「大阪瓦礫受け入れ勉強会」で勉強

弁天町学習センター7階講堂で開催された〈「大阪瓦礫受け入れ勉強会」学習会:19時〜21時&交流会:21時〜21時半 講師:下地真樹さん〉に行ってきた。
大慌てで晩ご飯を食べて定刻に到着。きりっとした女性の司会で下地さんの話がはじまった。

わたしが下地さんのことを知ったのは、去年の暮れの「放射能燃やしていいのか 住民説明会」で、その後は関西電力前抗議集会の正門前におられるときに何度か顔を見ている。それから「木下黄太講演会 7月17日 此花」に来ておられて、熊本一規先生の講演会「がれき処理、除染はこれでいいのか」では司会をされていた。
それよりなにより、8月30日の「大阪市主催ガレキ説明会」での橋下市長に対する質問がすごかった。橋下さんは返事ができなくて即閉会してしまったのだから。

今日はレジュメが配られた。最初の1枚のおもては「2011年3月〜6月の放射能物質の都道府県別降下量と汚染」で、東北と関東地方は濃く、新潟、富山、岐阜、愛知を入れた西の方は薄い。裏面は「世界が輸入禁止にしている日本の食品」で、いろんな国に禁止されている。ほんまに食べて応援とかしててええのか。

そして綴じてあるレジュメは、
〈環境省「広域処理」の論点〉 広域処理は輸送費がかかるし不合理なので今までやったことがなかったのが、今回はじめて行われる。大阪府の検討会議は環境省提出資料について、疑わないで「検討しない会議」だった。その他、多くの疑問点。
〈なぜ「広域処理」が重要なのか〉 「原発安全神話」が崩れたいま、「放射能安全神話」になっていること。国が言っているから大丈夫だと地方は隠蔽、抑圧、無視に動き、原発は危険だなどと考えないようにする教育をしている。
〈焼却処理と埋立処理の安全性〉 焼却炉内の汚染、安全性の確認には「総量がどこに行くかが問題」、排気、排水、焼却灰はどうなるか。
〈低線量・内部被曝の危険性の軽視1・2〉 放射性セシウムの一回摂取と長期摂取による体内残存量の経時推移の表で説明。
〈被災地支援としての有効性1・2〉 莫大な輸送費等の無駄、このお金で被災地でできることがたくさんある。「本当の復興のためには、「広域処理」でごまかさず、共に考えていくべきことがたくさんあるはずです。」

その他
大阪人は根拠のない安心感をもっている。岩手の瓦礫を福島よりマシと思ったらいけない。
わからないこと、安全性を立証できないことはやってはいけない。
汚染を広げないようにするのは我々世代の責任である。おとしまえをつけないと被害を受けるのは子どもたちである。
福島の事故は人類初めての経験である。放射能は危ないと福島の人たちに言おう。

講義が終わって集まった人たちの中から連絡事項や感想など。次に集められていた質問への解答があって終了。

次回は26日(水)此花区民ホール3階4・5会議室 学習会:19時〜21時&交流会:21時〜21時半 講師:下地真樹さん 会費300円

「瓦礫の焼却ダメ!大抗議in大阪市役所」にはじめて行った

8月30日に大阪中央公会堂で「大阪市主催ガレキ説明会」があった。それに先立ち8月のはじめ(7日からだと思う)から大阪市役所前で毎週火曜日に「瓦礫の焼却ダメ!大抗議in大阪市役所」という集まりがはじまった。相方はずっと行っているが、わたしはまだ行ってなかった。かんじんの30日「大阪市主催ガレキ説明会」も夏バテ気味だったので、家でIWJのユーストを見ていた。

