ジム・ローチ監督『オレンジと太陽』と児童移民のこと(1)

女性ライフサイクル研究所のサイトにある村本邦子さんの「今月のトピック」2月の『「からのゆりかご」と児童移民』を読んで、ここで紹介されているジム・ローチ監督「オレンジと太陽」のDVDを思い出した。仕事が立て込んでいるのだがなにはともあれ見なくては。

映画「オレンジと太陽」はイギリスからオーストラリアへの児童移民がテーマである。17世紀以来、13万人を上回る子どもたちが船で運ばれた。
そこで思い出したんだけど、ミステリ作家レジナルド・ヒルの「異人館」(ダルジール警視シリーズではない作品)では、1960年代にイギリスの孤児院からオーストラリアに移住した祖母のルーツを探してイギリスへ来た若い女性サムが主人公である。祖母は11歳で何者かに妊娠させられ男の子を産んで死んだ。その子がサムの父親で、いま住んでいる家の養子となってきちんと暮らしている。サムは数学に秀でていてケンブリッジへ留学が決まり、その前に父親と自分のルーツを探りにイギリスの北西部の村にやってきた。父親の苦悩が映画「オレンジと太陽」の男性たちとだぶる。マーガレット・ハンフリーズさんは1986年に「児童移民トラスト」を立ち上げ、レジナルド・ヒルは本書を2005年に書いている。

真正面からはマーガレット ハンフリーズ「からのゆりかご―大英帝国の迷い子たち」があり、ひとつの例を「異人館」で読める。なんて書いたが「からのゆりかご」はまだ読んでないです。

遅くなったので肝心の映画の紹介は明日に。

ヴィク・ファン・クラブの会報2月号制作は今日がピーク

毎月書いているけど、ヴィク・ファン・クラブの会報は月刊で20年近く欠かさず出している。最初の数年は季刊の会報「 VI 」が主だった。その他にハガキだったりA4サイズの1枚ものを作って送っていた。覚えたてのMacがあるからできたことだ。そしてコピー機。ゼロックスのマシンが仕事以上にVFCの役に立ってきた。

いつからか「 VI 」をやめて「VFC NEWS」だけになり、30ページを越える会報を毎月送っていた。去年からネットにも頼ることにしてページ数を減らしている。
わたしの時間をたくさん使っていることについて考えることもあるが、ここまできたら元気な間はやりまっせの心境である。
このおかげでパソコンを操れてるし、原稿整理やレイアウトなど考えるからボケ防止になっているのではあるまいか(笑)。
本を読んで人に語れるのも会員の方々がいるおかげである。
最近は放射能測定に関係している方々と連載記事を作っている。これも長年培ってきた人間関係のおかげだ。
表紙のイラストがステキなのもVFCならでは。ずっと会員の娘さんが次々と描いてくださっていたが、いまはパンク少女の会員の手になるおしゃれな表紙である。

今月もまた20ページくらいかな。今日は何ページも版下原稿を作った。今年いっぱいは使えるコピー機にももうちょっと働いてもらう。

今年最初のSUBで思ったこと

1月中はなかなか腰があがらなかったがようやく今日SUBへ行った。すっごくいい演奏が聞けて幸せな時間を過ごせてよかった。
今日は7時15分から3セットあったのだが、8時半の2セット目から聞いた。藤川幸恵さんのピアノと長谷川朗さんのテナーサックス。3セット目にアルトサックスの側島万友美さんが加わった。

聞きながらいろいろ考えていた。
演奏はいいが聞いてる人は年寄りが多い。若いときから聞いている人たちだ。なぜ演奏する若者たちがいるのに聞く若者がいないのかな。この知的な音、技術も感性も備わった演奏を聞く若い人が少ないのはもったいない。
まあ、わたし自身が楽しめてるからええか。

わたしがSUBにいる間に姉と妹から電話があったそうだ。どっちも夜に女が家にいないなんて考えられない人たちである。明日電話して弁明せなあかん(笑)。以前、わたしがVFCの例会に行ってたときに兄の連れ合いから電話がかかって、主婦が夜出かけるの?って絶句してたそうだ。
女性が夜遅くまで好きなことをして遊ぶのが普通になればいいな。

「世直しカフェ Vol.1」に参加して思い出したこと

18日の学習会の感想をいつものようにその日に書こうとしたんだけど書けなかった。今日はもう書かなあかんなと思ったが、タイトルが重くて最初からしんどい。思いついたことなど書くしかないな。

