堀江、新町 いまむかし(わたしの戦争体験記 84)

「ちょっと野菜を買いに行ってくるわ」と相方が午後出かけて行った。知り合いの堀江のレストランがコロナ騒動で休んでいて、代わりに野菜や食品を売っている。「売り上げに協力せんとなあ」とズッキーニとか買って帰った。明日はうまいパスタが食べられる。

我が家は新町にあったが堀江は4年生で疎開するまでわたしの遊び場だった。壽(ひさ)ちゃんという友達の家は芸者屋だった。そのおうちで人形ごっこなんかしてよく遊んだ。わたしは疎開してしまったが、ひさちゃんはあれからどうしたろう。

のちのち75年後、市立図書館の庭にある「木村蒹葭堂」の碑を知り、図書館で催された蒹葭堂展を見て、蒹葭堂作品のカタログを買い、図書館で借りて中村真一郎の大きな本『木村蒹葭堂のサロン』を読んだ。
江戸時代、木村蒹葭堂を訪ねてきたひとは、蒹葭堂が留守だと新町の遊郭へ遊びに行ってその夜を過ごしたそうだ。蒹葭堂はすごい数の友人がいて、ものすごい博学の人である。いま生きていたらTwitterやFacebookで大活躍だろうな。

新町花街九軒の桜堤(わたしの戦争体験記 81)

大阪市西区役所発行『西区むかしの物語』を久しぶりに本棚から出してぱらぱら見ていたら、「新町花街九軒の桜堤」とタイトルがついた見知った風景写真があった。九軒(くけんと読む)は新撰組の芹沢鴨の話で知られたところだ。その話はこの本に書いてあるが、今日は別なことを書く。

広い通りが真ん中を通っていて西を向いて南側は桜堤、北側は建物がある。今日このページを開いて「あっ!」っと声が出た。写真の真ん中は道路がまっすぐにある。この道路の真ん中に立ったら、左右と正面が見える。その景色は写真も今も同じなのだ。
子供の時にここいらを通ったことがあったかな。「あっちのほうには行くな」といわれていたような気がする。もっぱら遊びは四ツ橋、阿弥陀池、長堀川にかかる橋くらいだった。
いま道の南側は昔の桜堤の面影を残して桜の木がたくさんあり、花見シーズンはずいぶん賑わう。北側はオリックス劇場(以前は厚生年金会館大ホールと中ホールが並んでいた)である。そこが新町遊郭の一角だったのだろうか。
いまから40年前にいまの住まいを見つけて引っ越した。それ以来の新町ぐらしなのに、いままで「九軒」を忘れていた。たしか公園の植え込みに碑が建っていたはず。もう一度確かめに行かねば。

『西区むかしの物語』はたしか区役所に用事で行った時にタダでもらったものだ。なかなかおもしろくてためになる。平成12年発行。

狭くて古くて汚いが好きな部屋

我が家は狭くて古くて汚い。一度用事で来た人が「料理写真を見て想像していた部屋と違う」と呆れていた。フェイスブックなどに出している料理の皿を白いテーブルに置いてあるのが豪華に見えてるんやって。写真を撮るだけの用途だからパソコン机の隅っこをきれいにして皿をのせて撮っているんやけど。

部屋に入ると入居40年のマンションだから壁は古びて剥がれているし床は汚れている。椅子の布部分には破れた箇所に古毛布などを巻いたりのせたりで、よその人が見たらビンボー丸出し。壁際はほとんど本棚だが、古びた背表紙がこっちを向いているから煤けた印象で読書好きでないとただの汚い棚に過ぎない。

わたしは日々部屋を見渡して良い部屋やなあといっている(笑)。テキトーに汚くて、本棚の本は選りすぐりだし。
それぞれの大きな机にそれぞれのmacがのっているのも得意。それと食卓と応接机を兼ねた木のテーブルも得意。50年くらい前に1ヶ月分の給料で買ったもの。いまは菜の花を挿した花瓶とみかんをのせたアフリカのざるがのっている。

思い出した。この部屋を借りたばかりの1979年末にロックマガジン社のイベントがあって、わたしらはそのためにも新町に住まいを借りようとしていたのだ。12月の末のことで、出演者をうちに泊めることになり、なんと11人が2部屋に雑魚寝した。ありったけの布団と敷物と寝袋を出してストーブをつけて寝たが、わたしは横になっていただけだった。翌日は阿倍野で終日イベントがあり、終わってから出演者をまた2人連れて帰って泊めた。

もう一度笠置へ行きたい

西六国民学校(小学校)1年〜4年の間に遠足で二度笠置へ行ったのを覚えている。二度とも天気が良くて空が青く、足元には草がいっぱい生えた広場に大きな石が何個かごろんと置いてあった。そこに行くまではお寺のようなところで、後醍醐天皇についての話があり、退屈しつつも偉い人だったということがわかった。
後醍醐天皇というと、そのときの大きな石を思い出す。そこでお弁当を食べたのも覚えている。風がそよいでいて友達と石の周りを鬼ごっこして遊んだ。ネットで調べたら、いまは笠置公園となっているようだ。