今日は誕生日だし(?)行こうと、夕方から出かけた。少々遅刻して相方のスピーチを聞き損なったが、たくさんの人たちのスピーチや福島から避難している方の歌を聞いた。川沿いの石に座っていただけだったけど、枯れ木も山の賑わいくらいになっただろうか。
今日は少し人が少なかったかな。もともと30日の説明会までの集まりだったのを、30日が終わっても続けようとなった。全力を出しきった説明会の後だからみなさん疲れたのと、区切りとした人もいるのだろうか。
でも、この闘いは続くし、火曜日の集会も続いていく。わたしもできるだけ参加しよう。

「大阪市主催ガレキ説明会」に行かなかったけど

【8/30(木)<大阪市主催ガレキ説明会>に大阪市民は参加して下さい。中之島の中央公会堂。開場が18時から先着750名。大阪市民限定。 身分証明または自宅に届いた郵便物必要。】というツイートがいろんな人から流されていて、わたしも行くつもりだったのだが、おととい姉の家に行ってから調子がもうひとつなので自重した。集会中に気分悪くなったりしたら大迷惑をかける。相方はちゃんとガレキについて本やパンフレットを読んでから出発。

相方が出かけてすぐにツイッターを見たらユーストにつながった。
市役所前の御堂筋のところで老若男女10人ほどが警察と押し問答している。警察が言うには「たくさんの人が歩いて叫んでいるのは〈デモ〉である。デモは届け出しないといけないから、あなた方のは不法デモである」。歩いているほうは「でかい声でしゃべりながら歩いてるだけやん。デモってどういうものか説明してちょうだい」と答えている。「プラカードを掲げているのがいかん、胸の高さに持って」とかなんとか言い合っているが、かなり威丈高な警察官たちと負けていない〈大阪のおばちゃん〉たち。

中央公会堂のホールで説明会が始まった。今日の説明会には、ガレキ受け入れ反対の立場の人が多かったようで、橋下さんが出てきても拍手はなく、怒号の中でそれぞれの官僚たちは話すことになった。橋下さんは、今日は説明会だからこちらから説明して一応市民の意見は聞くが、市の方針は変えないと言った。
お役人の言葉がだるくてじっと聞いていられない。用事をしながらちょいちょい見ることにした。
質問のほうは長過ぎる人もいたが、みんなよく勉強して質問しているのがわかった。指名された女性が自分よりもとモジモジさんにマイクを譲った。モジモジさんの実に胸のすくような論理的な質問に答えを待ったが、橋下さんは返事ができなくて即閉会にした。<a href=”http://www.at-douga.com/?p=5845″_blank”>画像とモジモジさんの質問の文字起こし</a>

さあ、それからすぐに帰る人もいたが、残っている人も多数。カメラは一時は外に出て、ちょうど山本太郎さんがスピーチしている。

また公会堂にカメラがもどると、官僚たちは早くホールから出ろと言い、残った人たちは出ないと言い、押し合いになっている。エントランスではジャンベや太鼓を叩く人もいて、怒号の掛け合いに情緒(?)を添えている。デモや勉強会などで声を知っている女性が官僚とやりあっている。その猛烈な大阪弁に笑いながら感心した。

わたしは去年の12月の末に西区民センターで開かれた「放射能燃やしていいのか 住民説明会」に行った。そこで女性たちの活発さに圧倒され、モジモジさんの迫力にも圧倒された。それが最初で、「木下黄太講演会 7月17日 此花」に参加したときには、さらに成長した女性たちの行動力にびっくりした。彼女らの活発さ行動力は、放射能という現実を見据えて自分はどう生きるかを考えているところからきているのだと思う。
そういう身銭を切って得た勉強や経験が、橋下市長が唐突に終わらせた説明会の場所から退去せずという行動に結びついたと思う。ずっとユーストで報道されているから、官僚も帰ってくださいを繰り返すだけだった。それでも11時過ぎたら「11時何分、最終電車が出ますよ」とだんだん高圧的になり、ついには警官隊が導入された。