テーマ:在日朝鮮人の運動と弾圧&ナショナリズムと戦後責任
講師:朴栄致(朝鮮総連東成支部)/下地真樹(阪南大学准教授)

わたしが在日朝鮮人の存在をはじめて知ったのは小学校の6年だった。クラスで「ニンニク臭い」と言われている子がいた。そのウワサはじわじわと広がっていって、その子とつきあうといっしょに仲間はずれにされそうだった。わたしはニンニクがなにかを知らなくて、家で食事のときに父親に聞いた。そしてはじめて在日朝鮮人の存在を知った。その子はわたしが近づこうとしても離れていた。わたし自身も本ばかり読む子であまり友だちはいなかったが、それとは別の話だ。

それから10何年も経って、わたしは数人の女性たちと歴史学研究会という大層なサークルで勉強していた。講師は阪大や大阪市大の学生が代わりばんこにやっていて、堅苦しい上にヘタクソだった。あるときの講師がKで、いままでの失敗から学んで講義の方法を変えると言い、講談口調で日本史のある部分を語った。笑ったけど、わたしら勉強に来てんねんでと彼に言って旧来の講義調に戻してもらった。
彼は在日だと陰でささやかれていたが、わたしも本人もそういう会話はしなかった。彼が結婚したときは生活費の足しにとカンパをしたことを覚えている。ある夜、なんのデモか忘れたが、梅田を在日韓国人のデモの列が通っているのを見ていると、Kがプラカードを持って照れくさそうにしていた。よっしゃーと思った。
それだけのことだけど、それからもう半世紀経とうとしている。数年前に会った友人がKも死んでしもて、当時の友だちで残っているのは君と僕だけやと言った。その友人も去年亡くなった。こちらは有名人なので新聞で知った。

下地先生が「在日問題は日本人問題」だと言われた。わたしがいまも感じる歯の間にご飯粒が引っかかっているような在日問題だって日本人問題だ。

世直しカフェ Vol.1 に行った

日時:9月18日 19時〜21時
場所:阪南大学 サテライト
テーマ:在日朝鮮人の運動と弾圧&ナショナリズムと戦後責任
講師:朴栄致(朝鮮総連東成支部)/下地真樹(阪南大学准教授)

下地先生の告知を昨日ツイッターで読んでこれは行かねばと相方とともに行ってきた。いま考えなければいけないことがテーマだ。みんな真剣に聞いていた。質疑応答もまじめだった。わたしはひたすら聞くばかり。
いま感想を書こうとしているのだが難しい。レジュメをもらって話を聞いてメモをとったが、まだ全然こなれてない。うーむ、なるほどと思うばかり。

在日朝鮮人の運動と弾圧について、朴栄致さんは静かに話されたが、状況はますます厳しくなるだろう。

ナショナリズムについての下地先生の話で、いままでまともに考えたことがなかったナショナリズムについて、考えるきっかけを与えてもらった。

今日はこれだけしか書けないな。

VFC会報終って、「モジ放送、勾留取消お祝い」

考えることがいっぱいあるが、まずはヴィク・ファン・クラブの会報作りをやってしまわねば。台風の連休はやる気がなくてさぼり、夜になると映画が見たくなり、本も読みたくなり。なんでファン・クラブをやっているのかを根本的に問わなくてはいけません(笑)。

昨夜プリントしていたら黒のトナーが切れて、これは用意してあったのを入れ替えした。そのあとマゼンダがなくなるとまた表示があり、夜中だけど忘れないうちにとネット注文した。コピー機のトナーもお知らせマークが出て用意してある。コピー用紙や封筒や糊や、小さい仕事だけどいろいろと品切れしないように気を使う。使わせてもらうメールへお願いやら返信やら、出来上がった会報にはいろいろと雑用がつまっている。
原稿もイラストも写真もみんな会員の手になるもので楽しい。
出来上がった会報を見るとやっぱり楽しい。

今日は、〈反原発運動への大弾圧「11.13此花区民ホール『指名逮捕』事件」の最後に残されたUさんに、史上初とも言える「勾留取り消し=無条件解放」を大阪地裁が認めた。〉という快挙があった。そのことについて、下地さんの「モジ放送、勾留取消お祝い」が11時30分ごろからある。これアップしたらちょうどよい時間だ。

