定番メニュー〈ソーメンと天ぷら〉

暑い、暑い。ああ、暑い。
今朝方あまりの暑さで目が覚めた。夜中に涼しかったのでクーラーを切って寝たのだが、ガラス戸を開けて風を通したのに、いつの間にか風はしっかり止まっている。よどんだ空気が生暖かい。
風が止まるとこの辺り一帯のベランダの温い空気がよどんだまま入り込んでくる感じ。うちの空気も上下左右におじゃましてるに違いない。都市生活者の生活はいろいろあるわ。
通るべき風が通らないのは台風の影響かしら。台風はくるのかな。去年みたいなのだと怖い。段ボール紙とガムテープを用意しておかなくっちゃ。
慌ててクーラーをつけたらすぐに寝付いてお昼前まで爆睡だった。

先日ソーメンをしたときに出汁を余分につくって冷やしてあったので、今日は食事係がちょっと助かった。天ぷらはイワシとカボチャとナスを大皿に山盛り。最近のテーブルの友、玉ねぎの酢漬けとピーマンとトマト薄切り。お酒は焼酎の炭酸わり。

三度目の『家なき子』は青空文庫で

『家なき子』(エクトール・マロ)は、小さい時から家にあった本で、姉や兄たちが読み散らかした本箱の中にあった。わたしが読んだのは一度や二度でなく、何度も読んで最後の幸せになるところでいい気分になっていた。

疎開先に持って行かなかったので縁は切れていたが、いまから10数年前に図書館の子供本の棚で見かけてその場で読み出し、座り込んでだーっと最後まで読んでしまった。
面白かったなあ、昔読んだままやったなあと感動したがいろいろ忙しくてそのままになっていた。その後、気になったこともあったが、そのままで、最近になってもう一度読みたいな、買おうかなと思った。そういえば青空文庫があったやん、あればすぐ読めるわと探したところ、楠山正雄訳のがちゃんとあった。昨日のことです。

いつものいらちで途中から読み出し、前へ戻ったり、最後へ行ったり、そうそう、嵐になって一家離散するところ、炭鉱で事故のところもあったっけと、いろいろ確かめつつ読んでいる。

気になったのは、ディケンズの作品と似通ったところがあることで、『荒涼館』と似ているなと思った。時代とか調べなあかんと思いつつ、思ってるだけでしょう、多分。

和食と和菓子

いくら暑くても食欲は旺盛、なんでも食べてお腹は元気。熱中症に気をつけて水分補給を忘れないように。昨日は水を飲むのをサボってあわや熱中症かというお粗末だったが。

今日のご飯。
朝・昼兼用ごはんは、バナナとケールその他のスムージー、水をたくさん、野菜色々サラダとさば缶とトマトのパスタにパセリたっぷり、紅茶。

午後は読書、おやつはなし。昼寝あり。
晩ご飯は相方外出のため酒なし、ご飯お茶碗に半分、納豆とネギの味噌汁、さばの塩焼き、とうがんのそぼろあん煮、冷奴、たまねぎの酢漬けなど生野菜盛り合わせ、番茶、夕霧最中。
夜のおやつにイチジク1個ずつ。

最近はご飯量を減らしている。昔はお茶碗2杯が普通だったが、いまは1/2杯が普通である。わたしは普通に美容のため、相方は糖尿病予防のため。タンパク質はたっぷり。

水飲んで夏バテから回復

昨日「夏負けしてられへん」と書いたばかりなのに、今日午後のおやつタイムには夏負け→夏バテしてた。だらーっとしんどい。「朝から何度もいうてたやろ。水をしっかり飲まなあかん」と怒られてあわてて冷蔵庫の水筒の水を飲んだ。「ちびりちびりやってたらあかん、コップで豪快に飲め」とおどされてコップいっぱいの水を飲み干す。ちょっとしたら体内に水がまわったのか体調がもどってきた。