当時10歳としてそれからざっと75年経っているいま、死ぬまでに一度笠置に行っておきたいと思う。春か秋か、天気の良い日にタクシーを頼んで家の前から笠置まで走ってもらう。着いたら一休みしてお弁当を食べて風に吹かれる。なぜか笠置にはそよ風が吹いているような気がする。

そして同じ車で家にもどる。
途中で疲れたら喫茶店前で下ろしてもらって車を待たせてコーヒーを飲む。村松剛の『帝王後醍醐「中世」の光と影』の好きなところを拾い読みする。村松氏は右側の人で、わたしは左側だが、この本は別だ。

台風17号と読書

連休3日間といっても毎日が休みの高齢者には関係ないんだけど、ネットで天気予報をにらみながら、買い物に行く段取り(わたしが買い物に行くわけではないが)を考えたりしている。いうたら天気予報を調べるのが好きなだけやねんな。
たいそうな報道の上にそれをたいそうに聞きとるばあさん(笑)。
今回は3日間のいずれの日が風雨の犠牲になるのか、外へ遊びに行く予定がないのに、交通の心配をしていたりして。
いまは静かな大阪。夜中から明け方に大雨は降るんだろうか。
パーソナル天気予報を見たら明日は天気と曇りと傘マークが少しだけ。

この感じでは外への目配りはいらんようだから、読書に励もう。
いま読んでいる本は村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』(上)、おとといまで読んでいた本は同じく村上さんの『羊をめぐる冒険』(上下)。村上春樹さんの小説がこんなにおもしろいとは! これから読むのは『ダンス・ダンス・ダンス』(下)です。

谷崎潤一郎『吉野葛』で思い出したことなど

去年は折口信夫に関連する本をたくさん読んで、折口をますます好きになった。子供の頃に親の言いつけで新町までお茶を買いに行き、駄賃をもらって道頓堀で芝居を見たという話にしたしみが増した。
そんなときにこのブログに「わたしの戦争体験」を書き出して、自分の過去をたどると、国民学校(小学校)の遠足で「笠置」へ行ったことを思い出した。「笠置」といえば「後醍醐天皇」を思い出さざるを得ないということも思い出した。歴史の知識はまるでないのに、郷愁に誘われて日本中世史をひもとくことになった。興味が広がるばかりでまるで勉強とはいえないけれど、雰囲気がわかりだして自分では納得している。まだわかりだしたところだが。

そんなときに文庫本を積んである中から谷崎潤一郎の『吉野葛』が見つかった。後醍醐天皇→南朝→吉野と連想がいっての『吉野葛』。すっごく素晴らしい物語で何度も読んで楽しんでいる。
谷崎が東京から京都で一泊して朝早く奈良に入り、待っていた友人と吉野へ向かう。
その友人の恋物語が素敵なのだ。その道中で「妹山」「背山」の前を通ることになる。間に流れているのは吉野川。そこんとこで思い出した。歌舞伎と文楽とで妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)を見たことがある。たしか20代になったころ。そのころは演劇に夢中で自分でお金を払って遊ぶのがうれしかった。もうどんな芝居かも覚えてないが、妹山と背山があって春の場面だった。お琴を弾くシーンがあったなあ。記憶はそんなところである。

それから、25歳くらいで登山に夢中だったころ、知り合いの登山家が自分がよく知っている吉野に連れて行くというのでついて行った。男女2名ずつ4名のパーティで近鉄下市口まで電車、それからバスに乗ってだいぶしてから降りた。どこで降りたやらなんという山に登ったやら覚えていない。沢を歩いて、這って、登って、ご飯をつくって食べた。この山行きは「吉野」という特別な名前でいまだに覚えているが、バス停の名前くらい覚えておいたらよかった。

ここまで書いてネットで調べたら、この芝居を文楽劇場で5月にやっていた。
〈5月文楽公演「通し狂言 妹背山婦女庭訓」〉

●妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)という言葉をどう読むかも忘れていたところ、数日前に大島真寿美さんの本『渦』と出会った。この本の話は後日書く。

森山大道『遠野物語』に導かれ

ひと月ほど前に相方が森山大道さんの写真の本をたくさん図書館で借りてきた。大きな買い物用リュックにいっぱい詰めて。その中から「これ先に読んでもいいで」と出したのが『遠野物語』で、早速先に読ませてもらったが、写真はもちろんいいけど、文章が抜群なので何度も読んで楽しんだ。

そもそもわたしはずいぶん昔に柳田國男の『遠野物語』を買ったものの読み終えていない。いろんなところで紹介されているのを読んで理解しようと思ったけど、どうもピンとこないというかしっくりこない。
子供の時に『甑島昔話集』という本が家にあり、甑島(こしきじま)という島の名前を覚えた。昔話や古い土地の話のことが話題になると甑島を思い出す。内容は忘れてしまったがこの本は楽しかった。読んだ年齢のせいもあるかもしれない。

教養をつけようと思って『遠野物語』を読もうとしたのがそもそもの間違いだった。
いまはツイッターで「遠野物語を紐解く」をフォローしていてツイートが入ると楽しんで読んでいる。「教養」でなくて「楽しみ」として読んでいるのがいいみたいで、遠野物語を楽しめている。