「自由を取り戻す!9.1全国集会 エル・おおさか」に山本太郎さんも

ぐるぐるつながるネットワーク主催の「自由を取り戻す!9.1全国集会 エル・おおさか」に行ってきた。こういう集会には久しぶりの参加だ。去年まではデモや学習会によく行っていたが、今年はどうも出かけるのが億劫で遊びにも出かけていない。勤続疲労が暑さで倍増してる感じ。トシには逆らえないと言いたくないが。

今日は絶対行くぞと決めてネットで参加表明したので、どうこうなく雨の中を出かけた。天満橋のエル・おおさかへ行くのははじめてで、地下鉄を谷六で乗り換えて天満橋へはスムーズに着いた。それからお約束どおり(笑)ちょっと方向を間違ったが、豪雨と雷の中をたどり着いた。この雷雨なのに会場の後ろのほうはほとんど満席。比較的空いていた前のほうに座った。膝から下がびしょ濡れだったのでクーラーで冷えて困った。上に着るものとかいろいろ持っていって正解。

12時開場
映像〈何が起こったのか,関電前〜天満署〜大阪駅〜此花〉上映がはじまっていた。何度もネットで見ているけど、きちんと編集されて大きな画面で見たら改めて感動した。

1時スタート
司会:緑の党の長谷川羽衣子さん。赤いドレスで元気いっぱい。
メインスピーチ:下地真樹(モジモジ)さん。
話は「自由について」からはじまった。次に「弾圧」について。日常生活への弾圧として、不当逮捕等への恐怖が〈自主規制に追い込む〉こと。デモの申請が必要な国は少ない。その日本でデモ申請をしに行った下地さんたちがひどい嫌がらせをされたことなど。最近あった「東京リベルタン」の不当逮捕についても話された。
〈休憩〉

ライブ〈はちようび〉+ジャンベ4人 ○山本太郎さん登場。
久しぶりの〈はちようび〉のライブ、ヤンシの歌を聞いて気分があがった。
○途中で山本太郎さんが来られて挨拶された。
ヤンシは山本さんへの拍手が自分らへより大きかったとちょっとご機嫌ななめだった(笑)。ちょっとノリが悪い観客ではあった。○モジモジさんが登場して1曲歌った。
〈休憩〉
受付でチラシなどを収集。「NO NUKES バッジ」と園良太さんの本「ボクが東電前に立ったわけ」を買った。

参加者からのスピーチ
○園良太さん(麻生邸リアリティツアー弾圧,2.9竪川弾圧,差別・排外主義にNO! 9.23新宿デモ弾圧当該)
○大谷隆夫さん(4.5釜ヶ崎大弾圧当該)
○福岡市民救援会・久藤学さん
○関西大弾圧救援会・韓基大さん、前田登志さん(関西大弾圧当該)
○労働組合弾圧から 全日建連帯労組関西生コン支部民救援会関西大弾圧救援会
それぞれのかたが自分の経験からの発言をされた。わたしも真剣に生きなければ。

1分間スピーチ(会場から申し込んだ人による)
○関西弾圧東京の会、監視テントのくまさん。○千葉県から関東大震災90年のこと。○大阪在日男性、3年前の9月1日に逮捕された。○大阪府の学校の先生、君が代のときに座っていて減給処分。○大阪原告団事務局から。○釜ヶ崎日雇い労組、良心を失わない。○福井から普通の人間として福島へ行き、政府の大嘘を知った。○堺市では市長選が近いこと。○車椅子の方が呼びかけ。○最後にさっき言い残したと韓基大さんが裁判の傍聴呼びかけ。

3時半に終了した。参加者700人。
わたしはここまでで帰宅。
帰ったら集中したせいか雨に濡れたせいか疲れて2時間の爆睡。

デモは4時からスタート。雨があがってよかった。
無事に終了したそうです。参加者500人くらいだったって。
いま「たぬき御前のたぬキャス」でデモの様子を見ている。

勤続疲労、選挙には行った

昨夜は蚊取り線香をつけたのに考えなしに風下においたもので、痒くて目が覚めた。腕と顔をあちこち噛まれている。置き場所を変えて掻きながら眠りについた。いまもパソコン前で両腕を豪勢に噛まれていてばりばり掻いている。
昨夜は会報の最後の綴じを夜中にやり、それから半身浴して気分よく横になって、そして蚊の襲来(笑)。
今朝もまず半身浴したが、腰の調子は痛いとか悪いというのではなくてだるい。ちょっと長い時間を立っているとしんどいし、長時間歩くのもしんどい。どうもあちこち勤続疲労しているのを感じる。まあ勤続疲労して当たり前。人生を勤続しているんだもの。

