ウィリアム・モナハン監督『ロンドン・ブルバード -LAST BODYGUARD-』

アマゾンプライムでタイトルを見つけて、知っているようなタイトルだなあと検索したら好きな作家ケン・ブルーウンが原作だった。うちに本があるかなと探したら『酔いどれに悪人なし』と『酔いどれ故郷に帰る』の2冊(ハヤカワ文庫)が出てきた。『ロンドン・ブルバード』は新潮文庫から刊行されているが多分持っていない。

この映画『ロンドン・ブルバード -LAST BODYGUARD-』(2010 イギリス)は一度見た記憶がある。ところが見ながらそうだったと思い出すのだが、その先までは覚えていない。最後のシーンだって、ああこうやって死んでいくんだったと思い出した。いい映画なんだけど深さが足りない感じ、と自分の記憶力退化を映画のせいにしている。

ミッチェル(コリン・ファレル)は傷害罪で3年間服役して出所した。もう裏社会にはもどらないつもりで職を探そうと思っていると、偶然、女優のペニー(キーラ・ナイトレイ)のボディガードを引き受けることになる。ペニーはパパラッチの追いかけに悩まされていて、家から外に出られない。ミッチェルはできるだけのことをして彼女を守る。そんな清潔に生きようとするミッチェルをギャングのボスはしつこく自分の下で働くように勧誘する。
きちんとした服装でしっかりと仕事をするミッチェルにペニーは惹かれる。
最後はなんとなんと・・・こんな最後を迎えるなんて・・・映画の話だけど悲しくなった。

コリン・ファレルはアイルランド出身の太い眉毛が特徴の男前。Tシャツやスエット姿もいいし、スーツを着てもよし。

夏のご馳走

昨日は思いがけなくお酒(大黒正宗)をもらったのでほくほくしてお刺身を買いに行った。カツオのタタキではなくお刺身にしたら、久しぶりに食べたせいか、お酒のせいかすんごく美味しかった。ワインみたいな甘さのあるお酒でわたしはちょっと飲んだだけで酔った。相方は飲み口がいいものだからいつもより飲みすぎてた。

今夜は昨日とうってかわってアジア風。去年の『an・an』(特集:夏のおうちごはん)に出ていた「豚肉のフォー」。フォーにはわりと最近目覚めて、わたしが個食のときに小さい袋入りを買っていたのが大袋になりディナーに登場。たっぷりナンプラーを使ったエスニックな味である。
レシピに従って作って寝かせてあった「塩豚」が料理人の自慢で、たしかにうまかった。

昨夜の献立:日本酒、カツオのお刺身、トマトサラダ、ゴーヤチャンプル、ご飯、キノコの吸い物、番茶。※おやつにバナナとピーナツバタートーストとコーヒー。

今夜の献立:ビール、グリーンサラダとアボカドとチーズ、ゴーヤチャンプル、豚肉と野菜のフォー、番茶。

エリア・カザン監督『ラスト・タイクーン』

1940年に亡くなったスコット・フィッツジェラルド最後の未完の小説『ラスト・タイクーン』の映画化(1976)で、エリア・カザン最後の監督作品である。日本では長い間ソフト化されていなかったが、21世紀になってからDVDが発売されたとウィキペディアにあった。タイトルも知らなかったし、エリア・カザンへの関心をなくしていた。1952年の赤狩りに協力してリリアン・ヘルマン、ダシール・ハメットその他の名前を出した人だから。

豪華出演者たちに惹かれて見た。
登場人物がすごい。まず白黒映画のラブシーンからはじまるのだが、そのカップルがジャンヌ・モローとトニー・カーティスなのだ。ジャンヌ・モローの人気女優ぶりがすごい。そのシーンを写真で見たから全体を見る気が起こった。
主演の映画プロデューサーがロバート・デ・ニーロで、ジャック・ニコルソン、ロバート・ミッチャム、レイ・ミランドと男性たちが熱演。当時の男たちのスーツ姿がきりっとしてていい。
女優はどの役かわからなかったが、名前を知っている人はテレサ・ラッセル、アンジェリカ・ヒューストンなど素敵なドレス姿が美しい。デ・ニーロの恋人は野暮ったくてもひとつだった。
ロバート・デ・ニーロはほっそりとして神経質で、きりきりと仕事をしているが、女性に向いて笑うと人の良さが出てよかった。
デ・ニーロとジャック・ニコルソンは殴り合いあり卓球もするし楽しく共演してた。

