VIC FAN CLUB の新しいサイトを考えている

今日の夕方ヴィク・ファン・クラブの会報が出来上がった。うれしそうに封筒を抱えて郵便ポストへ行った。ポストはうちのすぐ側にはなくて同じくらいの距離に4箇所ある。どこも5分ほど歩いたら行けるけど、通る道のマンション前の植栽が見事なところに足が向く。新緑を眺めながら帰りにちょっと散歩した。今月は締切日から半月抱えていた。月が変わったらすぐに5月号のことを考えなあかんやん。もちょっとしっかりせんとあかん。
会報は会員相互の考えや生活が反映されているのが特徴なので、内向きではあるがこれが楽しい人には楽しいものになっていると思ってやっている(笑)。

新しくサイトを作ろうと言い出してから1年以上経っている。
古いサイトhttp://www.sgy2.com/vic/を作ったのは1998年9月である。おおっ! 18年前だ!! 制作した夫も編集したわたしも初めてのサイト制作だったのでふらふらになった。ちょっと肩肘張っているところがあるが、真面目な素晴らしいサイトだと思う。

新しいサイトはもっとしなやかに、もっと楽しくと思っている。原稿次第だけど。

にゃんにゃん切手だよ

昨日22日はにゃんにゃん猫の日ということで猫の記念切手が発売されるとなにかで読んだのでカレンダーにメモしておいた。おとといの夜、明日は姉の家に行く約束してあったっけとカレンダーを確認してたら「にゃんにゃんの日」と書いてある。そうだ、明日は早起き日だし朝一で郵便局に寄ろうと決めた。
9時過ぎに郵便局へ寄って切手を買った。いまは昔のように記念切手発売日に並んだりしないんだ。けっこう好みの切手を普通に買ってるもんな。
ということで猫切手82円と52円を各30枚買った。そしたら今日届いた宅急便にカンパとして猫切手が入ってた。このぶんは個人用に使わせてもらおう。淳一はがきににゃんにゃん切手(笑)。

さっきヴィク・ファン・クラブ会報を送る用意として封筒に宛名シールと切手を貼った。まだ綴じ作業が残ってるけど、それは明日やろう。
届いたらみんなびっくりするやろな。にゃんにゃん切手やで。

ヴィク・ファン・クラブ ニュースの表紙絵が届いた

今年の11月に25周年を迎えるヴィク・ファン・クラブ(VFC)。毎月会報を作って送るのがわたしの生きがいであり楽しみである。
A4用紙に届いた原稿を簡単なレイアウトをして割り付けていくだけだけど、原稿が多いのでけっこう時間がかかる。この1週間、用事の合間に黙々とやっている。今月も発行が遅れているが月に一度きちんと出している。

いま起きた事件への反応がすぐにあるのがすごい。今月は地震のこと。まあ、それがすんだら1カ月の待たなきゃならないけど。1カ月の間にいろいろと通信が溜まっていく。ああ、今月も会報を出せるなあと思う。毎月毎月、同じ思いで25年間(笑)。緊張感を持って生きている。

さっきOちゃんから表紙の絵が届いた。毎月描いてもらってるけど、テーマがいつも猫で、これが愛らしくて人気がある。あともう一人忙しくて遅れている会員の原稿が届いたらすぐにレイアウトして「あとがき」を書いて、綴じて送る段取り。

今日はもうちょっと本を読んでから寝る。
なにを読んでるかっていうと、四方田犬彦さんの『母の母、その彼方に』(新潮社)。昨日の日記に書いてたやつ。ものすごくおもしろい。

熊本地震

昨日の夜は本を読んでいると大きな地震があったねと友人からのメールがあり、ええっ、知らんかったなあと慌ててラジオをつけた。10時ごろだった。
21時26分に震度7の地震が熊本であったニュースが繰り返されている。怖いね、寝られるかなといいながらいつものようにお風呂に入り横になった。

うとっとしたときにまだパソコンに向かっていた相方が「地震や」と叫んだ。ベッドがゆらゆら揺れている感じというのは寝ぼけていたからだと思うが、とにかくゆっくりと揺れていた。この感じは東日本大震災のときに似ている。あの時もゆらゆらと長時間揺れていた。震源地が遠い地震の特徴なんだろう。
それで目が覚めてしまいラジオをつけて状況を知りネットをつけて情報収集したり、友だちにメールしたりした。ほどほどで寝てしまったが。

そして今朝、10時ごろに目を覚ましたらラジオがいま起きた地震のニュースを伝えている。9時51分に震度6弱。最初は余震ということだったが、こんな記事が・・・
「気象庁は、マグニチュードが大きい16日午前1時25分の地震を「本震」と位置づけ、熊本地震をその「前震」に格下げした。」
記事は「これ以上の本震が今後あるかもしれない」と続いている。

