我が家の盆休み

午後からつるかめ整体院へ治療に行って、帰りは相方に迎えにきてもらって銀行へまわった。恐ろしいほどの暑さに辟易しながら用事をすませたが、買いものと車椅子押しをした相方に帰って晩ご飯をつくる元気が消滅。

うちらはお盆休みやからといってどこも行ってないし、せめて今夜は外食しようとなった。相方のほうは海岸へ行ったり、深夜のパーティで遊んだりいろいろやってるけど、わたしは「おうちがいちばん」と留守番が多い。ご飯は毎回つくってもらってるけど、たまに外食したい。ということで、最近知ったばかりのネパール人が経営しているカレー屋さんへ行くことにした。
新町1丁目のすっきりしたお店で、チキン料理、カレーとナンなど食べ物いろいろとビールを注文。すごく辛いソースがついてきたのを楽しんで食べた。次回はコース料理を頼もう。
その昔、ネパール料理は大阪では独自の味で人気があったが、それらのお店は最近どうなったのかな。それらもおいしかったが、今日のは現地人ならではの味でとてもよかった。

相方がわたしの治療中に淀屋橋まで買い物に行き、草餅とかいろいろ買ってきてあった。それにつるかめさんが田舎のお土産に「羽二重餅」をくれたので、わたしはほくほく。
今日の夜のおやつは草餅とスイカ。明日からは羽二重餅がある。生きているのに供え物があって、生きているからうまい。

立秋はとうに過ぎた

意識していない間に今年の立秋(8月8日)は過ぎていた。
当日記に立秋前日の7日「夏負けしてられへん」と書き、翌8日(立秋当日)に「水飲んで夏バテから回復」と書いた。2日おいて11日の冒頭は「暑い、暑い。ああ、暑い。」である。それから台風がゆっくりときた。話を変えようと思ったわけでないが、ここで自然に児童書『家なき子』とソウルフード『被差別の食卓』が入って、どら焼きと魚の話。
そして、おとといにはついに「暑さに立ち向かわず」となった。

今日も暑かったが、暑さの質が台風前と全然違う。なんとも言えぬ湿気がある。
昨夜は洗濯物をベランダに干したのだが、そのままにして夕方取り入れようとしたらまだ濡れていた。薄い木綿の夏パジャマが乾いていないのでショックだ。ちょっと押し込んで吊っていたからなあと理由をつけたが、昨日は同じ状態で乾いていた。
この湿度がこわい。

豆腐と油揚げを洋風に食べる

大昔「タンパク質が足りないよ〜」というコマーシャルソングがあった。うちの食事もタンパク質が不足しているかも。肉類が高いから野菜主体の食事である。主食は炭水化物を制限するということで、ご飯のときは茶碗に半分にしている。パスタも少ししか盛ってない。でも野菜中心でおなかいっぱいになるのは歳のせいだろう。

最近和洋にかかわらず野菜サラダの一皿にお豆腐が入るようになった。絹こし豆腐をちょっと崩して薄切りのトマトや玉ねぎといっしょに食べる。冷奴で食べるより好きな食べ方になった。オリーブオイルによく合う。残った汁がおいしい。

今日は洋皿に薄揚げと菜っ葉の炒めたのがのっていた。オリーブオイルで炒めて、塩といろんなハーブで味付けしたんだって。焼酎炭酸割りの肴になかなかいけた。元をただせば大豆の食べ物がいろんな味で楽しませてくれる。

暑さに立ち向かわず

今年の暑さは格別。もう何日間こんなに暑かったんだろう? これからいつまで暑いんだろう? と考え込むが、振り返って日にちを数える気がしない。暑苦しいことはしたくない。

昨日いただいた友人のメールの最後に「杉谷さんも暑さに立ち向かわず、楽してくださいませ」とあって、心が和んだ。
いままでは「暑さに負けず頑張ってください」というのが定番で、もらったほうも定番だから考えることも感じることもなく普通に受け取っていた。

いやあ、昨日今日はメールを読み返してはにやっとしている。「暑さに立ち向かわず、楽してくださいませ」そうですね、そうしましょ。

ソウルフード 上原善広『被差別の食卓』を読んで

上原さんの子供時代の食べ物の話からはじまって、世界のソウルフードを求めた旅の話を興味深く読み終わった。そしてわたしのソウルフードってなんだと考えた。

わたしが疎開先から大阪へもどったのは1946年夏だった。新町の家がB29の爆撃で焼け、父が働く会社の寮に一家が集合したとき、知り合いの韓国人が故郷へ帰るから、空いた家に住むようにと手配してくれた。小さな家だが家具がついていてありがたい話だった。その近所には朝鮮人、被差別部落、沖縄人らが住んでおり独自の生活をしていたように記憶する。近所に住む弟の友達からの情報で、親が弟に口止めしても偉そうにわたしに伝えるのだった。