梅雨の晴れ間

今年の大阪は空梅雨ではないが天気の良い日がけっこう多い。それでも予報は雨のことが多かったような気がする。予想外の好天気であれっと思うこと多し。
今日火曜日から5日間ほどずっと雨という週間予報を見て、昨日あわてて姉の家に行ってきた。ところが夜には降っていたが、目がさめたら好天気で、あわてて洗濯した。ご飯をすませてからは、まな板やら台布巾やらなんやら台所用品をお日さんにあてて清潔な気分になった。
夕方には洗濯を干したのが乾いたので、つぎの洗濯をして干した。お風呂からあがるまで洗濯待ちの衣類なし!!

午後はすごい日差しだった。スーパーへ行くのに日傘を出して去年の埃を拭った。白っぽいのと紺のと二つ持ってるが両方とも使ったままである。今年は夏の終わりにちゃんと始末しよう。去年は夏の疲れで面倒なことはやめたのかしら。まあただの怠惰だと思うが。

今日も道を歩いていたら犬が寄ってきた。飼い主がニコニコしてたから楽しく相手した。たまにこういういい人がいる。
そうそう、近所のマンションのあたりにいる野良猫と顔を合わせたら逃げずにニャーと挨拶してくれた。いままで知らぬ顔をしてたのにようやく認知されたみたい。ニャーと返事しておいた。

そろそろミステリーにもどろう

四方田犬彦さんの本を読み始めたのは4月で、それ以来四方田熱におかされてずっと読んできた。四方田さんの本を読んでいるだけでなく引用しておられる本や事項も読むからたいした量になっている。まだまだ醒めない四方田熱だが、ちょっと休憩に入る。

木村二郎さんが翻訳されたエドワード・D・ホックの『怪盗ニック全仕事 3』を送ってくださった。わたしの愛してやまない怪盗ニックのはちゃめちゃな冒険物語。さっそく第1話を読んだ。やっぱりおもしろい。これを読み終わるまでしばらく他の本は読まないことにしよう。

今日はお昼前に姉の家に行って夕方もどってきた。帰ってすぐのツイッター。【出かけた帰りにジュンク堂に寄って、ジェイムズ・エルロイ『背信の都 上下』(文藝春秋 上下とも2050円+税)を買った。帰り道が重かったけど、「我がものと思えば軽し傘の雪」の心情(笑)。いつ読めるかな。】とノー天気なことを書いた。ほんまにこの2冊は目方がやけに重たい。内容も重そうだ。「ジャップ殺しの罪はジャップに着せろ。」って帯にある。これぞエルロイって気持ちがはやる。

ホックを読んだらエルロイを読もう。でもすぐに読むのは実はロマンス『スコットランドの誘惑』(マデリン・マーチン)。はずみで買ってしまったの(笑)。7月9日発行だって。たたたとまずはスコットランドに誘惑されよう。

蓮實重彦さんの『伯爵夫人』は6/22発売予定

「蓮實重彦氏の『伯爵夫人』は6/22発売予定 」という新潮社のツイートを見てびっくりした。表紙の写真がルイズ・ブルックスだ。作品の中でも言及されているから当然かもしれないが、ちょっとびっくりした。
わたしは大岡昇平の著書『ルイズ・ブルックスと「ルル」』(1984 中央公論社)を出たときにすぐに買った。なんと32年前のこと!! 年に一度は出してきて楽しんでいる。

