大阪府北部地震 震度6弱、震源の深さ:13km、地震の規模:M6.1

昨夜は機嫌よくベッドに入ったがなぜか寝つきが悪かった。ぐずぐずしていて4時過ぎてからトイレにいき目がぱっちりと覚めてしまったので、白湯を飲んで釈迢空歌集を拾い読みした。このとき地震があれば本棚から飛び出した分厚い本がぶつかってどこか怪我したかもしれない。そのときはなにごともなく本棚に本を戻して横になった。ようやくぐっすりと熟睡。

大阪北部地震はそれから4時間くらいして起きた。
6月18日午前7時58分頃、突然の揺れで起こされた。大きな揺れが続きなかなかおさまらない。寝ぼけたまま「どないしょ」とか「すごい揺れやな」といっていた。幸いにもベッドの横の本棚は静かだった。
揺れが静まってからトイレに行こうとして気がついた。隣室の本が散乱している。本棚の棚板が外れている。背中の板も動いている。
また横になったが今度は目が覚めてしまった。もう少し寝たかったなあと言いながら起き出し、なにがあるかわからんので、バナナと豆乳、トーストにはチーズとジャムをつけて食べた。朝昼兼用ご飯である。ガスは使わないで昨夜の白湯で間に合わせた。余震に備えてお風呂に水を張った。

台所の片付けをすませて食器棚を点検したら、おお、よかった! 食器類は無傷で揃っている。ニュースで知ってメールをくれた友だちに返信打ってたらけっこうお見舞いメールが入っている。夜になったら地震の詳細がわかるだろうし、ブログを書こう。
それよりも、本の整理じゃと椅子に座ったまま本を引きずり出して区分けした。とりあえずはこの分類でいって読みながら点検しながら整理しよう。晩ご飯の前に片がついてよかったが、晩ご飯を食べるのがしんどうて・・・

1個人番号カードを取得 2遅い夕食を片付けて

いまごろになってようやく個人番号カードの手続きをして取得した。カードに反対でもなかったが、わたしはあまり使うことがないからなくてもかまわんという気持ちだった。でもいまからはいつ必要になるかもわからんなあと思って申し込んだ。わたしは運転免許証もパスポートも持っていない。証明など健康保険証だけをたよりにやってきた。これからはマイナンバーカードを持ってますといったらいいのやな。

区役所はけっこう混んでいたがあまり待たされずにすんだ。係の男性が申込書を見て、番号をパソコン入力してあげましょうとやってくれた。こういうとき年寄りはトク。わたしは「あんたより古くからパソコンに触っている」といったりしません笑。いやほんま、老眼だからメガネを出さなあかんし。終わってからちらっと机の上を見たら老眼鏡が3段階分置いてあった。

その後、昼寝したりコーヒータイムだったりして時間がずれた。相方が買い物に行き、帰ってから夕食の支度をして、だべりながらワインを飲んでご飯が終わったら11時過ぎていた。
いつもなら12時前にブログを書き終わるが、片付けしているうちに12時を過ぎてしまった。遊びに行ったわけでもないのにこの時間。

語り継ぐのはしんどい

姉の家の帰りに北堀江に寄った。11月からジョローナに行ってないから顔出ししなくては。冬仕様に模様替えして店の雰囲気がぐっと明るくなっている。全体を見回すもわたしに合う服は見当たらないので、姪親子へのお年玉にバッグを二つ買った。わたしに似合うとジョローナさんはいってくれたけど、ここはガマンである。バッグ買いすぎにつき。

久しぶりの大おしゃべりのあと、隣のコーヒー店へ寄った。店主の彼とはしゃべりカンケイである。知り合って半年くらいだが知りたがり屋の彼に西区の戦前戦後のことや古い建物のこと、アメリカ村の過去と現在など、よい聞き手の彼にしゃべってきた。

今日はカウンターに置いてあった小冊子『文学座通信』と『文学座 大阪支持会だより』をもらった。「文学座の関係者?」と聞いたら、そうじゃなくてお客さんが置いていったものだった。彼が文学座って知ってますかと聞いたので、中学生のときから文学座の芝居を見ていて、『シラノ・ド・ベルジュラック』やら『女の一生』やらタイトルがすぐに出てきたが、聞き手はちんぷんかんぷんであった。語り継ぐのはしんどい。