お話会 山田真さんの声を聞く〜水俣・森永ミルク中毒・福島・こどもなどなど〜

正確には『ワハハ先生、山田真さんの声を聞く〜水俣・森永ミルク中毒・福島・こどもなどなど、ワハハと』が今日27日に京都上京区の古書店カライモブックスであった。京都在住のヴィク・ファン・クラブ(VFC)会員のYさんを誘ったのだが、とても喜んでもらえたので本当によかった。

山田真さんはわがVFCの会員である。お医者さんで活動家の上に翻訳ミステリファンという人は滅多にいないと思う。ときどき読んだばかりのミステリの紹介・感想を書いてくださるのを会報に載せている。好きな探偵とか警察官とかの好みがわたしとはちょっと違うが、たまに合致することがあるとうれしくなる。ヘニング・マンケルのクルト・ヴァランダー刑事とかね。

今日は水俣・森永ミルク中毒などの公害問題の経験したことと、いまの福島の原発の問題について、現場での経験や現状について話された。
いま福島では「放射能が不安だ」と口に出せば「福島の復興を妨げる非県民」といわれてしまう情況だそうだ。
つづいて不登校のことになると当事者たちはすごく真剣に話し質問した。その返事のお母さんがたの肩の荷がおりる山田さんの言葉に、わたしはうなった。不登校というと学校に行きさえすればそれで問題は解決するみたいに思っていたわけではないが、すぱっと不登校を否定しない意見を聞くと励まされる。

砂漠の中のオアシスのようなカライモブックスの午後だった。終わっても山田さんを囲んだり、お母さんどうしで立ち話をしたり、活動のビラ配りをするひともおり、なかなか終わらなかったが、暗くなるころYさんの車で京都駅まで送ってもらった。車に乗る前に昔ながらの喫茶店でカレーとコーヒーと楽しい会話の時間がめちゃ楽しかった。

行きしはJR京都駅から市バスで30分、西本願寺、二条城の側を通って一條戻橋・安倍晴明神社の側を通って天神公園前下車、10分ほど歩いて到着。方向音痴なんで余分なことをしないように、ネットで調べて周到な行動表(?)をつくって行ったから無駄なく到着した。
(『水俣から福島へー公害の経験を共有するー』山田 真 岩波書店 1900円+税)

『美術手帖』4月号「メンズ・ヌード」を買って読んでいる

これもツイッター情報なんだけど、『美術手帖』4月号「メンズ・ヌード」がおもしろそう。先日から買おうと思っていたが、ようやく今日姉のところに行くのでイカリスーパーで買い物してから紀伊国屋へまわった。重い食料品の紙袋と布袋を提げてご苦労様なことである。『ユリイカ』はあったけど『美術手帖』が見当たらぬ。店員さんに聞いたら一発でそこと教えてくれた。なんとまあ『美術手帖』はビニールで包装してありけっこうな冊数が平積みしてあった。
文庫本も買いたかったが荷物が重くなるので、見るだけでもと書棚の前に立っていたら、じっとわたしを見つめている中年の女性がいる。おばはんがエロ雑誌を持っていると思われたなと一瞬思ったが、なんのなんの万引きと思われたみたいだ。けげんな表情をしたわたしの純真な顔を見て彼女は向こうへ行ってしまった。まあ、これはわたしの感想であって事実かどうかは知らん。

帰ってビニール包装を破って出した雑誌は表紙からメンズ・ヌードで期待が高まる。ページをめくるときれいで上品な写真。文章はすっきりきっちり。
読みたかったのは湯山玲子さん×金田淳子さんの対談「目差される男のハダカ」である。わたしは10年くらい前に湯山さんの音楽関係の本を1冊読んだことがある。その本で地中海にあるイビサという島のクラブのことを知った。最近午前のNHKラジオで湯山さんの声を聞きどんな方かと想像していた。はじめて写真を拝見して堂々たるお姿とお言葉にしびれた。まだざっとしか読んでないのでこれからゆっくり読む。

大阪大空襲から71年

ツイッターをやってるおかげで日々いろんなツイートを読み世の中の動きについていけてる、と思う。
先日から東京大空襲についてのツイートをたくさん読んだ。それで、ああそうだった、大阪はちょっと後だったな、13日の夜だったと思い出した。毎年思い出しはするのだが、今年は早めだったから、戦災を生き抜いて長生きした両親を思い出したり、まあまあ元気な姉と子ども時代のことを話し合ったりした。

大空襲のときは姉は知り合いのところへ、わたしは母の実家に預けられていたので、二人とも戦災体験はない。二人ともぐずだから足手まといになって全員アウトだったかも。
そういえば下の兄は山梨県の甲府にいて爆撃にあい必死で自転車で逃げたという。てんでんばらばらに生きてたんやなあ。全員生きて敗戦を迎えたが、全員が揃って暮らすようになったのはだいぶ先のことだった。