蓮實重彦さんのことは数年前まで無関心だったが、吉田喜重監督のことを知りたくて買った本によく出てくるので気になりはじめた。そして小津安二郎監督にも無関心だったが、そのつながりでいろいろと読み、小津の映画も見て言わんとしていることがわかって、いまは愛読者である。
そういうときに出た蓮實さんの「伯爵夫人」が載っている『新潮』4月号だからわくわくして買って読んだ。期待以上におもしろかった。ぜんぜんエロくはなかったけど(笑)。

もうひとつ発見があった。以前に書いたけどもう一度書いておこう。
なんとまあ、『ルイズ・ブルックスと「ルル」』に収録されているルイズ・ブルックスの2つの文章「ギッシュとガルボ」「パプストとルル」は四方田犬彦さんが訳したものである。いままでぜんぜん気が付かなかったけど。最近になって夢中で読んでいる四方田さんの本、いろいろ繋がっておもしろい。

監督・脚本ジョエル・ホプキンス『新しい人生のはじめかた』

ダスティン・ホフマンを久しぶりに見た。『卒業』は1967年、『真夜中のカーボーイ』は69年である。79年に『クレーマー、クレーマー』。それ以来なにか見たと思うけど記憶に残ってない。
最初に地味な姿でピアノを弾いているのを見て、一目で老けたなあって叫んだけど、お互いさまだ(笑)。

ウィキペディアに映画の成り立ちが出ていた。
監督・脚本のジョエル・ホプキンスはイギリスの独立系映画監督で、子ども用映画の監督候補にあがったときに同映画の脚本家で女優のエマ・トンプソンと出会った。ブロードウェイでダスティン・ホフマンとエマが舞台で共演しているのを見て、二人を生かした脚本を書くことにした。

ハーヴェイ(ダスティン・ホフマン)はニューヨークでテレビコマーシャルの音楽をやっているんだけど、古臭いと思われておろされそう。再婚した妻と娘がロンドンにいる。娘の結婚式なので行くことにするが仕事が気になって電話ばかり。
ロンドンに着くと、自分一人だけ安ホテルが用意されていて、娘はバージンロードをいっしょに歩くのは継父にするという。
ケイト(エマ・トンプソン)は40歳過ぎた独身女性で空港で働いて、仕事帰りに小説の講習会に参加している。偶然出会って次は空港のラウンジで出会って意気投合したふたり。なんやかやとあって結婚披露宴に一緒に行って祝福したので娘も喜ぶ。
ハーヴェイはロンドンで暮らそうと決心する。そこへ仕事の電話がかかるが断る。

ダスティン・ホフマンは初老の音楽家を楽しく演じていた。エマ・トンプソンは演技力の深さがにじみ出る好演。最後は靴を脱いで寄り添って歩くところがよし。
テムズ川が美しいロンドンのおとぎ話。

Vic Fan Club News 6月号(通巻294号)もうすぐ発行

今月もヴィク・ファン・クラブ(VFC)の会報を出そうとそこそこ頑張っている。20年以上を毎月休まないで出しているから、やめたらラクになるだろうという思いと、やってるから元気なのだという思いが変わりばんこに浮かぶ。

一昨年だったか「VFCサイト2」を新しく発足させる案が浮上した。「VFCサイト1」は1998年開設だから18年経っている。たくさんの会員が原稿を書いたがその人たちも半分くらいはいない。
今回すぐ作るようなことを言って原稿募集して書いてくださったかたもいるのだが、構成や内容を考えているうちに挫折してしまい、原稿はお預かりのままになっている。簡単でも作っていまある原稿だけでもアップしたいと思う今日この頃。でも、自分の読書もしたいし、メールのやりとりやSNSのおつきあいもあり、茨の道が目の前に浮かぶ。とにかく毎月の会報づくりがあるから。

紙にプリントして切手を貼って送る会報は手間はかかるがサイトとはまた違った作り方と読み方があるなあと、いまさらながら思う。だからこそ、会員の皆さまも忙しいのに長文の原稿やメールを書いてくださるのだ。
こんなことを毎月思っては会報づくりに手間暇かける自分を納得させている。明日、明後日の土日に頑張って来週のはじめには送りたい。だって、内容がおもしろいんだから。
そして「VFCサイト2」もなんとか。とってもいい会員に恵まれたとってもいい会なので頑張る。
毎月同じことを書いてますね(笑)