貧しい上に小さな子供まで抱えての生活は大変だった。母は近所の農家を手伝って現金収入を得ていた。内職はなんでも引き受け子供達が手伝った。
晩のおかずは必ず鯖の煮付けか塩焼きだった。それにほうれん草のおひたしがつく。思い出して上原さんが書いている「あぶらかすと菜っ葉の煮物」そのものやないかとうれしくなった。毎日母は魚屋で大きな鯖を2匹買ってきて自分でさばいていた。鯖は兄達には不評だったがわたしは大好きだった。鯖を炊いた汁にほうれん草を浸して食べるのは我が家のソウルフードだったといまごろわかった。

上原さんは世界を旅して、被差別の人たちの歴史と現状を報告している。その食べ物への好奇心には恐れ入ってしまう。本書は食べ物の話から入って差別について深く考えさせてくれる本である。
(新潮新書 680円+税)

明け方の大雨は台風10号

昨日は1日中雨が降るぞと待っていたが、結局よく降ったのは夜中から明け方だった。脱いだものが山積みになっていたのは今朝になって洗濯機を働かした。その上にベランダの掃除をして気持ちよく干せるように片付けてちょうどよい掃除日。

午後はパソコンに向かっていたが遅くになって怠け病が発生。ベッドにごろんと横になって爆睡した。いつも昼寝をしてもすぐに起きるので珍しいことだ。起きたら晩ご飯ができていた。

晩ご飯は麻婆豆腐、厚揚げと空心菜の煮物、きゅうりと玉ねぎの酢漬け、トマト。簡単でうまい。最後の濃い番茶がよかった。
いま10時半だがお腹が空いてきた。チョコレートあるしコーヒー飲もう。

ばたばた買いに行ったガムテープがそのまま残ってしまったよ。次の台風襲来のときのために仕舞っておこう。ヴィク・ファン・クラブ会報の原稿が集まりかけている。今月は旅行の報告が多いので「特集 三都物語」にしよう。

上原善広『被差別の食卓』を読んで思い出したこと

1週間ほど前に夫が図書館で借りてきた本(上原善広『被差別の食卓』)を「先に読んでええで」と渡してくれた。若い友人に教えてもらったそうで「興味あるやろ、ソウルフード食べたことあるしな」「ええっ、覚えていてくれたん?あれは忘れられない味や、先に読ませて」と読み出した。

本の紹介を書く前に、たった一回だけど、わたしが日本のソウルフードを食べた話をしたい。

わたしは阪神大震災のあと、なにかできることでボランティアに参加したいと思っていた。最初は当時まだあんまり普及してなかったパソコンを使う仕事を手伝ったりしていたが、現地へ行きたくてネットで知った「週末ボランティア」に連絡して参加した。神戸三ノ宮から地下鉄で終点の西神駅へ行って駅構内で集合する。それから歩いたりバスに乗ったりしていろんな場所にある仮設住宅に行き居住者から話を聞く。3人くらいのひと組で、もどると報告書を書いて話し合う。

それに参加するほかに、報告・感想を「週末ボランティア掲示板」に書いていたら、パソコンがない人が多いからプリントして配りたいと相談され、3年くらいのあいだ編集してプリントアウトして事務局にファックスしていた。それをプリントして綴じ次の参加者に配る。猫のイラストなんかいれて楽しいと好評だった。

そんなある日、正月を過ぎてまもない冬の日に震災ボランティアのネット関連者たちのオフラインミーティングが三ノ宮で開かれた。わたしはボランティアのメンバーの1人やからええやろと勝手に参加した。中心の人たちの顔を見たい。
そのとき来ていた1人が部落解放同盟のKさんだった。わたしはKさんのブログを愛読していたので、顔を見られ、話ができるのでうれしかった。全部で10人くらいで女子はわたしひとりだけ。食べるものをそれぞれ持ってくるように言われていて、わたしは巻き寿司とおいなりさんを持っていった。
隣にすわったKさんが出したのが「魚の煮こごり」、いまこの本でわかったのだが兵庫のソールフードだったんだ!