おやつに買ってきてあった廣井堂の最中は明日にまわしてどら焼きが今日のおやつ。番茶を淹れて「うまい、うまい」といいながら食べた。
食前酒に先日近所の人にいただいた梅酒のソーダ割り。レモンと氷をたっぷり入れたらうまくて、ちょっと飲み過ごした。
あー、やれやれ、ニュースのアナウンサーさんがいっしょけんめい「水を飲みましょう」というてくれているのに、聞き流していた。
水を豪快に飲んで夏バテから回復しよう。自分にいってます(笑)。

夏負けしてられへん

熱中症に気をつけようとラジオニュースをつけるたんびにいっている。どこそこで何十人倒れたとか何人搬送したとか人数が半端でない。高齢者が多いそうだから、自分も倒れるんやないかと心配になる。ここ数日はことのほか暑いから心配感が倍増している。それで常に冷たい水を用意し、晩ご飯に番茶をたくさん沸かしておいて冷蔵庫においてある。

野菜たっぷりの食事を一日2回、食後とおやつに果物でビタミン補給している。
なによりも自慢は寝つきがよくてたっぷり寝ていること。目が醒めるまでぐっすり眠っている。食べるほうもだが、出すほうも気持ちよく出るのでありがたい。

それでも、目と歯がいちだんと悪くなっているし、頭は新たに生えてくる髪が真っ白である。
腰と膝が悪くて、車椅子と夫の世話になっているが、整体とストレッチでどこまで治るやら。
いろいろ考えなきゃいけないことが多いけど、なんとかなるやろと楽観的にかまえている。
夏負けしてられへん。暑さと夏に勝つ(笑)。
明日は廣井堂の夕霧最中をおやつに食べてうちわ片手に和むんや。

五番目の三女

ちょっと見渡すぐらいでは見つからないと思う五番目に生まれた三女の人。
我が家は長女、次女、長男、次男、三女、三男、四女の7人きょうだいである。一番上が96歳で施設にいて寝たきりに近い。次女と三男はずっと以前に60歳を目前にして病没。長男は妻を亡くして基本的に一人暮らし、息子夫婦と娘が世話してる。次男は元気で妻子とともに関東で暮らしている。いまは家長の役割を担っている。
そしてわたし、三女は夫と二人で仲良く(笑)大阪で暮らしている。最高齢の長女と一番下の四女はたしか20年離れている。イノシシとなんだっけかなあ。ええっ、78歳か〜 赤ん坊のときから面倒見てきた子が・・・そしてなにかにつけ、わたしは引かされ妹が得するシチュエーションになるのだった。三女はゴミ溜めで末っ子は可愛くていい子で母は溺愛していた。

まあ、いまはそれぞれ年をとって、それぞれ口が達者。うちだけ貧乏。
いま、きょうだいの話を書いていて、書くまでに思っていたモンクというか、これだけはいっておこうとかあったんだけど、やめとこう。誰か読んでたらいかん。

スイカと白桃

毎週近郊から届く野菜を買いに行ってる八百屋さんでスイカを買っている。あまり大きくはないが、1個まるごとだから重い。他にもカボチャやキュウリやトマトなど持ちながら運んでくる相方はたいへんだ。スイカを見たら買いたくなるみたい。同じような八百屋さんが他にも月木とくるのと、淀屋橋の駅近くに水曜日に市があるので、我が家の野菜は季節のものが潤沢にある。おしゃれな洋野菜やハーブなども豊富でありがたい。

おととい妹が白桃を送ってくれた。妹の亡夫の実家が果物の栽培をしていて、毎年送るべきところへ送ってもらうようになっている。高齢化でいつまでできるかわからないけどといいながら毎年送ってくれる。山梨の桃はすごくうまいけど、今年は天候のせいだろうか甘みが少ないような気がする。

今日のおやつはスイカでそれも半分を二人でという豪勢なことで、夕食のデザートは桃だった。わたしは毎日ぼーっとしながら食べるものだけはきちんと食べさせてもらっている。これというのも子供のときに戦時下で苦労したからご褒美ということにしておこう。勝手なこというてます。