熊本一規先生講演会「がれき処理、除染はこれでいいのか」に行った

先日チラシをもらって行く気が起こった。がれき処理も除染も言葉を知っているだけだから、ちょっとは勉強しておかねば。午後2時から4時までの2時間、大阪市立すまい情報センターのホールにて。

地下鉄天六で降りて上がったら大阪市立すまい情報センターがあって、そこの3階のホールは清潔で冷房がよく効いていた。受付で資料をもらい開始時間きっちりに着席。すぐに熊本先生(明治学院大学教授)の話がはじまった。熊本先生は大阪での講演ははじめてだそうだが、諄々と説くという感じでとてもわかりやすかった。
熊本先生はゴミ問題研究で30年だそうだ。緑風出版から「脱原発の経済学」に続いて「がれき処理.除染これでいいのか」(この本会場で買った)が出ている。

まず「がれき広域処理とその仕組みづくり」からはじまった。〈広域処理の遅れが復興を妨げているのか?〉「岩手11年分、宮城19年分」は嘘、と明確な答え。「地元処理のほうが復興につながる」との首長の見解がある。

日本は汚染循環型社会だとのこと。昭和電工は水銀を大気中に放出している。逃げ道を用意した規制だからだって。また汚泥の処理施設では汚染の先送りをしている。汚泥が掃除機のゴミ袋と同じ状態で、土壌汚染地域をどんどん作って汚染地帯を広げている。大阪市の護岸は潮の干満でぐらつき、汚濁物質は海へと続いている。護岸では防げない。

広域処理について、5月8日仙谷発言「県は産廃処理の経験がないから国が直轄で」が「全国的広域処理」の契機となった。「県の代行」による「地元処理」は大手ゼネコンへの丸投げである。仙台市だけが自区内処理で成功した。被災市町村が仙台方式を採っていればがれき利権は生じなかった。

○がれき利権と除染利権と帰還推進はセットになっている。

お話は90分あり、そのあと司会者の下地さんが加わって30分の質疑応答があった。質問に答えて、中国電力上関原発のときの経験を語られ「からだをはって止めることも必要」とおっしゃった言葉に感銘を受けた。

これから「がれき処理.除染これでいいのか」を読んで勉強する。
(熊本一規、辻芳徳 共著 緑風出版 1900円+税)

酒井隆史『通天閣 新・日本資本主義発達史』読了

ふうふういいながら734ページを読み終った。暑さの中を読むだけで大変やったなあというのが感想である。

最後に心に残ったところを引用する。
逸見直造は訴訟をよく起こす人で、しつこい乱れ打ちの訴訟を行っている。
【問われるのは、主要には法廷での勝ち負けではない。玉川しんめいは、逸見直造の好む表現として「裁判に負けても負けへん」というものをあげている。裁判は、みずからの介入する力のゲームの結節点の一つに過ぎず、たとえそこで負けたとしても、ゲーム全体では勝利していることもある。逸見直造が身をもって表現する哲学とはこれだ。】

借家人運動のしたたかさ。
【帰国後の長屋経営失敗の経験から、〈払えぬものは払わなくてよい〉という「店子の思想」を編み出した逸見直造は、水崎町の家を借りるや、即座に悪徳家主との闘争を開始した。その家は「借家戦試練の家」と名付けられる。まさに占拠という直接行動を通して、身をもって借家人の権利はかくあるもので、かくして克ちとらねばならぬことを示そうというのである。】
こういう逸見直造の〈アメリカ/大阪横断的急進プラグマティズム〉がすごい。

大阪でのデモについても詳しい。
1920年(大正9年)に行われた「大阪史上初の大型デモ」といわれた府選要求大行進のデモコースは、中之島公園を出発して長堀通りで西に折れ四ツ橋筋を北上して梅田阪神電車前へと進んで梅田新道を通って中之島公園にもどったとある。