71年前のこの時間、この辺りはB29に爆撃され人々は逃げ惑っていたんやな。
父は焼夷弾で足を怪我したのでその辺にあったリヤカーに乗せ、母と兄が引っ張って歩いた。東へまっすぐ末吉橋へ出てから北方向に向かい、夜が明けてから十三大橋を渡って、三国大橋を渡って知り合いのいる豊中市に向かった。途中の道の端で持って出た米を炊いて食べたら砂でじゃりじゃりだったとか。

今日は中原淳一先生の誕生日

今朝ツイッターを開いたら中原淳一先生のうるわしい姿が目についた。1913年の今日2月16日が誕生日だそうだ。
わたしが「先生」とよぶのは中原淳一先生だけである。

わたしの一家が住んでいた大阪市内の家は第二次大戦のアメリカ軍の空爆で焼けてしまった。命からがら逃げた家族がのちに郊外の小さな文化住宅にまとまって住むようになった。どんなときでも本を忘れない父親が、知り合いや古本屋や屑屋とかいろんなところで本を手に入れてきて、その中に戦前の『少女の友』があった。
『少女の友』には中原淳一先生の絵がたくさん載っていて、わたしはその絵の上に薄紙をのせてなぞり便箋をつくったりした。
川端康成の『乙女の港』の淳一描く表紙と挿絵が大好きだった。主人公の大河原三千子とお姉さまの八木洋子が大好きだった。
吉屋信子の本もたくさん読んだ。『花物語』の挿絵も淳一先生だった。
ここからわたしの「百合」趣味が生まれたのだから筋金が入っている。
その後は姉が買い始めた『ひまわり』、その後は『それいゆ』『ジュニアそれいゆ』を引き継いでずっと読んでいた。

いまも、本や絵葉書やメモ用紙やハンカチなんぞの小物を持っていてときどき出して眺めている。

ちまちまとやっている『ヴィク・ファン・クラブ ニュース』

今日は昼も夜も1日中ヴィク・ファン・クラブの会報作りをやっていた。まあ1日中といってもそこそこツイッターや知り合いのブログを読んだりしているけど。その合間に体操したり洗濯したり。ご飯も食べたし。感心なことにおやつは食べてない(笑)。
いま11時過ぎて区切りのいいところで今日の作業を終える。あたしってちまちまとパソコン仕事するのが好きなんやな。Pagesを駆使してレイアウトができていくのが楽しい。

ヴィク・ファン・クラブはこれから何度もうれしそうに書くと思うが、今年25年を迎える。すごいよね、だれに頼まれたわけでもなく、サラ・パレツキーさんの小説の主人公ヴィクが好きというだけで集まって24年経って、いまのところ25年は迎えられそうだ。

わたしはどうもちまちまと手仕事をするのが好きらしく、A4で20ページを越えてても黙々と作業する。今日ふと思い出したんだけど、こどものときに着せ替え人形を作ったときとおなじようなものみたい。ちまちまと厚紙に中原淳一を真似て描いた女の子を切り抜いていく。彼女がどこかへ出かけるためのドレスを描いて切り抜く。着せ替えては彼女の物語を想像でつくり上げる。
あかんのは超不器用で下手くそなので出来上がりがよくないこと。それは想像で補って自己満足してた。

しかし『ヴィク・ファン・クラブ ニュース』は不器用な作りの会報でも原稿の内容が素敵なので素晴らしいです。そして24年間毎月出してきたから全巻のファイルの量が半端じゃない。

快眠で快便

最近とみに思うのだが、快眠できて快便で、すごくありがたい。
若い友だちからのメールに、彼女たちのまわりでは「毎年健診を受けてたのに乳がんになってしまった」という話題で持ちきりだとあった。その言葉に刺激を受けて病気や健康や自分について思いをめぐらした。

晩ご飯を食べながら、相方が厄年に胃潰瘍になったことから、それまでの不摂生な生活、ヘビースモーカーだったこと、仕事が忙しく夜も眠らずに働き、その上で遊んだことを思い出してしゃべった。
悪いことばっかりやっていた。よく稼ぎはしたが、その分みんな使ってしもたというアホなわたしら。
そして大吐血のあとはタバコをやめて外食を減らした。仕事も減らしたので必然的に内食になった(笑)。
わたし自身もいまになって思うと神経性胃腸炎やった。長いこと毎週日曜日の夜になると下痢してた。翌日にはけろっとしてたから病気という実感はなかったけど、気持ちのよいものではない。

かなり長いこと元気だと実感。だってヴィク・ファン・クラブ作ってから毎月会報(9月号で通巻285号)を作って送り、VFCサイトを作ってから毎日(最初の2年は1日おきくらい)17年ブログを書いている。
よく眠りよく食べて快便。最近は寝つきが悪い日があるので運動不足に注意するべし。