トマトと簡単フレンチトーストの昼食を食べて選挙に行った。午後の暑い時間にしては人が多かったような気がしたが、ネットニュースを見ていたら投票率が悪かったようだ。
湿度の高い暑さに辟易したが、横になったらすぐさま寝てしまい2時間。

晩ご飯(野菜炒めとビール、ソーメン)を食べながら山本太郎事務所からのツイキャスを見ていた。それからずっと見続けていたら当選確実情報が出た。
ボランティアさんたちとの「ひとりじゃない!」の大合唱に感激。太郎さんがいまの日本にいてよかった。これからの艱難辛苦であろう人生に思いをはせる。でも、もうひとりじゃないから。それにしても選挙結果があまりにも・・・

西日と西風が入る部屋

この部屋は西日がたっぷりあたるので午後は暑い。夏は太陽が上のほうにあるからいつまでも西日がさしている。西日が当たる部屋(笑)。
でも、7時になればこちらのもの、全開の窓から風が通っていく。西風が通る部屋(笑)。

今年のはじめに此花区の焼却場で瓦礫焼却がはじまった。西の方を見ると灰色の夕陽の日が多かった。環境省大気汚染物質広域監視システム「そらまめ君」のPM2.5の数値を毎朝見つめていた日々。
窓を開けない暮らしをしながら、夏になったらどないしょうと思っていた。外出はマスクをしていたが、暑くなったら無理やな。
そしたら「そらまめ君」の数値が少しマシになってきた。燃やす瓦礫が減っているようだ。
クーラーが嫌いなのと、クーラーをつけても空気は入れ替わるそうなので、もうこの際窓を開けようと決めた。マスクもだんだんしないようになった。

昨日知ったニュース。
瓦礫の焼却は9月で終了とのことだ。
7月17日の大阪市のサイトに「東日本大震災により生じた廃棄物の広域処理の今後の見通しについて」がアップされている。

シャルロッテ・リンク『姉妹の家 上下』(2)

第一次大戦のヨーロッパで思い出すのが中学生のときに読んだ「チボー家の人々」第1巻「1914年夏」である。それ以来1914年という言葉が頭にしみ込んでしまった。その次にはドロシー・L・セイヤーズのピーター卿とハリエットのシリーズ、そしてヴァージニア・ウルフの「ダロウエイ夫人」と続き、映画の「突然炎のごとく」になる。児童文学でもあったなといま思い出しかけている。

本書のはじまりは1907年、ヨークシャーの地主チャールズは親たちに意地を通して結婚したアイルランド人のモーリーンと愛ある生活を送っている。娘のフランシスは14歳の怒れる娘で女学校がいやでたまらない。辛抱するようにいう恋人のジョンは20歳。美人の妹ヴィクトリアがいる。
しばらくして兄のジョージが恋人のアリスを連れてロンドンから帰省する。アリスは女権論者でフランシスに絶対的な影響を与えるようになる。ロンドンへ出たいフランシスは独身の叔母マーガレットを頼って家に住ませてもらう。

1910年11月18日、「黒い金曜日」としてイギリス女性解放運動の歴史に刻まれたこの日、婦人参政権を求めるデモで115人の女性が逮捕された。この日フランシスは風邪気味で家にいたのだが、負傷した女性が来てアリスからの伝言を伝える。デモの現場へ行ったフランシスは警官を傷つけたとされ逮捕される。拘置所で仲間とハンガーストライキをやり、4日目にはホースで流動食を流し込まれるという不当な待遇を受け体を壊す。
恋人のジョンが面会にくるが話が合わなくなっている。結局、父親が縁を切っていた実力者の祖父に頼んだらすぐに解放された。そのために父は自分の意志を曲げたので、それからはフランシスを無視するようになる。
ジョンは妹のヴァージニアと結婚して政治家として華やかな活躍をはじめる。

第一次大戦がはじまり、ジョージもジョンも戦線に出る。フランシスは看護婦の助手などして二人と出会う。
(園田みどり訳 集英社文庫 上 905円+税 下 876円+税)