楽しい食事、話題はアフリカ

夕方Kさんと相方と3人で食事の約束をしてあるので急いで支度して堀江へ出かけた。
アブサンで美味しいお酒と地中海料理を食べながらおしゃべり。気を使わないでゆっくりとしゃべって食べて、楽しい夜だった。Kさんの話し上手で聞き上手を見習いたいものだ。

話題はあちこちしたけど、アフリカの話が主になった。うちらは雑誌『WIRED』の特集記事「ワイアード、アフリカにいく」からの話題や質問だったけど、Kさんの話は現実のアフリカだから重い。アフリカの現在の様子がわかってすごく勉強になった。
Kさんの娘婿さんが来日して空港で娘さんと喜びの再会をした動画を見せてもらった。「愛」が二人の姿かたちになって表現されていた。

スリランカカレーを食べてスリランカの勉強

最近の我が家のカレーはスリランカカレーであると作る人がいっている。たしかにカレーは独特な味わいでうまいけど、「スリランカ」って国はどこにあるの」というのがわたしの最初の問い。

スリランカ民主社会主義共和国、通称スリランカ、1948年イギリスからセイロンとして独立。72年にスリランカ共和国に改称して英連邦内の共和国となり、1978年からスリランカ民主社会主義共和国となった。
セイロンはインド洋にあり、国民の7割が仏教徒である。

《》はウィキペディアより
《島国で、現在もこの国が占める主たる島をセイロン島と呼ぶ。国名をスリランカに改称したシリマヴォ・バンダラナイケは世界初の女性首相である。また、国民の7割が仏教徒(上座部仏教)である。》

《文化遺産は、聖地アヌラーダプラ(1982年)、古代都市ポロンナルワ(1982年)、古代都市シーギリヤ(1982年)、聖地キャンディ(1988年)、ゴールの旧市街と要塞(1988年)、ダンブッラの黄金寺院(1991年)。
自然遺産は、シンハラジャ森林保護区(1988年)、スリランカの中央高地(2010年)。》

以上丸写しだが、カタカナの響きにも懐かしいようなエキゾティックな響きを感じる。これはなにかを読んで感じるのがいいかも。参考文献を読まなきゃ。

セイロンという名称はセイロン紅茶で知っていただけという情けないわたし。これからスリランカカレーを食べながらぼちぼち勉強していこう。

世界史の転換点 IWJの田中宇インタビュー

昨日は風邪引きという自覚で日記アップ後にすぐ寝てしまった。長時間睡眠ののち今日はお昼頃起きたら鼻水と咳と痰が激しくどうなることかと思った。ずっと静かにしていて夕方郵便を出しに外に出たら足がしんどい。ナンギやなあ〜 それでもメールの返事を何通か書いているうちになんとなく楽観的な気分になってきた。晩ご飯後しゃべっていたらワインのせいかもひとつ陽気な気分になっていた。さっきは歩くのもしんどかったくせにアホちゃうか(笑)。

おととい日本時間の9日にアメリカ大統領選挙の結果がわかったのだけれど、そのことで、岩上安身さんと田中宇さんの対談があったのを気がつかなかった。相方がどこかで知ってこれは見る価値があるというので、わたしが会員になっているIWJのサイトを見ることにした。IWJは先日契約更新したところだ。IWJは会員でないときによく見ていたのに、お世話になっているからと会員になってからあんまり見ていなかった。毎日届くメールの通信がおもしろくてそれですませていた。反省。

岩上・田中対談は最初の部分はだれでも見られるが、途中これからというところからはお金を払っていないと見られない。見たらわかるがお金を払った値打ちがある。
この会談は大統領選挙の前日に行われた。そのときに見ていたらよかったと思ったが後の祭り。田中さんは結果が出る前にトランプ勝利とはっきりおっしゃった。その鋭い分析のおもしろいこと!4時間くらいやってたように思うが、コーヒータイムとウィスキータイムの他は目を離さずにじっと見つめて聞いていた。

IWJのサイトより
【トランプ勝利の予測的中!】米国マスコミの異常な「トランプ叩き」は仕組まれた罠だった!?米大統領選挙の裏の裏までせまる!岩上安身が国際情勢解説者の田中宇氏に単独インタビュー! 2016.11.8

またお二人の対談をやるそうなので楽しみだ。予告を忘れずに見よう。
IWJの火を消すな、と真剣に思った。

選挙報道で疲れた

お昼前からラジオをかけてアメリカの大統領選挙の報道を聞いていた。最初はクリントンさんが勝つと思い込んでいるところへ有利なような報道だったから、やっぱりというかなんだかそれもつまらないようなヘンな気分である。日常の用事をしながら、昼ごはんを食べながら、野村正育アナウンサーの声を聞き続けていたら、あれは何時ごろだったろう、トランプ有利に変わってきた。
ええっ〜、同じように叫んだ人がたくさんいたはず。