冬瓜食べたよ

八百屋さんにいただいた冬瓜、「置いといて冬になってから食べよう、せっかく冬の瓜なんやから」とわたし。相方は「せっかくの貰い物だから食べて美味しかったと礼をいいたい」そうで。料理するのはわたしでないのでおまかせしたら、今夜の食卓に出てきた。昨夜クラブで飲んだらしく晩酌はなし。

今日の献立は、ご飯、揚げと菜っ葉の味噌汁、トリのミンチと薄切りの冬瓜を薄口醤油で煮てあんかけにしたのが主菜。トマトと青唐辛子のサラダ、玉ねぎのオイル漬け、納豆、番茶。質素だけど皿数が多かった。
冬瓜は思ったよりずっとうまかった。ミンチ肉のダシが今風の味を出していたし、ほんわかしたあんかけの食感もよかった。

最近、水曜日に淀屋橋の野菜の市で買ってくるトマトがむちゃくちゃうまい。ちょっと高いけど、野菜、米、お茶、お菓子と食べることが体をいたわっている感じがして、ちょっと贅沢やけどといいながら食べている。
冬瓜も体をいたわっている感じがして、うまさプラス体に良いと思った。
人生初冬瓜、うまかった。

家族の呼び方はアメリカ式

わたしの父親は若い時に浅草で働いていたそうで、東京に住んでいるときは浅草をぶらつくのが大好きだった。「お前を抱いてミミー宮島の踊りを見たんだぞ」と子供のときに聞かされた。3・4歳のときのことである。聞かされた歌は「ダイナ、わたしの恋人〜、胸に抱くはうるわしき姿〜」というんだった。そういう実演とアメリカ映画の影響が我が家では子供達にも浸透していた。「本を読んでも兄や姉のことを兄さん姉さんと呼ばないだろ。名前を呼んでいる。うちも名前で呼ぼう」と父がいったそうな。長女はねえちゃんでなくて和ちゃん、次女武ちゃん、長男みっちゃん、次男勝ちゃん、三女久美ちゃん、三男よっちゃん、四女せっちゃん。父母も子供達を名前で呼ぶようにした。わたしは「くみちゃん」と呼ばれた。母は父の文化的な面を尊敬していたので否応なく笑って従った。

4年生になったころ『若草物語』を読んで、名前で呼びあっているところをうちと同じやと納得。世の中は大東亜戦争真っただなかというのに、我が家は敵のアメリカ式なのであった。よそでいうなよといわれました(笑)。
さすがにパパママとはいわされなかった。ずうーっとおとうちゃん、おかあちゃんと呼んでいた。あれ、なんでやろ。

人生最高の暑さ

今日は暑かった。人生の最高の暑さかと思った。尊いような暑さ(笑)。大阪は37度。
ひょっとしたら山梨県へ疎開しているときにもっと暑い日があったかもしれない。山梨は甲府盆地だから気温が高い。3回すごした夏も毎日暑かった。田舎の暑さと都会の暑さは比べられないが、いまの大阪よりもマシだった。建物や道路の照り返しとかないし、クーラーの熱気もないし。少し山に入ると冷たい水が湧く泉がある。そこでお腹を下にして横たわり手ですくって水を飲む。うまかったなあ。
叔母の家はいまは市に変わっているが。当時は後屋敷村字清水というところだった。あちこちで清水が湧くからだと聞いた。ほんまに石の間から冷たい清水が湧いていていくらでも飲めた。もう大型道路とかできてあんな秘密めいた場所は残ってないだろうな。

いやいやもう、今日は暑かった。結局外にはよう出ず家にこもっていてベランダへ洗濯物の世話に出ただけだった。
冬物のカーテンが残っている窓がひとつあったので、すだれと夏物カーテンを重ねて吊るした。部屋の仕切りのドアを外して、いままでカーテンをかけていたのを「方丈記」やなあといいつつすだれを吊るした。