兵庫県の海で獲れた魚だが、昔から普通の漁師さんが見向きもしない魚だという。しっかり煮付けてあって、汁は煮こごりにしてあった。
わたしは自分の母親の煮魚が好きだったのですぐに手を出し魚の身と煮こごりを食べて「おいしいです。これ好き〜」といった。
だけど、男子連中は見るだけで箸をつけたのは2人だった。みんな酒飲みで、瓶が空くと一升瓶を買いに走っているくらいなのに飲むだけで食べない。巻き寿司は好評だったけど、なんで魚を食べられへんのやろと不思議だった。みんなファーストフードに取り込まれているのかな。
わたしはずいぶん食べたけど、魚はけっこう残ってしまった。残りを黙々としまい込むKさんは寂しそうだった。
それ以来Kさんには会っていない。

その後だいぶ経ってから近所に「かすうどん」の店ができた。一度行って食べたらおいしかったが日常的にうどん屋に行くということがないからそのままになっていた。今日この本を読んで「かすうどん」のことをいろいろ知ったのでこれは行かねばと思っているところだ。

『家なき子』が焼くどらやき

『家なき子』を読んでいたら、主人公のルミが親友のマチアに「帰ったらどらやきをいっぱい作って食べさせてやるから」という言葉があってびっくりした。「どらやき・・? 英語かフランス語でホットケーキみたいな言い方はないの?」
あとから読んだところにも何回かどらやきは出てきたけど、どうも慣れない。

読み終わってから「フランスのどらやき」みたいな言葉でいくつか検索したら、あるじゃないの「フレンチどらやき」の店とか。地図もあった。なんや、普通にあるんや、知らんかったのはあたしだけか。
ルミは小麦粉、卵、バターをたくさん買って、育ての親の家に帰り豪勢に「どらやき」を焼く。牛乳は苦労して手に入れたお金で雌牛を買って連れて帰り、世話になったおばさんにあげて、それから自分が乳をしぼる。

ああ、もうちょっとで物語は終わる。
もうちょっとで真実の母に会って、自分の生まれと身分を知り、持っているはずの財産を本当に相続する。離れていた恋人にも会うことができる。

『脊柱管狭窄症 最新最強 自力克服大全』

今日は相方が朝から出かけたのでわたしは家でいつものストレッチしてプラス健康雑誌『脊柱管狭窄症 最新最強 自力克服大全』を相手に体操してた。先々週だったか整形外科の先生に実は隠してましたが脊柱管狭窄症らしいと話した。先生はわたしの背中や腰を触ってみて、いま触ったところでは症状は出てないとおっしゃった。きっと1年半のストレッチが効いたのに違いない。

ついで先生はMRIを撮って手術という選択があるといわれた。手術がいやでストレッチを長期間やったんやがな。話は最近は脊柱管狭窄症の人が多いとなって、手術する気になったら大病院に紹介するとのこと。まあ触った感触ではいまする必要はないと思うそうだ。ああ、よかった。それにしても、ちゃっちゃと歩けるようにならんとどうしようもない。いまの感触では脊柱管よりも膝のほうに問題があるような気がするんやけど。これも先の長い話になりそう。

明日は超大型台風10号が西日本縦断の見通しだとか。
食事係が大丸でお弁当を買って帰ったので、帰ってすぐに夕食できてよかった。
閉店前の大売出しで高級弁当が買えたそうでありがたくいただいた。
『脊柱管狭窄症 最新最強 自力克服大全』(わかさ夢MOOK 860円+税)

台風10号は「ゆっくり」「大型」「強い勢力」

今日は8月12日月曜日、いま夜の8時、ネットニュースを見たらタイトルに並べた言葉が出てきた。次には「台風10号 超大型になりました」というタイトル。ほんまかいな。えらいこっちゃ。

さっき他のニュースを見ていた相方が「ガムテープこうてくるわ」と立ち上がった。「ガムテープようけあるやん」といったら、「あれは去年の残りや、去年慌てて買いにいったら紙のテープしかなかったんや。丈夫なやつを買ってくる」「ついでに非常用にラーメン」「よっしゃ〜」
その他いろいろ買ってきて我が家の台風10号対策完了。
懐中電灯、ロウソクもマッチもある。水も用意してある。当日はお風呂に水を溜めておくのを忘れずに。

ここまで書いたまま晩ご飯になって、ごちゃごちゃしゃべって、いま何時? 10時55分や。明日は相方が早く出かけるので今日は早寝だ。これアップして寝よう。