整体院に3時に予約を入れてあるので出かけた。まあ、もうトランプ大統領に決まったようなものだが、野次馬としてはその瞬間を聞いていたかったな。残念でした。
帰ったらすでに2社がトランプ当選と報じていて、当選演説がはじまった。
このひとが大統領になってこれからの日本はどうなっていくのだろう。

なんとなく解説の座談会を聞いていたがいうことはわかってるし。
疲れた一日であった。

鳥取地震と阪神大震災の記憶

午後、パソコン前に座っていたら机の上のiPhoneがでっかく叫び出した。「地震や」と叫んで立ち上がったら部屋は揺れはじめた。うちはマンションの8階なのでよく揺れる。
午後2時7分、鳥取地震、ずいぶん長く揺れていた。物が落ちるとかはなくゆらりゆらりと揺れるだけ。「うわっ、どないしょ」「どこにいたらええのやろ」と言葉がぽろぽろとこぼれる。テーブルのところへいって「この下にもぐろうか」と言ったところで、揺れはおさまった。それからはラジオをかけっぱなしで野村アナウンサーの緊迫した声を聞いていた。

阪神大震災以来、地震が怖い。
あのときは壁一面につくりつけた本棚の上段からばらばらと本が飛び出した。その下に布団を敷いて寝てたから当たれば大変なことになるところだった。
揺れの方向によって物が落ちたみたいで隣家の人は食器棚の扉が勝手に開いて食器がたくさん飛び出し割れたそうだ。うちは食器はほとんど大丈夫だった。

飛び出した本はふだんはあまり開かない全集本だったが、片付けるときに飛び出した本を捨ててしまった。残った揃ってない全集本は本棚下段の隅に積んであるのだが、昨日ふと、「坂口安吾全集の残りはいらんね、ほかそうかな」と言った。そしてまず第一弾を取り出してゴミ袋に入れたのだ。
昨日そんなことがあって今日の地震なのでちょっと怖い。

晴れた5月の青空に〜

若いときのことだが、メーデー行進をしたくて友だちの会社の労働組合のメーデーに一緒に参加させてもらったことがある。わたしが働いていた小さな会社は労働組合もなく作ろうと言い出すものもいなかったから一人でやきもきしていただけである。
早くから『うたごえ歌集』でメーデーの歌を練習したので、行進しながら大きな声で歌った。いまでもたまにお風呂で歌っている。
「晴れた5月の青空に、うたごえ高く響かせて、歩く我らの先頭に、掲げられたる組合旗」
ほらほら歌えるやん。その日は雨やったけど(笑)。「おれらは金をもらって(組合から手当が出たみたい)来てるのに、あんたはえらい」と言われたけど、そのときはお金を払ってでもメーデーやりたかったのだからしゃあない。達成感はあったようななかったような。

いまは〜 あの元気はどこへ行ったやら〜
朝里の浜のニシンのようにどこかへ行ってしもうたな〜
季節の変わり目の5月はしんどくて憂鬱なり。

熊本地震

昨日の夜は本を読んでいると大きな地震があったねと友人からのメールがあり、ええっ、知らんかったなあと慌ててラジオをつけた。10時ごろだった。
21時26分に震度7の地震が熊本であったニュースが繰り返されている。怖いね、寝られるかなといいながらいつものようにお風呂に入り横になった。

うとっとしたときにまだパソコンに向かっていた相方が「地震や」と叫んだ。ベッドがゆらゆら揺れている感じというのは寝ぼけていたからだと思うが、とにかくゆっくりと揺れていた。この感じは東日本大震災のときに似ている。あの時もゆらゆらと長時間揺れていた。震源地が遠い地震の特徴なんだろう。
それで目が覚めてしまいラジオをつけて状況を知りネットをつけて情報収集したり、友だちにメールしたりした。ほどほどで寝てしまったが。

そして今朝、10時ごろに目を覚ましたらラジオがいま起きた地震のニュースを伝えている。9時51分に震度6弱。最初は余震ということだったが、こんな記事が・・・
「気象庁は、マグニチュードが大きい16日午前1時25分の地震を「本震」と位置づけ、熊本地震をその「前震」に格下げした。」
記事は「これ以上の本震が今後あるかもしれない」と続いている。