ってしまった。Cさん、「こりゃkumikoさんはこれを知らんな」と思ったらしく、すぐに大和和紀さんのマンガ「あさきゆめみし」全13冊を送ってくれた。出ているのは昔から知っていたが面倒くさくて読まなかっただけ(負け惜しみ)。
発行日を見たら1980年である。
山岸凉子の『日出処の天子』(ひいづるところのてんし)も同じころだったと思う。こちらのほうはしっかりはまって出るたびに買っていた。わたしらは「ところてん」といい、本屋のおっちゃんは「ひでしょ」と言っていた。しょうもないこと覚えているね。
わたしの聖徳太子についての知識はこの本で得たものである。そのころはよく奈良や法隆寺へ行ってたから。

「源氏物語」のほうは、若いころから10年置きくらいに与謝野晶子と谷崎潤一郎と円地文子の現代語訳を読んでいたし、橋本治の「窯変 源氏物語」だって全部読んでいる。それでマンガを読むまでもないと思っていたのだろう。
最近また源氏物語を読もうかなと思ったのは、本の整理をしていて岩波文庫の古いやつを捨てたから。

ちょうどいいタイミングで貸してもらったので、次に読みたくなるまでこれでいこう。
絵がとても美しくて話がわかりやすい。知っていた知識で補うこともできるし、このクソ忙しさの中で読むにはちょうどよい。美しい日本語が読みたくなったら青空文庫に与謝野晶子訳がある。

イギリス児童文学に惹かれていたころ

先日「ナルニア国物語 第一章:ライオンと魔女」をDVDで見て思い出した。このシリーズは岩波書店から出ていた瀬田貞二訳のを70年代に読んでいる。おもしろかったなぁ。

幼年時代は「小公女」「秘密の花園」「リンバロストの乙女」「あしながおじさん」を何度も読んで、もの思いにふけっていた。この4冊はいまもわたしの聖典である。これにプラス、ドロシー・L・セイヤーズ「学寮祭の夜」(ミステリだけど乙女もの)。

イギリス児童文学を意識して読み出したのはいつごろからかしら。旭屋のこどもの本棚の前に立って次はなにを読むか探したのと、新刊案内や新聞広告を見て曾根崎書店に注文していた。岩波書店、評論社、福音館が多かったかな。
「ホビットの冒険」がいちばん気に入っていたが、その次はなんだったろう。ボストン夫人の「グリーン・ノウ」シリーズ、アラン・ガーナーは「ふくろう模様の皿」がお気に入りだった。ビアトリクス・ポター「ピーター・ラビット」シリーズ、アーサー・ランサム「ツバメ号とアマゾン号」シリーズ、ウィリアム・メイン「砂」。

その後、縁あって「イギリス児童文学研究会 ホビットの会」に入会し、毎月一人の作家の訳された本を全部読んでくるという荒技の数年間であった。それまで図書館にあまり縁がなかったが、そこにある本だけでなく、カードをめくって古い本を出してもらったりすることを覚えた。コンピュータシステムになってなかった時代。
ここで、アリソン・アトリー「時の旅人」(猫の花子はわたしの声が好きなので「グレイラビット」シリーズをよく読んでやったものだ)、スーザン・クーパー「闇の戦い」シリーズ、アーシュラ・K・ル=グウィン「ゲド戦記」シリーズ。

図書館で見つけた、ルーマー・ゴッデンのバレエや人形の物語、のちにサラ・パレツキーが引用したのを読んで知ったE・B・ホワイト「シャーロットのおくりもの」もお気に入り。おっと、この二人はイギリスではなかったかしら。
ぱっぱと思い出した本のタイトルを書いた。まだ出てくると思う。