日本労働総同盟大阪連合会の別働隊と自ら名乗る野武士組の活発な活動、そして女給同盟についても知らなかったので勉強になった。
【女性とサービス業との問題を労働運動において先駆的に提出した女給同盟であるが、道は険しかった。】と結んでいる。

知らなかったことがばんばん出てくる。そしてそれは歴史の勉強ではなく、いまのデモをどう考えるか、女性問題をどう考えるかに繋がってくる。
最後のほうで釜ヶ崎を描いた文学作品と映画の話がまた出てきて、そのどちらも知らないことが多い。それらをこれから読んだり見たりは時間がないから本書で読んで知ったことで満足しておこう。
(青土社 3600円+税)

酒井隆史『通天閣 新・日本資本主義発達史』図書館貸出三回目

最初に手にしたのが6月の終わりで感想は「読み出した」と「読書は佳境に入っているが」を書いた。それから最後まで読んだんだけど、落ち着いて感想を書けないまま、二度目を借りて、また三度目を借りた。今度はちゃんと感想を書いて返したい。

小野十三郎からはじまって、文学、映画、将棋などで具体的に大阪の資本主義発展の様子がわかるように導いてきた長い導入部だった。いまようやく第四章「無政府的新世界」に入り、最初のタイトルが「借家人同盟、あらわる」である。
【〈大正十年二月十四日中ノ島中央公會堂に於ケル住宅問題演説会ニ際シテ暴漢ニ襲撃サレタル逸見直造〉の写真がある。この写真はあえて傷ついたみずからの姿をさらすことで、暴力に屈しない姿勢をアピールしているのだ。】
写真を掲載しているのは「借家人の戦術—借家法と借地法」という小冊子。逸見直造という傑出した人物が大阪で活動し、来阪していた大杉栄とも行動をともにしていたという。
1918年(大正7年)に起こった米騒動は今宮町(釜ヶ崎付近)天王寺公園(天王寺公会堂)を発火点として燃え盛った。人々は公会堂を埋め尽くし聴衆はみずから弁士となって演説を繰り広げた。竹槍部隊があらわれて米屋に放火したり火消しのホースを日本刀で切断したとある。ほんまにこんなことが大阪であったんや。

逸見直造の次男の吉三(当時16歳)は大杉栄の米騒動時の行動について語っている。このように大杉栄は運動の中にいたのだが、運動史に現れるのはここからあとである。
【事実の詳細は謎である。しかし、次のことは確認できる。すでに大杉栄は、それが悪夢であれ幸福な夢であれ、騒然性の時代にあって、生きたまま夢みられる人であったということだ。】

次の章では逸見直造について詳しく書いてあって、その合理主義が母親の考えで小学校を出たらすぐにアメリカへ渡ったせいだとわかる。彼は1899年に渡米し各地を転々としさまざまな職業につき1908年に帰国した。

紹介など簡単にできるものではないが、一種の熱気を持って読んだことだけでも伝えられたらいいな。
(青土社 3600円+税)

「8/4 ナツダツゲンパツ2012」に行った

今日のデモは【超巨大脱原発イベント+デモ「ナツダツゲンパツ2012」2012年8月4日(土)14時から大阪・西梅田公園!!!  レベル7の原発事故から僅か1年で再稼働。この暗闇で触れた手に、私たちは互いを発見し、太陽の下に溢れ出す。新しい関係、新しい習慣。今、踊れ!声をあげろ!ナツダツゲンパツ! 音は集まりデモになる。】なのであるが、歩かずに見送っただけやけど一応参加と数えて15回目。

午後2時から6時までイベントがありそれからデモ(元町中公園まで5キロコース)に出発の予定と聞いてそれは無理と思った。年寄りの冷や水はやめとこということで、4時から6時までイベントに参加して、デモを見送る。