そこへ偶然、森山大道『遠野物語』が目の前に出されて、ゆっくりと写真を眺め、文章を読んだ。
ようやく『遠野』がわかったような気がする。森山さんの写真の『遠野』が、わたしにも『遠野』なのだ。

わたしが東北を旅したことは一度だけ。友人たちと仙台の裁判所へ裁判の傍聴に行き、七夕まつりの仙台で泊まって、翌日はみんなと別れ一人で中尊寺へ行った。一人旅でまだハタチ前だったように思う。お金が不足で中尊寺からは急行券をケチって普通夜行列車で東京へ戻り、有り金を数えてその日の急行で大阪へ。お金をかけず時間がかかった旅だった。

『遠野』ええなあ。死ぬまでに行きたいな・・・まあ無理。それより後醍醐天皇の「笠置山」へ行って子供のときを思い出したい。そこがわたしにとっての『遠野』かも。

『カメラ紀行 大和の神話』(文/堀内民一・写真/浜口喜代治)とわたしの夢

姉の本箱の奥深くから飛び出してきたので持って帰った本。1964年淡交新社刊。表紙の青空をバックに由緒ありげな古い家屋(葛城の民家)の屋根の写真があんまりよく思えず、本箱にもどそうかと思った。あらためて眺めるときちんとした本なので大和の家とか風景の写真集かなとめくったら、風景や寺社の白黒写真がものすごく美しいので、これもらうって叫んでもらって帰った。帰ってから文章を読んだら、なんたる縁か、堀内氏は折口信夫先生の弟子なのであった。そして文中には折口先生の詩や文章からの引用がたくさんあり、しかも古寺を訪ねる折口先生の自動車に乗せてもらっての記録があってうれしくて涙が出そう。

わたしのいまの夢、第一は「大和を歩く」第二は「笠置を訪ねる」である。どちらもひとまず奈良へ行って一泊し、タクシーを雇って風景を見ながら移動する。
大和は二上山からはじめてまわりの山や風景を確かめつつ當麻寺で一服する。
笠置は後醍醐天皇の由緒を訪ねて、いま笠置公園になっているところで一服する。
いま貯金計画中でいつになったら実現できるかわからない。肝心の足がどうにかならんとあかんし「夢」のままで終わるかも。

アニー・デュプレーの本『黒いヴェール』

ツイッターでアニー・デュプレーという名前をちらりと目にしたとき、あれっと思った。この人のこと知ってるはず。フランスの女優らしいからきっとそうだと勝手に決めた。検索したらジャン・リュック・ゴダール監督の『彼女について私が知っている二、三の事柄』 (1966)、アラン・レネ監督の『薔薇のスタビスキー』 (1973)に出ている。どっちの監督の作品もよく見ているほうだが、この2本は見ていない。『女性たち』 (1969)なんかブリジッド・バルドーとモーリス・ロネだが日本未公開である。全然思い違いしていたと気がついた。

子供の頃に見たフランス映画を思い出してみようとしたが思い出せない。10歳年上の二番目の姉が映画好きでよく連れて行ってくれた。ボーイフレンドと行くための親への目くらましに使われたみたいだが、わたしひとりで映画館に入るには3年くらいの間があったから、ありがたかった。映画を見ること、映画雑誌を見ることを教えてもらって、その上に映画を見たらストーリーをしゃべることも教えてもらった。映画と同時に歌舞伎と文楽と新派と新劇を見におしゃれして出かけることも教わった。ただし姉がおしゃれするだけでわたしは相変わらずみじめったらしかったが。あんたも大人になったらわたしみたいにできるといわれました(笑)。ボーイフレンドには近所の子といってました(笑)。

さて、アニー・デュプレーは思っていた人と全然違った。アニーは間違いないと思うんだけど。『黒いヴェール』は美しい写真の入った本でずっしり重い。最近は本を捨てるのに専念しているから、地震対策にも重い本はいらない。でも重くても美しい写真がたくさん入っているから本棚に並べよう。
(北代美和子訳 リュシアン・ルグラ写真 文藝春秋 1996刊)

本がお酒にかわった

昨日も書いた池波正太郎『剣客商売』だが、今日残った数冊を持っていった。うちはこれでおしまいだけど、引き取る方はこれから。持って行ったらすぐに読んでいるそうだから、もう数日の楽しみかな。とはいえ一回読み終わっても、少ししたらまた読みたくなるはず。当分楽しめると保証する。3年経ったらもう一度読んで楽しむ(笑)。

本のお礼に日本酒「慶紋東長」をもらった。佐賀のお酒で見るからにうまそう。
うちはこういうことは手早いので、早速冷やして晩の一杯にと酒の肴を買いに行った。かつおのたたきに、にんにくと玉ねぎとねぎを刻んだ薬味で。酒と肴がよくあった初夏のご馳走。いやあ、うまい酒だった。肴もうまかった。秋山小兵衛の気持ちになって、もういっぱい、なんて。
もうちょっと残してあるから明日の楽しみとして、お酒の後はきつねうどんでお腹いっぱい。