なぜか歯医者さんに行くと雨

去年の春のお彼岸のときに転んで前歯をぶつけた。ちょうど犬歯の横の虫歯治療をしていたときで、ついでにという感じで診てもらった。そのまたついでに不調なところをみんな診てもらったので、週一で五月雨から梅雨ごろまでかかったと思う。とにかくよく雨が降って受付の女子に「雨女ですね」と笑われた。あがっていた雨がわたしが帰るときになると強く降り出す。

その後は3カ月に一度の検診に行っている。自分からだとなかなか行かないから、メールでお知らせを受けて電話するというのはありがたい。
先生が出てきてさっさと診て「悪いところはないね」と早々に出て行ってしまう。悪いところがないので申し訳ない。歯科技工士さんに歯垢をとってもらい歯間の掃除をしてもらって清潔になった。年をとると歯茎が痩せて歯と歯の間に隙間が空くからたいへんだ。ご飯の後は歯ブラシで歯をブラッシングし歯間ブラシでほじくっている。今日はそこいらがみんな清潔になった。

昨日はいい天気だったのに今日は雨。それも歯医者さんの帰りにスーパーに寄ってから歩いていたらちょっとない大雨になった。肩には布バッグをかけ、重いスーパー袋を下げて傘をさして足元はずぶ濡れ、着ているものも全部濡れたけど夏物だから洗濯が簡単でよかった。

槍ヶ岳の思い出

姉との会話では向こうの話を一方的に聞くことが多かった。聞かれたら返事するけどほとんど向こうがしゃべっている。最近なぜか質問が多くなったようだ。昨日は「あんたは槍ヶ岳に登った人やさかいにな、尊敬するわ。お母ちゃんがいまごろ遭難してないかなと心配してたで」と言われた。山には親に相談するなんてことなく自力で支度して出かけていた。自分で働いたお金で山に行ってなにが悪いねんというのがわたしの屁理屈。5番目のこどもに早々に自立を促していた親がなにを言えるかって(笑)。「遭難してもほっとく」とか姉に言ってたみたいだ。わかっているから周到な用意をして六甲山で訓練して行ったのだ。それにしてもうん十年経ってからなにを言うてくれますねん、ねえちゃん。

そんなことで思い出した槍ヶ岳登山、いま見たら、東鎌尾根(表銀座ルート)を登っている。7月中旬、夜行列車で大阪発、名古屋で中央線に乗換え、明け方なんという駅で降りたんかな。それからバスに乗って中房温泉着やったんかな。中房温泉→燕岳→大天井岳→東鎌尾根→槍ヶ岳とそれからずっと登り。景色も見えずひたすら登った。燕岳に着いたのが夕方でそこに泊まったのだったか。もっと登って小屋に着いたのか。山小屋は混んでいて雑魚寝。
翌朝、小屋の朝ごはんを食べて出発。槍ヶ岳まではわりと簡単に登ったような気がする。わたしにとっては最初のでっかい登山だった。それまでは六甲山あちこち、比良山あちこちを登っていた。日本アルプスに一度は登ってみたかった。
男子2名は鉄道会社の社員で職場の登山部のメンバー、女子はわたしとNさん。日頃ハイキングやロッククライミング練習についてきたこの2人なら大丈夫と組んでくれたのだった。帰ってからいろんなところでわたしらがしっかりしてたとしゃべってくれた(笑)。
ある有名人が「登山をしない者にとって日本を代表する山は富士山だが、登山を愛好する者にとってのそれは槍ヶ岳である」と言ったそうな。

その後は上高地あたりで遊んだりしたが特に高い山には登ってはいない。興味が八ヶ岳に移って何度か、それから北八ヶ岳が好きになり一人で行ってうろうろした。
山に登るよりも山を見て楽しむ方が好きなんだと思う。まあいずれにしても昔の話である。