公園にいた2時間はいろんな人と出会って楽しかった。近所の親子、久しぶりの友だち、デモで顔見知りになった人、去年関東へ引っ越したけどもどってきたアーティスト。
そして前回「6.24 イノチアクション@大阪」の主催者のお二人と会えたのもすごくうれしかった(わたしは缶バッジを買っただけだが、相方はデモの写真を提供した)。あのデモはユニークだった。次は大阪で10月に「アートデモ イノチアクション反原発・脱原発デモパレード in 大阪」をやるそうである。
フリーマーケットをやっていたので、また缶バッジを買い、みずみずしい野菜(トマト、キュウリ、オクラ)を買った。
ステージではずっとライブが続いている。東京からの松本さんの挨拶を聞きたかったのだが逃してしまった。最後のバンドの女性ボーカルが威勢がよくてよかった。「りんご追分」で踊る人が多数いて、わたしも手拍子、楽しかった。

そうこうしているうちに6時、東京からも参加しているドラム隊が調子を合わし出す。この心の底からわき起こってくる怒りと祈りのリズムがすごい。そして出発。

サウンドカーのDJ kihiraさんとmaikoさんの音を聞きながら歩きたい気持ちはあったんやけど、そこは抑えて・・・予定通り最後まで見送って西梅田へ出てシャーロック・ホームズでギネス! うまかった! ふだんは家で近隣野菜を食べるように頑張っているので、たまの外食がうまい(笑)。

関電前抗議集会をIWJ中継で

午後から雷雨があるようなことをラジオの天気予報で言っていたので洗濯は控えた。このところ毎日してるからまあええやん。午後に図書館と買い物に行ったが帰りにぼつぼつ降ってきてやがて雷も聞こえてきた。今日は関電前抗議集会の日である。わたしはヴィク・ファン・クラブの会報作りに追われているので欠勤。梅雨に入ってから疲れがたまっていてあんまり行ってないがIWJのユーストを見ていると現地にいるよりも情報通に(笑)。

ユーストをつけたままあれこれやっていたら7時半になった。裏口方面のコールが7時半に終わると帰る人が多いが、正面で行われている抗議集会はまだまだこれから。入れ替わり立ち替わりマイクを持って自分の意見や経験談を話す。女性も高齢者も若者も堂々としたものだ。おっと相方がしゃべってるやんか。もう7〜8回目になるから話すのも慣れてきたみたい。そのあともどんどん話す人がいて話しながら感極まって泣いている女性もいた。
最後にもじもじさんが「明日がある」を歌ってお開き。おっと、早くご飯を炊かなきゃ。

「木下黄太講演会 7月17日 此花」に参加した

ツイッターで知らせてくれたfukamiさんは「此花区民必聴です。 大阪市民も。 瓦礫戦うには、下準備やら、知識やら 必要やから、共に、勉強しましょう! 」と書いておられた。わたしは反対と思っているだけで、なんの活動もしていない。関電前抗議集会と脱原発デモにときどき参加して、自分の行動と思いを当ブログに書いているだけである。

瓦礫問題には当然関心を持っていて、去年の暮れに「【大阪】放射能燃やしていいのか 住民説明会」に行った。行ったのも記録しておいたこともよかった。これがあるから今日の話についていけた。ただ、説明会に行ったはいいが、あとはなんにもしていない。
「いま、大阪の橋下市長はがれきの受け入れを表明している。がれきは大阪湾の人口島 舞洲(まいしま )にある此花区の焼却場で焼却し、濃縮されたセシウムや有毒化学物質をを含む焼却灰は舞洲処分場に埋められる。 舞洲のある大阪湾は瀬戸内海に通じている。」ということをチラシをもらって知った。そして、今日の講演会の世話役をされている方々の活動も知りたいと思った。

木下黄太さんのことはずっと前からツイッターで知っていた。ただツイートを読むだけだからどういう人とか知らなかったし気にしていなかった。ところが最近彼を批判するツイートが目立ち、わたしとしてはかえってよく見えているのにと不審に思って、彼の講演を動画で見たり、検索してみたりした。そしたらいっそうステキな人に思えてきた(笑)。というわけで相方とふたりがそれぞれ予約して行った。

木下さんは伝えておきたいということがたくさんある人だった。
まず名張と伊賀の状況を話された。北九州市の話もあった。

「この問題を認識したら、つぎは動け」の言葉にどきっとした。

大阪のことになって、実際にはがれきがないこと、近畿で瓦礫受け入れに手を挙げているのは大阪市だけになったこと。
そして橋本市長について、本質がないテレビタレントであること。彼が言ってるのではなくテレビが彼に言わせているなど。

放射性物質についての説明で、いちばん怖いのが白血病であり、煙が漂っていたあたりに白血病が多いとのこと。また、がれきのせいで鼻血が出ても証明できないからといって、因果関係さえ判明しなければやってもいいというのが彼らの言い分であること。

東京のさまざまな状況を話された。
質問の時間になって、東京から避難されている人たちからの話もあった。

大阪は奇跡的に安全な場所である。なのに大阪ではスーパーなどに関東地方の安い食料品が出回っており、大阪の女性がなにも考えずに買っている。それは京都や四国よりも遅れている。このゆるい大阪を変えていかねばいけない。
此花区でずっと反対運動をされている年配の女性ふたりの言葉が重かった。

講演と質問の時間が終わって、あと9時半まで話そうということになり、椅子を丸く並べて話が続いた。
がれきを出すほうの岩手県知事に、出さないようにとハガキやファックスを送ろうという意見が出た。
年末の説明会に来ておられた下地さんが、大阪府下の自治体はどこもOKしていなくて、橋下市長ひとりであること、我々は勝つ直前にいると誠実に話された。
活動的でおしゃれな女性たちが早口で意見を言い合う姿にほれぼれした。
工夫を凝らしたチラシがいろいろと配られた。
とても、刺激的な3時間だった。

映画「第4の革命 – エネルギー・デモクラシー 」をユーストで

今日〈『第4の革命』無料Ust配信&上映会!山口から「エネルギー維新を!」本日7月10日17:30から〉というのがあるのを知って見ることにした。時間がないのでゲストトーク等は見ないで7時半からの映画だけ。

2010年ドイツで製作されたドキュメンタリー。監督はカール=A・フェヒナー。
検索したらこうあった。【本作は、ドイツを脱原発決定へ導き、再生可能なエネルギーへのシフトを決断させたドキュメンタリーで、2010年ドイツ全土で上映されると、その年のドキュメンタリー映画最高の13万人を動員し、2011年テレビで放映されたときには200万人が視聴した。】

大量の風力発電導入を促した1990年の“電力買い取り法”と、太陽光発電導入の起爆剤になった2000年の“再生可能エネルギー法”の2つの法律を制定させた中心人物ヘルマン・シェーアがナビゲーターになって「第4の革命 – エネルギー・デモクラシー 」について熱く語る。
太陽エネルギー、風力、水力、地熱エネルギーは誰でも平等に利用できる自然エネルギーであるとして、地球上のいろんな場所での太陽パネルや風力発電のシーンが紹介される。
アフリカの村には電気なしで暮らしている人がたくさんいる。お産をするのに懐中電灯を抱えて2晩過ごした話など、そして太陽パネルが取り付けられ、スイッチを押すと部屋が明るくなった。
ビアンカ・ジャガーが案内人と奥地に入っていく。ビアンカがこういう活動をしているのを読んでいたけど映像で見られてよかった。

見終わってから製作年をみたら2010年だった。やっぱりフクシマ以前の映画だ。ほのぼのと気持ちよい。いま製作したらフクシマについて語って悲惨な場面もいっぱい出てくるはずだ。
それにしてもフクシマの現状があるのに、原発再稼働に邁進する日本の政府と官僚と電気会社ってなんなんだろう。なんたる国に住んでいるんだろう、わたしら。考えさせられる映画だった。